時はながれて・・・昭和50年頃、山口県徳山市(現周南市)にサービス拠点が作られ、そこで私は営業と総務と経理をやらされていた。本社から総務課長がやってきて、食後にスナックバーに行き、当時始まったばかりの「カラオケ」を指して、営業担当なら率先して歌うべしと諭され目が覚めたのであった。
だが、歌えるのは童謡や社歌くらいのもの、それから一念発起、先ずは息子のCDを拝借、車に積んで通勤と営業の道中に懸命に歌を覚えた。その時は長渕剛の「乾杯」「とんぼ」などであったが、若者の歌ばかりであったから、CDを次々と買って練習を繰り返し、やっと演歌にも慣れたのであった。
酒場に「カラオケ」が入ってきたことにより、飲む為か、歌うためか分からないが、私のような「下戸」でも、酒場に出入りするようになったのであった。 しかし、そこで歌う歌は他の人には甚だしく迷惑な下手な歌、“音楽=3”の歌でしかなかった。 だから、今でも酔わないと絶対歌えないのである。
笑われるかも知れないが、これでも、どんな歌が私に合うか、どのように歌ったら、本気の拍手がもらえるのかなどと、まじめに考えたこともあった。 しかし、所詮は悪あがきでしかなく、歌も聴かず顔も見ずのお付き合い拍手ばかりであったが、それでも本人はとても楽しくて仕方が無かった。
どうせ下手なんだからと、柄にもなくいろんな歌を歌った。 おはこは、ピンカラ等の「女の願い」「ひとり酒」、森進一「港町ブルース」、八代亜紀「もう一度会いたい」、五木ひろし「千曲川」「蝉しぐれ」、牧ひでと「雨の東京」、箱崎真一郎「抱擁」、園まり「逢いたくて逢いたくて」青江三奈「池袋の夜」等々多々。
宴会のトップバッターで歌うのが「すごい男の歌」、送別会で普通は「贈る言葉」「帰ってこいよ」、いやな奴の時は「ラブイズオーバー」が多かった、私自身の時は「北へ」を心を込めて歌った。 宴会たけなわの時にはみんなで「サライ」を大合唱し、ラストは「宗右衛門町ブルース」を“さよならさよなら”と合唱したものであった。
私のカラオケ好きは人が呆れるほどであり、6日間毎日何処かで歌っていた事もあったほどによく歌った。 しかしそれも、会社を65才で退職したので、私の送別会は津市の都ホテルでやってくれた、そして、その後の二次会が私の華々しい(?)カラオケ歴の最後であった。
私はみんなに感謝したい気持から、二次会は30人は入る行きつけのスナック(More)を貸し切り、送別会参加者を招待したが、入りきれず立っていたものもいたようであるが、二時間ほどこれが最後と歌いまくった。 費用は餞別金で品物(大工道具一式)を買ってくれた残金と後は私が全額出して確かスナックに30万円払った記憶がある。
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「港町ブルース」「乾杯」等はよく歌いました。単身赴任中偶に女房が来ますので夜中にカラオケに通ったものです。あの頃は何もがバラ色でしたね。
今でもカラオケに行くことがあるのですか? 老後の健康保持の為に一考したいです。
ある程度酔えば、もう飲むよりも歌でしたね!。 誰も歌わない酒場では3曲続けて歌っても、4曲目は遠慮しましたよ。 一週間毎の単身赴任してましたから、飲み屋の姉ちゃんと食事や飲み会はしましたから、まじめとは言えませんが、指されるようなことはしてませんよ、年の為!。
お客さんを連れて飲み歩き、ゴルフとセットでしたから、我が世の春の気分で、今から思えばかなり浮かれていましたね!。 本当に楽しかったです!。
その後の”カラオケ歴”についてのお尋ねに、答えるのを忘れたので、ここに追記です。
この「音痴の音楽歴」で、後ほど書くつもりにしていますが、 ここに書いたように劇的にカラオケの幕を下ろしたとの思いが強く、あれほど好きだったのに、その必要性がなくなったとたんに、歌う意欲がばったり止まってしまっていました。 肩張ってたのが、終わってほっとした部分もあったかも知れません。
そしてその後、何回かの刺激がありましたが、継続した歌い仲間ができなかったからか、歌いに行くことはなくなりました。ちょっと不思議な感覚でもあります。
ただ、家内は最近お盛んですが、それも書きますので、また見てください。
私の場合は理由ははっきりしています。
密閉した空気の悪いところで歌い出すと途端に喉に来て歌えなくなるからです。特にお酒が入ると酷いです。再開したとしてもお付き合い程度になると思います。
家内は初めて行った時にはまってしまい今でも頑張っています。
根っからのカラオケ好きですから、やり始めれば、また嵌まるのは間違いないと思います。 幸か不幸か気の合う友に出会わないから、始まらないと思っています。
たしかに、あの部屋はタバコの臭いもたっぷりで、空気は最悪でしょうね、音響効果のため密閉されていますからね!。
近くでしたら、家内も連れてご一緒するところでしょうがね!。 しかし、家内の歌は聴くと胃に悪いかも知れない(内緒)から、止めといた方がよさそうですがね!。
「オフ会」で、木燃人さんの歌をを何度か聞きました。本当にお上手でしたが、陰でそのようなご苦労があったのですね。営業のお仕事では、そうしたお付き合いが必須でしょうから、歌も恥ずかしくないよう努力して、」歌えるようになるのでしょうね。女性と一緒のデュエットなど、本当にお上手でしたよ。
誠にお恥ずかしい次第です。 酒の力は意外なところで発揮するようです。 もともとアルコールには弱いですから、ビール一本で、臆面もなく歌う事に抵抗がなくなるのです。 私がこんなに歌が好きだったとは自分自身信用出来ない時がありますが、これも仕事の内との言い訳のもと、半ば肯定し続けたことが根底にあることは事実です。
うっかりして忘れかけていますが、胸部大動脈手術の後、声が出なく成り、一時カラオケを停止せざるを得ない事態となり、完全に終わったと思いましたが、またぞろノスタルジーが始まったようです。