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徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

MICOさん

2007-07-04 00:22:51 | 漣流 sazanami-ryu
晴海で日本のクイーン・オブ・ソウル弘田三枝子さんの取材。
魅入られるというのはこのことか、という感じでインタビューは進行。60年代前半のカヴァーポップスの時代、最強のコンビであった草野ブラザーズに支えられ、MICOさんが自由にスイングしていくようすが語られる。これまた伝説的な65年のニューポートジャズフェスティバルの事情もご本人から訊けた。この人もまた生ける伝説なんだよなあ…まあ今やライブのみならず、スタジオワークも大好きで、まったく現役感を失っていないのが凄いのだが。
インタビューの終盤にはデビュー45周年の昨年にリリースした『弘田三枝子 じゃずこれくしょん』の中に収録された「砂に消えた涙 (Good bye Kenji Sazanami Version) 」の話へ。これがMICOさんによる最高のトリビュートなのだろう。

せっかくなのでスタッフの方にLB最新号を手渡して特集のオファーも。こちらはまた改めて。

ボルさん

2007-07-03 00:49:49 | 漣流 sazanami-ryu
目白で音楽評論家の東郷かおる子さんの取材。70年代末から80年代前半に熱中していたミュージック・ライフのボルさんですよ、ボル編集長。星加ルミ子さんのMLとなるともはや伝説でしかないが、東郷さんの頃はリアル読者だったので感慨深い。といってもロッキング・オンとの併読だったのだけれどもね、バカな男子中学生ですみません。60年代末から70年代に、日本に登場したロック少女の視点というのはミュージック・ライフの功績だったのだなと実感。日本のポップミュージックに対するシンコー(草野昌一氏)とMLの影響というのは本当に侮れない。
しかしさらに東郷さんの話を訊けば訊くほど、ビートルズ以降、ブルドーザーのように日本の洋楽ロックファンを引っ張り続けてきたMLも、やはり90年に東郷さんが編集長を辞した時点で(実質的にはその数年前に)その役割を終えていたと思える。しかし、終わっていたのかもしれないが、雑誌は続いていく。しかも度重なるリニュアルを繰り返し、8年も続く。これは編集者としてはかなりスリリングな状態である。まあ、東郷さんはそれ以降のMLに関しては多くを語らず、ガハハと笑いながら草野さんのエピソードを楽しく話してくれたのだけれども……。

星加さん

2007-06-26 21:53:17 | 漣流 sazanami-ryu
シンコー・ミュージックで星加ルミ子さんの取材。
日本におけるビートルズの代名詞的な編集者。ビートルズといえば星加ルミ子、星加ルミ子と言えばビートルズ。そして60年代のミュージックライフといえば星加ルミ子。そういう人である。65年の歴史的独占取材から帰国した星加さんに、草野さんは編集者としてのデスクワークよりも、メディアに露出することを指示したという。そしてビートルズ来日公演まで1年以上、星加さんはさまざまなメディアでビートルズを語った。星加さんは否定するが、きっと草野さんは日本におけるビートルズのナビゲーターとして「スター編集者・星加ルミ子」を仕立て(育て)上げたのではないかと思うのだが……このへんにも「熱狂の仕掛け人」(@湯川れい子)たる草野昌一の鋭さを感じる。まあ著書を読むと星加さんは、あのビートルズ旋風の中でも自分の感性に忠実で、クールな人なのだけれども。
65年、ロンドン。日本人で初めて星加さんがビートルズを独占取材したとき、30分の約束だった取材時間が3時間以上になっていたという。それに倣ったわけではないが星加さんにも3時間も語っていただいた。まだまだ訊き足りない……。

湯川さん

2007-06-26 21:29:21 | 漣流 sazanami-ryu
月曜日。LB今月号の最後の原稿を何とか校了して、急いで別件もう1本……と思ったが、大方書けたが小ネタが間に合わずPCを持って外苑前に移動。

外苑前で湯川れい子さんの取材。待ち合わせ場所は、上から見る秩父宮ラグビー場の緑が美しい会員制のカフェ。さすが湯川さんだなあ……。やはりポップスに路線変更したミュージックライフに寄稿し始めた60年代初頭からビートルズ来日までの話が興味深い。ジャーナリストたちの、ビジネスマンたちの、そしてファンの、すべての熱気が66年6月に向かっていくようすが目に浮かぶ。草野さんの晩年の評価も湯川さんらしいクールな視点で参考になった。2003年にリリースされた『熱狂の仕掛け人』はもっと音楽ファンに読まれてもいい本だと思う。

取材が終わって近くのカフェで15分ほどで短い原稿をまとめてメール。
その後、プロデューサーのKさんと居酒屋で24時近くまで飲む。Kさんは忘れていたが、旧ヤングジャパンの皆さんの行き着けの酒場だった模様。焼鳥がなかなかスパイシー。

星加ルミ子『ビートルズとカンパイ!わたしの出会ったビートルズ』、『ビートルズ現役時代』漣健児・選『恋詩苑 恋・そのメモリー』『恋詩苑 恋・さまざまなドラマ』『ルーツはシックスティーズ 漣健児のワンダーランド』、『笑ケース ミュージックライフhe said she said 10年史』(以上シンコー・ミュージック)、田辺靖雄・九重佑三子『いっしょ』購入。

プリプリ

2007-06-21 18:46:34 | 漣流 sazanami-ryu
水曜日。時間ぎりぎりまでLBの原稿。夕方から恵比寿で取材。
今日は元プリンセスプリンセスのマネージャーだったⅠさんにお話を伺う。最初はまったくの未経験。それが草野さんからマネージャーを命じられ、メンバーと共に80年代、90年代のブームを作っていったⅠさんの話を聞いて、草野さん晩年のストーリーが見えてくる。でも構成を考えれば考えるほど、更なる取材の必要性を実感。ん~……。

堀威夫『いつだって青春 ホリプロとともに30年』(東洋経済新報社)、『岸田今日子・中村淳眞『プラテーロとわたし』、上田正樹『PRIVATE FILE』、ピンク・レディー『サマー・ファイア'77』、水前寺清子『チータの男の純情』、藤純子『渡世こぼれ花』、松崎しげる『ワンダフル・モーメント』、九十九一『九十九の部屋』、『ハーブ・アルパート&ザ・ティファナブラス』、タモリ『タモリ3』、萩原健一vs柳ジョージ『rockspirit』、森山良子「森山良子・カレッジ・フォーク・アルバム』、Milltown Brothers『Valve』購入。

サエキさん

2007-06-07 03:40:20 | 漣流 sazanami-ryu
午前中に原稿の修正とアポ1本。

午後からサザナミ流の取材。原宿のパールネットでサエキけんぞうさんの取材兼ご相談。今日はアポを取ってもらったカマチさんが話を進める。ということでお互い探り合いながらの取材になったけれども、やはり弁が立つ人なのでちょっとした話も「漣健児論」になっている。さすがロックの論客。

そして当然、黒沢進さんの話にもなった。やはりサエキさんの愛情あふるる話を伺うと、過去の多大なる影響も含めて、日本のポピュラー音楽研究の分野での損失は本当に大きいと感じる。6月10日にはロフトプラスワンで「コアトーク:GS最前線番外編「追悼!黒沢進を讃える史上最大のGSショウ」が開催。豪華論客が午前11から、黒沢進の偉業を熱く讃えるクロストークになりそうです。聴きに行けないのが本当に残念。

取材終了後、渋谷の街中でアポ3本。こういうときは勢いなのである。明日はもっと取る。

ひと安心、そして合掌

2007-06-06 10:35:53 | 漣流 sazanami-ryu
午前中に原稿1本、アポ1件。何とかLB次号の見通しがついてひと安心。

午後からはサザナミ取材。
まずは原宿の渡辺プロで総帥・渡邉美佐会長のインタビュー。ちょっと洒落にならない戦後芸能史の超大物である。でも草野さんとの思い出の写真の数々を見ながらだんだん話も乗っていただけたようで楽しいエピソードをいくつか伺えた。写真を何点かお借りして退出しようとすると、何とお土産つき。さすがに会長の取材ともなると扱いも違いますね。

続いて恵比寿でウルトラ・ヴァイブ代表の高護さんの取材。高さんや黒沢進さんたちの仕事を見ながら、この仕事を始めたオレとしては美佐会長の取材並に緊張する。アプローチは違うとは言え、高さんは今も超一級の日本のポピュラー音楽研究家で、プロのインタビュアーなのでプレッシャーがかかる。答えにくい質問もあったようだったけれども、楽しい話を伺えた。

ここまで取材して、構成の方向性で不安な要素があったのだけれども、美佐会長、高さんの話でひと安心できた。

取材後、恵比寿でプロデューサーのKさん、サザナミレーベルのカマチさんと軽く呑む。カマチさんから黒沢進さんが4月に亡くなられていたことを知らされる。高さんと共に憧れの編集者・ライターのひとりだった。6、7年前に、一回だけだけれども原稿のやり取りをしたことがあったが、やっぱり時間のある限り、いろんな人といっぱい会わなければいかんね。52歳だったそうだ。合掌。
次の現場があるカマチさんは途中で抜け、Kさんと23時過ぎまで。結局、軽くなかったか。

録音データも無事PCに保存できたのでこちらもひと安心。現在のようにデジタルで取材していると、気を抜くと録音データが飛んでしまう可能性もあるので、これが終わらないと取材が終わった気がしない。

佳境

2007-05-30 21:20:05 | 漣流 sazanami-ryu
月曜日、ちょっと自宅作業とアポ。そして新宿で打ち合せ。のち、ゴールデン街のスタンドで朝まで呑み。やるなら今しかねえ~♪とナガブチを唸り続けるカラオケ青年。新宿の街に似合ってた。飲み屋で寸借詐欺みたいなことをしていたオヤジを退治したシェフの兄ちゃん。レッズの吉沢さんにそっくりだったな……などと思いつつ新宿駅で始発待ち。火曜日、死亡。そして今日はゲラを修正して、またもや朝からひたすらアポ。来週も取材が続くので今週末からぎゅっと詰め込んで調整。

夕方から渋谷のIQIで『サザナミ流』の打ち合せ。コレ、昨年から続いている漣健児=草野昌一さんの書籍プロジェクトであります。数ヵ月後のリリースを目指して、来月から再来月にかけては怒涛の取材攻勢の予定。いよいよもって佳境第一弾。

ひとり音楽史

2007-04-18 23:59:36 | 漣流 sazanami-ryu
アポの後、午前中に荻窪へチェック用のインタビュー原稿を届ける。

昼過ぎからフジパシフィック音楽出版の朝妻一郎会長の取材。ポール・アンカのファンクラブ会長、石川島播磨造船事業部からニッポン放送のアルバイトを経て、音楽ライター、同社の音楽出版社パシフィック音楽出版(現フジパシフィック音楽出版)の立ち上げに関わり(社員第一号)、伝説の音楽誌『ティーンビート』の編集、さらにはモントレーポップフェスティバルも目撃、いろいろあって、現在問答無用のフジパシ会長という、何とも羨ましいとしか言いようのない60年代ポップミュージックの原体験者、ジャパニーズポップスの大立者。今回は漣健児さんと音楽出版についての取材だったので(こちらも今後に見通しがつくようなお話を聞くことができた)、あまりその辺りのことは訊けなかったのだけれども、この人も語るだけで音楽史ができてしまう人だ。その伝説ぶりはこちらに詳しい。

そういえば、ひとつだけ……森進一問題について見解訊けばよかったなァ……。

家に帰って今月号最後の原稿。

お参り

2007-04-04 23:23:29 | 漣流 sazanami-ryu
昨日はプロデューサーのKさんを始め、書籍制作チーム全員で浅草へ漣健児(草野昌一)さんの墓参り。雷門で待ち合わせし、お寺まで10分ほど。曇り空だったけれども、桜の木の下、身も引き締まる……か。

その後六区辺りへ向かい、居酒屋で酒。このチームで呑むのは初めてだったのだけれども、4、5時間ほど。浅草寺にはいやーな思い出があるのだが、この日の酒はよかったっす。

第一弾

2007-03-14 22:23:32 | 漣流 sazanami-ryu
火曜日。シンコーミュージックで草野浩二さんを取材。
60年代から70年代にかけて東芝の名ディレクターとして活躍し、特に60年代は、実兄で『ミュージックライフ』初代編集長で、訳詞家の漣健児(草野昌一)さんとコンビでカヴァーポップスの時代を作った人だ。弟から見た兄・草野昌一、名ディレクターの目から見た、名訳詞家・漣健児について語っていただいた。自ら時代を作り出し、かつまた自分が切り拓いた時代に飲み込まれる、何ともダイナミックな時代の話。

伊福部昭『ゴジラVSメカゴジラ レコーディングライブ』、ray charles『true to life』、gren campbell『best 20』、dave mason『mariposa de ore』、philip bailey『chinese wall』、smokey robinson『touch the sky』『being with you』など購入。

読み直し

2007-03-03 01:53:34 | 漣流 sazanami-ryu
木曜日は制作スタッフと共に、フジパシフィック音楽出版とシンコーミュージックで、関係者の皆様へのご挨拶。そして制作にあたって窓口になって頂くシンコーミュージックのYさんとの打ち合わせ。この日から始まるプロジェクトはかなり大きく、深~い内容になる。貴重な資料をお借りし、頭の中はフルスロットルである。
部屋に帰り画像資料を確認。故・草野昌一さんの横で、東郷かおる子さんがマイケル・シェンカーが表紙のミュージックライフを持ってニッコリ笑っている。その号、確かにリアルタイムで買ってました。
こんな感じで自分の記憶もボーリングしていくような作業になるんだなあ……何か久々に仕事のキックオフらしいキックオフになった一日。
さ、今日からまた資料を読み直そう。

こちらも開幕間近

2007-02-28 02:12:24 | 漣流 sazanami-ryu
午前中に原稿と企画書をまとめて、昼から渋谷で打ち合わせ。
昨年末から打ち合わせを繰り返し、企画書と見積書を何回か調整し、ようやく3月1日に書籍プロジェクトをキックオフすることになりそうだ。打ち合わせをするたびに、どんどんどんどん話が大きくなる。ということは、参加者の不安と期待は共に大きいということなのだけれども、どうせやるなら行けるところまで行きましょうという感じ。ということで詳細は(たぶん)3月1日。

抱えている企画書も動かさないとなあ……。

夜、南正人さんから電話。バックナンバー送れの指令。こちらも気に入っていただいて何よりである。

アポ

2007-02-07 02:47:29 | 漣流 sazanami-ryu
朝に原稿一本。その後、アポ取り等など。
夕方から渋谷で打ち合わせ。またぎりぎりで部屋を出たので急いで錦糸町まで向かって、明川哲也さんから頂いた『カラスのジョンソン』(講談社)を読みながら半蔵門線。そして打ち合わせ3時間ほど。こちらもますます壮大な話になってきました。とは言え、そろそろ作業も現実味を帯びてきた

打ち合わせ後、そろそろマスコミ電話帳も買い替えないとなあ…と思いブックファーストへ行く。店に入って一番最初に目に入った『スタジオボイス』、あの表紙は反則じゃないかと思いながら(手に取って見なかったからわからないけれども、一体いくらかかったんだろうか)、雑誌コーナーと新刊コーナーを何往復かする。雑誌コーナーを眺めていて、何か考えていることが似たり寄ったりだなあ……とそれまでぼんやり考えていた企画のいくつかを再考することに決める。新刊コーナーに内田樹さんの新刊が2冊並んでいたので購入。さすが売れっ子。取材も申し込んでみたかったのだが……神戸かあ。5年ぶりにマスコミ電話帳を買い換える。しかし4、5年使って書き込みもしてあるから2002年度版も捨てられないんだけどね。

内田樹『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』(講談社)『狼少年のパラドクス』(朝日新聞社)、郷原信郎『法令遵守が日本を滅ぼす』(新潮新書)、『マスコミ電話帳2007年度版』(宣伝会議)購入。