土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

円成寺浄土庭園の苑池は、透き通った陽光にキラキラ。

2013年01月08日 | 奈良の古寺巡り


(2013.01.05訪問)

新春第一回、土曜日は古寺を歩こうは、ヤッパリ奈良!
寒中の奈良は、寒い上にチメタイ、大阪に較べ4℃~5℃の温度差があるのを実感。
旧柳生街道に面した円成寺は奈良市内とはいえ街中を離れた山寺。深閑とした静寂、境内を包む凍れる空気は、
小砂利を踏む足音すらもシャキットした快い響きに変える。ほとんど全山独り占め状態は久々の快感で各所か
ら伝わる初詣のあの雑踏、人いきれはここにはありません。若い女性がお一人、本堂内陣で一心に手を合わせ
ていました。

▼名勝浄土庭園池は朝の陽光が冷たく白く光っています。ガンガンに凍ってます。




[ 圓成寺 ]
●山号 忍辱山 (にんにくせん)
●寺号 圓成寺 (えんじょうじ) 正確にはこの字、円成寺は通称。
●宗派 真言宗御室派
●勅願 (伝承) 聖武天皇、孝謙天皇 
●開山 (伝承) 虚瀧和尚 (ころうおしょう)
●開基 命禅上人(みょうぜんしょうにん)
●開創 万寿三年 (1026年)
●本尊 阿弥陀如来坐像 (重文)

圓成寺縁起 (圓成寺パンフレットから抄出)
円成寺縁起によると天平勝宝八年聖武、孝謙両天皇勅願で、鑑真和上弟子虚瀧和尚開創と伝えるが、史実的
には平安中期万寿三年、命禅上人が十一面観音を祀ったのが始まりである。天永三年 (1112年) 迎接(こうし
ょう) 上人が阿弥陀堂を建て阿弥陀如来を安置。仁平三年 (1153年) 仁和寺の寛遍 (かんぺん) 僧正が真言密
教忍辱山流を創始。圓成寺の基礎が築かれた。江戸時代に寺領235石となり、塔頭寺院二十三寺を有したが
明治廃仏毀釈後現状となり、本堂、仏像、庭園整備を整え多宝塔を再建し寺観を整えた。

▼R369号 (柳生街道) に面した石標。左石段が参道。




▼参道。




▼すっかり冬景色、名勝浄土庭園池。




▼鯉たちはどないしてるんでしょうか。




▼楼門 (重文)。三間一戸重層門、入母屋造、檜皮葺、八脚門。応仁二年 (1468年) 再建。




▼忍辱山と書かれた楼門扁額。




▼入山はここからです。




▼今年一の寒さらしいですが、雪はこの屋根にしか残ってませんでした。




▼本堂 (重文)。桁行五間、梁行四間、入母屋造、銅平板葺、正面三間向拝付。文正元年(1466年) 再建。
本尊 阿弥陀如来坐像 (重文)。像高 (坐高) 145.4cm、木造。


 
堂内内陣四本柱に残る柱絵は、聖衆来迎の菩薩が紫雲に乗る来迎の姿が彩色見事に残り、長押にも飛天や
鳳凰が描かれ堂内荘厳がまさに極楽浄土を演出しているようです。


▼本堂外陣舞台。




▼本堂。




▼多宝塔。平成二年 (1990年) 再建。




▼多宝塔本尊大日如来坐像 (国宝)。数年前に描いたペン画です。
金剛界大日如来、木造漆箔、寄せ木造、像高 (坐高) 98.8cm。
運慶若干二十歳代の造立と云われ、現存する最も初期の造像作品と云われているそうですヨ。




▼護摩堂。




▼護摩堂本尊 不動明王立像。右に弘法大師空海坐像、左に僧形文殊菩薩坐像が祀られています。




▼鐘楼堂。四方一間袴腰、入母屋造、桟瓦葺。寛文七年 (1667年) 再建。




▼鎮守拝殿。




▼鎮守社の春日堂と白山堂 (国宝)。
春日大社の旧社殿を移築したもので、正面入母屋造、裏切妻造、檜皮葺。最古の春日造り社殿。




▼鎮守社、宇賀神本殿 (重文)。




▼境内一角に蹲。跳ね水が周りの草々を凍らせています。




▼本堂前からの楼門。




▼十三重石塔。明和三年 (1766年) 建立。
十層から上は破損が多く、相輪もなく今にも崩れてきそう。右の宝篋印塔は圓池中之島にあったものを現地
に移建したものだそうです。




▼とっくにお昼は過ぎてるんですが相変わらず凍っている浄土庭園池と中之島。




▼忍辱山 圓成寺のパンフレット。元住職田畑賢住さんの著作です。圓成寺のすべてがここにあります。




境内独り占め状態の中で、多宝塔に祀られている運慶さん渾身の大日如来坐像、今日ほどジックリ対面した
のは初めて。多宝塔建立は十年ほど前、まだ新しいので堂内壁画も湯気が出るほど彩色鮮やか、狭い空間で
すが大日さんの残存漆箔が心なしか光が増しているような気がしました。

本年もどうぞよろしくお願いします。