太子町から竹内街道沿いの磯長(しなが)の地は、聖徳太子にまつわる事績や用
明天皇、推古天皇、敏達天皇、孝徳天皇の天皇陵、お寺が数多く点在しています。
叡福寺は、聖徳太子陵墓を祭祀守護、追福を営むためのお寺として創建されたと
いいます。その後聖武天皇の勅願により、堂塔伽藍が整備され、太子信仰の中核
をなした寺院として、今も上の太子と称され親しまれているそうす。その後の歴
史は戦乱、天災を被りながら江戸期に今の姿になったといいます。広大な境内は
整然と整備され、非常にきれいなお寺です。ただ伽藍配置は、陵墓を祭祀守護の
為なのか既存の配置ではなく、規則性と云うのは感じることは出来ません。
南大門。
昭和33年に再々建された朱色も鮮やかな大門。左右にはやや小ぶりの金剛力士、
阿吽両像が安置されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/8e/e47618071c4d3625233c9cfd7669f1e6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/14/347a602eadc99abe379f8704b54732dd.jpg)
南大門偏額。
やはり寺名、山号ではなく聖徳廟と記されています。揮毫はなぜか岸信介元内閣
総理大臣。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/70/9ed213eba3986bdabc817e483323c319.jpg)
南大門金剛力士
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/0e/ddb6c01500efd4341b19f2793fe38dba.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/48/1752706c0427c128e9ecdb254c68b9f7.jpg)
金堂。
堂々とした堂宇。江戸中期の再建。本尊は如意輪観音菩薩坐像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/69/20a09a7bb9afd4d5d555d50a9b91f42a.jpg)
多宝塔。
均整のとれた美しい塔です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/11/98b729f6db4e61b09e1ab1e0966a866a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/90/ec4ef318bd0e18d7f1d8d94a185a6f4c.jpg)
聖霊殿。
太子堂とも呼ばれ、聖徳太子16歳像と2歳像が祀られている。この日は大勢の方
が入堂されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/83/764d373d02e89441af2ac5346cabd2db.jpg)
上の御堂。
聖徳太子35歳像が祀られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/a8/2d0da78613b69951071ff223fb47f94c.jpg)
念仏堂。
本尊は阿弥陀如来、信州善光寺と関係があるらしく、善光寺48願所第13番札所ら
しいです。この日も数人の方が入堂され、僧侶の読経が響いていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/a8/1c1cce70a1bfefda734236915a403e78.jpg)
弘法大師堂。
弘法大師自らが刻んだ大師像が本尊。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/26/e46f0989f9ee3025247dc619a1f48a2f.jpg)
見真大師堂。
真宗教徒のためのお堂。本尊親鸞上人坐像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/8f/cced204e16c853eac5da8fb4f52bb297.jpg)
浄土堂。
本尊は阿弥陀三尊。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/58/8cf573757250bf1503c79da9833d2f15.jpg)
経堂。
六角形の建物。写経納めどころ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/50/50a4f57184bc70c382f2820a0517ce53.jpg)
境内に咲く紫陽花。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/53/bb929fdb6f6738d21c189c42161b0d1f.jpg)
二天門。
太子廟への入り口とも云うべき門。内側左右に二天がさり気なく祀られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/3a/0b0f1be6c114fb0bd502cbd67cdf59eb.jpg)
二天像。
二天とは通常、四天王の内の二人を云うらしいのですが、説明文が無いので詳し
くは分かりません。察するに、方向色で見ると朱のお顔が増長天、緑のお顔が自
国天と思われます。彩色きれいすぎ、時代を経た造像ではなさそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/0c/1388b694eb3161684943eeb49d628648.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/a0/a089bff21dddaab128e6db32fca4c94d.jpg)
聖徳太子廟。
山傾に沿って三層の屋根を持つ御廟。石室へ通ずる廟門と思われます。前面の石
柱垣の正面に菊の御紋。宮内庁管理でこれより中へは入れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/8b/dc6428b139e040bfa222cc6a822e6a41.jpg)
聖徳太子陵。
御陵は磯長山丘陵を利用した円墳。考古学界では「叡福寺北古墳」と呼び、墳丘
の高さは7.2m、直径は54.3m。内部は精巧な切石を用いた横穴式石室で、太子
と母穴穂部間人皇后、妃膳郎女の3人の棺が納められていると伝えられることか
ら、三骨一廟と呼ばれているそうです。石室は現在閉じられており、誰も入るこ
とは出来ないそうです。
墳丘の周囲が「結界石」と呼ばれる石の列で二重に囲まれています。弘法大師が
築いたと言われる聖地と俗界をへだてる結界石が490体あり、いずれも観音梵字
が刻まれています。周辺には周回道がありますが、現在は通行出来ません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/fd/0c891ed1a8765170c103b25891feed2c.jpg)
もとは古義真言宗金剛峰寺の末寺であったと云うこのお寺は現在、山号磯長山、
寺名叡福寺、単立寺院です。太子信仰の中心寺院として、宗派に関係なく幅広く
信者を受け入れているお寺と云うことで、親しまれているのでしょうネ。
明天皇、推古天皇、敏達天皇、孝徳天皇の天皇陵、お寺が数多く点在しています。
叡福寺は、聖徳太子陵墓を祭祀守護、追福を営むためのお寺として創建されたと
いいます。その後聖武天皇の勅願により、堂塔伽藍が整備され、太子信仰の中核
をなした寺院として、今も上の太子と称され親しまれているそうす。その後の歴
史は戦乱、天災を被りながら江戸期に今の姿になったといいます。広大な境内は
整然と整備され、非常にきれいなお寺です。ただ伽藍配置は、陵墓を祭祀守護の
為なのか既存の配置ではなく、規則性と云うのは感じることは出来ません。
南大門。
昭和33年に再々建された朱色も鮮やかな大門。左右にはやや小ぶりの金剛力士、
阿吽両像が安置されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/8e/e47618071c4d3625233c9cfd7669f1e6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/14/347a602eadc99abe379f8704b54732dd.jpg)
南大門偏額。
やはり寺名、山号ではなく聖徳廟と記されています。揮毫はなぜか岸信介元内閣
総理大臣。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/70/9ed213eba3986bdabc817e483323c319.jpg)
南大門金剛力士
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/0e/ddb6c01500efd4341b19f2793fe38dba.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/48/1752706c0427c128e9ecdb254c68b9f7.jpg)
金堂。
堂々とした堂宇。江戸中期の再建。本尊は如意輪観音菩薩坐像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/69/20a09a7bb9afd4d5d555d50a9b91f42a.jpg)
多宝塔。
均整のとれた美しい塔です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/11/98b729f6db4e61b09e1ab1e0966a866a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/90/ec4ef318bd0e18d7f1d8d94a185a6f4c.jpg)
聖霊殿。
太子堂とも呼ばれ、聖徳太子16歳像と2歳像が祀られている。この日は大勢の方
が入堂されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/83/764d373d02e89441af2ac5346cabd2db.jpg)
上の御堂。
聖徳太子35歳像が祀られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/a8/2d0da78613b69951071ff223fb47f94c.jpg)
念仏堂。
本尊は阿弥陀如来、信州善光寺と関係があるらしく、善光寺48願所第13番札所ら
しいです。この日も数人の方が入堂され、僧侶の読経が響いていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/a8/1c1cce70a1bfefda734236915a403e78.jpg)
弘法大師堂。
弘法大師自らが刻んだ大師像が本尊。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/26/e46f0989f9ee3025247dc619a1f48a2f.jpg)
見真大師堂。
真宗教徒のためのお堂。本尊親鸞上人坐像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/8f/cced204e16c853eac5da8fb4f52bb297.jpg)
浄土堂。
本尊は阿弥陀三尊。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/58/8cf573757250bf1503c79da9833d2f15.jpg)
経堂。
六角形の建物。写経納めどころ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/50/50a4f57184bc70c382f2820a0517ce53.jpg)
境内に咲く紫陽花。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/53/bb929fdb6f6738d21c189c42161b0d1f.jpg)
二天門。
太子廟への入り口とも云うべき門。内側左右に二天がさり気なく祀られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/3a/0b0f1be6c114fb0bd502cbd67cdf59eb.jpg)
二天像。
二天とは通常、四天王の内の二人を云うらしいのですが、説明文が無いので詳し
くは分かりません。察するに、方向色で見ると朱のお顔が増長天、緑のお顔が自
国天と思われます。彩色きれいすぎ、時代を経た造像ではなさそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/0c/1388b694eb3161684943eeb49d628648.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/a0/a089bff21dddaab128e6db32fca4c94d.jpg)
聖徳太子廟。
山傾に沿って三層の屋根を持つ御廟。石室へ通ずる廟門と思われます。前面の石
柱垣の正面に菊の御紋。宮内庁管理でこれより中へは入れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/8b/dc6428b139e040bfa222cc6a822e6a41.jpg)
聖徳太子陵。
御陵は磯長山丘陵を利用した円墳。考古学界では「叡福寺北古墳」と呼び、墳丘
の高さは7.2m、直径は54.3m。内部は精巧な切石を用いた横穴式石室で、太子
と母穴穂部間人皇后、妃膳郎女の3人の棺が納められていると伝えられることか
ら、三骨一廟と呼ばれているそうです。石室は現在閉じられており、誰も入るこ
とは出来ないそうです。
墳丘の周囲が「結界石」と呼ばれる石の列で二重に囲まれています。弘法大師が
築いたと言われる聖地と俗界をへだてる結界石が490体あり、いずれも観音梵字
が刻まれています。周辺には周回道がありますが、現在は通行出来ません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/fd/0c891ed1a8765170c103b25891feed2c.jpg)
もとは古義真言宗金剛峰寺の末寺であったと云うこのお寺は現在、山号磯長山、
寺名叡福寺、単立寺院です。太子信仰の中心寺院として、宗派に関係なく幅広く
信者を受け入れているお寺と云うことで、親しまれているのでしょうネ。