(2013.01.13訪問)
数日前に大原雪化粧というのを聞き、雪に埋もれた大原の里とそこに流れる声明を聞きたくて大原にやって
まいりました。思惑は八瀬で外れ、外気温 8℃ の表示。ガックリしたのは云うまでもありません。実は雪が
怖くて今日はクルマを止めて京阪と出町から京都バスでやってまいりました。されどクルマも少なく、バス
はスイスイ、人出もお寺の方に聞くとゼンゼン、ということでした。その代わりと云っちゃなんですが、初
めての勝林院と宝泉院ユックリ拝観させていただきました。
勝林院の美男の阿弥陀さんもさることながら、堂内、外回りの彫刻の素晴らしいこと。
これはホンマビックリですワ!
▼美男の阿弥陀さん。受付の横にそんな掲示があります。
[ 勝林院 ]
●山号 魚山 (ぎょざん)
●寺号 勝林院 (しょうりんいん) 正式には魚山大原寺勝林院 (ぎょざんだいげんじしょうりんいん)
●宗派 天台宗
●開山 寂源上人 (じゃくげん) 慈覚大師円仁さんの九代目のお弟子
●開創 長和二年 (1013年)
●本尊 阿弥陀如来坐像 (重文)
勝林院縁起 (勝林院パンフより抄出)
円仁さんが唐から帰朝された時、儀式音楽聲明音律業を持ち帰り、比叡山で伝奏、九代弟子の寂源さんが叡
山道場をこの地に移し魚山と号、大原魚山流声明の根本道場としてこの寺を建立。それ以後多くの声明梵唄
修行の僧が集まり、院内坊宝泉院、実光院などが栄えたのであります。また大原問答の旧跡でもあります。
▼三千院の前をとおり、勝林院へ。
▼入り口ですよ、小さい石橋が見えるでしょうか、これより結界、来迎橋です。
▼すぐ右に手水鉢、手も身も清めて、さァ美男の阿弥陀さんに会いに。
▼とりあえず、鐘楼を右に見て。
▼堂々の本堂が目の前に。
桁行五間、梁行五間、入母屋造、杉板杮葺、三間向拝付き。柱、床板、彫刻すべて欅造。
安永七年 (1778年) 再建。
▼本堂正面。向拝中柱左に大原問答、右に勝林院と白跡よろしく掲げられています。
世に著名な大原問答とは……。
文治二年(1186年)顕真法印が法然上人を招いて浄土教について論議し、念仏により極楽往生が出来るかどう
かの問答を交わしたとき、本尊阿弥陀如来が法然さんの教えに軍配を上げ、自らの手から大光明を放たれた。
という伝承です。
この伝承から、本尊阿弥陀如来が証拠に立たれたところから証拠阿弥陀如来と称されているそうです。
▼正面頭貫と長押の間の透かし浮き彫り彫刻。
ようもまァこれほど細かく精巧な彫りは見事としか云いようがありません。
▼正面下から見上げてみても、見事としか云いようがありません。
▼向拝垂木の手挟み、見事としか云いようがありません。
▼内陣須弥壇。中央本尊 阿弥陀如来坐像、左脇侍 不動明王立像、右脇侍 毘沙門天立像。
長保寛弘年間(999年~1011年) の仏師、康尚作。一説には定朝の父とも伝わる仏師。
おそろしく綺麗で金泥剥げなど見られず、まさに光り輝いているのは、江戸中期の補修の結果だそうです。
この本尊は塔頭実光院、宝泉院の本尊でもあります。
▼男前本尊お顔アップ。
▼本尊の手から紐が見えますか? 判りにくいですが五色の綱です、電線ではありません。阿弥陀さんと結縁
のため参拝者が握れるようお堂入り口まで延びています。
▼男前を左から。
▼左脇侍の不動明王立像。明快な彩色と火焔光背の造りも手が込んでいます。
▼右脇侍の毘沙門天立像。妙に現代っ子風優しいお顔、彩色もお不動さんと同様、綺麗です。
脇侍二体は比較的新しいものではないかと思われます。
▼須弥壇前左右の八講壇 (問答台)。須弥壇四本柱の手前上もご覧下さい、木鼻は餓鬼が彫られています。
アップで撮りましたがボケボケでした。
堂内で声明が聞けるボタンがありましたが、いくら押しても声明は流れません。
■堂内やご本尊の写真は許可をいただいて撮影しています。
▼一間外廊が堂を巡っています。
▼境内東の高みに宝篋印塔 (重文)。正和五年丙辰五月の刻字が残っています。鎌倉時代の秀作といいます。
▼板彫り石碑が並んでいます。
▼歌碑。どなたのものかサッパリわかりません。
▼最後にもう一度見事な透かし浮き彫りを見、男前を偲びながら、お隣の宝泉院でお抹茶をいただきにまい
りましょう。
雪があるかないかは、行く前に確認すりゃ済むことなのにアホですね!