清水サポーターは実際にサッカーをプレイする<サポーター>が非常に多いという。手元に統計がないので、本当かどうかわからないが、確かにそれは想像に難くない。サッカーへの興味も、サッカーどころとしての意識も高いだろう。それゆえに、当然のようにJリーグ発足時に、ヤマハ(現ジュビロ磐田)を抑え、清水エスパルスは選出された。しかし一部で言われるように<サッカーの存在が身近にあるが故に強くないエスパルスは見向きされない>。問答無用のサッカーどころの静岡、清水なのに、このところ観客動員は頭打ちが続いている。
<サッカーっつーのは、サポがスポーツからエンターテインメントたらしめているカルチャーなんだと。サポは自分の声を聞くために、自分の「カラー」を見せるために集まってるんだと。サポは試合見に来ているのではなく、戦いにきているんだから、それを取り上げれば、みんな買うよ、普通に雑誌を。「自分たちの試合」を見たいから。聞くところによると、CS前後に一挙に出た浦和特集の雑誌で、かんばしくなかったのはnumberだけだったと。その原因は、サポに焦点を当て切れなかったことかと思われ。>
フットボールは未来の武器である
所謂Jリーグのサポーターのコア層に共通しているであろう認識がここにある。
そして編集者として、吉沢康一さんを介して何度か浦和レッズを取り上げている根拠もこれに近い。確かにここ数年の彼らのサッカーは面白いし、作り上げる空間も圧巻である。
しかしここにサッカーどころ清水の観客動員が頭打ちする要因のひとつがある。まず新しい<層>が入りにくいスタイルになってしまっているのではないかと思うのだ。サポーターの平均年齢の高さと保守化、さらに言えば<サポーター論>の不在(もしくは軽視)に現れている。何もこれは今始まった話ではなく昔から感じていたことだが、一部清水サポーターは<サポーターとしての自分>と<スタジアムにいる自分>を対象化できずにいるのではないか。<観戦>している自分を対象化できずにいるとも言えるんじゃないか。
つまり<サッカーを観戦するということはどういうことなのか>ということだ。
衛星放送の重要なコンテンツであるサッカーは<観る>スポーツでもあり、<プレイする>だけではなく、観ることで<参戦>するスポーツ文化であることをまず再確認したい。プロ野球も<観るスポーツ文化>であろう。ただそれは昨年の混乱で露呈したようにいくぶん歪な形で熟成されてきた面は否めない。あれほど熱狂的な応援がありながら、結局観客不在が露呈してしまったのだから報われない。Jリーグはそれを繰り返すべきではないし、その側面ではとか何とか持ちこたえていると言えるだろう。
清水に話を戻します。
そのひとつに、あまりにサッカー的な環境が整い過ぎている土地柄だということを挙げることができる。これは<サッカー的な環境>を自ら作り上げなければならなかった他クラブの<サポーター>とは明らかに違う環境だ。<サッカー>と<サポーターである自分>の根拠と裏づけがなければ、熱狂は生まれない。おのずと他クラブにサポーター論が熟成されていくのは自然の理というものだ。
Jリーグ発足時には<サッカーどころ>が有名無実化していた浦和でも、この過程は必要だった。吉沢康一さんたちクレイジーコールズが刊行した『
RED BOOK 闘うレッズ12番目の選手たち』(轟夕紀夫編集・大栄出版/品切れ中)の中で書かれていた、戦略的な<サポーター論>に裏づけされたレッズサポーターが、今日のJリーグであまりにも突出した存在になったのは象徴的だ(清水と浦和のゴール裏の成り立ちもかなり対照的。これはアンタッチャブルな側面もあると思いますが……)。しかし他クラブに必然的に訪れた一連の過程が清水にあったようには思えない。あるはずがない。やはり清水、静岡はそういう土地だからである。
練習場、クラブハウスといった施設はなかったが、92年当時、ゼロから強豪クラブを作ることができる素地はあった。その意味で清水にクラブができるのは当然だとほとんどの静岡県民は思っただろう(藤枝の人ごみんネ)。そこにはクラブができる根拠と環境があったのだから。オレたちは正統派である。Jリーグの正義である、というわけだ(←これが他クラブから嫌われる原因かもしれないが)。
しかし、92年以前には、日本には(後藤健生さんくらいしか)ほとんどいなかったであろう<サポーター>は、当然清水にもいない。<観客>と<サポーター>は違う。それだけは他クラブと同一のスタート地点にいたのだ。それが<サポーター論>の出発点とも言える。それをなおざりにしてきてしまった面は否めないだろう。スタイルの変遷はどのクラブでもあるはずだが、その中で清水サポーターが唯一、Jリーグ黎明期を彷彿とさせる統率されたゴール裏を演出し続けるクラブであることはあまりにも皮肉な話である。
サポーターも、エンタテイメントたる<フットボール>の一部である。新しい層(ファン、サポーター)をスタジアムに呼び込む重要な要素である。新しい層、若い世代にとって魅力あるスタジアムを作るのはとても難しいことだ。しかしそれは考え続けなければならないことだろう。
99年に清水とそのサポーターは美しく輝いた。経営危機から優勝へ、あれは幸福な時間だった。
あれから5年。降格争いまで演じた昨シーズンからの捲土重来を期し、清水の象徴とも言える三羽烏のひとり、健太を監督に迎え、今季<清水愛>を掲げ大胆なチーム改革を行うエスパルス。翻って、数年前から若い世代を中心とした一部サポーターに動きがあるとは言え、サポーターの根っこにある特殊な<清水愛>の問題は解決されるのだろうか。
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