(2017.08.26訪問)
暑い暑いと云いつつ次は本願寺のお隣興正寺を訪ねます。親鸞さんを共に仰ぐ両寺はまるで兄弟寺院、北小路通りを挟んで堀川通を
隣同士で甍を並べる景観は、まるで一つのお寺のように感じます。いい関係なんでしょうネ。境内の広さや伽藍の数は本願寺に劣り
ますが、中心伽藍の御影堂や阿弥陀堂は決して見劣りはしません。内陣の荘厳などコレでもかと云うほど豪華絢爛、キンピカの極楽
浄土を見せてくれます。オー山門は楼門ですよ、凄い貫禄です。
それにしても暑い!
▼三門。三間三戸の重層楼門、堂々の景観です。お寺ではあえて「三門」と云ってるようです。
[ 興正寺 ]
●山号 圓頓山 (えんとんざん)
●院号 華園院(けおんいん)
●寺号 興正寺 (こうしょうじ)
●宗派 浄土真宗興正派(じょうどしんしゅうこうしょうは) 本山
●宗祖 伝 親鸞上人(しんらんしょうにん)
●開創 建暦二年(1212年) 異説あり
●本尊 阿弥陀如来立像
▲拝観 境内自由
▲時間 6:00~17:00
▲京都市下京区堀川通七条上ル花園町70 電話 075-371-0075
▲http://www.koshoji.or.jp/
▲JR京都駅から市バス9番、28番、75番で「七条堀河」「西本願寺前」下車スグ
JR京都駅から徒歩10分〜15分
▼三門前に建つ寺号石標。
興正寺縁起 (興正寺 HPより抄出)
興正寺の寺号は、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ「正しい法を興しさかえさす」との意味が込められています。 創建
は鎌倉時代山科に建立、創建後数年を経て山科から東山渋谷へと移転、その時ご本尊が光を放ったことから、後醍醐天皇より佛光寺
の寺号を賜り名を改めます。室町時代、蓮教上人は本願寺の蓮如上人と歩みを共にし、佛光寺を弟に譲り、再び山科の地に多くの門
徒と共に興正寺を興しました。その後は本願寺と歩調を合わせ、度重なる移転にも常に行動を同じくしています。桃山時代、現在の
地へ移転し、堂舎が隣接して建てられているのも本願寺との深い関係を示しています。多くの変遷を経ながらも「正しい法を興す」
という願いのもと興正寺の歩みは続けられています。
▼三門。この三門を見る限り相当大きなお寺を想像しますネ。
▼鐘楼。安永三年(1774年)建立。
▼手水舎。
▼御影堂。本尊宗祖親鸞聖人真影。お西さんと同じく「ごえいどう」と読みます。
東西33m、南北41m、高さ28m。入母屋造、本瓦葺、三間向拝付、明治四十五年 (1912年) 再建。
▼御影堂外陣から内陣、内陣の中央に宗祖親鸞さんが祀られています。
▼内陣須弥壇。
▼内陣欄間に「見真」の扁額。見真は親鸞さんの大師号です。
▼お厨子の親鸞さん。親鸞聖人四十歳の真影と伝わるそうです。
いつも思うんですが、殆どのお寺の本尊や宗祖のお顔、ハッキリ見えないように幕や房などを前に垂らしているんでしょうかネ。
▼屋根付き渡り廊下で結ばれる左御影堂、右阿弥陀堂。
▼阿弥陀堂。本尊阿弥陀如来立像。興正寺の本堂。
重層屋根に見えますが一層目は裳階、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付、大正四年 (1912年) 再建。
▼阿弥陀堂前面。
▼阿弥陀堂外陣。
▼外陣と内陣とは柵で仕切られ内陣には進入禁止。
▼内陣欄間七間の空間には阿弥陀浄土を天衣優雅になびかせ戯れ遊ぶ天女の姿が彫られています。
▼小鼓をたたく天女。
▼横笛を吹く天女。
▼須弥壇中央に本尊が祀られています。
▼本尊阿弥陀如来立像。こちら幕と瓔珞でお顔が見えません。
▼阿弥陀堂。
▼経蔵。嘉永元年(1848年)建立。基壇の上には御影石の欄干が付けられ豪華でユニークな堂形です。
という所で唐突に興正寺オシマイ
興正寺はスケール的には本願寺には及ばず、伽藍も御影堂と阿弥陀堂のみ。と云ってもれっきとした浄土真宗興正派本山、小さくと
も寺格は同じです。
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