(2017.09.09訪問)
願昭寺からR170を南へ河内長野からR310を東に走ると観心寺はスグ、約6キロの道のりです。
実は観心寺は今日の予定にはなく別のお寺を訪問予定、しかし新大和路号のナビもアホの系譜は続くようで、指示はすれども付近を
ウロウロ、一向に着かずのため急遽行先を観心寺に変更した次第でございます。アホナビもビッグ寺院はきっちりガイドします。
まったくイヤなやっちゃ!
▼門前の大楠公。大大阪人気 No.1の大スター武将楠木正成像。
後醍醐天皇勅命で楠木正成が金堂改修。自身も報恩のため三重塔建立を誓願、しかし足利氏との湊川合戦で討死。三重塔建立は道
半ばで挫折、現在建掛塔として境内に残っています。正成の首級は当寺に届けられ、正成首塚として祀られているんです。
[ 観心寺 ]
●山号 檜尾山 (ひのおさん)
●寺号 観心寺 (かんしんじ)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●開創 弘仁六年 (815年)
●開山 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい) 道興大師実恵 (どうこうだいしじちえ)
●本尊 如意輪観音菩薩坐像
▲拝観 300円 朱印300円
▲時間 9:00~17:00
毎年4月17日と18日は本尊御開帳日(午前10時から午後4時まで)につき、特別拝観料として700円
▲大阪府河内長野市寺元475 Tel.0721(62)2134
▲南海高野線及び近鉄長野線「河内長野駅」から南海バス小深線「観心寺」下車
タクシーは「河内長野駅」「三日市町駅」から
▼参道。奈良五条へ走るR310号沿いに観心寺はあります。
観心寺縁起 (観心寺 HPより抄出)
大宝元年 (701年) 役小角によって開かれ、初め雲心寺とよばれていた。その後、平安時代の大同三年 (808年) に弘法大師空海が当寺
を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年 (815年) 衆生の除厄のために本尊如意輪観音菩薩を刻まれて寺号を観心寺と
改称される。弘法大師は当寺を道興大師実恵に附属され、実恵は淳和天皇から伽藍建立を拝命、天長四年 (827年) より造営工事に着
手された。以後、当寺は国家安泰と厄除の祈願寺として、また高野山と奈良、京都の中宿として発展する。
▼山門手前に大寺号石柱。南朝史蹟と刻されています。
▼両脇を築地塀に囲まれた切り妻本瓦葺の四脚門。
▼簡素な扁額。遺跡 (ゆいせき) 本山と書かれています。
▼山門を入るとスグ右に後醍醐天皇の次に即位した後村上天皇の舊跡碑がヒッソリと建てられています。彷徨の天皇、後村上天皇が
一時期このお寺を行宮にし、約十か月政務を執られたと伝えます。
▼参道です。
▼参道右に手水舎。
▼更に参道を進むと右手に、
▼訶梨帝母天堂 (重文)。観心寺の鎮守社。空海さんが勧請した春日造り檜皮葺きの鎮守堂。訶梨帝母 (鬼子母神) を祀っています。
▼参道前方に金堂が見えてきました。
▼金堂 (国宝)。本尊如意輪観音。七間四方、単層入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。室町初期建立。和、禅、大仏様の折衷様式の大阪
府下最古の国宝建造物です。
▼金堂前面、入堂口は三間。
▼金堂外陣。格子戸で内陣と仕切られています。
▼さてなんとか書かれた扁額でしょうか? 内陣長押に掛かっています。
▼金堂内陣。奥の須弥壇上にお厨子が三連、中央お厨子に本尊如意輪観音菩薩が祀られています。
本尊御開帳は毎年4月17日~18日。行かれる方は人の多さを覚悟の上でどうぞ。
これを官能美と云わずしてなんと云う!
▼本尊如意輪観音菩薩 (国宝)。像高109.4cm、彩色六臂、栢の一木造ただし一部乾漆技法が併用、平安初期の作。
これだけの像形を彫りながら名を残さなかった仏師は果たして、まさか空海さんじゃないやろネ。
▼どう思います、この表情。
(上二点の本尊写真はネットからもらってきました)
▼金堂。
▼建掛塔 (重文)。正成さんも三重塔竣工を見たかったでしょうネ。
▼大日如来坐像が祀られています。
▼軒下の仕様。茅葺きを支える垂木は竹材を併用し、屋根裏は複雑な組様ですネ。
▼重厚な鐘楼。切妻造銅板葺きの屋根に、石組基壇木製袴腰が乗る初めて見る鐘楼です。
▼鐘楼の前に建つこれは経蔵か宝蔵か判りません、どちらかでしょう。
▼弁天堂。水草に埋まった小さい池の真ん中に可愛い弁天さんが祀られています。
▼阿弥陀堂。宝形造りの小さなお堂なんですが、堂内を覗くことは出来ません。
▼修行大師。
▼御影堂。空海さんをお祀りしています。方三間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付。
▼堂内お厨子の空海さん。きれいなお像、最近の作でしょうか。
▼行者堂。どこかの家の離れみたいで少々くたびれたお堂の印象。堂内を覗くことは出来ません。
▼本願堂。開山道興大師実恵上人を祀っていますが堂内を覗くことは出来ません。。方三間、宝形造、茅葺。
▼楠木正成首塚。楠公さんはここに眠ってるそうです。小さな五輪塔だけなんです。
▼道興大師廟。
▼後村上天皇檜尾陵への参道石段。今日は石段参拝遠慮させて頂きました。
●金堂方向へ戻って西のエリアへ行ってみましょう。
▼金堂前から山門の遠景。
▼牛滝堂。
▼牛滝堂内部。須弥壇にお厨子が置かれ、大威徳明王が本尊らしいのですが、お堂の性格は全く不詳。
デッカイ建物が西端にありました。前面外縁が吹き放しに八本の丸柱、ややエンタシス気味で唐招提寺金堂のようで非常に重厚なお
堂です。しかし観心寺1100年の歴史の重みに直接関わりのあるお堂ではないみたいですネ。
▼恩賜講堂。桁行6間、梁間7間、入母屋造、スレート葺。大規模な建物です。
通常非公開。
昭和三年 (1928年) 昭和天皇即位大礼にあたり、京都御苑内に造営された大饗宴場の一部を下賜され、昭和五年 (1930年)建立。
内部は昭和建築の華麗な装飾を見ることが出来るそうですヨ。
▼恩賜講堂外縁吹き放し。
▼さてこれにて観心寺お暇です。最後に大楠公に一言ご挨拶!
▼御朱印です。
今日本尊如意輪さんは拝見出来ませんでしたが、あんなベッピンさんなら何度会ってもありがたい気持ちは変わらないでしょう。
しかしあのもの凄い人出を考えるとチョット……。
以前本尊開扉時に訪ねた時の印象。
昨年 (2009年のこと) 四月お厨子開扉のとき本尊如意輪観音菩薩座像を拝見しました。外陣から内陣お厨子へは少々距離があり、ご
本尊は約110cmの大きさなので肉眼では非常に見え辛く、終始双眼鏡を利用しました。写真で拝見するとおり往時の色彩は見事に残
り官能美は心をくすぐります。一説に嵯峨天皇の皇后、絶世の美女橘嘉智子 (檀林皇后) がモデルという説があるそうです。
観心寺 オ シ マ イ
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