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徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

谷さん

2007-09-12 01:25:57 | 漣流 sazanami-ryu
渋谷でラジオディレクターの谷朝美さんの取材。漣健児が生前最後に出演した坂崎幸之助「K's TRANSMISSION」(NACK5)のディレクターさんである。番組の成り立ち、出演時のようすなどをお聞きする。なかなか重要なエピソードになりそうだ。いよいよ取材も大詰め。

番組内容の話やこれまで番組に呼んだゲストを伺うと中洲通信との共通点が少なくない。坂崎さんもいつかナカスに出てもらいたいものである。

長谷部さん

2007-09-03 21:49:25 | 漣流 sazanami-ryu
シンコー・ミュージックのカフェでミュージック・ライフ誌の名物カメラマンだった長谷部宏さんにお話を伺う。
昭和20年代、草野さんによるML(再)創刊時代から亡くなるまで終生の「友」でもあった長谷部さんの話を伺って、若き日の草野青年と病床の草野会長の姿が浮かび上がってきた。また一本、漣健児=草野昌一の物語に太ーい縦糸が入ったという感じ。こうなるとまたさらに横糸を編みこみたくなるのが悲しい性です。もはやあまりにも時間はないが、やるだけやる。やるだけの理由はある、いろんな意味で。今は書かないが。

添付予定のCDの内容もさらに充実の方向。

カマチさん

2007-08-31 21:44:06 | 漣流 sazanami-ryu
高円寺のサザナミレーベルでカマチガクさんの取材……と言ってもカマチさんは制作スタッフのおひとりなのだが、改めてバンド歴から話を伺う。レーベルの経営者でもあるカマチさんにはバンドマンというだけではない影響を受けているようだ。驚くような情報も教えてもらったのだけれども、どう考えても今回の本には書けないな……。

西村博之『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』(扶桑社新書)、ジャン=クロード・カリエール/南條郁子・訳『教えて!!Mr.アインシュタイン』(紀伊国屋書店)、大村彦次郎『時代小説盛衰史』(筑摩書房)、北村年子『たった5つの冴えたやりかた』(シンコー・ミュージック)、萩原健太『ポップス・イン・ジャパン』(新潮文庫)、財津和夫『心の旅、永遠に』(河出書書房新社)、『日本の夜と霧/大島渚作品集』(現代思潮社)購入。

宮城さん

2007-08-20 00:29:40 | 漣流 sazanami-ryu
昼から二子玉川で宮城伸一郎さんの取材。
70年代半ばから、がむがむ、ARB、チューリップ、そして80年代後半からはシンコー・ミュージックのスタッフとしても活動してきた宮城さん。ミュージシャンとしてもスタッフとしても、内外から草野昌一、漣健児を知る人物でもある。
目の前にいる宮城さんは“チューリップの宮城さん”なのだけれども、やはりあの、ARBの一員だったというのは驚くほかない。しかし当初、ARBがある意味でアイドルバンドとして編成されたのは周知の事実。“あの”ARBは、“その”ARBとは違うのだ。バンドの編成後、激動の数ヶ月を経てARBはまったく別のバンドに変質していく。本書の主題ではないが、時代を物語るにはやはり重いエピソードだと感じた。日本のロックにとって70年代は、まったく不思議な時代だ。
あまりにも興味深い話だったので、予定を大幅にオーバーして3時間ほど話を伺う。

で、仕事に差し障りがありすぎるので、結局SION野音は断腸の思いで断念。んあ~。月末の大阪か名古屋行きたいなァ……。

バックナンバー

2007-08-16 02:57:59 | 漣流 sazanami-ryu
火曜日。自転車で神田まで。
11時からシンコー・ミュージックで口絵用の写真撮影。打合せスペースの一角をお借りして、ミュージック・ライフのバックナンバーや所属ミュージシャンのゴールドディスク、漣健児(草野昌一氏)縁の品々を探し撮影する。特にビートルズ現役時代のバックナンバーはなかなか入手できていないので、この日にまとめて撮影(新たな発見もあった!)。社内の撮影では何と言っても一階エントランスのビートルズ頭像、さらに一階の受付からエレベータ前までどどーんと貼られている、長谷部カメラマンが撮影したシェア・スタジアムの写真が目を引く。ほとんどミュージアム状態。
プリプリのCDをまとめ買いして帰宅。

財津さん

2007-08-09 21:10:30 | 漣流 sazanami-ryu
南青山で財津和夫さんの取材。チューリップのリーダーとしてシンコー・ミュージックに所属し、70年代から80年代に一時代を築く。今ユーミンが登場しているキリンラガーのCM、あのまんまの団塊の世代を象徴するようなバンドなのだが、あの政治の季節に一方では純粋に、音楽だけに取り組んでいた若者もいたのである(当たり前だが)。
現在、12月の福岡公演が本当のファイナルという、最後のツアーの合間を縫ってお話伺った。草野さんは良くも悪くも時代々々のアイドルを作り続けようとし、結果的には拒絶されるもののそれぞれが時代を代表するビッグバンドに育っていく……んーもっと時間が欲しかったなァ。

STEPHEN STILLS『JUST ROLL TAPE APRIL 26.1968』、NEIL YOUNG『HEART OF GOLD』、CARMEM MIRANDA『O Que e Que a Baiana Tem…』、FELA AND AFRIKA70『ZOMBIE』、高中正義『ONE NIGHT GIG』『THE PARTY'S JUST BEGUM』『過去へのタイムマシン』、上田正樹&サウス トゥ サウス「シンパイスナ、アンシンスナ』、BERNSTEIN/THE NEW YORK PHILHARMONIC & DAVE BRUBECK QUARTET『WESTSIDE STORY』、DAVE BRUBECK TRIO & GERRY MULLIGAN『LIVE AT THE BERLIN PHILHARMONICWEST』など購入。

江草さん

2007-08-07 23:38:34 | 漣流 sazanami-ryu
昨日入れた原稿の修整など。
午後から代田橋で『シャンテ』シリーズの音楽監督を担当したジャズ・ピアニストの江草啓介さんの取材。60年代後半から長くスタジオミュージシャンとしても活動している名サイドメン。『くちなしの花』『もしもピアノが弾けたなら』から『きよしのズンドコ節』まで数万曲のレコーディングに関わった大ベテランである。手帳を引っ張り出してきていただき、レコーディング当時のお話をお伺いする。
それにしても60を半ばをすぎて、スタジオミュージシャンとしても、まだまだ現役というのがすごいというか、羨ましいというか。

佐藤さん

2007-08-02 21:15:14 | 漣流 sazanami-ryu
昼過ぎまでに原稿は8割方終了。残りはちと面倒な計算もしなければならないので今晩これから。
入江から電話があり、明日の博多取材が急遽決定。台風の影響を見極めて明朝、東京か羽田か。朝までにやらなきゃならんことがいくつかあるので、どう考えても寝られない……寝ていられない。

夕方から青山で、ファイブ・ディーの佐藤剛さんの取材。70年代後半から80年代にかけて甲斐バンドのマネージャーとして知られ……という大物プロデューサー。話しているだけで猛烈に切れる人なのがよくわかる(キレるじゃないですよ)。今日はあまり時間がなかったので多少端折りつつポイントを押さえて訊く。事前にインタビューを読み込んで、さらに実際に話を聞いて、やはり佐藤さんには草野さんとの共通点がいくつかあるように感じた。

60年代はすでに掘り返されまくっているけれども、やはり70年代はまだまだ掘り起こされなければいけないテーマがいくつもある。

終わって神楽坂の事務所で最新号を受け取る。BUGからSIONさんの新譜が届いていた。泣いた。

土本典昭『もうひとつのアフガニスタン カーブル日記1985年』、『私の死亡記事』(文藝春秋)購入。

デリシャ

2007-08-01 09:55:36 | 漣流 sazanami-ryu
高円寺へ移動し、ACEでデリシャススウィートスのハイジさんと佐藤梟さんの取材。草野さんの最後の仕事のひとつと言えるのが、2005年1月にリリースされたデリシャのムック本『コケット画報』で、話を聞けば聞くほど往年の編集者・草野昌一の姿が見えてきた。草野さんも楽しみ、遊びながら参加しているようすがよくわかる一冊。最後の1年、草野さんの最晩年の楽しいエピソードがいくつも聞けたのは本当に良かった。最後は編集者で終わるというのがいい感じです。

鮮明

2007-07-31 23:59:58 | 漣流 sazanami-ryu
どうにも進みそうもない原稿は途中で打ち切り、PCをバッグに詰めて、資料を持って8時30分に部屋を出る。9時30分から昼まで新宿で打ち合わせ。見通しついた。

軽く昼飯を取って、紀伊国屋書店に寄ってから青山へ向かう。
13時からエイベックスで飯田久彦さんの取材。これまで60年代のカヴァーポップスの時代に関する取材ではいまいち影の男でしか語られなかった草野さんだったか、飯田さんの言葉でプロデューサー草野昌一の姿が鮮明になってきた。やはりカヴァーポップス時代、最重要人物のひとり。後にご自身もレコード会社の裏方へ回る飯田さんだが、そのプロデュースぶりはちょっと草野さんに重なって見えた。

The Beach Boys『Classics selected by Brian Wilson』、Natalie Cole『Unforgettable With Love』、総務省統計局『統計でみる都道府県のすがた2007』
、内野二朗『夢のワルツ 音楽プロモーターが綴る戦後秘史50年』(講談社)、田代洋一編『続・夢のワルツ』(バックステージカンパニー)購入

カヴァー

2007-07-27 02:25:08 | 漣流 sazanami-ryu
今日もRosy Roxy RollerのCDを買う。『Rose Buds』に収録されている「アイ・ラブ・R&R(I Knew The Bride)」でニック・ロウの「I Knew The Bride」をカヴァーしているのだけれども、これがフーの「Summer Time Blues」ぽくに聴こえる。そもそもI Knew The BrideがSummer Time Bluesにインスパイアされたのか。バンドの巧拙はともかく、80年代、90年代はオリジナル信仰が強すぎてこういうカヴァーをするバンドが少なかったのはあんまり「日本のロック」にとってはよくなかったんじゃないかと(今では)思う。

そしてプリンス。プリンスの新譜は問答無用に購入するのだけれども、“地球の神秘”とかあんまり関係なくヒットしてもらいたいポップなアルバムで安心した。こういう一般人が引いちゃうようなサブタイつけない方がいいんでないの。しかも帯文まで<目ざめよ、人類>って……。それはともかくChelsea Rodgersはヘヴィーローテ間違いなしですな。

(追記)
音楽配信メモのプリンスに関する記事が面白すぎる。さすが殿下。俺は国内盤買いましたけど。

Rosy Roxy Roller『Rose Buds』『Bang!』、OST『Blow Up』、BJORK GUOMUNDSDOTTIR & TRIO GUOMUNDAR INGOLFSSONAR 『GLING-GIO』、プリンス『プラネット・アース~地球の神秘~』購入。

山本さん

2007-07-21 13:25:46 | 漣流 sazanami-ryu
金曜日。
神保町で『ヤング・ギター』の元編集長・山本隆士さんの取材。星加ルミ子さんと共に60年代、70年代の草野昌一とシンコーの黄金期を支えてきたスター編集者である。関係は戦前の新興楽譜出版時代からということでかなり深い(もちろん山本さんはそんな御歳ではないのだけれども)。興味深い話がいくつも飛び出し、なかなか話が進まないのでひとまずポイントをしぼりつつ、今回はほぼ4時間。山本さんには、また内容を整理してから改めて取材申し込みをすることにした。
「1998年」というのは、やはりいろんな意味でポイントになるキイワードになりそうだ。ロージー・ロキシー・ローラーもしっかり聴かないといけないなァ。

中山さん

2007-07-12 00:27:49 | 漣流 sazanami-ryu
次の取材先の恵比寿へ移動。取材に同行して頂いているサザナミレーベルのカマチさんと遅い昼食を取りつつ、いろいろ話している間にちょっとした企画が浮かんでくる。まだまだイケるかもね、この路線。

で、夕方から元プリンセス・プリンセスのギタリスト中山加奈子さんの取材。以前お話を伺った元マネージャーのⅠさんも加わっての取材になった。予定していたホテルのカフェが激混みだったので急遽近くの喫茶店を探して1時間半ほど。詳しくはカマチさんのブログ参照。もうちょっと取材して掘り下げてみたいネタがいくつか出てきた。何よりもプロダクションのボスとしての草野昌一だけではなく、訳詞家(作詞家)漣健児と中山さんの接点が見つかったのはよかった。
パズルのピースはそれなりに埋まってきた。この辺が取材の折り返し地点か。

Blue King Brown『Stand Up』、Missy Higgins『The Sound Of White』購入。

バラカンさん

2007-07-11 22:20:39 | 漣流 sazanami-ryu
今日も午前中は取材準備をしながら作業。しかし終わらず、途中で打ち切って渋谷へ向かう。
昼からアプレ・ミディでピーター・バラカンさんの取材。ロンドンでの『ハイ・フィデリティ』な生活から急転直下のシンコー・ミュージック入社、国際部で働いていたスタッフ時代、そして退社、独立までを語っていただいた。
今やレココレの顔みたいになっているバラカンさんだが、個人的には80年代にMCをしていたポッパーズMTVとCBSドキュメントの影響大なので感慨深いっす。これはまた改めて聞きたいところ。
画像はバラカンさんが愛用するチェスレコードの革製レコードケース(?)。マーシャル・チェスが来日したときにミュージック・ライフ編集部にお土産として置いていったチェスのオフィシャル(!)。編集部が引っ越したときに出た“ガラクタ”の山の中からバラカンさんが発見して以来、30年愛用しているバッグなのだという。ちなみにチェス50周年にリリースされた『マイ・チェス・ボックス』のジャケットにも使用されている(バラカンさんが選曲したコンピレーションCD)。

コメットさん

2007-07-06 00:58:11 | 漣流 sazanami-ryu
三軒茶屋で田邊靖雄さんと九重佑三子さんの取材。おふたりがカヴァーポップスを歌っていた60年代当時は、訳詞家・漣健児とはほとんどコンタクトはなかったそうだが、最後の仕事である「シャンテ」シリーズに九重さんが参加したことで、晩年の数年間は家族ぐるみでとても濃密なお付き合いをされたようだ。2005年12月にリリースされた、漣健児作詞のシングル『いっしょ』の制作エピソードも不思議な縁を感じさせる。おふたりの話を伺っていて、やはり「シャンテ」シリーズとカヴァーポップスの世界はもう少し掘り起こしてみたいと思った。

6月までチャンネルNECOで初代『コメットさん』が連続放送されていて、毎週欠かさず観ていた。九重さんの若々しさには驚くよ。インタビュー中に時折見せる表情も、あの!『コメットさん』で感動した。マジで。漣(草野)さんのお話のあと、おふたりの馴れ初めや婚約の経緯も少々お聞きした。ちょっとした学園ドラマみたいで(そして当時の芸能界の雰囲気が伝わる)、とても面白かったのだけれどもこれはまた改めて訊きたいものだ。

水上はる子『さよならホテル・カリフォルニア』(シンコー・ミュージック)購入。