(2013.06.22訪問)
なべかぶり日親さん苦難法難の生涯、文人本阿弥光悦さんとその一族の後援、画聖長谷川等伯さん寄宿など
など、逸話の多い本法寺を訪ねました。このお寺は、本阿弥光悦作庭の三巴の庭、等伯の巨大な仏涅槃図な
どで著名なお寺です。
近くには茶道三家の本家が軒を並べ、紳士淑女の出入りが結構盛んでした。
和装のご婦人ってよろしおすなァ!
▼多宝塔。
[ 本法寺 ]
●山号 叡昌山 (えいしょうざん)
●寺号 本法寺 (ほんぽうじ)
●宗派 日蓮宗 (にちれんしゅう) 本山
●創建 永享八年(1436年)
●開山 日親 (にっしん) 上人
●開基 本阿弥清信
●再興 本阿弥光二、光悦
●本尊 十界曼荼羅
▲京都市上京区小川通寺の内上る本法寺前町617 電話 075-441-7997
▲拝観料 境内無料 書院、庭園、宝物館500円。御朱印500円。
▲HP http://eishouzan.honpouji.nichiren-shu.jp/
▲JR京都駅から京都市バス賀茂行き 堀川寺の内下車徒歩3分
地下鉄烏丸線 鞍馬口下車徒歩約10分
▼参道から仁王門。
本法寺縁起 (本法寺HPから抄出)
日蓮宗本山叡昌山本法寺は、久遠成院日親上人の開創で、永享八年(1436年)、京都東洞院綾小路に建立され
ました。日親上人は、将軍足利義教に「立正治国論」を献じたが将軍の忌諱に触れ投獄、寺も焼却。将軍義
教が上人に加えた刑罰は次第に苛酷、焼鍋を頭にかぶせる等の残虐眼を覆う迫害もありました。世に冠鐺(な
べかぶり)日親上人と称するのは、この法難をいいます。しかし上人の大不動心は、後花園天皇の叡感に適い、
康正元年(1455年)四条高倉辺に官地を賜り本堂が再建。長禄四年(1460年)三条万里小路に移建。天文年間に
一条戻橋辺(現今の晴明神社)に移建、天正十五年(1587年)、現在地に移り、第10世日通上人は、寺領千石の
寄進を受け、本阿弥光二、光悦親子は私財を投じて再建。天明八年(1788年)の大火は洛中を灰燼となし、本
法寺の伽藍も災厄に逢い、僅かに経蔵と宝庫とを残すのみとなりましたが、その後、檀信徒の堂塔再建の悲
願は着々実現し今日の景観に繋がっています。
▼仁王門。三間一戸、十二脚重層楼門、寄棟造、本瓦葺。
▼仁王門を潜ると石畳参道が一直線に本堂へ向かいます。
▼参道左手に紫陽花が植わっていますが、まだこれからのようで、この二輪だけでした。
▼本堂。寛政九年(1797年)再建。桁行七間、梁間五間、単層、入母屋造、本瓦葺、正面四間の向拝付。
▼本堂扁額。本阿弥光悦の書。
▼本阿弥光悦手植えの松。
▼長谷川等伯像。本堂前に立って曰く、今日も天気がわるいわい!
宝物館には長谷川等伯の仏涅槃図 (重文) が保存されています。縦10m、横6m。
今宝物館に展示されているのは仏涅槃図のレプリカが掛けられています。
仏涅槃図は等伯六十一歳の作品で、箱蓋の内側に本法寺十世日通上人が、慶長四年四月二十六日に長谷川等
伯によって奉献されたことを銘記していいます。この大涅槃図は、人々の菩提に資するために長谷川等伯に
よって描かれ奉納されたの。もともと長谷川家は、日蓮宗の信者で、等伯は、能登地方七尾の絵師として知
られたが、父道浄の死後上洛して本法寺塔頭教行院に寄宿していたそうです。
▼開山堂。寛政八年(1795年)再建。
▼開山堂扁額。
▼多宝塔。 寛政年間(1789~1801年)再建。
▼摩利支天堂。写真は拝殿、本殿は奥に繋がっています。
▼鬼子母神堂。扁額は北辰殿と書かれています。妙見大菩薩、鬼子母神、七面大天女、大黒天の4体が祀ら
れています。
▼境内。左は開山堂。
▼経蔵(左)と鐘楼。
▼唐門。
▼書院大玄関。
▼庫裏。書院、庭園にはここから入ります。
▼豪快な木組みの天井。
▼十の庭。つなしの庭と読むそうです。
白砂中に九石が置かれています。十個目の石は、この庭を見る人の意思「石」を加えて「十個の石庭」と言
うそうです。一から十まで数えてみてください。「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、な
なつ、やっつ、ここのつ、とお」十だけ「つ」が付いていませんね、だから「つなし」と読むんだそうです。
洒落もここまでくるとアートです。
▼庫裏から書院への渡り廊下。
▼三巴の庭(国の名勝)。
書院の東側を主体とした約600平方メートルの全体の平面形態は、書院東側から南部へ曲り込んだ鍵形とな
っています。
▼書院。
▼書院上段の間。
三つ巴の庭に面したこの書院は、文政十二年に徳川紀州家の寄進。上段の間をはじめ十八畳が三間あります。
▼三巴の庭。
室町期の書院風枯山水の影響を残しながら桃山時代の息吹を感じさせる名庭。本阿弥光悦の作庭といわれて
います。
▼三巴の庭。
書院の縁先間近い位置に、長さ1.5mほどの切石十本により、十角形に縁どられた蓮池があり、その北部の半
円を二個組み合わせた円形石が日蓮を表している説もあるそうです。
▼竿が木の灯籠。竿全てが木製かどうかは定かではありませんが、初めて見ました。
▼三巴の庭。
東南隅にこの庭園の主役、枯瀧石組が据えられている。この枯瀧の中心に三尊石組があり、一段落して枯瀧
手前に配置された縦縞紋様をもつ青石により、水流の落ちる様相を表現しているそうです。
▼本阿弥光悦遺愛の蹲だそうです。
▼御朱印です。日蓮宗のお寺御朱印は決まってこれです。
宗祖日蓮さんの攻撃的布教は歴代僧に受け継がれ、時の為政者達との軋轢は、弾圧として夫々の身とお寺に
降りかかり、法難オンパレードのお寺だったようです。立宗以降、熱心な日蓮ファンは強力な檀徒となり、
今日の日蓮宗の礎になり、本阿弥家のような強力な後援者も生まれてくるんですネ。
フロク
今日の出町出会い、午後二時半頃です。