(2016.1.16訪問)
新大仏寺から帰途の道筋島ヶ原に、やはり東大寺に縁のある観菩提寺が在ります。
東大寺二月堂に先駆けてお水取りが行われることで著名なお寺で、東大寺と同じく創始実忠和尚の名が残っているようです。五年前に
一度訪ねているのですが、折角ですので改めて訪ねることにしました。
昨年十一月、三十三年に一度の秘仏本尊十一面観世音菩薩のご開帳が済み、今年の修正会はまだ少し先、今は何もない時期、要するに
肝心な時を必ず逸するボクのお寺巡りは、今年もこんな調子の繰り返しになりそうです。事前調べをすりゃ済むことなんですがネ。
▼参道石段。
[ 観菩提寺 ]
●山号 普門山(ふもんざん)
●寺号 観菩提寺(かんぼだいじ)
●宗派 真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)
●勅願 聖武天皇(しょうむてんのう)
●開山 実忠和尚(じっちゅうおしょう)
●開創 天平勝宝三年(751年)
●本尊 十一面観世音菩薩立像 三十三年に一度開帳される秘仏。
▲拝観 正月堂修正会の時 500円 朱印 300円 駐車場無料
▲時間 9:00~16:00
▲三重県伊賀市島ケ原1349 電話0595-59-2009
▲http://www.shindaibutsu.or.jp
▲JR関西本線「島ヶ原駅」より徒歩20分
▼仁王門(重文)。
観菩提寺縁起 (観菩提寺パンフから抄出)
観菩提寺の創建時は観音寺、植山寺とも称され、当時未開地であった島ヶ原の南面傾斜の地域を切り開いて、段階的に諸伽藍を配置す
る様式であったと思われる。創建翌年東大寺僧実忠和尚によって伽藍が再興整備され観音堂が建立され、本尊十一面観世音菩薩を中心
として東大寺出作の墾田開発が展開されたのである。修正会を正月に勤修した観音堂は正月堂と称され、本尊は島ヶ原郷の守護神とな
った。
▼仁王門(重文)。重層楼門、三間一戸、入母屋造、檜皮葺、初層左右に金剛力士像、室町前期建立。
鄙と云っては失礼ですが旧島ヶ原村にこれだけの豪華な建造物が千二百有余年累々と残る不思議。東大寺や実忠と云う普遍の名が関
係するこの地こその理由なんだろうか。何とも云いようのない素晴らしい仁王門です。
▼仁王門には扁額が二つ、上額は山号、下額は寺号が書かれている余り見かけない一門二扁額。
▼右脇の阿形仁王さん。
▼左に吽形さん。
両像とも玉眼が睨みをきかせていますが、体型的に頭でっかち、少々アンバランスは愛嬌かな。室町期作と伝えるそうです。
▼仁王門の後室右に広目天が、
▼左に多聞天が境内を見守っているようです。両像とも平安後期の作。
▼なんか変な写真ですけど、境内は狭く本堂(正月堂)と仁王門だけが天平の香りを残しているようです。
▼本堂(正月堂)(重文)。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、檜皮葺、三間向拝付、室町前期建立。
▼正月堂と書かれた本堂扁額。
▼本堂を正月堂と呼ぶ由縁。
毎年二月十一日と十二日に行われる「修正会」は天平勝宝四年(752年)創始以来実に1260年以上の歴史を持ち、東大寺二月堂の「お水
取り」に先駆けて行われる正月堂の「お水取り修正会」なのです。お水取りと言えば東大寺の二月堂ですが、二月堂は旧暦二月に行われ、
こちらお堂では旧暦一月に行われます。どちらも実忠和尚によって創始され、こちらはひと月早く行われるので「お水取り発祥の地」と
云われ、このお堂を正月堂と称しているそうです。
▼本尊十一面観世音菩薩立像(秘仏)。
像高177cm、十一面六臂、木造寄木造、檀像系、平安初期。
(写真は観菩提寺パンフレットをスキャン)
▼本尊のお顔です。
(写真はネットからもらってきました)
およそ観音の慈悲のお顔とはほど遠い凄まじい異様な感じ、衆生救済のための観音の苦渋がこんなお顔を作り出したのか、はたまた造
仏時の不安定な世相を仏師達が感じ、その心の怒りがこんなお顔を作り出したのか。ともあれこんな厳しい表情の仏は、高雄神護寺の
薬師如来以外ボクは知りません。
まるで見てきたような書き方をしましたが、あくまでも写真を見てのボクの感想です。
▼本堂。
▼国宝正月堂の石碑。戦前の旧国宝が今じゃ重文、悔しいでしょうねご住職。
こうゆう例が全国で結構あるようですが、文化庁さん「ナゼ」なのかを教えて下さい。
▼鐘楼。
▼八十八カ所巡りが出来ますよ。
▼御朱印です。
受付で、昭和のお姉さんから御朱印を戴き、本堂拝観をお願いすると「ダメです!」「事前予約です!」けんもほろろのお言葉。
と云うことで、観菩提寺これにてオシマイ。
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