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土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

大覚寺、橘嘉智子ってどんな人?

2018年11月15日 | 京都の古寺巡り





(2018.11.10訪問)


直指庵から真南約5~600mにある嵯峨天皇勅願のお寺大覚寺を訪ねます。嵯峨天皇と云えば絶世の美女の誉れ高い檀林皇后橘嘉智子
の名が先ず思い浮かびます。絶世の美女って誰か見たことがあるのか嘉智子はん、ホントどれほどのベッピンだったのでしょうネ。
ベッピンはさておいて、今大覚寺では、勅封心経殿で嵯峨天皇をはじめ、6天皇の「勅封般若心経」が特別公開されています。これは
必見と云うことで大覚寺を訪ねたのであります。決してベッピンが目的ではないんですヨ。





            ▼旧嵯峨御所の格式は何事にも代え難い格調の石柱。







            [ 大覚寺 ]
            ●山号 嵯峨山 (さがざん)
            ●寺号 大覚寺 (だいかくじ) 正式名称 旧嵯峨御所大覚寺門跡
            ●宗派 真言宗大覚寺派大本山 (しんごんしゅうだいかくじは)
            ●勅願 嵯峨天皇 (さがてんのう)
            ●開山 恒寂法親王 (ごうじゃくほっしんのう)
            ●開創 貞観十八年 (876年)
            ●本尊 五大明王 (重文)
            ▲京都市右京区嵯峨大沢町4番地 TEL.075-871-0071
            ▲拝観料 500円 御朱印300円
            ▲拝観時間 9:00~17:00 
            ▲JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩約15分
             京福電鉄嵐山線「嵐山駅」下車 徒歩約20分 
             市バス「大覚寺」下車 徒歩スグ





▼参道を左に行けば玄関門。







大覚寺縁起 (大覚寺HPから抄出)
平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたのが、大覚寺の前身離宮嵯峨院である。嵯峨院が大覚寺と
なったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観十八年 (876年) のこと。弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄
書された般若心経が勅封(六十年に一度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。明治時代初頭まで、代
々天皇もしくは皇統の方が門跡を務めた格式高い門跡寺院である。





▼玄関門。三間一戸、切妻造、本瓦葺。







            ▼門跡寺院木札の墨跡。







▼式台玄関。こちらからは入れません。参道脇には今盛りと嵯峨菊の鉢。







▼嵯峨菊、黄色がまた周囲によく映えているんです。







▼宸殿 (重文)。桁裄九間、入母屋造、檜皮葺、寝殿造。
 江戸期、後水尾天皇より下賜された寝殿造の建物。入内した将軍秀忠の娘、東福門院和子が寝殿として使用していた。







▼宸殿前庭の右近の橘。左近の桜は今見る影もないですが、この橘は元気で実がたわわ。







▼宸殿襖絵は狩野山楽の作。        



















▼御影堂。桁裄七間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。大正十四年 (1925年) 建立。
 大正天皇即位に際し建てられた饗宴殿を式後賜り移築したもの。心経殿の前殿であり、内陣正面は心経殿を拝するため開けてあり
 内陣左右に嵯峨天皇、弘法大師、後宇多法皇、恒寂入道親王など大覚寺の歴史に大きな役割を果たされた方々の尊像を安置。







▼御影堂から前庭奥の勅使門遠望。







▼勅使門。四脚門、切妻造、銅板葺。嘉永年間 (1848~54年) 再建。
 屋根梁、正面および背面に軒唐破風を付け、全体は素木造りだが唐破風の部分のみ漆塗で金鍍金の飾り装飾を施している。







▼唯一の紅葉。







▼嵯峨菊、云いようのない姿形。







▼村雨の廊下、諸堂を結ぶ廻廊をそう呼んでます。







▼安井堂内陣、後水尾天皇僧形を奉安。
 京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を明治四年 (1871年) 移築されたもの。







▼後水尾天皇僧形像。







▼内陣の格天井に描かれた花鳥図。







▼勅封心経殿。大正14年、法隆寺の夢殿を模して再建。      
 殿内には嵯峨天皇をはじめ、後光厳、後花園、後奈良、正親町、光格天皇の勅封心経を奉安し、薬師如来像が奉伺されている。
 特別公開「嵯峨天皇宸翰勅封般若心経」が公開されています。平成30年10月1日(月)~11月30日(金)詳細は大覚寺HPをご覧くだ
 さい。













▼嵯峨菊。







▼ひっそりと聖天堂。方三間の宝形造。







▼心経宝塔 (多宝塔)。昭和四十二年 (1967年) 建立。大沢池のほとりに佇み、嵯峨野の四季の風景にとけあった朱塗りの端正な
 姿が美しい多宝塔です。嵯峨天皇心経写経千百五十年を記念して建立。基壇内部に「如意宝珠」を納めた小塔を安置、内部には
 弘法大師像を奉安。   































            ▼心経宝塔の相輪。







▼近くに石仏が並んでいます。







名勝大沢池を巡ってみましょうか。
周囲約1kmの日本最古の人工の林泉。嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営時、唐の洞庭湖を模して造られたところから庭湖とも呼ばれて
います。





            ▼池の汀に立つ石柱。







▼少し寂し気な池景。







▼静かな池面に付かず離れず。







▼いつの間にやら桟橋へ、何やらヒソヒソ……。

 





▼冬真近と云う寂しい感じでオシマイなんですが……、







▼せめてピンクの嵯峨菊で気分ホッコリ、大覚寺と大沢池オシマイです。







特別フロク
▼嘉智子はん、こんなベッピン。(写真はネットからもらってきました)






宮廷文化絢爛期を導いた嵯峨天皇は橘嘉智子を皇后に迎え、男として誇らしげで華麗な一生をおくった天皇としてその名がよく出て
きますネ。大覚寺は天皇自らが寺として建立したものではなく、続く皇女、皇孫がその遺志を継いで年を経て離宮から寺へと変貌し
ていったものと云います。門跡寺院としての格調は半端じゃないと聞きますが、寺院の格って? 天皇が創建したから? 天皇や皇
族が門跡を勤めたから?

直指庵、尼寺ではないんですよ。

2018年11月13日 | 京都の古寺巡り





(2018.11.10訪問)


赤やオレンジに彩られる綾錦に魅せられる候にはチト早い今日、京都奥嵯峨の直指庵を訪ねるために早々に我が家を出ました。チト
早いとは云え十一月、世間のクルマが京都、奈良へ集中するであろうことを予測し久々早めに大和路号は我が家を出発したと思って
ください。有ろう事か大和路号のアホナビは、なななんと嵐山経由のコースを指示するではありませんか。高速降りて京北端へは市
街を北へ走るのは止むを得ませんが、選りに選って西向いて一番混雑する嵐山を通るなんて論外のアホナビめ、距離優先のため止む
を得ず従いました。案の定嵐山銀座はクルマも人もイッパイ、ノロノロノロとあとはなるようになれでした。
しかしよくよく考えて見ると、直指庵は嵐山の北スグなんですよネ。





            ▼自然石に彫り込まれた寺号じゃなかった庵号。直指庵は寺号がありません。







            [ 直指庵 ]
            ●山号 祥鳳山 (しょうほうざん)
            ●寺号 直指庵 (じきしあん)
            ●開山 独照性円 (どくしょうしょうえん)
            ●開創 正保3年 (1646年)
            ●宗派 浄土宗
            ●本尊 阿弥陀如来
            ▲拝観料 500円 朱印300円
            ▲時間 9:00~16:00 (11月~12月上旬は16:30まで)
            ▲京都市右京区北嵯峨北ノ段町3 Tel.075-871-1880
            ▲JR「京都駅」から市バス28系統「大覚寺」徒歩15分
             JR「嵯峨嵐山駅」徒歩約30分





▼山門。門前は小砂利が敷き詰められいい雰囲気です。







直指庵縁起 (直指庵パンフレットから抄出)
臨済禅を学んだ独照性円が南禅寺栖雲庵から正保3年 (1646年) 嵯峨細谷に草案を結んだのが始まり。その時の庵の名を没蹤庵とい
うそう。独照は枯れ松の枝が地に落ちるのを見て大悟し、直指人心の旨を守って庵を直指庵と号した。独照性円が明の高僧隠元隆琦
に黄檗禅を学び、隠元を直指庵に招じてからは、伽藍を建立し大寺院になったが、その後荒廃し、幕末に近衛家の老女津崎村岡局が
浄土宗の寺として再興したのが現在の直指庵である。





▼直指庵駒札。上記縁起より詳しく書かれています。







▼ではでは境内へGO ! 早速上りですネ。
 うっすらと赤みが増して、もう少し秋が深まると素晴らしい紅葉を見せてくれそうですネ。







▼参道脇には石蕗が咲いてます。







            ▼3m余りの大きな燈籠。







▼後ろには竹林が控えています。   













▼参道を進むと茅葺きの本堂が見えてきました。







▼本堂。本尊阿弥陀如来。屋根は茅葺、明治32年 (1899年) 再建。
 玄関横には蓑が掛けられ、どこか農家の佇まいが感じられます。







▼直指庵と書かれた扁額。







▼本堂の隣に「珍しい竹の庭」と木札がありますが、ドコが珍しいのかよく判らないお庭でした。







▼本堂前に縁結びの愛逢い地蔵のお二人。顔の下にブラブラするものなあーに?







▼石仏と云えども姿形不詳の七体。







▼参道道すがら「待合」と云う小さな門風の建物、気になる名前です。







▼直指庵を再興した村岡矩子さんの墓所。







▼村岡矩子さんとはこんな方。







▼徴老和尚の塔。







▼境内の右手奥に「思い出草観音像」がお立ちです。
 直指庵には、この地を訪ねた人が、様々な思いの丈を綴る「思い出草ノート」が置かれています。綴られた苦しみ悲しみの一切を
 救ってくれる観音さんです。







▼釈迦涅槃のレリーフ。           













▼開山堂。







            ▼開山独照和尚の墓、大円塔。







            ▼ちょっとコワーイですが独照和尚の木像が祀られています。



            (和尚写真はネットからもらってきました)





▼開山堂の前に開山独照和尚自らが「出でて吾が塔を護る」と序した「亀石」があります。







▼境内。







▼石畳の道。







▼でっかい茅葺きの修練道場。玄関は締め切りでした。     













▼ドウダンツツジの真っ赤に見送られて直指庵 オ シ マ イ 







特に理由はないんですが、ボクはこのお寺ズーと尼寺と思っていました。
直指庵を訪ねる前にHP拝読すると、お寺として外部媒体の直指庵論に相当ご不満があり、HP1ページを割いてそのTOPに「直指庵は
尼寺ではありません」とキャッチコピーを入れ、訂正や反論を滔々と述べています。よほど腹に据えかねたものと思われます。
やはりボクたちもお寺ガイドや雑誌特集などをそのまま鵜呑みにして、そのお寺を理解していたきらいがあります。
情報の取捨必要ですネ。

次の訪問はここから南に少し下った、あの大寺院です。

阿弥陀寺、ここも大原なんですが……。

2018年11月05日 | 京都の古寺巡り





(2018.11.03訪問)


大原の里も今日訪ねた古知谷まで来ると先ず人の気配はありません。三千院などがある所からクルマで10分ほどの距離に関わらず参
拝者はボク一人でした。まだ紅葉には幾分早いとはいえ、大原の喧噪はここにはありません。深山幽谷の感が味わえる山道を登って
行くとやがて阿弥陀寺の石垣が見えてきます。色とりどりの可愛い大文字草が迎えてくれ、一刻の安息感に気分はホッコリ、ホッで
した。





▼参道入り口に山号を刻した自然石がドンと置かれています。







[ 阿弥陀寺 ]
●山号 光明山(こうみょうさん)
●院号 法国院(ほうこくいん)
●寺号 古知谷阿弥陀寺(こちだにあみだじ)
●開山 木食上人弾誓(たんぜい)
●開創 慶長14年(1609年)
●宗派 浄土宗
●本尊 弾誓仏(弾誓上人自ら彫った像で自身の頭髪を植えた仏像)
▲拝観料 400円 朱印300円
▲時間 9:00~16:30
▲京都市左京区大原古知平町83 Tel.075-744-2048
▲京都市営地下鉄国際会館駅→京都バス大原小出石行きで30分、バス停古知谷下車、徒歩15分
 名神高速京都東ICから50分





▼掘割りの中を行くような参道。







阿弥陀寺縁起 (阿弥陀寺パンフレットから抄出)
尾張出身の弾誓上人が開基した如法念仏道場が始まりで、上人は霊木から像を刻み、自身の頭髪を植え、本尊として堂に安置し寺名
を阿弥陀寺と名付けました。





▼重層の竜宮門、山門です。      







            ▼弾誓上人の刻した本尊を誇っているようですネ。







▼山号を記した勇壮な筆蹟。







▼では境内へ。







▼例により石段前に「臭いものを喰って入るな」







▼実相の滝は二段滝のはずですよネ、けどこの滝しか見えなかった、不思議?







▼一転空が開けた、石垣が見えます、境内に着いたようです。







▼懸け造りのお堂が、こういう見方をするとヒヤヒヤものです。これは瑞雲閣という茶室です。







▼参道を彩る大文字草。
 阿弥陀寺は九輪草が有名なんですが、そのシーズンが終わると大文字草の出番なんです。







▼本坊です。本堂へはここから入ります。







▼大文字草。色も色々可愛い小花です。







▼本堂です。桁行5間、梁行4間、寄せ棟造、浅瓦葺。瑠璃瓦風の艶のあるきれいな瓦が葺かれています。







▼本堂扁額。院号法国院と揮毫されてます。







▼本堂正面。







▼本堂内陣の荘厳。







▼内陣扁額には梵字らしきものが書かれています。







▼内陣須弥壇には立派なお厨子に本尊がお立ちです。       













▼本尊は弾誓上人自ら彫った像で自身の頭髪を植えているそうです。どこか異神の感じがする本尊です。







▼それに引き換え堂々の脇仏阿弥陀如来坐像(重文)。鎌倉時代、明恵上人作と云う説もあるそうです。







▼畳敷きの外陣、一眠りしたいくらいの日差しいい案配。







▼かってはエライ僧の上り下りに使っていたのかな。







▼本堂前のお庭。







▼大文字草。境内の所々に可愛い表情を見せています。







▼石仏五智如来。







▼鐘楼。







▼大文字草。                          













            ▼孤高のお地蔵さん。角柱に半浮き彫りのお像です。







▼文字通り大の字に見えますネ。







▼弾誓上人石廟。奥に石窟が掘られ……、

  





▼この石龕に弾誓上人は眠っています。
 弾誓上人六十三歳のとき、修行中の僧たちに彫らせたこの石窟石龕に今も上人は端坐合掌の相でミイラ佛として安置されているそ
 うです。奥行き2m位の窟です。暗いです。ヒンヤリしています。水滴が滴っています。正直コワイです。







▼弾誓佛と書かれたご朱印を頂いて古知谷阿弥陀寺オイトマです。







▼フロク。






広くはない境内に本堂一つの古刹ですが、お寺のエッセンスがギッシリ詰まった素晴らしいお寺です。いま盛りと咲く大文字草のあ
まりの可愛さに本尊のお顔の印象がおぼろになってしまいました。お寺とお花、可憐な花々に癒されながら巡る境内は見方によれば
また違った発見があるかも知れないですネ。


十念寺、異色の本堂が異彩を放っています。

2018年10月22日 | 京都の古寺巡り





(2018.10.21訪問)


今日は出町柳にクルマを置いて、久々に寺町通を歩こうと例によりフラフラと足取り重く寺町通を北へ、右側に甍を並べるお寺を一軒
一軒、ドコを訪ねようかナと山門から中を覗きながら物色 (怪しいおっさんと自分でも感じます) しつつ歩いていたと思ってください。
とある山門から中を覗くと、なんとなんとギリシャ風の建物が見えるじゃありませんか。当然ながら訪ねたお寺が十念寺でありました。





▼十念寺は寺町通に山門を構えています。左脇戸から入ります。







            [ 十念寺 ]
            ●山号 華宮山 (かきゅうざん)
            ●院号 宝樹院 (ほうじゅいん)
            ●寺号 十念寺 (じゅうねんじ)
            ●開基 足利義教 (あしかがよしのり)
            ●開山 真阿上人 (しんなしょうにん)
            ●開創 永享三年 (1431年)
            ●宗派 西山浄土宗
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ▲拝観料 無料
            ▲京都市上京区寺町通今出川上る鶴山町13 Tel. 075-231-6478
            ▲京阪出町柳駅から徒歩約12分
 
             叡山出町柳駅から徒歩約12分
 
             地下鉄今出川駅から徒歩約13分





            ▼フルネーム石柱。







▼駒札。







▼鐘楼。

         





▼山門を潜ると、正面にモダーンテンプルを絵に描いたような……、







▼本堂が。パッと見にはとてもお寺の本堂とは思えません、ですが本堂なんです。
 本堂は平成五年 (1993年) 大阪一心寺住職、今は長老の高口恭行さん設計、異色の本堂と呼ばれているそうです。







▼扁額周辺は龍が彫られ彩色ゆたか、中央は金箔が敷かれ寺号が書かれている手の込んだ扁額です。
 建物の直線表現にはそぐわない扁額と感じるのはボクだけか。







▼ガラス越しの薄暗い堂内がここまで映るんです。腕よりカメラだよと寺友が云ってました。
 上部半円の中に本尊阿弥陀さんが祀られています。







▼本尊阿弥陀如来坐像。空海作とも、恵心僧都作ともいう説があるそうで平安時代作。
 (本尊写真はネットから、しかしどういうチャンスでこんな写真が撮れるんでしょうネ、お寺が撮ったもんでしょうか)







▼どう見ても堂とは……、







▼これは窓らしいです。







▼妻の上には瓦の広目天が立ってます。何故広目天か、それは判りません。







▼屋根のテッペンに、カラフル鳳凰が飛び立つ準備か。







▼決して広くない境内ですが小さいながらのお庭も造作されています。      













▼癒されますよネ。







▼開基の室町幕府六代将軍足利義教の墓標。にしては少々寂しいです。(墓標写真はネットから)







            ▼茂みの中にひっそり佇む石灯籠、天保四年の銘が確認出来ます。







▼右書院と左庫裏。







▼書院襖絵紙本墨画、曾我蕭白作「雲龍図」。せめて書院で見たいもんです。
 (襖絵写真はネットから)







▼本堂後ろに地蔵堂。タイルガラスの嵌まったこのお堂もモダンなお堂。







            ▼本尊地蔵菩薩立像。
             ボクたちがイメージするお地蔵さんとはチョット違う、全身まっさらのお姿。







▼美しいお顔を拝して気分よく十念寺オイトマです。

 




京の寺町通で少しばかり異彩を放つお寺、ドナタも思うでしょう異色の本堂。コンクリートの打ちっぱなしにフロント円柱の吹き放し
は一見ギリシャ建築風、楽しいじゃありませんか。京都イメージが持つ千年の重みは、何も従来の古刹イメージを踏襲するのがベスト
ではないでしょう。お寺がここまで思い切ったお堂デザインを採用する心意気に大拍手です。このお堂を設計された高口さんは我が大
大阪の一心寺長老、何度も訪ねている一心寺へ、又また訪ねたくなりました。


銭司聖天、金運向上のご利益大! 本名光明山聖法院。

2018年08月06日 | 京都の古寺巡り





(2018.08.04訪問)


木津川沿いには面白いお寺が点在しています。今日は特に金運向上の御利益で有名な銭司聖天を訪ねてみます。お金に縁のあるお寺
として金運向上の御利益で有名なお寺で、歓喜天ガネーシャをお祀りしています。ガネーシャは七代の財を一代で集める程、金運向
上に対して御利益があるといいます。「御利益あり」と聞くと居ても立ってもおれない性格の私め、それではとそのご利益を求めて
大和路号の代車はR163号を東に向かって失踪じゃなかった疾走するのでありました。

※大和路号は目下入院中、ディーラーから大和路号よりはるかにイイ代車を提供してもらっています。いいクルマはいいなァ!





▼参道正面に建つ本堂。        







[ 聖法院 ]
●山号 光明山 (こうみょうさん)
●寺号 聖法院 (しょうほういん) 通称 銭司聖天 (ぜずしょうてん)
●宗派 真言宗醍醐派 (しんごんしゅうだいごは)
●開基 宮野英順 (みやのえいじゅん) 尼僧
●開創 昭和58年 (1983年)
●本尊 如来三尊 大日如来坐像 釈迦如来 阿弥陀如来
▲拝観 境内自由 朱印 300円
▲http://www.z-shoten.or.jp 
▲京都府木津川市加茂町銭司美ノ畑26 電話0774-76-4956
▲JR大和路線「加茂駅」より タクシー約5分
 第二阪奈「宝来」よりR24号を京都方面へ、泉大橋右折R163号を上野方面へ約10分





▼本堂。重層、桁裄5間、入母屋造、銅板葺、戸口は正面3間。







聖法院縁起 (聖法院パンフから抄出)
現住職宮野英順が霊告を受け、京都醍醐寺にて得度。伝法灌頂を受け昭和58年 (1983年) 大阪府八尾市に寺院を開基。その後、現在
地に本堂はじめ諸堂を開堂した。別名銭司聖天と呼ばれているのは、銭司聖天の建つ木津川市加茂町銭司は、奈良時代初頭に流通し
た和同開珎の鋳造所の一つ鋳銭司があった処であり、それに因んで銭司聖天と呼ばれている。





▼本堂戸口。

        





▼本堂内陣に架かる山号扁額。見えるでしょうか、外陣と内陣の境は全面ネットで仕切られています。







▼本尊の如来三尊。 中尊大日如来坐像、右釈迦如来坐像、左阿弥陀如来坐像。
 三尊いずれも木造、松久朋琳、宗琳の親子仏師作。







▼中尊大日如来坐像。総高3.4m。                            













▼右尊釈迦如来坐像。総高3.4m。







▼左尊阿弥陀如来坐像。総高3.4m。



三本尊のお躯と光背が同色というのは何か意味があるのでしょうか。
光背はやはりキンピカがいいように思うのはボクだけでしょうか。





▼聖天堂。方3間、銅板葺、一間向拝付。本尊 銭司聖天(秘仏)、十一面観音立像、薬師如来坐像。







▼聖天堂扁額。







▼聖天堂正面。内陣の仕切りはガラス格子戸。







▼聖天堂内陣。本尊聖天さん(秘仏)はもちろんいません。どこに居られるかも判りません。
 中央には十一面さんがお立ちで、極々新しい像立でしょう、法衣の美しいこと。        













▼境内の一角に大きな和同開珎。1枚500円の金箔を買って和同開珎に貼り、金運向上をお祈りしましょう。               

       

祈り方も色々あるもんですワ。





▼お稲荷さんが沢山お祀りされてます。
 ちなみにこんなお稲荷さんです。光明稲荷大明 神蘭学稲荷大神 麗法稲荷大神 石上布留大神 白聖龍王 高山権現大神。







▼大師堂。真言宗開祖弘法大師空海さんをお祀りしています。







▼大師堂扁額。







▼大師堂内陣須弥壇中央にお大師さん。                           













▼閻魔社。冥界の王として君臨する閻魔大王をお祀りしています。それにしては少々弱々しいお社ですネ。







▼閻魔大王、さすがに顔はコワイです。







▼鐘楼。







            ▼水掛けお不動さん。







▼護摩堂。六角円堂、銅板葺、屋根の宝珠受けも六角基壇に宝珠が乗っています。
 本尊大日大聖不動明王坐像。月四回護摩焚法要が行われるそうです。







▼護摩堂本尊大日大聖不動明王坐像。
 前に立つ眷属像の左は矜羯羅童子か制多迦童子、右の方が判りませんネ、女性神に見えます、どなたでしょう。







▼正面を見据える眼力はさすが。              













▼僧侶の方もなんだか判らないモニュメント。本坊の前に有ります。







▼六地蔵。







▼わらべのさと。池の中に立つ観音様に見守られるわらべの石像を池の周りに安置して水子供養を行います。     







            ▼わらべのさとの聖観音。                 













▼安息の地という庭園、毘葉羅園(ビハーラ園)。
 神仙思想、仏教、密教、陰陽道の思想が取り込まれた枯山水庭園です。   

























▼ご朱印です。聖天さんの正体はこの方です。







このお寺、R163号沿いにあるので足の便は抜群、周囲を茶畑や緑に囲まれたきれいなお寺、長閑な環境は申し分ありません。
なんでもありのお寺で、本堂よりも聖天堂が重要と思われる寺院、聖天さんとはいわゆる歓喜天本名ガネーシャ、ヒンズー教の主神
シバの子神が祀られているお堂です。絶対秘仏のためスガタカタチはありません。ガネーシャは象の顔を持ち身体は人間という姿、
こんな本尊に是非一度会ってみたいもんです。金運向上、商売繁盛、良縁成就、病気平癒の祈願に功徳ご利益があるそうですヨ。

銭司聖天これにて オ シ マ イ 。