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土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

浄妙寺、多宝塔が優雅な姿を見せています。

2017年12月29日 | 和歌山の古寺巡り





(2017.12.23訪問)  


興国寺から42号線を和歌山市方面へ北上すること約20km、有田川の河口の少々山手に浄妙寺はあります。このお寺はなんと云って
も多宝塔が有名らしい。塔にひときわ興味津々のボクにとっては願ったり叶ったり、ワクワクの気持ちを察したのか迷車大和路号も
機嫌良くそして例によりチンタラ走っております。





            ▼県道の分かれ道に建つ浄妙寺の石標、思わず見過ごす所でした。







            [ 浄妙寺 ]
            ●山号 醫王山 (いおうざん)
            ●寺号 浄妙寺(じょうみょうじ)
            ●宗派 臨済宗妙心寺派 (りんざいしゅうみょうしんじは)
            ●開基 藤原乙牟漏 (ふじわらのおとむろ) 桓武天皇の皇后 ※諸説あり
            ●開山 如寳律師 (にょほうりっし)
            ●開創 大同元年 (806年)
            ●再興 徳川頼宣 (とくがわよりのぶ)
            ●本尊 薬師如来坐像        
            ▲拝観 境内自由  
            ▲ 和歌山県有田市宮崎町1000 電話0737-82-3885  
            ▲JR紀勢本線「箕島駅」から徒歩 10分
             阪和自動車道「有田IC」から約20分





▼県道の左手を上って行きます。







浄妙寺縁起 (有田市HPから抄出)
寺伝によると大同元年、平城天皇の御母堂乙牟漏皇后とも阿波の尼僧西阿弥の建立ともいわれています。 開山は唐僧如宝和尚といわ
れ、もとは七堂伽藍の名刹であったらしく、嘉応元年(1169年)に宮崎定範がこの地方を領してから七十石の寺領を受けています。天
正十三年(1585年)秀吉の兵火により堂塔伽藍や縁起など焼失、薬師堂と多宝塔だけを残して全ての伽藍を焼失。以後永らく荒廃して
いた寺を正保四年(1647年)紀州藩初代藩主徳川頼宣が再興した。





▼次第にお寺の参道らしくなってきました。手入れの行き届いた植栽を左右にドンドン行きますと……、







▼左手に境内への石段が、さあどうぞ。







▼余り広くない境内ですネ。







▼本堂(重文)。本尊薬師如来坐像。薬師堂とも称されているようです。
 方三間、寄棟造、本瓦葺、一間向拝付、鎌倉後期。







▼本堂前面。中央戸口の桟唐戸が開けられ障子戸がビリビリ、中を覗くと……、
 真っ暗、全く何も見ることが出来ません。







▼よって、有田市HPから本尊写真をお借りしました。本尊薬師如来坐像と十二神将です。
 写真の十二神将はフルメンバーですが、12躯のうち6躯は1994年11月18日に盗難に遭い今は6躯のみ。







▼本堂。







▼境内に大きな蘇鉄が植わってます。







            さていよいよ多宝塔です。

            ▼多宝塔(重文)。塔高12.95m、三間、本瓦葺、鎌倉時代正慶元年(1332年)。
             塔内には五智如来を安置。







▼山間に佇む優雅な姿。ウ~ンナイス!







▼上層の四手先組物と軒の二重垂木。複雑な様相ですネ。







            ▼多宝塔。亀腹はかなり小さいですが決してバランスを崩しては居ません。







▼コーナーの組み物。







▼多宝塔。







            ▼多宝塔相輪です。







▼鐘楼。







▼梵鐘。







▼大師堂。







▼お大師さんの石像が祀られています。







▼弁天堂。肝心の弁天さん、よく見えませんでした。







▼庫裡の屋根葺き替え中。







▼方丈。中から読経の声が、







小さなお寺ですが、なんと二つの重要文化財を持つ浄妙寺です。その本堂も多宝塔も堂内を拝観することは出来ませんでした。方丈
では玄関口に履物がこれでもかと置いてあり、堂内からは読経が聞こえます、なにか大きな法要されてるみたい。 朱印を頂くため
庫裡に声をかけましたが残念ながら……。

浄妙寺 オ シ マ イ

紀の国古刹巡りをもちまして本年の「土曜日は古寺を歩こう」はオシマイです。
本年一月から数えて96カ寺の訪問になりました。拙いブログに多くの皆様にお越し頂き感謝に堪えません。ありがとうございました。
明年もどうぞよろしくお願いいたします。





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興国寺、紀州の大寺は「関南第一禅林」

2017年12月26日 | 和歌山の古寺巡り





(2017.12.23訪問)  


冬場の上天気、今日の迷車大和路号は阪和自動車道広川ICから熊野街道国道42号線、別名死に号線を走っています。
死に号線、いやな愛称?ですネ。迷車大和路号は紀州路を颯爽と疾走出来ません。なぜなら和歌山#のクルマが前にいると制限速度
より相当遅く、歩いた方が早いと思われる速度で悠然と、しかもセンターラインが殆ど黄線、後ろに付かにゃしゃーない。
さすが死に号線のプレッシャーか、かくなる上はユックリ行こう。と云う訳で由良町の興国寺を迷車大和路号は目指しています。
いつになったら着くんやろ。
(和歌山県民の皆様ゴメンナサイ、決して全部の方がそうじゃないですよ、チョットしたボクの印象です)





▼県道を右折し長閑でゆったりした道を行きます。正面に大門が見えます。







            [ 興国寺 ]
            ●山号 鷲峰山 (しゅうほうざん)
            ●寺号 興国禅寺(こうこくぜんじ)
            ●宗派 臨済宗妙心寺派 (りんざいしゅうみょうしんじは)
            ●開山 法燈国師心地覚心 (ほうとうこくししんじかくしん)
            ●開創 安貞元年 (1227年)
            ●再興 浅野幸長 (あさのゆきなが) 慶長六年 (1601年)
            ●本尊 釈迦如来坐像        
            ▲拝観 境内自由 朱印300円  
            ▲時間 早朝~日没 
            ▲和歌山県日高郡由良町門前801 電話0738-65-0154
            ▲JR紀勢本線 紀伊由良駅 徒歩約10分
             大阪方面からR42号線 (通称しにごうせん) から由良町門前を右折県道23号を0.6km、表示を右折スグ
             大阪方面から湯浅御坊道路(阪和自動車道)「広川IC」でおりR42号線由良町門前を右折約15分





            ▼興国禅寺石標にバス停表示が寄り添ってます。







興国寺縁起 (興国寺パンフレットから抄出)
興国寺は「関南第一禅林」と称され、安貞元年、鎌倉幕府三代目将軍源実朝の菩提を弔うために建てられた「西方寺」が前身。後に
法燈国師が宗旨を禅宗に改宗、最盛寺末寺143カ寺を数え多くの高僧を輩出、興国元年後村上天皇より興国寺号を拝受しました。天
正十三羽柴秀吉による紀州征伐で堂塔伽藍が焼失しましたが、慶長六年紀州初代藩主浅野幸長により再興され現在に至ります。





▼大門。チョット頭でっかちの門ですネ、ココからが参道、もとは県道に面して建ってたそうです。
 入母屋造、本瓦葺、六脚門。







▼大門の扁額。関南第一禅林と書かれています、多分。







▼大門からの参道です。







▼ユニークな石組参道は広く、グリーン鬱蒼の時期は緑のトンネルが綺麗でしょうネ。







▼参道途中に龍王社。雨乞い、農業神の八大龍王を祀っているお社。







▼少し先に五輪塔や板碑が集められています。無縁墓なのかナ。







▼大分参道も進んできました。廣度橋という石橋を渡ると石段が見えます。







▼石段の左右を見て下さい。







▼まるで城郭の構えみたい。







▼寄進門らしく昭和後半建造の山門です。切妻造、本瓦葺、四脚門。







▼山号が書かれた扁額。







▼例により山門から境内を見ます。正面は法堂、本堂です。







▼鐘楼。入母屋造、本瓦葺、袴腰重層の立派な鐘楼。







▼鐘楼に扁額は珍しいですネ、しかし読めません。







▼境内です。







▼法堂 (本堂)。堂々の貫禄、全山を圧倒する重厚感抜群のお堂です。上層の屋根を見て下さい、まるでお城。初層両端の白
 壁に花頭窓が安定感のバランスをとってるようです。
 桁裄五間、梁間四間、重層入母屋造、本瓦葺。寛政九年(1797年)再建。

         





▼上層の二重垂木と軒下組み物の複雑さ。







▼関南第一禅林と書かれた法堂扁額。







以下三点の写真は本来お見せ出来るような写真ではないんですが、お見せします。
奥の手も通用せず、条件が悪すぎました。言い訳です。

▼法堂須弥壇。広い堂内、二段須弥壇上階中央に本尊釈迦如来坐像と左右に四天王が祀られています。







▼本尊と四天王。







▼法堂天井鳴き龍図。絵師は不祥です。







▼法堂。







▼法堂と禅堂を繋ぐ渡り廊下。







▼禅堂。チョット小ぶりなお堂。雲水や僧侶方の坐禅道場。







▼使い込まれている開版。







▼禅堂の扁額。







▼位牌堂。







▼位牌堂扁額。







▼位牌堂の内部の須弥壇。中央には本尊聖観音菩薩が、左右に無数の位牌が祀られています。
 何の変哲もないシンプルな堂内なんですが、宇宙船の空間に見えません?







            ▼子守り地蔵。







▼天狗堂。シンプルなお堂です。
 興国寺は京都鞍馬寺と並ぶ天狗の寺として有名で、毎年成人の日に開催される天狗まつりは、入試合格、交通安全、降魔
 厄除に天狗の神通力を授かろうとする多くの信者、参詣者で境内は賑うそうです。







▼これもシンプルな天狗堂の扁額。







▼須弥壇を見て驚くなかれ。







▼どうですこの大天狗! ご利益ありそうでしょ。高さ2.4m、幅2.7mの大天狗面。
 兵火を被った七堂伽藍を天狗が来て一夜にして再建したという伝説があるそうです。







▼天狗堂の側面。今にも左へ飛んで行きそうな感じ、天狗の飛翔力とリンクさせてるみたい。







▼境内奥の開山堂。開山法燈国師の像を安置しています。方三間、宝形造、本瓦葺。文政六年(1823年)再建。







▼境内高台から混みいった伽藍群。







▼歴代住職の廟の傍らに立つ、これは石塔とは呼べないですネ。意味不明の塔?







            ▼慧日観音像。







            ▼このお顔を見て下さい、ホッとしませんか。開山法燈国師の母堂慧日尼さんの姿らしいです。







▼書院玄関。







▼後ろの大屋根堂宇が書院なんですが、門は締め切り中へは入れません。







▼先ほどの高所から書院庭を見下ろしています。







▼書院門の隙間から書院庭。







▼ご朱印を頂きに庫裡へ行きましょう。デッカイ庫裡です。







▼庫院と書かれたオシャレな扁額。







▼綺麗に磨かれた玄関。小さな鐘をコ~ンと一撞き、作務衣の僧侶がは~いと出てきてくれました。







▼ご朱印です。







ざっと八百年の法灯を守り続けている興国寺、ご朱印を書いて下さった壮年の僧侶としばらく雑談。これだけの大寺を八百年の歴史
を背負って、今何人の僧侶方で維持管理をされているのか聞くと「二人です」とのこと。これには驚きました。日々の作業で一番大
変なのは「掃除」に尽きるそうです。禅刹の掃除は修行の一つとはいえ境内が広くその上堂宇が多い、相当重労働、朝のお務めや檀
家衆との付き合い、年間の行事などは当たり前に僧侶の勤め、「しかし毎日の掃除がねぇ」と泣きが入ってました。御愁傷様、頑張
って下さいネとお寺をあとに……。

興国寺これにて オ シ マ イ





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慈尊院、空海さんがお母さん孝行のために建てたお寺です。

2017年07月20日 | 和歌山の古寺巡り





(2017.07.15訪問)


勝利寺から少し下ると女人高野慈尊院です。駐車場はクルマ満タンでした。僅か300mと離れない勝利寺とえらい違い。
母親でも入山を拒んだ女人禁制、高野山入山を許さなかった空海さんは、そのかわり一往復約五十キロの山道を母に逢いに月に九度
は高野山と慈尊院を往復、なんと3~4日に一度ですよ! それが九度山町の名の起こりと伝わるこの町に慈尊院はあります。
天才空海さんとて人の子、母を想う気持ちは人一倍、どこか身近に感じる空海さんの一面が伝わるようですネ。そんな慈尊院を訪ね
ました。





▼紀の川渡しから門前町をぬけると正面に表門。      







[ 慈尊院 ]
●山号 万年山 (まんねんざん)
●寺号 慈尊院 (じそんいん)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●開基 伝 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
●開創 伝 弘仁七年 (816年)
●本尊 弥勒如来坐像
▲ 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832 Tel. 0736-54-2214
▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
▲時間 8:00~17:00
▲http://jison-in.org/
▲平成十六年(2004年)「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録。
▲南海高野線「九度山駅」から約2km、徒歩20分
 京奈和自動車道高野口ICから約15分





▼表門から境内を見ますと、先ず多宝塔が見えます。







慈尊院縁起 (慈尊院HPから抄出)
弘仁七年、弘法大師空海が高野山開創の時、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を
司る政所を置き、高野山への宿所並びに冬期避寒修業の場とした。大師の御母公珠依御前が善通寺より我が子が開いている山を見た
い一念から、高齢にも関わらず当院へ参られ、本尊弥勒菩薩を篤く尊祟せられた。承和二年二月五日、御母公が入滅された時に大師
は母公が弥勒菩薩になられた霊夢により廟堂を建立、自作の弥勒仏と御母公の霊を安置された。慈尊とは弥勒菩薩の別名で、これに
より慈尊院と呼ばれるようになった。






▼表門を潜ると右に大師堂。本尊弘法大師空海、脇仏に四国八十八霊場の本尊八十八躰をお祀りしています。
 三間四方宝形造、桟瓦葺。







            ▼左玉垣の中に建つ五輪塔。平安後期何か哀しい事件があったらしく、
             それ以後建てられたと伝えています。

      





▼訶梨帝母 (鬼子母神)のお社。







▼多宝塔。朱色が映える塔姿の優れた多宝塔です。平成二十四年解体修理及び彩色完了。    
 本尊大日如来。塔高約15m、方4.5m、寛永元年 (1624年) 再建。













▼正面初層頭貫上に色鮮やかな蟇股。ここだけ妙に目立っています。







▼上層の組み物。







            ▼多宝塔北面。







            ▼多宝塔相輪です。

    





▼デッカイ樹勢旺盛なナギの樹。樹高約15m、幹周り約2m、樹齢約350年。天然記念物に指定されてます。







▼拝堂です。本堂弥勒堂の拝殿の役目を担うお堂です。お大師さん画像と御母公尊像安置。







▼拝堂の扁額。







▼内陣です。豪華な瓔珞や吊り灯籠が所狭しと荘厳され賑やかな堂内、前方に見える窓の向こうが本堂弥勒堂の正面です。







▼大地蔵さんと小地蔵さんがイッパイ。







▼どなたが撮っても全景が撮れない本堂弥勒堂 (重文)。方三間、宝形造、檜皮葺。







▼本堂弥勒堂正面。







            ▼本尊弥勒菩薩坐像 (国宝)(秘仏)。像高91cm、檜一木造、彩色像、
             寛平四年 (892年) 造立。二十一年に一度開扉。



            (本尊写真はネットから)





▼弥勒堂檜皮の屋根の石造露盤宝珠。







▼屋外の弥勒菩薩坐像。高野山詣りの時はこの弥勒さんに一言ご挨拶、道中お護りしてくださるそうです。







本堂前の安産祈願の絵馬。
高野山への女人入山を禁じていた弘法大師は自分の母をも許さず、母はこの寺に住み弥勒菩薩を信仰したという。女人の高野山参り
はここ慈尊院に限られ、女人高野とよばれるようになったのです。女性のための安産祈願、子宝成就、育児、授乳等を願いを、乳房
型絵馬に託してを奉納するようになったと云われています。

▼悩み多き女性のための乳房型絵馬の数々。その奉納絵馬の多さには驚きました。    













            





▼世界遺産碑。平山郁夫さんの揮毫。

   





▼境内ど真ん中に蓮花をかたどるとはいえ少々場違いな噴水。

           





▼鐘楼。

            





▼大師とゴン。
ノラのゴンは慈尊院に住みつき、高野山金剛峯寺までの町石道を、お遍路さんについていくうち道を覚え、朝慈尊院を発ち夕方に高
野山上の大門まで案内、夜には慈尊院に戻る毎日を送り「お大師さんの使いの名犬」として有名に。平成十四年六月に慈尊院で永眠、
境内の弘法大師像の横に、ゴンの石像「高野山案内犬ゴンの碑」が建てられています。







            ▼迫力満点!水盤の登り龍。







▼庫裏です。







▼境内隅の石仏。







▼日本一古い土塀。境内周囲約250mの三方を巡らす土塀。







▼西門左右にも日本一古い土塀。確かに古そう、これも売りネタになるんですネ。







▼ご朱印です。弥勒さんのお膝に置かして戴きました。







拝堂の右奥に長〜い石段があります。テッペンまで行くと丹生官省符神社が有り、その本殿を右に行くと高野山町石道が始まります。
高野七口と云われる高野山登山道七本のうちの一本で、慈尊院から高野山壇上伽藍に至る約23kmの表参道のこと。ここからが高野
山詣での第一歩になるんです、勝利寺、慈尊院を訪ねたら次は空海さんが眠る高野山を訪ねる、至極当然の順路ですネ。
しかしボクは行きませんヨ、誰がなんと云おうと登山はしません。高野山を訪ねるにはケーブルに限ります。

こんど高野山をいつ訪ねるか迷いつつ慈尊院 オ シ マ イ





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勝利寺、珍しい寺号でしょう。

2017年07月18日 | 和歌山の古寺巡り





(2017.07.15訪問)


全国にここ一か所だけと云われてる寺号のお寺があります。「勝利寺」と云う名のお寺は真田幸村でお馴染みの九度山町、あの女人
高野慈尊院の裏山手にあるお寺なんです。慈尊院や丹生官省符神社は何度か訪ねているのですが、勝利寺については全くその存在す
ら知りませんでした。今日は久々に慈尊院を訪ねようと、ややこしい道のりを二時間かけてやって来ると、近くで勝利寺案内→を発
見、よしこちらを先に訪ねようと言う訳で、珍しい寺号の「勝利寺」へレッツゴーです。


慈尊院西横の細い山道を登ってゆくと勝利寺の駐車場が有ります。その前に……、

▼恐ろしや参道石段。約50段は有るでしょうか、ビックリする急勾配の石段。       







[ 勝利寺 ]
●山号 万年山 (まんねんざん)
●院号 世尊院 (せそんいん)
●寺号 勝利寺 (しょうりじ)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●開基 伝 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
●開創 伝 平安初期
●本尊 十一面観音菩薩
▲ 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院749 Tel. 0736-54-2214 (慈尊院)
▲拝観料 境内自由 ご朱印300円 (慈尊院にて受付)
▲時間 9:00~17:00
▲南海高野線「九度山駅」から徒歩25分
 京奈和自動車道高野口ICから約15分





▼見てくださいこの石段、各段に草のび放題。どう見ても常に参拝者が有るようには思えません。    







勝利寺縁起
高野山開創の前年に四十二歳の空海が厄除け祈願のために十一面観音を自ら彫り奉納し開創。
かって天皇や上皇行幸の宿舎としても
利用され、嘉応元年後白河上皇が高野山を参詣した際もここに宿泊し、その時建立された御幸門も残っています。






▼急石段ですが手すりだけはしっかり付いてます。        







▼仁王門が近づいてきました。

      





▼仁王門。この地に有るとは思えないデカイ立派な仁王門です。さぞや境内も広いことでしょう。
 桁裄三間一戸、梁間二間、八脚門、重層楼門形式、入母屋造、本瓦葺。安永二年 (1773年) 建立。







▼仁王門の大きさに比べて控えめで山号、院号、寺号とフルネームの扁額。







▼阿形金剛力士。実に見事な仁王さん、木目を知り尽くした仏師の作と思われます。玉眼入り。   













▼吽形金剛力士。      













▼貫上の彫刻。







▼両側にたくさんの草履が掛けられています。
 足腰達者で元気が一番、そんな願いがこもっているようです。厄除け祈願か高野山参りのお礼奉納なんでしょうネ。

    





▼仁王門から境内を見ると本堂が見えます。







▼左手に手水鉢、お水は出ていません。







▼境内の一角、向こうに見えるのは本堂。







▼本堂です。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。堂宇は小さいながらも、屋根の前面千鳥破風が強烈な主張です。







▼本堂前面三間は蔀戸。小窓もなく内部は窺い知れません。







▼鰐口です。







▼さてどれが本堂の扁額でしょう。答、判りません。







▼達者な書の勝利寺縁起が掛けられています。







▼木鼻の阿形獅子。朱塗りの中で唯一白塗りで、やたら目立ちます。







▼吽形獅子。







▼本堂と右緑に埋もれる地蔵堂。







▼このお寺、数少ない堂宇間は渡り廊下で結ばれています。

        




▼地蔵堂。前面三間は蔀戸。このお堂も小窓もなく内部は窺い知れません。
 桁裄三間、梁間三間、寄せ棟造、本瓦葺、一間向拝付。明和七年頃 (1770年頃) 建立。

   





▼地蔵堂扁額。

        




▼大師堂。一見すると経蔵か宝庫のイメージする小堂。一間四方、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。

        




▼内部は須弥壇の設え。正面に弘法大師空海さん坐像が祀られています。常に目にする大師像とは違い妙にリアルなお像です。

     





▼鐘楼ですが梵鐘は懸けられていません。傾斜のない袴腰、桁裄二間、梁間一間、桟瓦葺。珍しい形の鐘楼です。







▼境内から見た仁王門。







紙遊苑、元は勝利寺の方丈。

元は勝利寺住職の方丈としての建物でしたが、現在紙遊苑として手漉き和紙、弘法大師縁の高野紙の伝統と文化を後世に伝えるべく
創設された施設です。茅葺きの趣きある建物が目印です。館内には高野紙づくりの道具を展示、ジオラマや和凧などを展示。紙漉き
体験することができ貴重な体験をさせてくれるスポットです。。

▼入り口長屋門と後方茅葺きが旧方丈、ここに色んなものが展示されています。







▼大小の和凧。







▼旧方丈のお部屋と濡れ縁。







▼国指定になっている庭園。            







▼見渡せば高野口町の街並と遠く紀泉の山並み。







▼ご朱印です。勝利寺の朱印は下の慈尊院にて戴けます。







寺号からして勝敗に関わりのある方々の参拝が多いらしく、かってはプロ球団も必勝祈願に訪れたことがあったそうですが、現在は
無住のお寺です。管理は慈尊院がされてるらしくよく行き届き、小さい境内ながら立派な伽藍構えで、見事にきれいなお寺ですが、
参道石段などを見ると雑草が目立ち、余り人々の参拝が多いようには見えません。主要堂宇は施錠ガッチリ、堂内を覗くことすら出
来ないのは少々残念でした。   

勝利寺 オ シ マ イ

それではスグ下の慈尊院を訪ねましょう。





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福勝寺、見所は虚空蔵さんと裏見の滝。

2017年05月19日 | 和歌山の古寺巡り





(2017.05.14訪問)



長保寺からR42号を下津まで戻り、県道166号を東へ、途中山側にいくらか上った所に福勝寺は長~い石段参道を構えています。
この参道石段を先に発見していたら、キット今日の参拝パスしていただろうと思います。加齢とともに体力急降下、石段イヤや、山
道イヤやとなるとお寺歩きは相当限定されそう。ホントイヤですネ、どうしよう。
そんなこと云ってる場合じゃありません、福勝寺に着きました。このお寺やはり紀州徳川の縁があり、求聞持堂の本尊虚空蔵菩薩は
初代藩主徳川頼宣の念持仏と云われる可愛い虚空蔵さんが祀られていると聞きやって参りました。滝も落ちているらしいですヨ。

長保寺ブログの最後で、「次に訪ねるのは海南唯一の真言宗古刹です」はボクの早とちりで「海南唯一」ではありません訂正します。





▼道路に面していきなりの参道石段で相当の段数が有りそうです。(帰りに写した写真です)
 まったく気付かずそのまま走りますと左手に福勝寺はこちらへの道標がありました。







[ 福勝寺 ]
●山号 岩屋山 (いわやさん)
●院号 金剛寿院 (こんごうじゅいん)
●寺号 福勝寺 (ふくしょうじ)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●開基 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
●開創 延暦二十三年 (804年) 
●本尊 千手千眼観世音菩薩 
▲和歌山県海南市下津町橘本1065 Tel. 073-494-0312
▲拝観料 ご朱印無し、現在朱印用三点印を製作中。
▲JR紀勢本線「加茂郷駅」下車 タクシー15分
 阪和自動車道「下津IC」から5分




▼その道を行くと庫裡前の駐車場に着くラッキーさ。
 重要文化財福勝寺のガイド板、このガイド板重文級。

 





福勝寺縁起
本尊千手千眼観世音菩薩は、唐へ渡る直前の弘法大師が旅立の観音、厄除の観音、雷除の観音と三ご請願を立て安置されたと寺伝に
記されています。江戸初期、紀州徳川家の初代藩主徳川頼宣から厚く信仰を受け、求聞寺堂という紀州藩主の祈祷所が建立され、そ
の後は紀州藩主縁の厄除けの祈願所として現在に至ります。





▼蓮如上人縁の名号堂。真言宗のお寺になぜ蓮如上人? 紀伊熊野を布教中このお寺に泊まった記念に建立されたと聞きました。
 桁裄五間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。小さいお堂にしては立派な造りですが立ち入り禁止になっているのはどこ
 か具合が悪いのでしょうか。







▼サテ本堂はどちらかな、この石段が本堂への道、これは軽く行けそう。

       





▼石段を上りきるとお堂が二つきり、手前求聞持堂、奥が本堂です。







▼鐘楼 (重文)。







            ▼何かの記念碑なんですが、全く刻字が読めません。







▼求聞持堂 (重文)。本尊虚空蔵菩薩。桁裄四間、梁間三間、宝形造、本瓦葺。慶安三年 (1650年) 紀州藩初代藩主頼宣建立。
  虚空蔵求聞持法という真言密教の行法を行うお堂。







▼須弥壇に置かれたお厨子の中に本尊虚空蔵菩薩が。



(この写真はご住職からレクチャーを受ける前に外縁から格子窓を覗いて撮った写真ですのでピンに問題あり) 





            ▼本尊は岩盤上の蓮台に二重円光を背にお坐りです。全高約60cm、像高約20cm、
             木造。木質は判りませんが壇像風お像で、噂に違わず何とも愛らしい虚空蔵さんです。







▼本堂 (重文)。本尊千手千眼観世音菩薩。桁裄三間、梁間三間、寄棟造、本瓦葺。永正十二年(1514年) 建立。
 内陣荘厳は極めて質素、本尊脇侍として千手観音と薬師如来が祀られています。
 本尊は現代仏師の作、新しいものです。旧本尊は盗難に遭い現在行方不明とのことです。







▼山号が書かれた新しい扁額。







▼ご住職に本堂側面の扉を開扉して頂いているところをパチリ。







▼本堂外陣から結界格子の奥が内陣。
 内陣に入れて頂きご住職と立ち話。親切を絵に描いたような方で話し好き、長々とお付き合いくださり一時間ほどお話ししたでし
 ょうか。







▼いつの間にか本堂正面扉が開けられていました。







▼本堂外縁にクッキリと天狗の手形。この境内に昔天狗が住んでいたらしいのですが、ジーッと見たら?
 オッとこれを云っちゃお仕舞か。

       





▼本堂と奥の岩場に結界縄が。







▼これが噂の「裏見の滝」残念ながら水量が……、高さ20m、幅30m                              

























▼積層状態がよく分かる豪快な岩盤。下方が半洞窟になり、滝の裏側に立つことが出来るところから「裏見の滝」呼ばれるそうです。
 滝裏の写真は水量不足と滝との間隔が狭くて撮ることは出来ませんでした。←言い訳。







▼洞窟に石像のお不動さんが。







            ▼舟形光背の不動明王が固いガードに護られています。
             このお不動さん、弘法大師の作と伝わり、雨乞祈祷をするためにこの石座に
             移したそうです。







▼少し離れたところにお地蔵さんが。







            ▼「裏見の滝」の全景ですが、この水量です。







▼これを滝壺と云っていいのかしら?



と疑問を感じたところで福勝寺 オ シ マ イ



庫裡でご住職からお堂案内しましょうかの嬉しいお言葉、断る理由などドコにもありません。
本堂、求聞持堂は内部で繫がっており、そのガイドレクチャーに感激、当方のお粗末な質問にも真摯に相手をして下さるホント親切
を絵に描いたようなご住職、内容豊富な濃い~い時間、時にこういうご住職とお会い出来、こういう時間が持てること、嬉しいじゃ
ないですか。古寺古刹歩きは止められませんネ。
ご朱印は朱印用三印制作中なので出来上がり次第朱印は送るとの事。期待して待つことにしましょう。





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