土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

東西両塔の初層開扉、當麻寺を訪ねました。

2010年06月08日 | 奈良の古寺巡り
[ 當麻寺 ]
聖徳太子の弟、麻呂子皇子の創建と伝えられ、二上山を借景とした伝説に彩られ
たる飛鳥時代の古刹。真言宗と浄土宗の二宗護持の珍しいお寺です。


平城遷都1300年記念「奈良大和路秘宝・秘仏特別開帳」で當麻寺の東西両塔の初
層が創建以来初めて開扉されているというので、五日に行って参りました。拝観
無料というのは嬉しいじゃありませんか。9時過ぎに着きましたが、国道165号線
から参道門前まで参拝者がギッシリ、大したものです。門前駐車場は既に満車、
少し離れたところへ無事OK。
先ず東塔へ直行、恐らく拝観者で一杯だろうと行って見ると、一杯でした。

仁王門と門前。


金剛力士阿形と吽形。




東塔。
初層が開扉されていますが、内部へは入れません。基壇上からの拝観になります。
前面、後面の扉が開けられているので、内部は光が通りよく見ることができ、お
寺の配慮に感心しました。大勢の方が本尊大日如来に手を合わせておられました。
當麻寺の両塔は創建当時から残っている唯一の国宝双塔、東塔の方がいくらか古
く奈良時代、西塔は平安初期の創建といいます。


東塔内部。
本尊大日如来坐像。


西塔。
東塔と同様初層が開扉されていますが、こちらは基壇には上れず手前に木製台が
設えてあります。


本堂。(曼茶羅堂)国宝。
中将姫伝説に彩られた當麻曼茶羅(室町時代の写本)が本尊として中央厨子に掛
けられています。


金堂。
當麻寺の超スター、弥勒菩薩坐像が本尊。元々は當麻寺の本尊、今は根本本尊と
呼ばれているそうです。国宝仏で白鳳時代の作、我国最古の塑像です。ただ経時
変化は遺憾ともし難く、螺髪の欠損や漆泊の剥がれは、光背が綺麗なだけに、お
気の毒な感じを強くします。本尊の周囲を固める四天王、多聞天を除いてやはり
白鳳時代の作で乾漆像、なぜかスターでありながら重文。


講堂。
本尊阿弥陀如来坐像。仏像の見本市のようなお堂です。


鐘楼。
掛けられている梵鐘は日本最古の作と云われているそうです。


中将姫像。


[ 西南院 ]
當麻寺塔頭寺院。花のお寺と云われるだけに見事な庭園美です。花の季節はさぞ。

山門。


庭園の心字の池。


水琴窟。
つくばいから落ちる僅かな水が奏でる妙なる音、初めて聞きました。庭園内に二
か所あります。


見晴台から見る東西両塔。手前西塔、向こう東塔。


[ 奥の院 ]
本堂裏から奥の院の参道になります。参道石段の手摺りがなぜか朱に塗られて、
古寺の境内としては異質な感じ。
浄土宗総本山知恩院の「奥之院」として1370年にこの地に建立。


楼門。重文の重厚な楼門です。現在は使用されていません。


本堂(右)と阿弥陀堂。


阿弥陀堂。


名号石。六字名号が刻されています。


浄土庭園。


浄土庭園宝池の睡蓮。これからです。


浄土庭園の紫陽花。これからです。


中将姫伝説と花のお寺としての名刹當麻寺、この時期は花の端境期とはいえ、特
別開扉の効果はかなりのもののように思います。1300年の歴史ロマンがかきたて
る思いはどなたも同じなのでしょうネ。

宇陀路の名刹を訪ねる、その2

2010年06月04日 | 奈良の古寺巡り
宇太水分神社から166号線を戻ります。しばらく走ると国道370号線との分岐交差
点に着きます。正面に大宇陀道の駅がドンと控えています。
この辺り阿騎野の地は、万葉の世、薬猟場であったといい、万葉集の舞台として、
柿本人麻呂がこの地へ狩りに訪れた軽皇子に同行し詠った万葉秀歌
「ひむがしの 野にかぎろひの 立つみえて かえりみすれば 月かたぶきぬ」
を残したゆかりの地であるそうです。

[ 大願寺 ]
真言宗御室派 仁和寺末寺 薩垂山成就院大願寺
大宇陀道の駅のすぐ裏手の高台にこのお寺の境内が広がっています。
織田信長の次男信雄から5代織田家が藩主であった宇陀松山藩の祈願所といわれ、
山内には三代織田長頼が白山神社から勧請した白山権現社が祀られています。

山門。
急坂、急石段ですが距離はありません。


山門扁額は、四代信武の直筆といわれています。


本堂。
本尊十一面観音立像。像高三尺三寸三分、724年長谷寺の開創徳道上人の作と伝
わります。


毘沙門堂。
四代信武の寄進になるそうです。


賓頭廬さま。
本堂前の小さなお堂に座しています。お顔はなんと表現していいか分かりません。
表現の仕様がありませんです。自分の患い箇所を賓頭廬さまの同じところを擦る
とその病が癒えるご利益で、皆さん一心に祈願されていました。当然ボクも。


境内。


庫裡兼レストラン。
お寺の境内には不釣り合いなきれいな建物。
近くには森野薬草園があり、古くからの薬猟場、薬草料理を提供しています。
おばさん達の団体で賑わっていました。


白山権現社。古寂びた社は織田家縁の社とはとても思えない寂しさです。


白山権現社への道。


[ 大蔵寺 ]
雲管山医王院大蔵寺。真言宗豊山派のお寺。
聖徳太子開基、空海中興。役小角の修行の道場と伝えられているそうです。
大蔵寺を訪ねたのは、以前読んだ白洲正子さんの著作 [かくれ里] にあった [宇
陀の大蔵寺] をこの日の前日もう一度読み直し、白洲さんが歩かれた後を訪ねて
みようと思ったからなのです。白洲さんがこれを書かれたのは昭和45~46年のこ
と、約40年前。当時から今の変わり様を確かめてみたかったのも、もう一つの理
由でもあります。

国道370号線を大願寺から南へしばらく走ると、大蔵寺への道しるべ。


参道へと向かう山道。
かなりの急坂で道幅も狭く、道の両脇には、春の名残なのかツツジの枯落花と木
の名は判らないが、枯れ葉が積もっています。


山側には六字名号板碑が草蒸して閑かに立っています。


参道入り口に石標。
この前に、掲示板があり「当寺は観光寺院ではありません。檀家の皆さんがこの
お寺を守っています。静かに参拝をお願いします。」とありました。


参道。
本堂への石段下に庫裡があります。ボクが前を通った時は無人のようでした。


石段すぐ上に山門と思ったのですが、鐘楼でした。兼ねているのでしょうか。


本堂(重要文化財)。
本尊薬師如来。寄棟造柿葺、鎌倉後期の堂宇だそうです。
石積基壇上に建てられた、きれいなお堂です。残念ながら白洲さんがジックリ見
られた堂内は拝観できませんでした。
境内はさほどの広さは感じませんが、この山中にあってここだけがポッカリ空に
通じている明るい空間になっています。


太子堂(重要文化財)。
宝形造柿葺、弘法大師を祀る大師堂としては日本最古と聞きました。


十三重石塔。今は三石失われて十重塔に。般若寺の石塔と同じ唐人伊行末の作と
云われています。


鐘楼。
写真の向こう側がすぐ石段。山門を兼ねるには少々無理があるように思えます。


鎮守社。由緒はよく判りません。


境内の一角に小さな石像。刻まれた文字によると京醍醐寺云々とありましたので
修験関係のお寺でもあったのでしょうか。役小角の伝承も案外本当だったのかも
知れませんね。


真言密教の修行地としてまさにピッタリの山中で、その匂いを今に伝えている古
寺の風格を感じました。
白洲さんが廻られた当時と山中環境には古さ故か、さほどの変化は無いのでは。
古寺維持の大変な努力の跡は歩いていて十分感じることが出来ます。
帰り間際、庫裡の前を通りかかりますと若いご住職お一人で庫裡前の庭の土入れ
作業をされてました。しばらくお話を伺いましたが、やはり観光寺院でないこと
だけは強調されていました。

追、
当時は依頼すればお堂はいくらでも拝観可能だったらしいですが、いろいろ理由
はあるのでしょうが今は各寺院とも頑に拒んでいるのがなんとも残念です。

宇陀路の名刹を訪ねる、その1

2010年06月02日 | 奈良の古寺巡り
奈良北部のメジャー寺院界隈の賑わいをチラッと横目に、29日はまたまた宇陀路
を訪ねました。この日訪ねたのは、菟田野青蓮寺、宇太水分神社、少々戻って阿
騎野の大願寺、大蔵寺。万葉の香りただようここ宇陀路は喧騒からかけ離れた初
夏のまっただ中、国道とはいえほとんど車や人の影さえないグリーングラデーシ
ョンの中、一歩山の中に踏み入るとそこは深山幽谷、深閑の世界がありました。

[ 青蓮寺 ]
日張山成就院青蓮寺(ひばりやま じょうじゅいん せいれんじ)浄土宗の尼寺。
中将姫の伝説で著名な青蓮寺は山の中。五線の白壁塀の格を誇る門跡尼寺とは違
い、菟田野ひばり山の山中にひっそりと在りました。こぼれ陽すら通さない山道
は対向車の通行を許さないくらい道幅が狭いうえに急坂、まあ凄い山道です。山
門を抜けると視界がグッと広がりまるで浄土世界がそこに在るような境内が広が
っています。

国道166号線菟田野宇賀志の青蓮寺への道標。


のどかな風景がしばらく続きます。


一転、山中に入ってゆきます。これがまた凄い山道。




山道途中にこんな石像。右のは顔が少々恐いです。


手水舎。どうもここからが参道のようです。先への道のしんどさを象徴するよう
に、日張山用の杖、ご自由にお使い下さいと書かれてたくさんの杖が用意されて
いました。左下に見える小さな橋、無常橋がかかっています。この辺りは宇賀志
川の源流らしいです。


山門。
質素な山門の前に、親切な青蓮寺の案内札が立てられている。


参道。
山門を入ると、参道石段に第一歩。広い空とともに庫裡の屋根が見え出します。
参道左右は手入れの行き届いた植採が




きれいに手入れをされた境内は、尼寺の何となく優しい香りが漂います。


開山堂。
このお寺の本堂です。正面三間の向拝付きの中将姫を祀る小さなお堂。扉部分が
障子の珍しい造りです。1847年に再建されたといいます。
継母に殺されるところを、助けられこの地に草庵を結び、実の父に巡り会うとい
う、過酷な人生を歩んだ中将姫の伝説は、謡曲雲雀山として伝えられています。




阿弥陀堂。
浄土宗のお寺として開山堂の前に、小さなお堂阿弥陀堂が建っている。お堂の造
りはこちらの方がいくらか時代が遡るのではないだろうか。向拝も立派な造りに
なっています。


鐘楼。
無情の鐘、一回百円とありました。さんざん迷った挙げ句、止めました。


松井嘉藤太夫婦のお墓。
この地における中将姫と一方の主役松井嘉藤太と妻静野の墓。この夫婦は中将姫
を殺せと命じられた継母から姫を守ったと伝えられ、後の謡曲「雲雀山」で謡わ
れています。


境内。




創建1200年以上のお寺と伝わります。山寺と云う古寂びた感じは一切なく、堂宇
は新しく再建されたものですが、尼寺と云う言葉の響きからでしょうか、質素で
はあるけれどどこか柔らかな優しい雰囲気が漂うそんなお寺でした。
追、
ただ周辺環境はかなり厳しく、日々の暮らしさえ大変な所、尼寺としての修行は
どんな感じなのか思い浮かぶことはボクには出来ませんでした。

[ 宇太水分神社 ]

青蓮寺を辞し、国道166号線を引き返し宇太水分神社に向かいます。この神社の
由緒伝承はきわめて古く、第10代崇神天皇の勅命により三柱の神が祀られたと云
います。大和国四方向(宇太、葛城、吉野、都祁)に水の守り神、みくまり神と
して祀られたのが初といいます。
神社前面道路は狭く旧村道沿いに石標が立てられています。

一の鳥居。正面に見えるのは拝殿です。


一の鳥居の脇にある手水舎。


拝殿。


本殿前の板垣。檜皮葺の屋根が連なります。
中央扉には、金色の菊の御紋が皇室縁、崇神天皇の勅命が今に生きているようで
す。


本殿参殿。本殿は三社からなり右から
第一殿 祭神 天水分神
第二殿 祭神 速秋津彦命
第三殿 祭神 国水分神
参殿とも鎌倉末の建造で国宝に指定されています。室町末期以来、近年彩色復元
がされ美しい朱色を社叢の中で一際目立たせています。
本殿参殿の右に、摂社の重文春日神社、宗像神社が鎮座、末社として境内に金刀
比羅神社、恵比須神社が置かれています。摂社、末社とも春、夏、秋祭りが行わ
れ大賑わいするそうです。


末社金刀比羅神社。


境内。


夫婦杉。
境内の一角に、根元が二またに分かれた杉の大木。古来より夫婦和合の目出度い
木として縁結び、夫婦円満、子孫繁栄を願う人々に人気といいます。


つづく!