土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

弘法大師空海さんが今も生きる、高野山金剛峯寺へ。

2012年01月10日 | 和歌山の古寺巡り


(2012.01.08訪問)

平成二十四年壬辰歳初めての古寺を歩くは、高野山へやってまいりました。
あの稀代の天才、弘法大師空海さんが真言密教の聖地として開いた高野山は、この日雪明けの素晴らしい青
空、雪も残り、少々寒さ厳しくはありましたが、快適な一日でした。
なんといっても境内は広い、高野山は「一山境内地」と称し、高野山全体が総本山金剛峯寺、全域がお寺だ
そうです。その中心が壇上伽藍に在る金堂が一山の総本堂、重要法会はすべてこの金堂で執行するそうです。
塔頭寺院も多く現在117ヵ寺が存在しているそうです。2004年ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
の一部として登録。とりあえず大門から入山ということで。先ずは壇上伽藍へ。

▼大門に掛かる山号、高野山。



[ 金剛峯寺 ]
●山号 高野山(こうやさん)
●寺号 金剛峯寺(こんごうぶじ)
●宗派 高野山真言宗
●開基 空海
●創建 弘仁7年(1016年)
●本尊 薬師如来(秘仏)

金剛峯寺縁起
空海さんが弘仁7年(1016年)嵯峨天皇から高野山の地を賜り、真言密教の聖地として山々に囲まれたこの地
を八葉蓮華と見て、山上平地にに曼荼羅世界を創出。壇上伽藍の地に真言密教のシンボルとして多宝大塔を
建立、聖地への第一歩とした。

▼大門(重文)。
高野山の総門。裄行五間、二層十二脚門、中央三間が通用。左右に金剛力士像を安置されています。



▼金剛力士阿吽像。



▼大門の傍らに、可愛い雪だるま。



壇上伽藍。
高野山開創の時、空海さんが最初に整備着手した場所といわれるそうです。密教思想に基づく伽藍建立は
胎蔵界曼荼羅の世界を表現しているといいます。

▼中門。
天保14年(1843年)壇上火災で焼失。高野山開創1200年記念大法会事業として現在再建作業中。



▼金堂。
高野山総本堂。入母屋造、桁行30m、梁間23.8m、高さ23.73m。
昭和7年(1932年)7度目の再建。
本尊 薬師如来(秘仏) 仏師 高村光雲さん。



▼六角経蔵。
鳥羽法皇の菩提弔いのため、皇后美福門院が一切経を納めた経蔵。基壇の上部の取手見えます?
この部分を押すと回転します。一回りすれば一切経を読誦した功徳があるそうですよ。



▼御社(みやしろ)(重文)。
弘仁10年(819年)空海さんが高野山の鎮守として勧請。社殿は三つ。一宮は丹生明神、二宮は高野明神、三
宮は十二王子が祀られています。空海さんと地主神の伝説で良く知られているお話ですね。



▼山王院(重文)。
御社の拝殿。両側面向拝入母屋造。桁行21.3m、梁間7.8m。






▼西塔。
本尊 金剛界大日如来。
仁和2年(886年)空海さんの伽藍建立計画「御図記」に基づき高野山二世真然大徳が建立。
創建時は多宝塔ではなく五重塔であったといわれているそうです。
擬宝珠高欄付き多宝塔。天保5年(1834年)再建。






▼西塔前の灯籠
和歌山が生んだ名医、華岡青洲が寄進したものだそうです。



▼鐘楼。
堂々袴腰の二層高欄付き構造。



▼孔雀堂と准胝堂。
孔雀堂。本尊 孔雀明王(重文)。快慶作、現在霊宝館に安置。
准胝堂。本尊 准胝観音。



▼御影堂。
空海さんの持仏堂として建立。
向拝付宝形造、桁行15.1m、梁間23.8m、高さ15.1m。
嘉永元年(1848年)再建。



▼三鈷の松。
空海さんが、唐から投げた三鈷杵が、この地の松の木に引っ掛かっていた故事から命名したというそうです。



▼根本大塔。
真言密教のシンボルとして建立。多宝塔様式として日本初。非常に美しい堂内で十六本の柱には堂本印象さ
んによる十六大菩薩、四隅には密教八祖が描かれています。
堂高48.5m、昭和12年(1937年)再建。









▼根本大塔本尊。
胎蔵界大日如来。周囲を金剛界四仏を祀っています。



▼根本大塔金剛界四仏のうち阿弥陀如来。



▼大塔の鐘。
現在の銅鐘は日本で四番目に大きな鐘で高野四郎と呼ばれているそうです。



▼愛染堂。
建武元年(1334年)後醍醐天皇の勅命により建立。
本尊 愛染明王。



▼不動堂(国宝)。
本尊 不動明王、脇持に八大童子(国宝)仏師運慶作として有名。いずれも今は霊宝館に安置されています。入
母屋造桧皮葺。当初は阿弥陀堂として建立。明治期に他所からこの地に移設されたといいます。



▼大会堂。
本尊 阿弥陀如来、脇侍は観音、勢至菩薩が祀られています。



▼三昧堂。
理趣三昧法会を執り行うお堂。他所からこの地に移設されたときに関わったのがかの西行法師と伝えるそう
です。



▼東塔。
大治2年(1127年)白川法皇の勅願で建立。江戸期に焼失、昭和59年(1984年)再建。



▼手水舎。



▼蛇腹道。
伽藍入り口から東塔付近までの参道を蛇腹道と呼ぶそうです。空海さんが「東西に龍が臥せるごとく」と呼
んだ故事から名付けられたといいます。



▼六時の鐘。
伽藍入り口の石垣上にある鐘楼。豊臣家臣福島正則が建立。






一帯は雪が残っています。柔らかいところのボクのクツ跡、かなりガニですね。大門の下の石段で滑り、
ヤバいところでした。凍っているところはコワイコワイ。

六時の鐘楼から少々東に金剛峯寺本坊への参道が見えます。明日へつづくのです。

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