(2019.02.02訪問)
今日の大大阪は上天気、大和路号は第二阪和を北から南を向けて走っています。大大阪のほぼ南端、旧泉州和泉の国、泉南市に法灯を
守り続けている「極楽密寺」と云う古刹を目指しています。マップ上では関空の南、大阪湾を挟んで約10キロの位置にあるお寺です。
大体において大阪南部は豊臣秀吉に焼かれたと云うお寺が数多くあり、紀州攻め根来攻めのとばっちりでいい迷惑を被った受難被害寺。
ここ極楽密寺もその例に漏れない気の毒なお寺だったようです。因みに根来寺はここから7~8キロ南にあります。
▼境内への参道石段。
実はクルマでいきなり境内に入ったもんで、この参道は利用していません。写真も有りませんのでネットから借用しました。
[ 極楽密寺 ]
●山号 西方山 (せいほうざん)
●寺号 極楽密寺 (ごくらくみつじ)
●宗派 真言宗 (しんごんしゅう)
●開山 伝行基菩薩 (ぎょうき)
●開創 伝天平十二年 (740年)
●本尊 薬師如来坐像
▲大阪府泉南市馬場1丁目16-1 TEL.072-484-2468
▲拝観料 境内自由 御朱印300円
▲JR阪和線「和泉砂川駅」から徒歩約20分
▼寺号石標。この写真もネットから借用。
極楽密寺縁起
当寺は、730年行基菩薩が畿内49院建立の折、この地に草庵を建て薬師如来を本尊として安置したのが始まりと伝えられています。
1185年俊乗房重源が東大寺を再建中にこの地に立ち寄り、民衆の薬師信仰の篤さに感銘、伽藍を整備しその後大いに栄えたといわれ
る。その後秀吉の紀州攻めで兵火に罹り伽藍は全て焼失、1755年には紀州藩主徳川家の祈願所となり、再び隆盛し今日の姿になって
いる。
▼観音堂。昨年の地震の傷跡がいたわしい姿で生々しく残っています。
本尊十一面千手観音菩薩立像。方三間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。和泉西国観音霊場三十三番札所です。
▼観音堂正面。
▼観音堂内陣須弥壇中央に本尊十一面千手観音菩薩立像が祀られています。
▼本尊十一面千手観音菩薩立像。
▼観音堂正面から。
▼境内には空海さんもお立ちです。
▼地蔵堂。桁裄三間、入母屋造、本瓦葺。
▼地蔵堂扁額。
▼地蔵堂のシンプルな内陣。須弥壇中央のお厨子に本尊、その左右に小さなお地蔵さんがギッシリ祀られています。
▼本尊地蔵菩薩立像。
▼赤ちゃんを抱っこした慈悲のかたまりのようなお顔ですネ。
▼十三重石塔。
▼薬師堂。このお寺の本堂です。方三間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。
▼薬師堂正面。
▼薬師堂扁額。
▼薬師堂の賑やかな須弥壇。
中央須弥壇に本尊薬師三尊、その左右に十二神将、右脇壇に如意輪観世音菩薩、左脇壇に不動明王が祀られています。
▼内陣の扁額。
▼本尊薬師三尊の中尊、薬師如来坐像。
▼半眼のお顔に少し大きめの螺髪と朱色の肉髻珠が目立ち、このお顔こそ慈愛の眼差しと云うんでしょうネ。
▼天井に懸けられて瓔珞の豪華さ。
▼右脇壇の如意輪観世音菩薩坐像。
▼このお顔を見て下さい、信頼感の証か如意輪さんにありがちな「艶」を一切感じることはありません。
▼左脇壇の不動明王坐像。
▼お不動さんのお顔。
▼もう一度薬師堂。
▼境内には十三仏も整然と。
▼無縁墓ピラミッド。
▼薬師堂前の枝垂れ、相当大きい桜、満開時は華やかでしょうネ。
▼昔本堂、いまご自宅。ご朱印はこちらで戴きます。屋根の被害も相当大きいようです。
▼ご朱印です。
決して広くない境内ですが、建ち並ぶ三つのお堂は全てオープン、拝観者にとってこの上ないサービスを感じるお寺です。各お堂に祀
られる本尊を初めとする尊像を真近で拝し、ジックリ仏と対峙出来るのはとても嬉しいことです。我が家から約40分、我が大大阪にこ
んなお寺があったんだと認識新た、今年は一つ大大阪の南部の寺々を巡って見ようと思った今日の極楽密寺訪問でした。
これから帰り道、貝塚御坊に寄って見ようと思っています。
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