裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

宮古島紀行・5

2008年10月12日 23時02分59秒 | Weblog
最終日。
宮古島の北西端まで突っ切り、長大な橋(池間大橋)を渡ってその先にある池間島までいった。
ここは車やビールや運送会社やなんやかんやのCMに使われる、すばらしいオーシャンビューが望める場所。
橋の上から見下ろすと、透き通ったブルーの海面を巨大魚が悠々と通り過ぎていく。
人間にとっても天国であるのと同時に、彼ら魚類にとっても天国なのだ。
そこから宮古島を海岸沿いに南下しつつ、いろんな砂浜をのぞいていく。
そこかしこにエデンの園。
砂山海岸は、雪山のような砂の丘を登り、秘密基地のような小道を抜けると、まるで隠された楽園のように眼下にひろがってた。
白砂の坂を下ると、古代遺跡と見まがう岩礁の洞窟の向こうにひらけるマリンブルー。
手つかずの自然の造形、そして色彩に心動かされる。
そこでふと、学生時代に歩いた沖縄本島の姿を思い出し。
あのときはヒッチハイクで本島の北までのぼり、今回と同様に海沿いを徒歩で南下してたのだった。
ナマコとウニしかいない真っ黒な岩礁の海岸線を歩き歩き、浅瀬を飛び石づたいに移動して岬を抜ける。
するとそこには巨大なホテルの威容とハワイアンな音楽、そしてカラフルなパラソルにビキニギャル、褐色男たちの群れ。
ビーチには、どこかよその土地から輸送してきたに違いない白砂が見渡すかぎりに敷かれ、人工パラダイスの体を整えてある。
貧乏ヒッチハイカーは恐縮しつつその浜を横切り、反対サイドの岬に抜ける。
するとその向こう側には、再びナマコとウニの岩礁が現れる。
しばらく歩くと、また大資本のインフラによる白砂のビーチがこつ然と出現し、また暗黒の岩礁、ビーチ、岩礁・・・と交互にやってくる。
要するに、裏からのぞけば、パラダイスの正体はハリボテ。
巨大資本の王国、幻想のお城、という印象。
それに比して、宮古島には天然の楽園がある。
そう、まだ、ある。
だけどそれも風前の灯なのかもしれない。
島を走れば、あっちこっちにクレーンが林立し、ブルドーザが土地を削る。
丘が平らになり、岩が粉砕され、マングローブが掘り返され、赤土がむき出しになり、風景に場違いな鉄骨が組まれていく。
島の変形、変態がすすむことおびただしい。
観光を楽しむ身でこれらの所行を批判するのはまったくの矛盾だが、あえて言わせてもらえば、もう少し自然に対する配慮ってものを考えなきゃ、と思う。
「自然があるから観光客が来てくれる」のに「観光客を来させるためには開発しなきゃいけない」という島の奇妙な苦悩。
嬉々として秘境に向かうぼくらのような者がいるために、小島は切り崩されてリゾート化していく。
このジレンマに対する賢い解答というのはないものか。
楽しみつつも、心痛む。
期待しつつ、もうやめてくれという自分がいたり。
哀しい。
自分が。
血の悲劇と南国の楽天、観光サービスの笑顔と生き伸びるための煩悶、恋愛と食い気と失業率と円とドルと赤い花と青い海と黄色い工事看板と・・・ごちゃまぜチャンプルーが沖縄の姿。
それを見ないふりして観光だけを楽しもう、ってわけにはなかなかいかないのも、また沖縄のジレンマではあるのだった。

おしまい

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする