(2017.07.29訪問)
今日は湖西高島市のお寺三か寺を訪ねる予定で、我が家を朝九時の出発です。先ず最初の訪問先は海津大崎の大崎寺。名神京都東か
らR161を北上、ほとんど琵琶湖の北端ほぼ120km約1.5〜2時間コース。の筈が甘かった。このR161が大問題、山科から即渋滞、
北小松辺りまでノロノロそしてノロノロ、なんと大崎寺到着12時半です。「夏場の湖西琵琶湖畔は走ったらえらい目に遭うぞ」の鉄
則を完全に失念、そしてやっと大崎寺到着、目の前は石段、腰砕けになりました。今日三か寺まともに回れるかなァ〜〜〜。
▼本堂から琵琶湖の景観です。桜で有名な海津大崎の突端に位置する大崎寺は琵琶湖が手のうちに広がります。
[ 大崎寺 ]
●山号 立石山 (りゅうしゃくざん)
●寺号 大崎寺 (おおさきじ)
●宗派 真言宗智山派 (しんごんしゅうちざんは)
●創建 大宝二年 (702年)
●開基 泰澄上人 (たいちょうしょうにん)
●中興 空翁上人 (くうおうしょうにん) 天文五年 (1533年)
●本尊 十一面千手観世音菩薩立像 (秘仏)
▲滋賀県高島市マキノ町海津128 電話 0740-28-1215
▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
▲近江西国三十三カ所霊場第九番札所
びわ湖百八霊場25番札所
▲時間 9:00~16:00
▲JR湖西線「マキノ駅」下車 徒歩30分
北陸道木之本ICから国道8号経由20km30分
国道161号線を北上、「海津」を右折。所要5分。
▼参道入り口は県道に面して石段があります。
大崎寺縁起 (大崎寺案内駒札から)
真言宗智山派石立山大崎寺宝光院といい、本尊は泰澄大師の作と伝えられる千手観音である。元は奈良の興福寺の末寺で僧坊三十九
院を有する大寺院であったが鎌倉時代以降荒廃していた。1536年法印が中興しそれ以来真言宗となった。豊臣秀吉が諸国仏閣復
興のとき、安土城の残材を用いて修復を行った際、血痕の残る天井板を使用した事から「安土の血天井」として知られている。その
後本堂は改築され、使われていた用材は昭和41年(1966年)、阿弥陀堂の改築の際、阿弥陀堂の天井に使われた。
また阿弥陀堂の本尊の阿弥陀如来像は聖徳太子の作と云われている。
▼ドンドン行きましょう。
▼チョットした広場に大崎寺の石標。
▼この先を右に曲がると境内です。
▼本堂ですが右端は崖です。
▼手水です。
▼この不安定さ、芸術的ですネ。
五輪塔と云えるかどうか判りませんが、寄せ集め塔か。
▼相当古そうですネ。
▼こちら新しく造立の観音さん。
▼本堂。舞台のスグ下は崖です。当然のことながら本堂正面は撮れません。
▼正面の大提灯、径1mはありそう。
▼扁額。
▼内陣は質素然とした荘厳。
▼唯一お厨子は黄金に囲まれています。お前立ち仏が僅かに見えますが定かではありません。
▼境内からの琵琶湖。
▼かっては最高の見晴らしだったんでしょうネ。
▼阿弥陀堂。本堂以外唯一のお堂。方三間、宝形造、桟瓦葺。
豊臣秀吉が安土城の血痕のついた城材を使って大崎寺を修復し、大いに法要を営んだ。血痕のある板を天井とした血天井の阿弥陀
堂といわれている。
▼阿弥陀堂の横にへっついさんとお釜、何故ここに。
▼倒壊は時間の問題。
▼もっと酷い三社。何も祀られていない社の抜け殻か。
▼唐突に竹生島で大崎寺オシマイ。
▼ご朱印です。
海津大崎、桜の時期は県道が一方通行になるなどクルマで溢れるそうなんですが、今日のお寺は静かなもんです。場所柄境内は狭小、
海津大崎の突端崖上に本堂が建つので琵琶湖の見晴らしは一級品、しかし創建1300有余年の歴史は、この狭さから感じることは残念
ながら出来ませんでした。
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湖西や湖北が好きで通っていて
海津大崎も三度ほど行っていたのに
大崎寺、行っていませんでした。
荒れ果てたお堂などに寂しさを覚えますね。
私はレンタサイクルで走りましたが、
石組の美しい場所がありました。
その先の葛尾崎はタクシーでした。
またゆっくりあの辺りを回ってみたいです。
R161は何度も通っているのですが、海津大崎は全く初めての訪問でした。
仰るように、大崎寺は寂しさ侘しさいっぱいのお寺でした。
季節により人が溢れると聞きましたが、とても考えられません。
後でマップを見ると、観音の里、湖北が近いんですネ。
一度も訪ねたことがない湖北の寺々、一度訪ねようと思っています。