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土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

西本願寺、偉大な親鸞さんを探しに……。

2017年08月29日 | 京都の古寺巡り






(2017.08.26訪問)


今日はクルマにするか電車で行くか散々迷ったあげく、京都市内クルマはダメと新大和路号を我が家に温存、京阪電車、近鉄電車を
乗り継いでJR京都駅に着きました。先週は真宗木辺派の本山錦織寺、それではと今日は真宗本願寺派の総本山西本願寺を訪ねること
にしたんです。半端じゃない京都の蒸し暑さ、特に今日は蒸し蒸し酷し、まあここから歩いて十五分ばかり、まさかひっくり返るこ
とはないでしょう。この昼中本願寺境内のあの広~い前庭には人影疎ら、写真を撮ってる人皆無、それではとボクの張り切り虫がで
てきました。それにしても暑い!





▼総門 (重文)。堀川通を挟んだ東側に建ってます。ここから入山する方は余りいないんじゃないかな。







[ 西本願寺 ]
●山号 龍谷山 (りゅうこくさん)
●寺号 本願寺 (ほんがんじ) 通称 西本願寺(にしほんがんじ)
●宗派 浄土真宗(じょうどしんしゅう) 本願寺派本山
●宗祖 親鸞上人(しんらんしょうにん)
●開創 文永九年(1272年)
●本尊 阿弥陀如来立像
▲拝観 境内自由 朱印はありません  
▲京都市下京区堀川通花屋町下ル 電話 075-371-5181
▲http://www.hongwanji.or.jp/
▲JR、近鉄「京都駅」より市バス9番、28番、75番で「西本願寺前」下車
 阪急電車「河原町駅」より市バス207で「島原口」下車
 京阪電車「七条駅」より市バス206番、208番で「七条堀川」下車





▼御影堂門 (重文)。







西本願寺縁起 (西本願寺HPより抄出)
本願寺は、親鸞聖人の廟堂から発展した。親鸞聖人没後、聖人の墓所は簡素なものであったため、大谷の西の地に六角の廟堂を建て、
親鸞聖人の影像を安置し遺骨を移したのが大谷廟堂である。本願寺の名称は、元亨元年ころに公称し、三代覚如上人から四代善如上
人にかけて親鸞聖人の影像の横に阿弥陀仏像を堂内に安置した。これを御影堂と阿弥陀堂の両堂に別置するのは、第七代の存如上人
のときである。その後八代蓮如上人が本願寺の興隆の基礎を築いたが、元和三年には失火により両堂などが焼失。翌年阿弥陀堂を再
建し、寛永十三年、御影堂が再建し書院や飛雲閣、唐門が整備。宝暦十年阿弥陀堂が再建され、ここに現在の本願寺の偉容が整備さ
れたのである。





▼門前の水の流れない掘り割り。堀川通の名の由来なんですよ。







▼御影堂門 (重文)。堀川通に面して建つ三つの門のうち南側の門です。







▼目隠塀。切妻造、本瓦葺の塀。何のための塀かよく判らない塀。







▼御影堂門を入った左側に柵に囲まれた鐘楼 (重文)。元和四年 (1618年) 建立。







▼妻下の彫刻に見惚れました。







▼枝振りが半端なく鬱蒼とし広く幹の太いこと、名の通り大銀杏。樹齢約400年。







▼手水舎の龍の水口。







▼御影堂「ごえいどう」(国宝)。広~い前庭に大きなお堂が二つ並んでいます左側のお堂です。                       
 東西48m、南北62m、高さ29m。入母屋造、本瓦葺、三間向拝付、寛永十三年 (1636年) 再建。
 中央に親鸞聖人の木像、左右に本願寺歴代門主の御影を安置し、重要な行事はこの御堂で行われるそうです。







▼御影堂前面。中央三間は閉じられ、その左右からの入堂です。







▼外縁二間が吹き通し、ここだけでも十分の広さを感じますヨ。







▼御影堂外陣。441畳敷き、柱227本、1,200名の人が参拝できる広さで運動会も出来そうです。







▼外陣から内陣、ワイドな内陣の中央に宗祖親鸞さんが祀られています。







▼内陣欄間に「見真」の扁額。親鸞さんは明治天皇から見真大師号が贈られています。







▼内陣須弥壇とお厨子。







▼須弥壇中央お厨子に親鸞さん木像。







▼内陣右脇の間の軸。







▼内陣左脇の間の軸。







▼御影堂天水受けを必死で支える邪鬼。今苦労すればあとあとキット報われるヨ。







▼御影堂。

                      




▼阿弥陀堂門 (重文)。堀川通に面して建つ三つの門のうち真ん中の門で、御影堂門と比べてキンピカ華麗な門です。







▼阿弥陀堂 (国宝)。本尊阿弥陀如来立像。本願寺の本堂。
 東西42m、南北45m、高さ25m。入母屋造、本瓦葺、三間向拝付、宝暦十年 (1760年) 再建。







▼阿弥陀堂前面。







▼一人の僧が外縁を通って足早に向こうの御影堂に向かわれているようです。







▼阿弥陀堂外陣。285畳敷き、800名の人が一度に参拝できます。







▼阿弥陀堂内陣須弥壇の設え。

 





▼須弥壇中央に本尊阿弥陀如来立像が祀られています。







▼阿弥陀堂。







▼御影堂と阿弥陀堂を結ぶ渡り廊下 (国宝)。







▼経蔵 (重文)。方三間の宝形造、本瓦葺。江戸寛永期、天海僧正開版の「大蔵経(一切経)」が収められているそうです。







▼経蔵正面、扁額には轉輪蔵と書かれています。

       





▼太鼓楼 (重文)。江戸期には太鼓で時刻を告げていたそうですヨ。







▼境内東南角を白壁に囲われた一角、庭園滴翠園です。塀中左僅かに見えるのが飛雲閣 (国宝)。庭園と飛雲閣は通常非公開です。







▼飛雲閣 (国宝)。金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つ。秀吉が建てた聚楽第の一部ともいわれ、三層楼閣建築です。
 (この写真は数年前本願寺訪問時に偶然の機会に撮れた写真です)







▼飛雲閣です。どこから撮ったと思います?
 お隣の興正寺境内からです。本寺では撮れずお隣からは撮れるとはこれいかに。







▼龍虎殿。本願寺の寺務所です。







▼北小路通りに面する大玄関門。この門は通れません。







▼書院大玄関。







▼大玄関から書院の建物。







▼大玄関門の隣の唐門 (国宝)。絢爛豪華な装飾門、緻密で精巧な色彩感性で中国故事を題材に極彩色彫刻が凄いです。
 檜皮葺、唐破風、四脚門、桃山時代。伏見城遺構と伝わるそうです。      













▼唐破風彫刻。見飽きることがありません。







▼扉両面の唐獅子。







▼前柱木鼻の阿形獅子。







▼吽形獅子。







▼扉上には孔雀もいます。今にも飛び出しそうな臨場感が凄い。







▼絢爛豪華に堪能しました。







▼境内から見た唐門。前柵が低いのでこちらの方が全容がよく判りますネ。







▼五線鮮やか南側の築地塀です。ず~と向こうに見えるのは堀川通です。ここ北小路通りを通って本願寺お暇です。







これにて本願寺終了、ご覧いただいた皆様、長々とごくろうさまでした。
 
御影堂と阿弥陀堂が並ぶ景観、前庭が広~くそれはそれは壮観ですヨ。いずれのお堂も内陣の荘厳や内外陣の仕切り欄間の荘厳はこ
れでもかと云う位凄く広いことこの上なし。いずれのお堂も勿論入堂可能です。惜しいのは非公開部署が多いこと、書院や庭園がな
ぜ非公開か判りませんが、親鸞さんの思想や哲学は総てをオープンにしてこそその心髄が行き渡るのでは。真宗の旗艦寺院です太っ
腹で行きましょうよ本願寺さん。





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禅定寺、見応えの藤原仏がズラリ。

2017年07月27日 | 京都の古寺巡り





(2017.07.22訪問)


正壽院から次に訪ねるお寺は実はスグ近くのはずでした。されどガイドはすれども一向に着かず。あげくは細~い山道をズンズン、
こりゃダメだと引き返し、第三候補のお寺をサーチ、これ又ガイドはすれども行き先不明。正壽院の所で書きました「賢いやっち
ゃ新大和路号のナビは!!」の前言を撤回、付き合いきれんはこのナビは、マッタク。
と云うことで、じゃドコを訪ねるか、この辺りでボクが知っているお寺と云えば、禅定寺しかありません。このナビめ有名寺院だ
けはしっかりガイドするんですワ。





▼県道に面した参道石段です。      







            [ 禅定寺 ]
            ●山号 白華補陀洛山 (ふだらくさん)
            ●院号 観音妙智院 (かんのんみょうちいん)
            ●寺号 禅定寺 (ぜんじょうじ)
            ●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
            ●開基 平崇上人 (へいそしょうにん)
            ●創建 正暦二年 (991年)
            ●中興 月舟宗胡禅師 (げっしゅうそうこ)
            ●本尊 十一面観音菩薩立像
            ▲京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺庄地100 電話 0774-88-4450
            ▲拝観料 500円 ご朱印300円
            ▲時間 9:00~16:00
            ▲http://zenjyoji.jp
            ▲JR「宇治駅」京阪電車「宇治駅」から京阪宇治バス「維中前」下車 徒歩約2km
             京滋バイパス「笠取IC」から約9km





            ▼石段横にさり気なく建つ寺石標。







禅定寺縁起 (禅定寺HPから抄出)
正暦二年 (991年) 東大寺五十三代別当、平崇上人が藤原兼家の帰依を受け、私領の山野に五年の歳月を費やして堂を建て、十一面
観音菩薩像を安置したのが始まり、ついで長保三年 (1001年) 上人は田畑一千町歩を寺に施入。鎌倉、室町、戦国時代の兵火など
で創建当初の伽藍は壊滅。その後江戸時代延宝八年 (1680年) 加賀の国曹洞宗大乗寺の月舟宗胡禅師を迎え曹洞禅の道場として復
興が果たされた。





▼石段を上りきった所に壱の門。

      





▼仁王門。白壁に花頭窓を備えたユニークな山門です。三間一戸、切妻造、本瓦葺き、江戸享保四年 (1719年) 建立。







▼補陀禅林と書かれた仁王門扁額。







▼金剛力士阿形像。仁王門建立と同時期の造立と云われています。







▼金剛力士吽形像。







            ▼仁王門を潜ると左に建つ五輪塔。南北朝時代の造立の大和型の貴重な五輪塔。

    





▼本堂。茅葺きの大きな建物ですが、豪農の母屋の雰囲気、お寺のお堂には見えません。







▼本堂前面。中央ガラス戸を開けたのはボクです。正面から入堂させて頂きました。







▼本堂内陣の荘厳。中央須弥壇の奥に本尊阿弥陀三尊が祀られています。







▼変化に富んだお庭が本堂前に広がっています。   







            ▼池畔に閑かに佇む観音さん。







▼鐘楼。







▼観音堂。







▼園通閣と書かれた妙に大きい扁額。







▼観音堂内陣。メインというか本尊が見当たりません。







▼豪華な須弥壇台座の彫刻と漆芸。牡丹を挟んで阿吽の獅子が睨み合っています。







            ▼まさか本尊をこんな祀り方をしないでしょう。







▼右脇殿の地蔵菩薩坐像。貫禄ですネ。







            ▼左脇殿の薬師如来坐像。相当酷いことになってるお薬師さん。
             左手の薬壺、時にはご自分のために使っていいんですよ。







▼天蓋と瓔珞。







▼放生池に架かる太鼓橋。







▼平成大涅槃図。墓地の法面を飾っています。横45m、縦8mの大壁画です。一般の人たちも参加して平成十一年開眼。













▼仁王門手前に宝物殿。







▼正面に十一面観音菩薩立像 (重文) が安置、堂々体躯の仏像。お顔は丸く、お身体やや肥満気味でズングリムックリはご愛嬌か。
 漆箔は殆どはげ落ち黒漆地が出ていますが衣文の彫りは丁寧で緻密です。藤原時代作、像高286.3cm、木造寄せ木造、漆箔、
 頭飾胸飾をはじめ飾り物が非常に豪華です。



            (写真は禅定寺HPからお借りしました)





▼ 小川光三さんの写真集「南山城の古寺」から禅定寺のページです。







▼ご朱印です。







宝物館に収められている素晴らしい仏像の数々、ほとんどが藤原仏で禅定寺草創期からのものだそうです。お寺は今でこそ本堂と
観音堂しか残ってはいませんが、これらの仏像を見る限り往時の禅定寺の寺勢が偲ばれます。おそらく各種堂宇伽藍が甍を競い、
今残る仏像達がそれぞれのお堂で信仰を集めていた。とそんな想像が湧いてくるほど素晴らしい仏像の数々でした。
禅定寺 オ シ マ イ





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正壽院、ハートの窓と風鈴のお寺です。

2017年07月24日 | 京都の古寺巡り





(2017.07.22訪問)


ハート窓のあるお寺が注目されているそうで、それなら行ってみようと、新大和路号はR307号をドンドン東へ、途中本格山道に入り
これ又ドンドン上ってゆきます。相当複雑なややこしい道、ナビの威力を改めて。賢いやっちゃ新大和路号のナビは!!
お寺についてビックリ、駐車場の空きを探すのに四苦八苦、なんと訪問者の多いお寺なのか、駐車場の前の真新しい建物の入り口に
はズラリ人の列、この入り口がハート窓の部屋に通じる入り口なんです。





            ▼建てたばかりと思われる小さな寺号石標。      







            [ 正壽院 ]
            ●山号 慈眼山 (じげんざん)
            ●寺号 正壽院 (しょうじゅいん)
            ●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
            ●開創 約800年前
            ●本尊 十一面観音菩薩 (秘仏) 五十年に一度開帳
            ▲京都府綴喜郡宇治田原町奥山田川上149 Tel.0774-88-3601
            ▲拝観料 400円 ご朱印300円
            ▲時間 8:30~16:30
            ▲http://shoujuin.boo.jp
            ▲JR「宇治駅」京阪電車「宇治駅」から京阪宇治バス「維中前」で下車
             コミュニティーバス乗り換え「奥山田」下車 徒歩約10分
             京滋バイパス「宇治西IC」から約25分 「笠取IC」から約20分





▼境内入り口にはいきなり風鈴トンネル、さすが風鈴のお寺。






正壽院縁起 (正壽院HPから抄出)
正寿院は、高野山真言宗に属し、創建年は八百年ほど前と伝わる。慶長年間に祐胤大徳が中興されたと記録に残る。本尊は秘仏十一
面観音で五十年に一度だけご開扉される。また当院の不動明王坐像(重文)は鎌倉時代の仏師 快慶の作。




▼本堂玄関右の入り口が拝観受付。本堂外陣に茶菓子付きお席が用意されています。







▼山号扁額。

      





▼堂内右脇陣。







            ▼正壽院自慢の不動明王(重文)。現在京博に寄託中。



            (この写真は正壽院HPからお借りしました)





▼本堂内陣。本尊十一面さんは須弥壇お厨子の中、五十年に一度開帳されるそうです。







▼茶菓子を前に皆さん内陣にお尻を向けて風鈴の音色に聞きいってます、誰一人正面に手を合わせる人はいません。







毎年七月一日から九月十八日まで風鈴まつりが行われ、境内に約2000個の風鈴が吊られ涼を演出。

▼今日の京都は35℃、風鈴で涼を感じることは出来るでしょうか。











































▼本堂から少し坂を下った所に真新しい庫裡と客殿が有ります。







▼この客殿には女人を引きつける凄いものがあるそうで、しばらく前に立って見てますとドンドン入堂されてます。
 写真は一瞬の無人です。







▼客殿則天の間。この部屋が女人を引きつけるのです。
 一度メディアに紹介されると即人が集まるそうで、地元の人が本当にビックリしてました。







▼客殿則天の間のこれが噂の猪目窓 (いのめまど)。早い話がハート型の窓。















季節によりハートの外の景色の変化が見ものです。お寺のHPをご覧下さい。





            ▼午後四時頃になるとこんな情景が見れるそうですヨ。ダブルハートですネ。



            (この写真は正壽院HPからお借りしました)





▼次は則天の間の天井をご覧下さい。三月に完成したばかりの天井画160枚、色とりどりの花で埋められています。













▼縁の長押にも飾られています。







▼ご朱印です。







お寺の経営にこんな商法があるのかと、感心させられた正壽院でした。小さなお寺で伽藍や仏像に目立った歴史がなくともアイディ
ア一つで参拝者を呼べる、ハート窓や花鳥天井画が山寺の売りになり、休日になれば駐車場が足りなくなる。ひとたびメディアに紹
介されると、その威力は凄いものです。
ただ本堂に入って内陣に向って一礼している人は僅かに数人、大半はお尻を向けたまま、外の風鈴を見てお茶とお菓子が済めばその
まま出てゆく、精神的な心の拠り所のお寺に来てこれじゃあネ……、しかし
かつて大寺の貫首に、「目的がなんであれお寺に来るということ、それが信仰心の現れなんだよ」と云われたことがありました。

正壽院 オ シ マ イ

このお寺、どんなお寺か全く判らないまま、風鈴の音におくられて、次のお寺に向いました。ヤレヤレ






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安楽寺、法然上人が二人の弟子の冥福を祈ったお寺。

2017年04月13日 | 京都の古寺巡り





(2017.04.08訪問)


霊鑑寺から歩いて2~3分、距離にして150mぐらいに、やはり通常は非公開寺院の安楽寺が山門を開いています。
このお寺、若い二人の姫とその出家を助けた二人の僧の哀れで悲しい運命の冥福を祈るため、二僧の師法然上人が復興したお寺安楽寺。
謂れも哀しく、そぼ降る雨に気持ちも幾分暗いまま山門を潜りました。




            ▼安楽寺石柱。安楽寺の寺号はなぜかこの背面に刻されています。






            [ 安楽寺 ]
            ●山号 住蓮山 (じゅうれんざん)
            ●寺号 安楽寺 (あんらくじ) 愛称 松虫鈴虫寺
            ●宗派 浄土宗 (じょうどしゅう)
            ●開基 住蓮上人 安楽上人 (じゅうれんしょうにん、あんらくしょうにん)
            ●開山 法然上人 (ほうねんしょうにん)
            ●創建 建永元年 (1206年) 
            ●本尊 阿弥陀三尊 
            ▲京都市左京区鹿ヶ谷御所の段町21 Tel. 075-771-5360
            ▲拝観料 500円 御朱印300円
            ▲通常非公開寺院 年二回春と秋公開
            ▲時間 09:30~16:30
            ▲http://anrakuji-kyoto.com/
            ▲JR・近鉄「京都駅」より市バス「錦林車庫」行きで「錦林車庫前」下車、東へ徒歩10分
             JR・近鉄「京都駅」より市バス「銀閣寺前」行きで「宮ノ前町」下車、東へ徒歩10分
             地下鉄烏丸線「今出川駅」より市バス「錦林車庫行き」で「錦林車庫前」下車、東へ徒歩10分




▼この参道も優しい石段です。






安楽寺縁起 (KYOTOdesignHPから抄出)
鎌倉時代はじめ、法然上人の弟子住蓮上人、安楽上人が念仏道場「鹿ヶ谷草庵」を建てたのに始まる。当時、後鳥羽上皇の女官、
十九歳の松虫姫と十七歳の鈴虫姫は、両上人から念仏の教えに感銘し出家。上皇は激怒し、念仏教団に弾圧を加え二僧は斬首。
法然上人は讃岐へ、親鸞聖人は越後へ流刑に。その後、両姫は瀬戸内海の小島で生涯を終えました。両上人亡き後「鹿ヶ谷草庵」
は荒廃したが、流罪地から帰京された法然上人が両上人を弔うため草庵を復興「住蓮山安楽寺」と名づけました。





▼茅葺きの名物山門です。明治二十五年 (1892年) 建立。







▼山門から境内。







▼本堂へのアプローチ。左手にお庭が広がっています。







▼大きな枝垂が満開になってきました。













▼枝垂の下は丸い刈り込み。五月から六月にかけて、さつき、つつじの花盛りだそうですよ。







▼くさの地蔵が祀られる地蔵堂。平成二十四年 (2012年) 再建。







▼縁塚。共同墓地らしいのですが詳細不明、聞き漏らしました。







▼手水舎です。






            ▼仏足石。彫りっぱなしではなくちゃんと色付きです。






▼本堂の屋根を添えて枝垂の一枚。







▼本堂参道。左右にはお庭が広がってます。







▼本堂です。三間四方の宝形造、本瓦葺。一間向拝付。二層に見えますが下屋根は裳階。







▼本堂前面に何か設えが……、







▼今日は花祭り、お釈迦さんの誕生日です。ボクも甘茶をかけさせてもらいました。







▼本堂内陣。







▼本尊阿弥陀三尊。中尊阿弥陀如来坐像、右に観音菩薩立像、左に勢至菩薩立像。
 観音勢至の両菩薩は佇立せず、やや前屈みでまさに一歩を踏み出す体勢をおとりです。






            ▼中尊阿弥陀さん、雲相華の舟形に二重円光背を背負い蓮華座に趺坐する豪華な像形です。






▼半眼瞑想のお顔なんですが、どこから見ても目が合うのが不思議です。






            ▼龍樹菩薩立像。龍樹さんがなぜここにおられるのか不明ですが、
             現代仏師の作でしょう、出来立てホヤホヤと云ったら龍樹さんに失礼かな、
             とにかくきれいな龍樹さんです。






▼左脇殿に法然上人坐像。法然上人の書簡などで作られた上人七十四歳の姿「法然上人張子像」です。







▼さらに右脇殿に住蓮、安楽両上人、松虫、鈴虫両姫の座像が祀られています。







▼流麗な本堂屋根。







▼本堂と書院を繋ぐ渡り廊下。







▼中庭を挟んで書院。







▼中庭の苔むす蹲踞。







▼書院のお部屋から額縁庭園を。







▼さつき、つつじの丸い刈り込み、期待出来そうですネ。







▼額縁庭園におネーサンがひとり。







▼さつき、つつじを愛してやまない方、訪ねない訳にはイカンでしょう。    













▼お留守でした。







▼境内南端に開基の右住蓮上人と左安楽上人の供養塔が並んでいます。







▼両上人供養塔の東の高台に松虫姫、鈴虫姫の供養塔が仲良く並んでいます。







▼ご朱印です。






暗~いお話が伝わるお寺も、今はそんな感じは受けません。一本枝垂が今盛り、無彩のお庭にピンクの枝が揺れながら春盛りを主
張しているようです。ところで今日はお釈迦さんの誕生日、花祭り灌仏会ですネ。初めて甘茶なるものを釈迦さんにかけました。
甘茶と花祭り何か謂れがありそうで、一度検索してみようかな。

甘茶を飲み損なった、安楽寺オ シ マ イ





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霊鑑寺、椿の寺も遅かりし。

2017年04月10日 | 京都の古寺巡り





(2017.04.08訪問)


白川通りや哲学の路を挟んだ左京一帯は大小の名刹古刹が甍を競っていますが、唯一訪ねる機会がなかった霊鑑寺を訪ねてみました。
このお寺椿のお寺として著名で通常は非公開のお寺なんですが、年二回特別公開のこの春のチャンスで、どんより空で時々雨のなか
を訪ねたのです。どうも最盛期を逸して訪ねるのが僕のお寺歩きの特徴、楽日前日のこの日、椿の花は落ち椿、散り椿で境内は少々
情けない椿寺でした。散り落ち椿を風流と感じる通人もおられるそうですが……。




            ▼霊鑑寺寺号石柱。






            [ 霊鑑寺 ]
            ●山号 円成山 (えんじょうさん)
            ●寺号 霊鑑寺 (れいかんじ) 愛称 谷の御所
            ●宗派 臨済宗南禅寺派 (りんざいしゅうなんぜんじは)
            ●開基 後水尾天皇 (ごみずのおてんのう)
            ●開山 浄法身院宮宗澄皇女(じょうほっしんのみやそうちょう)
            ●創建 承応三年 (1654年)
            ●本尊 如意輪観音菩薩
            ▲京都市左京区鹿ヶ谷御所の段町12 Tel. 075-771-4040
            ▲拝観料 600円 御朱印300円
            ▲通常非公開寺院 年二回春と秋公開
            ▲時間 10:00~16:00
            ▲JR・近鉄「京都駅」より市バス「錦林車庫」行きで「錦林車庫前」下車、東へ徒歩10分
             JR・近鉄「京都駅」より市バス「銀閣寺前」行きで「宮ノ前町」下車、東へ徒歩10分
             地下鉄烏丸線「今出川駅」より市バス「錦林車庫行き」で「錦林車庫前」下車、東へ徒歩10分




▼元尼寺の優しさが残る参道石段。






霊鑑寺縁起 (京都観光NaviHPから抄出)
臨済宗南禅寺派の門跡尼寺。1654年(承応3)後水尾天皇が皇女を開基として創建。谷御所、鹿ヶ谷比丘尼御所ともいう。
御所人形200点など皇室ゆかりの寺宝が多い。石組に特徴のある江戸時代中期の作庭手法を用いた、格調高い池泉観賞式庭園があり、
後水尾天皇遺愛の日光椿をはじめ、椿の名木が広い庭を埋めている。




                 ▼京都春の特別公開ポスター。






▼参道石段横にすでにピンクの落ち椿。







▼山門です。







▼スグ左には書院大玄関が。







▼大玄関手前の二本の古木が一面散り椿。







▼オシャレな浮き椿。







▼雨粒もこうして見るとピンクのアート、濃いピンクの中に薄いピンク、センスが光ります。







▼大玄関の正面です。







▼玄関階段下には……、







▼ここにも椿と竹のアートワーク。全くいいセンス、さすが椿のお寺です。







▼それでは中門を潜って……。







▼書院へ。手前左が書院です。江戸期、延宝三年 (1675年) 建造。







▼書院屋根と椿の大木。花もほとんど落ちてしまっています。







▼書院上段の間。後水尾天皇がしばらく住まわれたそうです。(写真はネットから)
 狩野派の障壁画が美しいですが、綺麗すぎてレプリカかな。







▼書院前庭が池泉観賞式庭園。築山から池への傾斜を上手く利用した庭園は見応え充分。







▼石橋と苔の緑に落ち椿。







▼左の小道を登ると本堂へ。







▼珍しい椿が、これは日光椿 (じっこうつばき)。花芯が赤で盛り上がっています。







▼これは月光椿 (がっこうつばき)、花芯が白です。白く見えませんが白です。







▼散り椿。花弁がバラバラに落ちます。







▼本堂。本尊如意輪観音坐像。宝形造 (一部入母屋造が付設)、桟瓦葺、江戸期、享和三年 (1803年) 建造、徳川家斉寄進。







▼本堂屋根の宝形。







▼お庭を回ってみましょう。






            ▼面白い灯籠があちこちに。






▼蹲踞にも椿が浮いています。






            ▼灯籠。






▼床几と和傘に雪柳。晴れていたら映えるでしょうネ。







▼遊歩道の石段。






            ▼灯籠。






▼こんな石仏も。







▼庫裏ですが全景が見えませんでした。







▼ご朱印です。本尊如意輪さんを書いて欲しかったんですが、預けて行ったボクが悪かったと云うことで



椿のお寺 オ シ マ イ




ここで椿一口知識を一つ。
落ち椿は上を向いて落ちているのが大半ですが、実は椿はそんな落ち方をしません。全部うつ伏せに落ちます。
ではなぜ上を向いて落ちているのでしょう。
こたえ 僧侶の方が一つ一つ上に向けて置き直しているそうです。
「ここだけの話やで」と、ボランティヤのおじさんが教えてくれました。本当かウソか知りませんヨ。


それでは雨の中をトボトボとお隣、安楽寺を訪ねます。





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