(2019.07.28訪問)
太平記の主役、婆娑羅大名佐々木道誉を祀る米原の清瀧寺徳源院を訪ねました。権力を物ともせず狼藉三昧の不敵さで世人をして婆
娑羅大名といわしめた京極氏繁栄の基礎を作った五代京極高氏こと佐々木道誉、時代は下り幼少時信長の人質となり浅井三姉妹の次
女お初と結婚し京極家中興の祖とされる十九代京極高次を中心に祀っているお寺です。
▼京極家菩提寺としての墓標。
[ 清瀧寺徳源院 ]
●山号 霊通山(れいつうざん)
●寺号 清瀧寺徳源院(とくげんいん)
●宗派 天台宗比叡山延暦寺派 (てんだいしゅう)
●開基 京極氏信 (きょうごくうじのぶ)
●開創 弘安9年 (1286年)
●本尊 聖観世音菩薩像 (秘仏)
▲滋賀県米原市清滝288 0749-57-0047
▲拝観料 500円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲https://tokugenin.business.site
▲JR東海道線「柏原駅」から徒歩20分
北陸道「米原IC」から約15分
▼清瀧寺徳源院のガイド。
清瀧寺徳源院縁起
弘安9年(1286年)京極氏の初代氏信が開基。京極家歴代の菩提寺である天台宗の寺。京極氏は、鎌倉中期に近江で勢力を振るって
いた近江源氏佐々木氏から分かれ、家名は氏信の宿所が京都の京極高辻(きょうごくたかつじ)にあったことによります。国の史跡
に指定されている墓域には一族の墓が存在し、閑静なただずまいを見せる境内に、本堂、位牌殿、三重塔などを有します。なかでも
朱塗りの三重塔は、寛文12年(1672年)に讃岐丸亀藩主であった京極高豊が建てたもので、県の指定文化財になっています。寺地
は、もと氏信の柏原館があったところで、本堂裏に、裏山を取り込んだ回遊式の庭園があり、春には道誉桜と称されるしだれ桜が趣
きを添えます。堂前に群生する萩が咲きこぼれる秋の風情も、また格別です。
▼いきなり本堂です。桁行五間、寄棟造、桟瓦葺、1間向拝付。弘安6年 (1283年)建立。現本堂は平成14年新建立。
▼本堂内陣。金色燦然の荘厳に豪華なお厨子が須弥壇を飾っています。本尊は秘仏でお厨子の中。
▼本堂脇壇に京極高次公像。浅井三姉妹のお初さんと結婚、京極家中興の祖とされている。
▼京極高次公画像。
この写真はネットから借用。
▼本堂須弥壇。
▼本堂。
▼境内の一所から右本堂、左位牌堂。
▼位牌堂須弥壇には、中央観音菩薩を中心に左端19代京極高次公、右側左25代京極高中公、右24代京極高矩公。
▼池泉回遊式庭園。小堀遠州作庭と伝わるそうです。
▼英霊供養のお地蔵さん。
▼三重塔。塔高15.52m、一辺3.03m、第22代高豊公建立。
▼舎利塔。なぜ塔と呼ぶのかは理解出来ません。
▼高台一角には京極家一族の墓が並ぶ区域があり、墓所全域が国指定史跡となっています。
▼京極家墓所。左から24代高矩公、25代高中公。
▼京極家中興の祖といわれる19代高次公墓所。高次公は浅井3姉妹のお初さんと結婚。
▼25代高中公墓所。
▼ずらりと並ぶ京極氏歴代の墓。
▼徳源院本坊。
徳源院境内隣に鎮守社清瀧神社が鎮座しています。
▼鳥居の向こうは拝殿。
▼手水鉢。
▼覆屋の中、本殿。
▼境外から見る徳源院の白壁。
▼御朱印です。
徳源院 オ シ マ イ 。
高次公はお初さんと仲が良かったと思うのですが、お墓は別々なのですね。
お初さんは小浜の常高寺に眠っておられるし。
キリシタンの十字架刻んであったし。
高次公は当主なので、一族と一緒でなければいけなかったのでしょうか。お初さんは本人の希望で小浜へ葬られたようですが。
よくご存知ですネ。
相当多くのお寺、巡っておられるようで羨ましいです。
ぼくなど上っ面のお寺巡り、反省します。
電車でお寺巡り、まさに正統派お寺巡りですネ。
ボクなどクルマがほとんど、行程のウロウロなど全て省略で、
いきなりお寺到着なので周辺環境の面白さがまったく判りません。
これはヤッパリ歩いてウロウロこそがお寺巡りの原点ですネ。