土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

禅定寺は南山城の名刹、藤原仏がズラリ。

2013年05月01日 | 京都の古寺巡り



(2013.04.28訪問)

ゴールデンウイークの渋滞情報を聞きながらそれドコのお話? てなことを思いつつ走ってます。
渋滞?ありません。スイスイ、快適、長閑です。幸先イイ五月晴れ(まだ四月ですが)の今日は、初めて宇
治田原の禅定寺を訪ねました。R307号は一度湖東から大阪へ帰るため通ったことがありますが、ひたすら西
への印象しかありません。今日はその逆、東へひたすらです。岩山バス停から府道783号に入り1キロ少々、
道路沿いに参道石段が現れます。

▼茅葺き屋根の本堂。




[ 禅定寺 ]
●山号 白華補陀洛山 (ふだらくさん)
●院号 観音妙智院 (かんのんみょうちいん)
●寺号 禅定寺 (ぜんじょうじ)
●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
●開基 平崇上人 (へいそしょうにん)
●創建 正暦二年 (991年)
●中興 月舟宗胡禅師 (げっしゅうそうこ)
●本尊 十一面観音菩薩立像

▲京都府宇治田原町禅定寺庄地100 電話 0774-88-4450
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲JR奈良線宇治駅、京阪宇治線宇治駅、近鉄京都線新田辺駅から京阪バスで、維中前行き、工業団地行き、
緑苑坂行きで「維中前」又は「岩山」下車徒歩約30分。
クルマで訪問するのが無難ですよ。国道307号から岩山に入り、府道783号を大津方面へ(宇治田原側から)

禅定寺縁起 (禅定寺パンフより抄出)
正暦二年(991年)東大寺五十三代別当、平崇上人が藤原兼家の帰依を受け、私領の山野に五年の歳月を費や
して堂を建て、十一面観音菩薩像を安置したのが始まり、ついで長保三年 (1001年) 上人は田畑一千町歩を寺
に施入。大きく発展したが、鎌倉、室町、戦国時代の兵火などで創建当初の伽藍は壊滅。その後江戸時代延宝
八年(1680年)加賀の国曹洞宗大乗寺の月舟宗胡禅師を迎え曹洞禅の道場として復興が果たされた。

▼石標。




▼参道石段。




▼仁王門前の寺標。




▼花頭窓を備えた仁王門。




▼仁王門扁額。補陀禅林と揮毫されています。




▼金剛力士阿形像。




▼金剛力士吽形像。




▼仁王門から境内。




▼手水舎。




▼境内。よく手入れされたきれいなお庭です。




▼由緒在る五輪塔。大和特徴を備えた貴重な五輪塔らしいです。



下段方形に康永壬午十二月四日と刻されています。


▼本堂。珍しい茅葺きの本堂。本堂では檀家の法要があり、今日は入堂出来ませんでした。




▼観音堂。




▼観音堂扁額。




▼鐘楼。




▼お墓の法面に描かれた大涅槃図壁画。平成の大涅槃図だそうですが、このお寺には全くそぐいません。




▼十一面観音立像。
小川光三さんの写真集「南山城の古寺」から。



仁王門手前に収蔵庫があり名宝がズラリ、正面に十一面観音菩薩立像(重文)が安置、堂々体躯の仏像。お
顔は丸く、お身体やや肥満気味でズングリムックリはご愛嬌か。漆箔は殆どはげ落ち黒漆地が出ていますが
衣文の彫りは丁寧で緻密です。
藤原時代作、像高286.3cm、木造寄せ木造、漆箔、頭飾胸飾をはじめ飾り物が非常に豪華です。

▼御朱印です。




よくぞ田舎のお寺に、と云ったら大変失礼ですが、収蔵庫に収められている仏像の数々の素晴らしいこと。
ほぼ十体の重文仏が安置、ほとんどが藤原期造像でお寺の草創期からのものであると伝わっています。往時、
余程大きく強勢な寺であったことが偲ばれ、道路網も北西に宇治へ、北東に瀬田川から大津へ、南西に大和
への道、東は信楽から湖東への道が各方面に通じ、古道も現在の道路にほぼ見合うらしく宇治田原は古から
交通の要所でもあることがよくわかります。
要所ではあるけれどやはり山里は山里、しかしそこに在る古刹は充分に歴史を感じる佇まいでした。




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