徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

酔っ払いたちの歴史的証言/ワンモアタイム

2004-08-31 22:20:04 | Documentary
京橋で『ワンモアタイム』試写会。
60年代から70年代前半にかけて日本のロック黎明期の伝説的バンドであるゴールデンカップスの再結成ライブを中心に描いた音楽ドキュメンタリー。来場者の顔をいちいち確かめたわけではないが、前の席に「おとなぴあ」でお世話になった立川直樹さんが座っていた。平均年齢は高い。しかも濃い。まあ、そういう映画である。

制作の桝井さんは以前『タカダワタル的』で取材した時に「ライブをしっかり見せるだけでOKなんだ」と繰り返し言っていた。その意味で映画後半の復活ライブは心地良い内容だったが、ちょっと引っかかった部分があるので書く。
関係者の証言で構築される60年代の本牧とGSの異端児だったカップスを描く映画前半部分について、である。映画の中でカップスのバンドボーイだった土屋昌巳が、「(ツェッペリンの)レコードの『コミュニケーション・ブレイクダウン』よりもカップスの『コミュニケーション・ブレイクダウン』の方がリアリティがあった」というようなことをコメントしていた。これはカップスの特徴だと思われる、当時最先端の欧米のロック、R&Bの媒介を果たした日本で数少ないロックバンドだったという意味だろう。決してオリジナリティに言及するものではない。そしてバンド自体の音楽性やミュージシャンシップに言及する部分はほとんどない。つまりこの部分は「日本語ロック論争」へ必ずつながっていく。だからあえて描かなかったのかと思った。追体験世代であるオレにとって、その部分は食い足りない印象は残る。

正直、これはカップスをかなりストレートに取り上げた映画だから余計なお世話だろうとは思いつつ、カップスの先見性を描くならば、影絵としての日本のフォークソング、そしていみじくもカップス解散直後にデビューしたはっぴいえんど、同時代に別次元で「日本語のロック」を構築していた頭脳警察(PANTA)にも言及するべきではなかったか。そうでなければ、60年代、横浜・本牧にはイカした不良が集まり、クレイジーな不良ロックバンドがいた、という話だけで終わってしまう(まあ、それはそれで徹すればいいのだが)。

しかし復活ライブでのエディ播さんは最高にカッコ良いです。

高田渡、ゴールデンカップスと続き、次回のアルタミラピクチャーズ音楽ドキュメンタリーシリーズはエンケンの予定だという。これはかなり難しい勝負だが、意味はあると思う。このエンケンの描き方によってシリーズの方向性が見えてくるのではないかと思うです。
『ワンモアタイム』は今秋、テアトル新宿で公開。

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