土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

龍源院は、大徳寺の塔頭で山内最古のお寺です。

2014年01月20日 | 京都の古寺巡り


(2014.01.18訪問)

禅寺の枯山水庭園を見るなら「冬に限るよ」と先輩から云われ、なんでと聞くと「冬は邪魔な色がないから
作庭者の深~い思いがお前でも少しは理解できるはずや」じゃ理解しに行こうと京紫野大徳寺にやってまい
りました。
京の冬は、日頃拝観できない寺院などで色んなジャンルの文化財の数々が「京の冬の旅非公開文化財特別公
開」で期間限定特別公開されています。
大徳寺でも山内塔頭二寺院が公開されてますが、今日はパス。通常公開されている枯山水庭園で著名な龍源
院と瑞峯院を訪ねました。先ず龍源院から。

▼大徳寺三門金毛閣。




[ 龍源院 ]
●寺号 龍源院(りょうげんいん)大徳寺塔頭
●開山 東渓宗牧(とうけいそうぼく)
●開基 畑山義元 大友義長 大内義興
●創建 文亀二年(1502年)
●宗派 臨済宗大徳寺南派本院
●本尊 釈迦如来坐像
▲京都市北区紫野大徳寺町82 TEL.075-491-7635
▲拝観料 一般350円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:30
▲地下鉄烏丸線北大路駅西へ徒歩約20分。
 市バス大徳寺前下車スグ。

龍源院縁起 (龍源院パンフから抄出)
大徳寺塔頭龍源院は、大徳寺山内で最古の寺。大徳寺南派の法源地本院。室町時代文亀二年(1502年)大徳寺
七十二世東溪宗牧を開祖として、能登の畠山義元、豊後の大友義長、周防国の大内義興らにより創建された。 
寺号龍源院は本山山号龍寳山から「龍」と、臨在禅で唯一存続している松源一脈の「源」の字からから成っ
ている。


▼表門(重文)。切妻造、四脚門、檜皮葺。室町時代文亀二年(1502年)建立。




▼参道。方丈に通じる参道、前方唐門ですが閉門です。




▼庫裡。拝観入口になってます。




▼こ沱底(こだてい)。
書院軒先のこ沱底は「阿吽の石庭」と云われ、白砂と聚楽第の基礎石が東西に配されている。
西の「阿の石」




東の「吽の石」




▼担雪井。創建当初からの井戸。




▼こ沱底の西端の棕櫚竹?に淡い光が。




▼方丈(重文)。入母屋造、檜皮葺。桟唐戸は禅宗様。室町時代文亀二年(1502年)建立。
日本最古の方丈建造物で禅宗方丈建築様式唯一の遺構とされているそうです。




▼方丈室中。




▼方丈室中。
本尊 釈迦如来坐像(重文)。像高52cm、木造、漆箔、玉眼。伝快慶弟子行心作。京都八釈迦の一。




▼方丈室中。
右端襖絵に龍の足しか見えませんが迫力満点の龍が描かれています。
お釈迦さんに気を取られ撮り忘れました。




▼方丈礼の間。




▼方丈前庭一枝坦(いっしだん)。
手前苔山亀島、中央蓬莱山、右鶴島を表し白砂が大海原を表現しています。




▼方丈前庭一枝坦。




▼方丈前庭一枝坦。




▼方丈前庭一枝坦。蓬莱山。




▼開祖堂。
開祖東渓宗牧の塔所、桁行三間、梁間三間、入母屋造、檜皮葺、昭和に造られた唐様建築の代表作。




▼開祖堂扁額。開祖東渓宗牧の禅師号が揮毫されています。




▼方丈北庭竜吟庭(りょうぎんてい)。
三尊石組からなる須弥山式の枯山水庭園、相阿弥作庭と伝えられています。全面を覆う杉苔は大海原、石組
は陸地を表している。中央の石組が須弥山で左右に二つの石が組まれ三尊石になり、その前の円板石を遥拝
石と云います。




▼方丈坪庭東滴壷(とうてきこ)。
日本最小の石庭。白砂に五個の石で構成、一滴がやがて小川、大河、大海となる様を表現。鍋島岳生作庭。




▼ご朱印です。




禅問答の意味不明と同じく、枯山水庭園の奥に秘める深~いロジックなどはサッパリ、知識不足を棚に上げ
て「禅の独りよがりの理論」などと云ったら、「お前は相当頭悪いな」とイヤ~な顔をされるでしょうネ。

それではと方丈縁の中央に座り、坐禅のつもりで一枝坦の白砂大海と点在する石小島を三十分ほど眺めるこ
とにしました。





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法隆寺。聖徳太子夢の跡、東院伽藍へ。

2014年01月16日 | 奈良の古寺巡り


(2014.01.11訪問)

それでは東院エリアを訪ねましょう。


▼東院のシンボル夢殿。




▼西院エリアから真っ直ぐな参道を東院エリアに向かいます。前方に見えるのは東大門。




▼東大門(国宝)。桁裄三間一戸、梁間二間、八脚、切妻造,本瓦葺。奈良時代建立。
門の前後に棟が三本あるので三棟造りと云うそうで、右袖に潜り戸が付いています。




▼東院側から見た東大門。




▼東院の入口、四脚門(重文)。木札には上宮王院夢殿とあります。




▼手水舎。




▼迦楼羅か金翅鳥はたまた鳳(雄)凰(雌)か。流水口が教典に出てくる瑞鳥と思いますが…。




▼鐘楼(国宝)。袴腰入母屋造、本瓦葺。吊られている梵鐘には中宮寺と陰刻されてるそうです。




▼夢殿(国宝)。八角円堂、宝形造、本瓦葺。
上宮王院の中心伽藍、聖徳太子供養のために建てられた八角円堂。大子コロニー斑鳩宮夢の跡。
蘇我入鹿の襲撃で壊滅した斑鳩宮跡に天平十一年(739年)行信僧都が太子を偲んで建てたもの。




▼正面(南面)内部。
今はお厨子の扉は閉められていますが、お馴染み秘仏の救世観音立像(国宝)が本尊として祀られています。




▼西面には赤い法衣を着けた太子像が安置されています。




▼東面には行信僧都坐像(国宝)が安置されています。極端な吊り目の奇怪な相貌です。写真右。
西面太子像の隣に道詮律師坐像(国宝)が安置。写真左。この方は平安時代、荒廃していた東院の復興、夢殿
修復に努力した人です。




▼屋根の宝珠。上からの名称は、光芒、宝珠、宝傘、宝瓶、受花だそうです。




▼東廻廊(重文)です。




▼礼堂(重文)。桁行五間、梁間四間、切妻造、本瓦葺。鎌倉前期の寛喜三年(1231年)に建立。
東院伽藍の廻廊を南でつなぐ建物で、旧東院伽藍の門とされているそうで、夢殿をこの堂から礼拝したと云
われているそうです。




▼絵殿(重文)と舎利殿(重文)。ニ堂一棟式の仏殿。桁行七間、梁間三間、切妻造、本瓦葺。
中央一戸が北側伝法堂への通路になっています。
東側舎利殿。聖徳太子がニ才の春に東に向って合掌され、そしてその掌中から出現したという舎利を安置。
西側絵殿。聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が納められているそうです。




▼伝法堂(国宝)。桁行七間、梁間四間、切妻造、本瓦葺。
聖武天皇夫人橘古那可智(たちばなのこなかち)は、東院資材帳によると自分の住んでいた住宅を奉納したと
いい、奉納品に「瓦葺講堂一間」とあるのが、この伝法堂とされており、それを改造して東院講堂として使
われていたそうです。堂内には三組の乾漆阿弥陀三尊像をはじめ多数の仏像が安置されているそうです。



伝法堂は非公開です。仏堂に改造したとはいえもとは住居、当時の皇族階級の住宅事情はどんなものか、ま
た多数の仏像が安置されているそうなので是非堂内を拝見してみたい。
思い切って特別公開してみたらどないですか、法隆寺さん。


東院伽藍は元々宮殿跡、西院伽藍に比べて少々狭い中に、夢殿を中心に廻廊で囲まれ、聖徳太子を信仰の中
心に置いた密閉空間のように思われます。ただボク達がサラッと拝観する中で、太子の香りはどこにも感じ
ることはありません。しかし斑鳩宮のたどった悲しみは、上宮王家の滅亡で歴史の彼方に去りましたが、太
子一族の怨念はやはりこの地の何処かを漂っているのでは。それにしても蘇我入鹿は悪いやつですネ。
狭いとはいえ、東院は西院とはまた違った存在感があります。       太子と山背大兄皇子に合掌!

最後になりましたが、避けて通れない、法隆寺お宝のオンパレード、大宝蔵殿へ。
▼西院聖霊院横の細道を入り真っ直ぐ、右に。朱色と白が鮮やかな大宝蔵殿があります。




▼大宝蔵殿中門の扁額、バクザン先生の揮毫扁額が掛けられています。これほどピッタリの書はお目にかか
れないでしょう。スバラシイ!




▼中門正面に百済観音堂と左右に西宝蔵と東宝蔵が繋がれ、国宝をこれでもかと見せてくれます。




▼百済観音堂のテッペンです。



愛想ないですが、大宝蔵殿オシマイ。
是非皆さんご自身の目でジックリ国宝仏をはじめ色んな宝物をご覧ください。いつもながら百済観音像の前
からはしばらく動くのが躊躇うほどのインパクトをボクは感じています。


▼御朱印です。南大門の柱と礎石に置いて。




これにて初春法隆寺巡り オ シ マ イ !


フロクと云っちゃ何ですが。
西大門沿いの土塀の落書き。修復手つかずの状態らしいですネ。







アホとしかいいようがありません。



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法隆寺。聖徳太子のもう一方の顔、ご存知ですか。

2014年01月14日 | 奈良の古寺巡り



(2014.01.11訪問)


ナガ~イお正月休みが終わりました。
たまたま、年末に上原和さんの四十年ほど前の著作「斑鳩の白い道のうえに」を引っ張り出し、読み直して
いて改めて法隆寺と聖徳太子の研究成果の凄さを感じました。上原説が全て正しいかどうかは判りません。
法皇帝説、記紀など様々の古文献を駆使した論点の進め方には成る程とナットクするところばかり。後世聖
王と仰がれる聖徳太子の裏の顔、法隆寺の数々の謎、上宮王家の抹殺でボク達が知っている斑鳩の地の暗さ、
逆にこここそユートピアだった説など読ましてくれます。
よって今年の古寺を歩く第1弾は、法隆寺です。

▼廻廊越しの五重塔。




[ 法隆寺 ]
●寺号 法隆寺(ほうりゅうじ)
●開基 聖徳太子(しょうとくたいし)
●創建 伝推古十五年(607年)
●宗派 聖徳宗総本山
●本尊 釈迦三尊像
▲奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1番1号 TEL.0745-75-2555
▲1993年12月、ユネスコ世界文化遺産リストに日本で初めて登録
▲拝観料 一般1,000円/小学生500円(西院伽藍内、大宝蔵院、東院伽藍内共通) 御朱印300円
▲拝観時間 午前八時~午後五時
▲http://www.horyuji.or.jp/index.htm
▲JR法隆寺駅より徒歩約20分 バス「法隆寺門前」行き、法隆寺門前下車
 JR王寺駅よりバス「春日大社、奈良」行き、法隆寺前下車
 近鉄奈良駅よりバス「法隆寺」行き、法隆寺前下車

法隆寺縁起 (法隆寺HPから抄出)
創建の由来は「金堂」の東の間に安置されている「薬師如来像」の光背銘や「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」
(747年)の縁起文によって知ることができます。
それによりますと、用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されましたが、その
実現をみないままに崩御されたといいます。そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、推古
十五年(607年)に寺と本尊「薬師如来」を造られたのがこの法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝え
ています。
現在、法隆寺は塔、金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。広さ約
18万7千平方メートルの境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建築物が軒をつらね、たく
さんの宝物類が伝来しています。
国宝、重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでいます。
法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、とくに1993年12月に
は、ユネスコ世界文化遺産リストに日本で初めて登録されるなど、世界的な仏教文化の宝庫として人々の注
目を集めています。


▼R25の脇に建つ法隆寺石標。




▼中央参道を行きます。真っ直ぐです。




▼南大門(国宝)。永享十年(1438年)再建された法隆寺の玄関。




▼では中門へ向かいましょう。




▼中門(国宝)です。




▼中門左前に、平山郁夫さん揮毫の世界遺産碑。日本最初の世界文化遺産と記されています。




▼中門、桁行四間、梁間三間、十五脚重層の楼閣門、入母屋造、本瓦葺。
法隆寺七不思議の一つ、初層桁行四間にセンター柱、なぜ真ん中に柱があるのか、色んな見解が述べられて
いますが、これと云った定説は詳らかにあらずということです。




▼中門初層両サイドに塑像の金剛力士像が睨みをきかせています。
向かって右、金剛力士阿形像(国宝)。像高378.0cm。




▼左に吽形像(国宝)。吽形像 375.0cm。いずれも日本に残る最古の金剛力士像です。




▼さて廻廊(国宝)に囲まれた法隆寺式伽藍(西院伽藍)の中へ。南から東の廻廊です。




▼金堂(国宝)。桁行五間、梁間四間、入母屋造、初層裳階付。



本尊釈迦三尊像(国宝)。飛鳥時代、止利仏師作。アーモンド形の眼で世に言うアルカイックスマイルの彫像。
東の間には薬師如来坐像(国宝)が、西の間には阿弥陀三尊が祀られています。


▼金堂南東裳階の上の肘木を支える獅子。




▼こちらは南西の獅子。勿論北側にも獅子がいます。




▼南から西の廻廊(国宝)です。




▼五重塔(国宝)。塔高32.45m、本瓦葺、 初層裳階付、三間(五層目は二間)五重塔。木造五重塔として現存
する世界最古の塔。初層内陣には東面、西面、南面、北面それぞれに塑造の群像を安置しています。例によ
り金網越しの拝観です。




▼五重塔の初層を支える邪鬼たち。悲壮な顔をして健気にも頑張っています。千三百年間ズーと、可哀相で
すね。




▼塔の相輪。




▼大講堂(国宝)。桁行九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。延長三年(925年)焼失、正暦元年(990年)再建。
本尊薬師三尊像(国宝)四天王像(重文)を安置しています。この写真後、突如風が強くなり寺務の方が急いで
前面扉を閉めてはりました。




▼この風です。




▼大講堂の向かって左西廻廊に繋がり経蔵(国宝)があります。
現在、天文や地理学を日本に伝えたという百済の観勒僧正像(平安時代)を安置しているそうです。




▼大講堂の向かって右東廻廊に繋がっているのが鐘楼(国宝)です。




▼西廻廊(国宝)。




▼西院伽藍の前の鏡池。吹いてた風がピタリ、名前のとおり波一つない水面。




▼聖霊院(国宝)。
聖徳太子の像を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。




▼聖霊院前の手水舎。流水口が鳳凰で全体がユニークなペルシャポット風なんです。




▼鋼封蔵(国宝)。
高床式の寺宝を保管するための蔵で、かつて法隆寺にはこのような倉が三十三棟も建ち並んでいたといわれ
てるそうです。




▼鋼封蔵を囲む一部にサザンカの生垣。今盛りだと思います。




▼三経院(国宝)。
聖徳太子が勝鬘経、維摩経、法華経の三経義疏にちなんで、西室の南端部を改造して建てられたのがこのお
堂です。現在も毎年、5月16日~8月15日、三経の講義を行っているそうです。




▼三経院前の弁天池。
今頃池中では開花に備えてパワーを蓄積中なんでしょうね。




▼西院エリアの西北端の西円堂にやってまいりました。




▼西円堂(国宝)。
八角円堂、本瓦葺、南面一角裳階付。建長二年(1250年)再建。




▼本尊乾漆薬師如来坐像(国宝)、像高244cm、乾漆像。天平時代。
金泥が残り堂々とした像形、頬ふっくらとやや半眼ぎみで正面から拝するとはっきりと目が合います。光背
が二重船形、千仏で埋められていますが後補のようです。




▼本尊反対側に、不動明王坐像が祀られ、守護するように四天王が周囲を固めています。




▼西円堂東側に鐘楼があります。




▼時を知らす鐘で、現在8時、10時、12時、2時、4時にその数だけ撞かれており、ボクがここに着い
たのが丁度12時。余韻が終わったら次打なので相当時間がかかりますが、12打を最後まで聞きました。
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」子規が聞いた鐘の音は、この鐘の音らしいですヨ。




▼西円堂から五重塔と金堂が見えます。




法隆寺第一部、これにてオシマイ。東院エリアにツヅキます。



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