土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

大願寺、お寺というより薬草料理レストラン。

2018年02月05日 | 奈良の古寺巡り





(2018.02.03訪問) 


このところ新大和路号は毎週大和路を走っています。今日は宇陀のあるお寺を訪ねたんですが、お堂は覆屋でスッポリ。
急遽予定変更して伊勢本街道、R166線沿いの大願寺と光明寺に向かう事にしました。

      ひむがしの 野にかぎろひの 立つ見えて かえり見すれば 月かたぶきぬ

人麻呂の名歌の地、阿騎野の外れに法灯をともす大願寺と光明寺。今は万葉の昔の縁は知るよしもありませんが、せめてその精神に
でも触れる事が出来ないかと大それた思いを持ちつつ伊勢本街道を走っています。





▼参道石段。







[ 大願寺 ]
●山号 薩埵山 (さったさん)
●寺号 大願寺 (だいがんじ)
●宗派 真言宗御室派 (しんごんしゅうおむろは)
●勅願 伝 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●開基 伝 蘇我馬子 (そがのうまこ)
●開創 伝 7世紀 詳細不詳
●本尊 十一面観音立像
▲拝観料 境内自由 朱印300円
▲奈良県宇陀市大宇陀拾生736 Tel.0745-83-0325
▲近鉄榛原駅から奈良交通大宇陀行き、大宇陀下車、徒歩3分
 名阪国道針ICから国道369線、370号線経由約30分





▼簡素な山門ですネ。







大願寺縁起 (大願寺パンフレットから抄出)
当山は聖徳太子が蘇我馬子に命じて建立したと伝えられており、本尊十一面観音菩薩は神亀元年 (724年) 徳道上人の作と伝承してい
ます。宇陀松山藩主織田高長は本尊の信仰厚く当山を祈願所としました。嫡子織田長頼は鞍馬寺の尊像と同作と伝えられている毘沙
門天を勧請、その子織田信武は元禄六年 (1693年) 毘沙門堂を建立。明治十八年本堂、宝蔵等全焼し仏像も焼失。本尊十一面観音菩
薩は後に土中より発見されました。徳道上人が長谷寺建立を誓い、弘法大師が大蔵寺建立の大願を誓われ成就したので大願成就の御
利益があると伝えられています。
境内には本堂、毘沙門堂、仏足堂、庫裡があります。少し登ると織田家歴代の氏神として祀った白山権現社があります。
 




▼山門から境内。







▼余り広くない境内ですが植栽などもキレイに管理されているようです。







▼正面は毘沙門堂。石段左右に狛犬ならぬ狛虎が控えています。虎は毘沙門天の眷属です。







▼阿の狛虎。どう見ても獅子にしか見えません。







▼咆哮。







▼吽の狛虎。







▼毘沙門堂。桁裄3間、梁間3間、宝形造、本瓦葺、3間向拝付。元禄六年 (1693年) 建立。







▼毘沙門堂正面。







▼毘沙門堂内陣の扁額ですが読めません。







▼内陣格子前に子持ちの阿の虎が。本当に虎?







▼こちら吽の虎。







▼本堂。本尊十一面観音立像。像高三尺三寸三分、長谷寺の徳道上人作。桁裄3間、梁間3間、入母屋造、桟瓦葺、1間向拝付。







▼本堂扁額。







▼内陣須弥壇の荘厳。







▼ご本尊だと思いますが、お顔を全く見ることができません。







▼本堂内陣。







▼本堂向拝柱の木鼻。              







          





▼ビンズルさん、ちょっと一杯ですか。

                       





            ▼おちゃめ庚申さん。宇宙人来襲か、どうにも不思議な石像ですヨ。天保十四年 (1843年)
             由緒を知りたい石像の一つです。







▼庚申さんのお顔アップ。どうです、どう見ても地球人ではないでしょ。







            ▼役行者石像。







▼見事な仏足石。 







▼白山権現社への参道。







▼林の中の参道がクッキリと。

         





▼白山権現社の外囲い。







▼白山権現社。延宝二年 (1674年) 加賀の白山神社を織田家が勧請、歴代の氏神として祀っています。







▼大樅の木。ご神木ではないんですが、樹高20m以上はある巨木。
 樹形が美しくビッグXマスツリーのように飾り付けたら迫力満点でしょうネ。







▼庫裡と薬草レストラン。境内の中で光り輝いています。







▼ご朱印です。




これにて大願寺 オ シ マ イ

お寺の由緒情報が少なく、古刹としての訴求よりも薬草料理レストランとしての訴求に一生懸命のお寺、そんなイメージの強い古刹
です。境内はさほど広くはないですが、ご住職のお話では、このお寺本来は毘沙門天のお寺らしく、狛犬ならぬ迫力満点の狛虎が堂
前を護っているのが印象的です。





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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます (Blue Wing Olive)
2018-02-06 06:17:10
木彫り?の阿吽の虎、なんだか妖怪っぽくて、好みです。面白い表情をしていますね。
柱上部の彫刻を木鼻というのですね。こちらもいい顔していますね。
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こんばんは (hidepon)
2018-02-07 00:24:09
Blue Wing Oliveさん、こんばんは。

最初見たとき、なにこれ?でした。
ジックリ見ても、なにこれ?でした。
都市部を外れる古刹では、ユニークな彫り物をよく見かけます。
返信する
不思議な庚申さんと謎の狛虎 (越後美人)
2018-02-07 11:20:51
日月を従えて、不思議な世界観のある石像ですね。
なにか物語がありそうで目を引きますね。

毘沙門天のファンとしましては、眷属の狛虎はさすがにお似合いと思います。
この時代に実際に虎を見た日本人はほとんどいなかったでしょうから、
この辺で良しとしましょう(笑)

木造の狛虎はなんともユーモラスですね。
これも何かの意図があってのことなのでしょうか。
子持ちというのが謎ですね(^_-)-☆
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Unknown (hidepon)
2018-02-08 00:22:49
越後美人さん、こんばんは。いつもありがとうございます。

おちゃめ庚申さん、この彫刻を見ていますと、
マヤの遺跡から発見された、宇宙人らしき姿 や、
飛行物体に乗る宇宙人をどうしても連想してしまいます。
江戸期の日本で、なぜこんなものが彫られたんでしょう、不思議です。
この時代、宇宙人と接触した日本人がいたんではないか、
いやキットいたはず、夢と想像をかき立てる興味深い彫刻だと思いません?
二匹の猿は説明がつきませんが。

毘沙門天ファンの越後美人さんも納得でしょうか?
いいですねぇ、子持ちの虎、時代は判りませんが、こんな感性の彫師がいたなんてビックリです。
これ虎ですよネ。
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