奈良北部のメジャー寺院界隈の賑わいをチラッと横目に、29日はまたまた宇陀路
を訪ねました。この日訪ねたのは、菟田野青蓮寺、宇太水分神社、少々戻って阿
騎野の大願寺、大蔵寺。万葉の香りただようここ宇陀路は喧騒からかけ離れた初
夏のまっただ中、国道とはいえほとんど車や人の影さえないグリーングラデーシ
ョンの中、一歩山の中に踏み入るとそこは深山幽谷、深閑の世界がありました。
[ 青蓮寺 ]
日張山成就院青蓮寺(ひばりやま じょうじゅいん せいれんじ)浄土宗の尼寺。
中将姫の伝説で著名な青蓮寺は山の中。五線の白壁塀の格を誇る門跡尼寺とは違
い、菟田野ひばり山の山中にひっそりと在りました。こぼれ陽すら通さない山道
は対向車の通行を許さないくらい道幅が狭いうえに急坂、まあ凄い山道です。山
門を抜けると視界がグッと広がりまるで浄土世界がそこに在るような境内が広が
っています。
国道166号線菟田野宇賀志の青蓮寺への道標。
のどかな風景がしばらく続きます。
一転、山中に入ってゆきます。これがまた凄い山道。
山道途中にこんな石像。右のは顔が少々恐いです。
手水舎。どうもここからが参道のようです。先への道のしんどさを象徴するよう
に、日張山用の杖、ご自由にお使い下さいと書かれてたくさんの杖が用意されて
いました。左下に見える小さな橋、無常橋がかかっています。この辺りは宇賀志
川の源流らしいです。
山門。
質素な山門の前に、親切な青蓮寺の案内札が立てられている。
参道。
山門を入ると、参道石段に第一歩。広い空とともに庫裡の屋根が見え出します。
参道左右は手入れの行き届いた植採が
きれいに手入れをされた境内は、尼寺の何となく優しい香りが漂います。
開山堂。
このお寺の本堂です。正面三間の向拝付きの中将姫を祀る小さなお堂。扉部分が
障子の珍しい造りです。1847年に再建されたといいます。
継母に殺されるところを、助けられこの地に草庵を結び、実の父に巡り会うとい
う、過酷な人生を歩んだ中将姫の伝説は、謡曲雲雀山として伝えられています。
阿弥陀堂。
浄土宗のお寺として開山堂の前に、小さなお堂阿弥陀堂が建っている。お堂の造
りはこちらの方がいくらか時代が遡るのではないだろうか。向拝も立派な造りに
なっています。
鐘楼。
無情の鐘、一回百円とありました。さんざん迷った挙げ句、止めました。
松井嘉藤太夫婦のお墓。
この地における中将姫と一方の主役松井嘉藤太と妻静野の墓。この夫婦は中将姫
を殺せと命じられた継母から姫を守ったと伝えられ、後の謡曲「雲雀山」で謡わ
れています。
境内。
創建1200年以上のお寺と伝わります。山寺と云う古寂びた感じは一切なく、堂宇
は新しく再建されたものですが、尼寺と云う言葉の響きからでしょうか、質素で
はあるけれどどこか柔らかな優しい雰囲気が漂うそんなお寺でした。
追、
ただ周辺環境はかなり厳しく、日々の暮らしさえ大変な所、尼寺としての修行は
どんな感じなのか思い浮かぶことはボクには出来ませんでした。
[ 宇太水分神社 ]
青蓮寺を辞し、国道166号線を引き返し宇太水分神社に向かいます。この神社の
由緒伝承はきわめて古く、第10代崇神天皇の勅命により三柱の神が祀られたと云
います。大和国四方向(宇太、葛城、吉野、都祁)に水の守り神、みくまり神と
して祀られたのが初といいます。
神社前面道路は狭く旧村道沿いに石標が立てられています。
一の鳥居。正面に見えるのは拝殿です。
一の鳥居の脇にある手水舎。
拝殿。
本殿前の板垣。檜皮葺の屋根が連なります。
中央扉には、金色の菊の御紋が皇室縁、崇神天皇の勅命が今に生きているようで
す。
本殿参殿。本殿は三社からなり右から
第一殿 祭神 天水分神
第二殿 祭神 速秋津彦命
第三殿 祭神 国水分神
参殿とも鎌倉末の建造で国宝に指定されています。室町末期以来、近年彩色復元
がされ美しい朱色を社叢の中で一際目立たせています。
本殿参殿の右に、摂社の重文春日神社、宗像神社が鎮座、末社として境内に金刀
比羅神社、恵比須神社が置かれています。摂社、末社とも春、夏、秋祭りが行わ
れ大賑わいするそうです。
末社金刀比羅神社。
境内。
夫婦杉。
境内の一角に、根元が二またに分かれた杉の大木。古来より夫婦和合の目出度い
木として縁結び、夫婦円満、子孫繁栄を願う人々に人気といいます。
つづく!
を訪ねました。この日訪ねたのは、菟田野青蓮寺、宇太水分神社、少々戻って阿
騎野の大願寺、大蔵寺。万葉の香りただようここ宇陀路は喧騒からかけ離れた初
夏のまっただ中、国道とはいえほとんど車や人の影さえないグリーングラデーシ
ョンの中、一歩山の中に踏み入るとそこは深山幽谷、深閑の世界がありました。
[ 青蓮寺 ]
日張山成就院青蓮寺(ひばりやま じょうじゅいん せいれんじ)浄土宗の尼寺。
中将姫の伝説で著名な青蓮寺は山の中。五線の白壁塀の格を誇る門跡尼寺とは違
い、菟田野ひばり山の山中にひっそりと在りました。こぼれ陽すら通さない山道
は対向車の通行を許さないくらい道幅が狭いうえに急坂、まあ凄い山道です。山
門を抜けると視界がグッと広がりまるで浄土世界がそこに在るような境内が広が
っています。
国道166号線菟田野宇賀志の青蓮寺への道標。
のどかな風景がしばらく続きます。
一転、山中に入ってゆきます。これがまた凄い山道。
山道途中にこんな石像。右のは顔が少々恐いです。
手水舎。どうもここからが参道のようです。先への道のしんどさを象徴するよう
に、日張山用の杖、ご自由にお使い下さいと書かれてたくさんの杖が用意されて
いました。左下に見える小さな橋、無常橋がかかっています。この辺りは宇賀志
川の源流らしいです。
山門。
質素な山門の前に、親切な青蓮寺の案内札が立てられている。
参道。
山門を入ると、参道石段に第一歩。広い空とともに庫裡の屋根が見え出します。
参道左右は手入れの行き届いた植採が
きれいに手入れをされた境内は、尼寺の何となく優しい香りが漂います。
開山堂。
このお寺の本堂です。正面三間の向拝付きの中将姫を祀る小さなお堂。扉部分が
障子の珍しい造りです。1847年に再建されたといいます。
継母に殺されるところを、助けられこの地に草庵を結び、実の父に巡り会うとい
う、過酷な人生を歩んだ中将姫の伝説は、謡曲雲雀山として伝えられています。
阿弥陀堂。
浄土宗のお寺として開山堂の前に、小さなお堂阿弥陀堂が建っている。お堂の造
りはこちらの方がいくらか時代が遡るのではないだろうか。向拝も立派な造りに
なっています。
鐘楼。
無情の鐘、一回百円とありました。さんざん迷った挙げ句、止めました。
松井嘉藤太夫婦のお墓。
この地における中将姫と一方の主役松井嘉藤太と妻静野の墓。この夫婦は中将姫
を殺せと命じられた継母から姫を守ったと伝えられ、後の謡曲「雲雀山」で謡わ
れています。
境内。
創建1200年以上のお寺と伝わります。山寺と云う古寂びた感じは一切なく、堂宇
は新しく再建されたものですが、尼寺と云う言葉の響きからでしょうか、質素で
はあるけれどどこか柔らかな優しい雰囲気が漂うそんなお寺でした。
追、
ただ周辺環境はかなり厳しく、日々の暮らしさえ大変な所、尼寺としての修行は
どんな感じなのか思い浮かぶことはボクには出来ませんでした。
[ 宇太水分神社 ]
青蓮寺を辞し、国道166号線を引き返し宇太水分神社に向かいます。この神社の
由緒伝承はきわめて古く、第10代崇神天皇の勅命により三柱の神が祀られたと云
います。大和国四方向(宇太、葛城、吉野、都祁)に水の守り神、みくまり神と
して祀られたのが初といいます。
神社前面道路は狭く旧村道沿いに石標が立てられています。
一の鳥居。正面に見えるのは拝殿です。
一の鳥居の脇にある手水舎。
拝殿。
本殿前の板垣。檜皮葺の屋根が連なります。
中央扉には、金色の菊の御紋が皇室縁、崇神天皇の勅命が今に生きているようで
す。
本殿参殿。本殿は三社からなり右から
第一殿 祭神 天水分神
第二殿 祭神 速秋津彦命
第三殿 祭神 国水分神
参殿とも鎌倉末の建造で国宝に指定されています。室町末期以来、近年彩色復元
がされ美しい朱色を社叢の中で一際目立たせています。
本殿参殿の右に、摂社の重文春日神社、宗像神社が鎮座、末社として境内に金刀
比羅神社、恵比須神社が置かれています。摂社、末社とも春、夏、秋祭りが行わ
れ大賑わいするそうです。
末社金刀比羅神社。
境内。
夫婦杉。
境内の一角に、根元が二またに分かれた杉の大木。古来より夫婦和合の目出度い
木として縁結び、夫婦円満、子孫繁栄を願う人々に人気といいます。
つづく!