goo blog サービス終了のお知らせ 

土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

真如堂、本名真正極楽寺、世に極楽寺は多けれど、こここそが正真正銘極楽の寺。

2017年12月22日 | 京都の古寺巡り





(2017.12.16訪問)  


真正極楽寺、通称真如堂へ向かいます。永観堂からそのまま鹿ヶ谷通りを越え西へ真っ直ぐ、白川通に出て北上、そのまま北へ真
っ直ぐ行きゃいいのにわざわざ丸太町へ左折、岡崎別院を越え金戒光明寺の西側をクルーッと周ってやっとの事で真如堂到着。京
都の地図を知ってるつもりが、実は中途半端な思い込み、結局知らないのと同じというお粗末、スマホナビを始めから使えばよか
った、は後の祭りでした。




▼参道。







            [ 真如堂 ]
            ●山号 鈴聲山 (れいしょうざん)
            ●寺号 真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)通称 真如堂 (しんにょどう)
            ●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
            ●開山 戒算上人 (かいさんしょうにん)
            ●開創 永観二年 (984年)
            ●本尊 阿弥陀如来立像 (重文)         
            ▲拝観 500円 朱印300円  
            ▲時間 9:00~16:00 
            ▲京都市左京区浄土寺真如町82 電話075-771-0915
            ▲http://shin-nyo-do.jp/ 
            ▲JR京都駅から市バス5系統、100系統で「真如堂前」下車、徒歩8分。
             京阪電車「三条駅」から市バス5系統で「真如堂前」下車、徒歩8分。
             阪急電車「四条河原町駅」から京都市バス5系統、17系統で「真如堂前」下車、徒歩8分。





            ▼なんと凄い貫禄の寺石標。







真如堂縁起  (真如堂HPから抄出)
永観二年の春、開祖戒算上人の夢枕に、阿弥陀仏の化身である老僧が現れました。老僧は、「我は叡山の常行堂より参った。京に
出てすべての者に利益を施すであろう。わけても女人を済度するものである。急いで京に下山させるべし」と、戒算上人に告げま
した。比叡山の僧衆が協議した結果、慈覚大師作の常行堂の阿弥陀如来を下山していただくことを決定。ひとまず、雲母坂の地蔵
堂に仮安置し、どこに遷座していただくかと協議していたら、また夢の老僧が現れて、「神楽岡のあたりに、小さな桧千本が一晩
のうちに生えた場所がある。そここそ仏法有縁の地であり、衆生済度の場である。まさしく末法の世に、真正極楽の霊地なるぞ」
とお告げになりました。その場所は、折しも同じ夢をご覧になった東三條女院(藤原詮子)の離宮でした。女院は寝殿を飾り、堂荘
厳を施して、ここに如来を遷座しました。これが真如堂の始まりです。





▼表門。真如堂の総門で、見た通り通称赤門とも。
 この門には敷居がありませんネ、なぜでしょう。答えは最後に。







▼その赤門からの境内、正面は本堂です。







▼境内参道。両サイドはモミジ。青もみじと紅葉がトンネルに、どちらも凄い景観と凄い人出だそうですヨ。







▼水口と井戸を備えた手水舎。入母屋造、本瓦葺の六脚舎。ボタンを押すと清水が出ます。







            ▼三重塔。塔高約30m、本瓦葺、宝暦年間 (1751~1763) 建立。







▼初層の組み物。







            ▼三重塔。







▼初層の組み物も斜めから見るとより精巧な感じがします。







            ▼三重塔。







▼縣井観音堂。 (真如堂HPから抄出)
 かつて縣井という井戸が御所ありました。その昔「この井戸の水を汲む者、必ず病が癒えるであろう」と井戸の中から如意輪観
 音のお告げがあり病気を治す不思議な水とされています。その如意輪観音を本尊としてお祀りしています。







▼縣井観音堂の扁額。







▼鎌倉地蔵堂。本尊地蔵菩薩。 (真如堂HPから抄出)
 鎌倉時代、下野国示現寺の玄翁和尚が造像、江戸期にこの地蔵尊を真如堂に遷座しました。鎌倉地蔵の名は、この尊像が当初鎌
 倉に安置されていたことに由来します。







▼鐘楼。切妻造、本瓦葺、江戸元禄年間の建立。







▼本堂。桁裄十五間、梁間十五間、総欅造、単層入母屋、本瓦葺。元禄六年から享保二年(1693~1717年)建立。







▼本堂の前面です。







▼本堂扁額。享保十一年 (1726年) 宝鏡寺宮からの寄贈。







▼本堂内陣。本堂正面の宮殿(徳川綱吉と桂昌院の寄進)の中には、本尊阿弥陀如来、不動明王、千手観音が奉安。







▼本尊阿弥陀如来立像。像高108cm、木造、平安時代。(写真は真如堂HPからお借りしました)
 永観堂の本尊は (みかえり阿弥陀) ですが、こちらの本尊は (うなづき阿弥陀) と呼ばれてるそうです。







▼本堂と書院を繋ぐ渡り廊下。







▼書院仏間。







▼書院東庭の涅槃の庭。 (真如堂HPから抄出)      
 釈迦涅槃図に基づいてこの庭でも、東山三十六峯を借景に向かって左北を頭にしたお釈迦さまが右脇を下にして横たわり、その
 回りを弟子や生類たちが囲んで嘆き悲しんでいる様子が、石によって表現されています。また、白砂はガンジス川を、桧などは
 沙羅の林を表しています。













▼書院南庭の随縁の庭。 (真如堂HPから抄出)
 モダン庭とでも申しましょうか、2010年に重森千青さん作庭。重森千青氏は重森三玲さんのお孫さん。庭に使われている自然石
 は境内にあったもの。寺を造営時地中から出てきたの。黒や茶、白の小石、苔などの仕切りに使われている石は、玉垣や縁石な
 どに使われていたのを再利用したものです。いずれも、重森氏が作庭に当たり、境内を巡って見出し使用されたものです。







▼万霊堂。







▼万霊堂扁額。







▼本堂裏手の敷きモミジ。これだけ綺麗に敷かれているのは、人の手が入っているのかも。







▼金銅阿弥陀如来露仏坐像。







▼石薬師堂。本尊薬師如来石像。







▼向拝前柱に取り付けられているコレ扁額? どう説明したらいいのか判りません。







▼元三大師堂。比叡山延暦寺第十八代座主慈恵大師良源さんの画像を祀っています。  
 桁裄四間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、二間向拝付。元禄九年(1696年) 建立。













▼新長谷寺。







▼本尊名が書かれた新長谷寺扁額。







▼新長谷寺須弥壇。荘厳は極めて質素で中央お厨子に本尊が祀られています。







▼本尊十一面観音立像。







▼放生池中の島に建つ赤崎弁財天。 (真如堂HPから抄出)
 住持昭淳律師は本堂資金が調達勧進のため永正十六年 (1519年) 周防国赤崎弁才天の宝前において祈念した。この赤崎明神とい
 うのは、芸州厳島明神が最初に影向されたところである。続いて厳島社に詣でて十七日間の参籠結願をし帰洛。まだ費用は不足
 していたので、京の近隣の貴賤に勧進をし、僧衆48人で別時念仏執行。無事に結願供養執行の運びとなったお礼に真如堂に分詞
 した。







▼ご朱印です。







以前訪ねた時はボランティアのオジさんの流暢なガイドに感心したんですが、今日はお目にかかれませんでした。もっとも、今日
は参拝の方々もいませんでしたの出る幕がなかったようです。
真如堂これにて オ シ マ イ

表門には敷居がありませんネ、なぜでしょうの答。
神楽岡 (真如堂の西にある吉田山のところ) の神々が毎夜真如堂に参詣する際につまずかないようするため。






  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

永観堂、やっぱりここは「みかえり阿弥陀さん」

2017年12月19日 | 京都の古寺巡り





(2017.12.16訪問)  


きのうのBS朝日五木さんの「百寺巡礼」で九州の禅刹梅林寺、山形の山寺立石寺、播磨の鶴林寺、そして京の永観堂をやってました。
九州と山形、これはちと遠すぎるし、播磨は中途半端、京都永観堂なら我が家から一時間圏内、よし決めた今日は永観堂へ行こう。
世の人々が褒めそやす「紅葉の永観堂」も華やかな赤の世界からいよいよ初冬の静寂へ、そう期待しつつ、迷車大和路号、ではなくて
今日は京阪電車に乗ってます。 注 : BS「百寺巡礼」は再放送です。





▼総門。鹿ヶ谷通りに面して門を開けています。一間一戸、切妻造、本瓦葺、四脚門、高麗門形式、江戸末建立。







            [ 永観堂禅林寺 ]
            ●山号 聖衆来迎山 (しょうじゅらいごうさん)
            ●院号 無量寿院 (むりょうじゅいん)
            ●寺号 禅林寺(ぜんりんじ)通称 永観堂 (えいかんどう)
            ●宗派 浄土宗西山禅林寺派 (じょうどしゅうせいざんぜんりんじは)
            ●宗祖 法然上人 (ほうねんしょうにん)
            ●派祖 真紹僧都(しんじょうそうず)
            ●開創 貞観五年 (863年)
            ●本尊 阿弥陀如来立像 (みかえり阿弥陀)          
            ▲拝観 600円 朱印300円  
            ▲時間 9:00~17:00 
            ▲京都市左京区永観堂町48 電話 075-761-0007 
            ▲ JR京都駅から市バス5系統で「南禅寺永観堂道」下車、徒歩3分。
             JR京都駅から市バス100系統で「東天王町」下車、徒歩8分。
             地下鉄烏丸線「京都」から「烏丸御池」にて地下鉄東西線六地蔵方面行き乗り換え「蹴上」下車、徒歩15分。
             京阪電車「三条」から市バス5系統で「南禅寺永観堂道」下車、徒歩3分。
             京阪電車「神宮丸太町」から市バス204、93系統「東天王町」下車、徒歩8分。





            ▼総門前右に、貫禄の寺号石標。







永観堂縁起 (永観堂HPから抄出)
平安時代初期に禅林寺を創建された弘法大師の弟子真紹僧都は真言宗の僧侶であったため、禅林寺は真言密教の道場として始まりま
す。創建にあたって、真紹僧都は「禅林寺清規に仏法は人によって生かされる、我が建てる寺は、人々の鏡となり、薬となる人づく
りの修練道場であらしめたい。」と照り映えるモミジ葉の輝きにも負けぬ、智徳ともにすぐれた人材養成を理想の旗印に掲げられた
ので、風光の美しさとともに、伝統的に各時代の指導的人材の輩出を数多く見ることとなりました。永観堂の歴史は大きく三つの時
代に分けられます。最初は真紹僧都から永観律師が住職になるまでの約220年間で、真言密教の寺院としての時代です。次は永観律
師から静遍僧都(じょうへんそうず)までの約140年間。この時代は、真言密教と奈良で盛んだった三論宗系の浄土教寺院でした。そ
の後は浄土宗の寺院となりました。





            ▼総門前左に、本尊名を刻したこれまた貫禄の石標。







▼アプローチ参道。石畳参道の左右は白壁塀、はみ出すモミジ。







▼溢れんばかりのモミジ。これで紅葉盛りだったらなァなんて事は云わないでおきましょう。







▼中門。この門が入山受付。一間一戸、切妻造、本瓦葺、四脚門、薬医門形式、延享元年 (1744年) 建立。







▼中門を入ると正面庫裏事務所。







▼左側に浴室があります。







▼そんなに広くない浴室なんですが、湯桶が沢山置いてます。







▼大玄関。さすが紅葉の永観堂、最後の彩りで迎えてくれました。







▼方丈の堂形が撮れません、扁額で代用。







▼方丈前庭。







▼唐門 (勅使門)。皇室勅使専用御成門。一間一戸、四脚門、入母屋造、檜皮葺、文政十三年 (1830年) 再建。







▼方丈前庭から見た唐門 (勅使門)。
 前の盛り砂は勅使の清めの砂、勅使はこれを踏んでからお堂に入るそうです。







▼御影堂。入母屋造、本瓦葺き、総欅造り、大正元年(1912年)建造。宗祖法然上人をお祀りしています。







▼須弥壇お厨子に宗祖法然さんがお祀りされています。







▼変化に富んだ渡り廊下。







▼臥龍廊。斜面に沿って作られた渡り廊下、その名の通り龍がうねっているような感じ。







▼阿弥陀堂参道。ではでは永観堂のスターみかえり阿弥陀さんに会いに行きましょうか。     







▼阿弥陀堂。禅林寺の本堂です。桁裄七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺き、三間向拝付、慶長二年 (1597年) 建立。







▼この方が噂の本尊阿弥陀如来立像 (重文)。どなたも知ってる「永観、遅し」あの阿弥陀さんです。像高77cm、鎌倉時代。







▼阿弥陀堂向拝軒の装飾。                  













▼鐘楼。宝永四年(1707年)建立。







            ▼こんな観音さんもお立ちです。







            ▼こんな滝があったとは、今日初めて知りました。







▼結構な水量です。







▼滝の流れの横に歌碑がまとめて。







▼放生池。向こうに見える石橋は極楽橋。







▼小島で休憩の鴨と思うんですが。







            ▼放生池から見上げる多宝塔。昭和三年(1928年) 建立。







▼東山三十六峰の若王子山から南禅寺山が後景の禅林寺境内。







▼ご朱印です。







初冬の静寂といえども、そこは人気寺院永観堂、錦秋の喧噪こそありませんが訪れる人は三々五々途絶えることはありません。
やはり永観堂のスターみかえり阿弥陀さんと、衆生の心を癒す浄土思想が絶妙のコンビネーションで人々に訴えかけているからかも
しれませんネ。

永観堂禅林寺これにて オ シ マ イ





  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

瑞光寺、閑かな境内に貫禄の茅葺き本堂。

2017年10月19日 | 京都の古寺巡り





(2017.10.14訪問)


これから訪ねる瑞光寺は山門と本堂が茅葺き屋根という、街中寺院では珍しいお寺です。寳塔寺からほんの70~80m、スグそこに
見える距離に瑞光寺はあります。例により歩いている人が見当たりませんし、山門前も閑かなものです。





▼これが噂の茅葺き山門。ぼつぼつ葺き替えが近いのかな。

 





[ 瑞光寺 ]
●山号 深草山 (じんそうざん)
●寺号 瑞光寺 (ずいこうじ) 正称元政庵瑞光寺
●宗派 日蓮宗見延山久遠寺派 (にちれんしゅう)
●開創 明暦元年 (1655年)
●開山 元政上人 (げんせいしょうにん)
●本尊 釈迦如来坐像
▲拝観 境内自由 朱印300円
▲http://zuikouji.jiin.com/
▲京都市伏見区深草坊町4 Tel.075-641-1704
▲京阪電車「深草駅」下車 東へ徒歩約10分
 JR奈良線「稲荷駅」下車 東南へ徒歩約15分
 名神高速道路「京都南IC」約20分
 阪神高速京都線「上鳥羽」出口から約15分





▼寺号が書かれている山門扁額。







瑞光寺縁起 (瑞光寺HPから抄出)
瑞光寺は開祖元政上人開祖の「元政庵瑞光寺」といい、別称「竹葉庵」とも称します。
明暦元年 (1655年) 元政上人は、洛南深草の
里旧極楽寺に草庵を結び、庵の名を章安大師の故事にちなんで、称心庵と名付けられました。これが瑞光寺の始まりです。





▼鐘楼。







▼秋の匂いがそこはかとなく……、
 左に曲がると短いですが参道で、植栽をはじめ境内は素晴らしく整っています。







▼ここまで来ました錦秋の彩り。







▼これが噂の本堂。ドッシリした茅葺き本堂、どうですこの貫禄。寛文元年(1661年)建立。







▼寂音堂と書かれている本堂扁額。







▼本堂内陣須弥壇。中央上段に本尊釈迦如来坐像がお坐りです。







            ▼本尊釈迦如来坐像。体内に五臓六腑を添えたお釈迦さんです。







▼茅葺き屋根の稜線がやや丸みをおびていますね。どこかホッコリしませんか、田舎の我が家みたいに。







▼境内。







▼金運の白龍銭洗弁財天。霊験あらたかな不思議な開運の神様だそうです。







▼銭洗池。「お金」を龍神神体より流れ出るお水で洗い大事にお持ちください。ご縁日の「辰の日」「巳の日」にお参りして「お金」
 を新しい「お金」と入れ替えて下さい。財運・金銭運の幸運が授かります。瑞光寺最大のPRでした。







▼いやらし~い雨がパラパラ降りだしました。境内は心なしか沈み込んでるようです。







▼ご朱印です。







極々小さいお寺です。日蓮宗のお寺というと開祖日蓮さんの像が境内を睥睨したり、七字名号の額が目につきますが、そういったも
のはなく、あくまでも街寺、武士出身の元政さんのお寺と云う感じ。しかし境内の中でひときわ茅葺き本堂の存在感が突出、入堂は
出来ませんでしたが、格子戸から覗くと荘厳質素な内陣に本尊釈迦如来が静かに坐り、堂内の主役としてやはりその存在感は並では
ありませんでした。

瑞光寺 オ シ マ イ





  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

寳塔寺、西の身延と呼ばれる日蓮宗寺院です。

2017年10月16日 | 京都の古寺巡り





(2017.10.14訪問)


京阪電車深草駅で降り疎水を渡り山手に在る寳塔寺を目指して深草の町を歩いています。降るのか降らないのかハッキリせいと云い
たくなる今日の京の天気。だからなのか深草の町は歩いている人がいません。時折学生の固まりに会う程度です。この界隈は結構お
寺の多い町で、著名なお寺も甍を並べています。東山三十六峰一番南の稲荷山の裾にこれから訪ねる寳塔寺はあります。





▼総門(重文)。切り妻造、本瓦葺、四脚門、室町時代建立。後ろに稲荷山が控えているせいかはや参道石段が見えています。

 





            [ 寳塔寺 ]
            ●山号 深草山 (じんそうざん)
            ●寺号 寳塔寺 (ほうとうじ)
            ●宗派 日蓮宗 (にちれんしゅう)
            ●開創 徳治二年 (1307年)
            ●開基 藤原基経 (ふじわらもとつね)
            ●開山 日像上人 (にちぞうしょうにん)
            ●本尊 久遠実成釈迦牟尼仏
            ▲拝観 境内自由 朱印300円
            ▲京都市伏見区深草宝塔寺山町32 Tel.075-641-1859
            ▲京阪電車「深草駅」下車 東へ徒歩約10分
             JR奈良線「稲荷駅」下車 東南へ徒歩約15分
             名神高速道路「京都南IC」約20分
             阪神高速京都線「上鳥羽」出口から約15分





            ▼日像上人廟所を示す寺号石標。







寳塔寺縁起 (寳塔寺パンフから抄出)
九世紀末、時の関白藤原基経発願で創建された極楽寺を前身とする。極楽寺の住職良桂律師が日蓮宗開祖日蓮聖人の孫弟子、日像上
人との法論に破れ、その門下に入り、極楽寺を日蓮宗に改宗し日像上人を新たな開山として迎えた。日像上人は勅願寺妙顕寺で入滅、
遺言により極楽寺にて荼毘し廟所に定め寺号を鶴林院とし、上人真筆のお題目を刻んだ宝塔を墓標にし寳塔寺と改称し今日に至って
いる。





▼参道両側には塔頭寺院が並び石畳の参道がまっすぐ、仁王門まで伸びています。







            ▼日像上人荼毘処。刻された題目が日像上人真筆と伝えます。







▼こんな石段です、ヘッチャラで行けます。仁王門が見えてきましたヨ。







▼仁王門。三間一戸の重層楼門、切り妻造、本瓦葺。貫禄の仁王門です。江戸宝永八年(1711年)再建。    













▼山号が書かれた仁王門扁額。







            ▼阿形仁王さん。       













            ▼吽形仁王さん。       













▼大提灯が吊るされています。







▼平成十二年(2000年)天井画が復元され、250枚の牡丹の花が描かれています。
 天井の位置により相当汚れが目立つ絵があり、気になります。







▼仁王門から境内、正面は本堂です。







            ▼赤ちゃん抱っこの慈母観音がお立ちです。







▼袴腰の立派な鐘楼です。高欄付、入母屋造、本瓦葺。







▼本堂(重文)。桁行七間、梁間七間、入母屋造、本瓦葺き、三間向拝付。慶長十三年(1608年)再建。
 本尊釈迦如来像、十界曼荼羅のほか、日蓮と日像の像を安置。        













▼本堂前五面は格子、両端が出入り口になっています。







▼本堂扁額。蓮花の上に七字名号が書かれた豪華扁額。







▼本堂外縁。







▼本堂斜景。







▼多宝塔(重文)。上層円形の締まりがキュッとした、端麗な多宝塔ですヨ。
 塔高11.4m、方三間、本瓦葺、塔では珍しい行基葺です。室町期建立。     













            ▼多宝塔相輪。







▼多宝塔。







            ▼本堂横に建つ五重石塔。







▼長廊下兼鼓楼兼七面宮への山門。







▼鼓楼。







さて七面山石段登山を開始!

▼どこまで続くかこの参道。一段が低いのでまあいいか。







▼途中三十番神の鳥居とお社。どんな神様か不祥。







▼左には鬼子母神千仏堂。鬼子母神をお祀りか。







▼第一ステップ、参道石段横にチョットした広場があります。







            ▼宗祖日蓮さん銅像。







▼開山日像上人廟所はここです。







▼参道に戻って一路七面山へ。







▼参道両サイドに狛獅子が飛びかかるように迎えてくれてます。               













▼最後の踏ん張り、やっとテッペンが見えます。







▼七面宮に着きました。日蓮宗の守護神七面大明神を祀るお堂です               
 七面大明神は、七面天女とも呼ばれ法華経を守護するとされる女神。七面天女は当初、日蓮宗総本山である見延山久遠寺の守護神
 として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになったそうです。













▼こんな神馬もいます。







▼こんなお稲荷さんも祀られています。







七面山オシマイ、それでは来た参道引き返して、本坊で御朱印を頂きましょう。

▼本坊山門。







▼例により七字名号が書かれた達者なご朱印です。







このお寺寳塔寺は深草の街中にあるにもかかわらず参拝者ボクを入れて三名。観光寺院ではないと云うことで訪れる人も少ないので
しょう。当然のことながら本堂や山頂の七面宮には入堂で来ませんが、静かな境内はお寺好きにはたまりません。本堂縁に坐り相当
ご年配のご婦人とその息子と思われる初老の男性が何やら愉しそうに会話されてたのが印象的でした。
寳塔寺 オ シ マ イ

このお寺から少し行ったところ、あの茅葺本堂があるお寺、今日の第二弾です。





  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

興正寺、お隣本願寺とは真宗兄弟のようです。

2017年09月01日 | 京都の古寺巡り





(2017.08.26訪問)


暑い暑いと云いつつ次は本願寺のお隣興正寺を訪ねます。親鸞さんを共に仰ぐ両寺はまるで兄弟寺院、北小路通りを挟んで堀川通を
隣同士で甍を並べる景観は、まるで一つのお寺のように感じます。いい関係なんでしょうネ。境内の広さや伽藍の数は本願寺に劣り
ますが、中心伽藍の御影堂や阿弥陀堂は決して見劣りはしません。内陣の荘厳などコレでもかと云うほど豪華絢爛、キンピカの極楽
浄土を見せてくれます。オー山門は楼門ですよ、凄い貫禄です。
それにしても暑い!





▼三門。三間三戸の重層楼門、堂々の景観です。お寺ではあえて「三門」と云ってるようです。







            [ 興正寺 ]
            ●山号 圓頓山 (えんとんざん)
            ●院号 華園院(けおんいん)
            ●寺号 興正寺 (こうしょうじ)
            ●宗派 浄土真宗興正派(じょうどしんしゅうこうしょうは) 本山
            ●宗祖 伝 親鸞上人(しんらんしょうにん)
            ●開創 建暦二年(1212年) 異説あり
            ●本尊 阿弥陀如来立像
            ▲拝観 境内自由 
            ▲時間 6:00~17:00  
            ▲京都市下京区堀川通七条上ル花園町70 電話 075-371-0075
            ▲http://www.koshoji.or.jp/
            ▲JR京都駅から市バス9番、28番、75番で「七条堀河」「西本願寺前」下車スグ
             JR京都駅から徒歩10分〜15分 





            ▼三門前に建つ寺号石標。







興正寺縁起 (興正寺 HPより抄出)
興正寺の寺号は、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ「正しい法を興しさかえさす」との意味が込められています。
創建
は鎌倉時代山科に建立、創建後数年を経て山科から東山渋谷へと移転、その時ご本尊が光を放ったことから、後醍醐天皇より佛光寺
の寺号を賜り名を改めます。室町時代、蓮教上人は本願寺の蓮如上人と歩みを共にし、佛光寺を弟に譲り、再び山科の地に多くの門
徒と共に興正寺を興しました。その後は本願寺と歩調を合わせ、度重なる移転にも常に行動を同じくしています。桃山時代、現在の
地へ移転し、堂舎が隣接して建てられているのも本願寺との深い関係を示しています。多くの変遷を経ながらも「正しい法を興す」
という願いのもと興正寺の歩みは続けられています。





▼三門。この三門を見る限り相当大きなお寺を想像しますネ。







▼鐘楼。安永三年(1774年)建立。







▼手水舎。







▼御影堂。本尊宗祖親鸞聖人真影。お西さんと同じく「ごえいどう」と読みます。
 東西33m、南北41m、高さ28m。入母屋造、本瓦葺、三間向拝付、明治四十五年 (1912年) 再建。







▼御影堂外陣から内陣、内陣の中央に宗祖親鸞さんが祀られています。







▼内陣須弥壇。







▼内陣欄間に「見真」の扁額。見真は親鸞さんの大師号です。







▼お厨子の親鸞さん。親鸞聖人四十歳の真影と伝わるそうです。
 いつも思うんですが、殆どのお寺の本尊や宗祖のお顔、ハッキリ見えないように幕や房などを前に垂らしているんでしょうかネ。







▼屋根付き渡り廊下で結ばれる左御影堂、右阿弥陀堂。







▼阿弥陀堂。本尊阿弥陀如来立像。興正寺の本堂。
 重層屋根に見えますが一層目は裳階、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付、大正四年 (1912年) 再建。







▼阿弥陀堂前面。







▼阿弥陀堂外陣。







▼外陣と内陣とは柵で仕切られ内陣には進入禁止。







▼内陣欄間七間の空間には阿弥陀浄土を天衣優雅になびかせ戯れ遊ぶ天女の姿が彫られています。







▼小鼓をたたく天女。







▼横笛を吹く天女。







▼須弥壇中央に本尊が祀られています。







▼本尊阿弥陀如来立像。こちら幕と瓔珞でお顔が見えません。

       





▼阿弥陀堂。







▼経蔵。嘉永元年(1848年)建立。基壇の上には御影石の欄干が付けられ豪華でユニークな堂形です。



という所で唐突に興正寺オシマイ
興正寺はスケール的には本願寺には及ばず、伽藍も御影堂と阿弥陀堂のみ。と云ってもれっきとした浄土真宗興正派本山、小さくと
も寺格は同じです。





  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ