土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

秋篠寺のビーナスは、我が国唯一のお像です。

2013年04月03日 | 奈良の古寺巡り


(2013.03.30訪問)

なんと云っても秋篠寺のセールスポイントは、技芸天立像と緑の絨毯ですネ。
技芸天は2mを超える像高で端正な顔立ちとプロポーション、顔を左に傾げ伏し目の表情と半開きの口元は女
性そのもの、ビーナスの薫り馥郁と流れる柔らかな天衣のドレープ、技芸天は間違いなく大和のビーナス。
この像に会う度にギリシャのビーナスを想い出します。そんなベッピンにまた会いにきました。

▼本堂 (国宝)。




[ 秋篠寺 ]
●寺号 秋篠寺 (あきしのでら)
●宗派 単立
●勅願 光仁天皇 (こうにんてんのう)
●開山 善珠僧正 (ぜんしゅそうじょう)
●創建 宝亀七年 (776年)
●本尊 薬師如来坐像
▲奈良県奈良市秋篠町757 電話/0742-45-4600
▲拝観料 500円
▲奈良交通バス「近鉄西大寺北口」から押熊行き、「秋篠寺」下車スグ。
 「近鉄大和西大寺駅」または「平城駅」から徒歩15分
▲通常御朱印はやっていません。大元帥明王立像開扉の6月6日のみ書くそうです。

秋篠寺縁起 (秋篠寺パンフより抄出)
奈良時代末期宝亀七年 (776年) 光仁天皇の勅願で善珠僧正が薬師如来を本尊とする寺を造営したのが始まり
とされ、平安遷都とともに桓武天皇の時に完成を見た。
以後真言密教道場として隆盛を極めるも保延元年 (1135年) の兵火で、伽藍の大部分を焼失。鎌倉以降、復
興造営の甲斐もなく明治の廃仏毀釈によって寺域の大半を失い本堂を中心にわずかの堂宇が佇む現在の姿を
呈するに至っている。

▼東門。一般拝観者はこの門から。




▼参道。




▼北門。参道右手に開かずの門です。




▼香水閣。



霊水井戸。江戸期この井戸で汲まれた水が宮中行事に使われていたとのこと。日頃は門が閉じられているが
毎年6月6日には公開されます。


▼参道。




▼右に折れると、両側に緑の絨毯。



木立のなか一帯は青々とした苔が覆っています。まさに緑の絨毯で荘厳された何とも贅沢で清々しい。ここ
には金堂が建っていたと云います。確かに礎石が残ってます。


▼一風変わった石灯籠。金堂礎石に置かれているようです。




▼本堂 (国宝)。本尊 薬師如来坐像 (重文)。桁行5間、梁間4間、本瓦葺、寄せ棟造。



創建当初は講堂として建立。金堂が保延元年 (1135年) の兵火で焼失し、鎌倉時代の修理後本堂と称されて
います。本当に美しいお堂です。小規模お堂では、屋根形状こそ違いますが新薬師寺の本堂と双璧ではない
でしょうか。  


▼技芸天立像 (重文)。数年前に描きましたペン画です。



像高205.6cm。本堂左端に立っています。頭部のみが奈良時代の脱活乾漆造、体部は鎌倉時代の寄木造によ
る補作とはいえ、見事な補修テクです。伎芸天彫像は国内ではこの像以外にないそうです。


▼本堂前になにやら制服団体、N交通のガイドさん講習で近隣社寺を回っているそうです。




▼鐘楼。




▼かみなり石。



鐘楼横にへんな石があります。昔々秋篠の里には雷がよく落ちたようで、村人は落ちてきた雷さまをこの石
に閉じ込めへそを取ってしまったので二度と秋篠寺には雷が落ちなくなったとか。それにしても、へそを隠
すのは下界の人間たちのほうと違ったかな? 雷さまがへそを取られたという話は珍しいと思いません? 


▼大元堂。本尊 大元帥明王立像 (重文)。秘仏ですが、毎年6月6日に開扉されます。



桁行三間、梁間三間、桟瓦葺、入母屋造。一間向拝付。向拝は銅板葺きの唐破風屋根ですが、へんな後補で
はないかと思うほど見た目シックリ来ません。


▼大元堂横のおおきな白木蓮。




▼白木蓮。




▼開山堂。開山善珠僧正を祀っています。




▼川田順歌碑。
諸々の み仏の中の 技芸天 何のえにしぞ われを見たまふ




▼霊堂。




▼十三重石塔。




▼役行者石仏。そうとう傷んだ覆屋にそうとう傷んだ小角さんが。




▼緑の絨毯。




▼緑の絨毯。




▼会津八一歌碑。
秋篠の み寺をいでて かへりみる 生駒がたけに 日はいちむとす




▼南参道。




▼南門。



秋篠寺はオシマイですが、不退寺に続きますヨ。


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