徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

第9地区/静岡ピカデリー2

2010-04-21 03:39:53 | 静岡・七間町で映画を観る会
七間町で映画を観るシリーズ第一回目は静岡ピカデリー2『第9地区』

twitterにも書いたけれども、ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督なら完璧なコメディに仕立てあげそうな題材である。
凡庸な主人公が騒動に巻き込まれて、逃亡し続けるうちにいつの間にか全方面から追われる羽目になるというのはコメディー映画の定石。さらにニール・ブロムカンプ監督が主人公のヴィカスをプロの俳優ではないシャルト・コプリー(業界のプロデューサーだという)を最初から指名して「譲らなかった」というのだから、これはSFコメディー映画として観る方がナチュラルなんじゃないかと思う(勿論正しいとは言わない)。信じがたい事態に巻き込まれていくヴィカス、シャルト・コプリーの演技はまさにコメディー映画のそれである。

確かに南アフリカの状況は全面的に作品に反映されている。しかしパンフに書かれているような「社会派のSFドラマ」というフレーズにはどうも賛同できない。ヨハネスブルグを舞台にしているのだから物語の根底には人種問題“も”流れているんだろう。その影響を設定から読み取るのは容易にできる。しかしエイリアンの嗜好品が猫缶だったり、やけに“人間臭い”親子愛を見せるエイリアン、クリストファー・ジョンソン親子の役柄にヘヴィさはさほど感じられない。南アフリカの社会をモチーフにしている社会派SFドラマというなら、衝突しているはずの2つの社会が描かれなければならないと思うが、ここで描かれるのはひたすら人間(白人)社会でしかない。社会派というなら、どこにエイリアン(黒人)の社会が描かれてるのよ、と。
ヴィカスが逃亡し、追われる身になった理由を考えてみればいいのだ。追う側はなぜヴィガスを抹殺(差別)するのではなく、生け捕りにしようとしているのかも。

状況は何も変わらない中、ひとり変わらざるを得なかったヴィカスの孤独を描くラストシーンはひたすら切ない。しかし、それはあくまでもSFとして切ないのだ。
評判通りのエンタテイメントで面白い作品だったけれども、だからこそ妙に重苦しい音楽にはちょっと違和感を感じた。

今日はピカデリー2で観たのだけれども、けんみん映画祭で『地獄の黙示録』をこの劇場で観て、文字通り本当に椅子から飛び上がったのを思い出した(川を遡る捜索隊が食料調達をするために陸に上がったところを虎に襲われる場面)。ホントに飛び上がったのである。子供だったけれど。もちろん3Dの時代ではないんだが、何かスクリーンに迫力があったんだよなあ。
今日は夕方の上映ということもあって客席はオレも含めて10名前後。贅沢に観させてもらいやした。


トラディショナルな喫煙所の雰囲気が実に味わい深いのです。

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