(2018.09.15訪問)
救馬溪観音から帰途の道すがら田辺大師高山寺に向かいます。京の栂尾山高山寺と同名の古刹がこの紀州路に大伽藍を構えて古来
からの法灯を守っているのです。救馬溪観音から県道を走ること7~8キロ、一部田辺市中心街を走るので少々時間がかかるものの
みてる間に到着です。実は始めから大失敗、アプローチで山門の前を通りながら気づかず駐車場に直行、そしていきなり目の前に
不動堂ですわ。
▼境内ガイドマップ。
[ 高山寺 ]
●山号 正南面山 (しょうなんめんざん)
●寺号 高山寺 (こうざんじ)愛称 田辺大師 (たなべだいし)
●宗派 真言宗 (しんごんしゅう)
●本尊 大日如来坐像
●開創 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●中興 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
▲拝観 自由 朱印300円
▲和歌山県田辺市稲成町392 Tel.0739-22-0274
▲JR紀勢本線「紀伊田辺駅」よりタクシー6分
阪和自動車道「田辺IC」から車で約5分。
▼山門。小振りの仁王さんが頑張ってるようです。
今回は駐車場直行でしたので実は山門を通らず参道石段も歩いていません。
(山門写真はネットから拝借)
高山寺縁起 (高山寺パンフから抄出)
田辺大師と呼ばれる高山寺は、聖徳太子の草創で弘法大師中興の古刹。千三百数十年前、推古天皇の御代、熊野牟婁郡に金満家で
智識豊富な長者が居り人々から尊敬されていた。長者は聖徳太子を深く尊敬し、太子は深く仏教に帰依、各地に寺院を建立。太子
は英邁で、推古天皇即位と同時に二十一才で摂政となった。太子は随、唐の文化を大いに吸収、日本文化はこの時から画期的な進
歩をとげた。長者は太子の勅を受け、私財をもって荘厳な御堂を南面山に建立しそれを勧修学問寺と命名。高山寺と改めたのは後
世のことである。
▼この参道は駐車場からの道です。
▼境内に着きました。
▼取り敢えず心身清めの手水。
▼岩が寄せ集まった云いようのない変な水口。ドコから水が出ているか判らないでしょう。
▼不動堂。本尊不動明王。方3間、宝形造、本瓦葺、1間向拝付。外縁は勾欄が付き。
小さいお堂ながら堂形抜群! 残念ながら堂内は窺うことは出来ません。
▼不動堂正面は格子戸風壁面、火頭窓も一応飾り。
▼不動堂チョット横から。
▼子安地蔵。
▼多宝塔。塔高約15m、1816年 (文化13年) 建立。
これほど安定感の優れた塔形は久々に見ました。
▼多宝塔扁額。上宮閣と読めますが、やはり聖徳太子を偲んでか。
▼多宝塔。
▼鐘楼。後方の寺院らしくない建物は庫裏です。
▼観音堂。本尊観世音菩薩。桁裄5間、梁間3間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。四周は勾欄付き外縁。
▼観音堂正面。やはり入堂出来ません。
▼観音堂チョット横から。
▼本堂は屋根瓦葺き替え工事中。先の台風の影響でしょうか。
▼本尊は大日如来で秘仏です。
▼工事は何時まで続くのかな、そりゃー終わるまででしょう。当然のことながら本堂入堂は出来ません。
▼気をつけてお励みを。
▼遍照金剛殿。本尊弘法大師。田辺大師の名の由来です。
▼遍照金剛殿前面。このお堂も完全シャットアウト。
▼縁の彫刻がこれまた凄い、龍が取り巻く細かい彫を感心しながら見上げた遍照金剛殿扁額。
▼境内道すがら弥勒さんも居られました。
▼池を巡る庭園です。岩上を歩き……、
▼小砂利の汀を通り……、
▼お堂の写り込みを楽しめる庭園です。
▼蓮花は終わりですが……、
▼これが満開の時はさぞやの感が。
▼池の小島に建つお堂。宝形造りのお堂ですが堂名確認忘れました。
▼境内北辺に建つ比較的新しい薬師堂。本尊薬師如来。方3間、宝形造、本瓦葺。このお堂も四辺密閉。
▼何とも愛嬌たっぷり、こんな灯籠、我が家に欲しい。アッ、忘れてた我が家には庭がないんですわ。
▼ご朱印です。
知らないこととは云え、紀州の古寺古刹はこのお寺を始めとして大寺が結構残っているようです。京の名刹と同じ名を持つここ田
辺市の高山寺、広い境内に堂塔伽藍が其処彼処に配され、古寺古刹巡り愛好家にとっては嬉しいお寺ですが、残念なことに、総て
のお堂の入堂ダメ、当然のことながら堂内の荘厳や祀られている本尊や仏の姿を拝することも出来ません。小窓から覗くことすら
出来ず、完全シャットアウト。聞けば近隣の檀家寺で、基本的に観光寺院ではないとのこと。信仰信心の対象仏か、愛好家のため
の見せ物仏なのか、古来から結果の出ない問答を思い浮かべながら高山寺おイトマでした。