東安堵の大寶寺六斎講のナナトコ参りを拝見して再び戻ってきた岡崎川の川堤。
昼間に拝見したカンピョウ干しの景観があった北の地蔵尊である。
平成19年の8月13日のことである。
夕方の4時ころに遭遇した先祖盆宵迎えがある。
場は東安堵の東の辻。
道路際の歩道のところに線香を灯して先祖さんを迎えていた。
ここ岡崎も同じような時間帯に村の人が来るのでは、と思って散策していたら堤防沿いの道端に人がおられた。
祠の前に腰を屈めた婦人は北の地蔵さんの当番さん。
7月23日の地蔵盆は南の地蔵さんで行っている。
ここは北の地蔵さん。
地蔵盆は共同で5人が当番にあたっている。
婦人がいうには今夕は岡崎川堤の南北地蔵尊辺りで各戸が先祖さんを迎えるという。
火点けに清めの線香を1本持って岡崎川に出向く。
その場で別に持ってきた2本の線香に火を点けて自宅に戻るが、清めの線香は川堤に挿したままにしておくそうだ。
迎えは午後4時ころから始める家もあるが、たいがいは午後5時辺り。
家に招いた先祖さんは翌々日の15日に戻っていく。
夕方になれば仏壇のオヒカリから移した3本の線香を迎えた川堤に挿しに行くという。
この日の朝はお寺さんが各戸に参ってくださる。
そのお寺さんは妙楽寺だと思う。
平成24年の11月9日に電話が鳴った。
自然観察会でお世話になっているHさんが融通念仏宗派の妙楽寺で行われているブゼンサンがあると話していた。
ブゼンサンは豊前さんであろうか、岡崎川を改修した豊前守溝口信勝の報恩供養があるらしいと話していたので調べにきたが、寺本堂の改修工事で関係者が見つからず断念した。
そのときに集落を歩いて見て廻ったら南の地蔵尊があった。
平成25年の7月22日に訪れた際に見た地区の行事案内。
南の地蔵盆は7月23日に行われると掲示していた。
話題を先祖さん迎え・送りに戻そう。
婦人の話しによればお供えにナンキンやカンピョウ、オアゲサンなど3品、5品、7品。
詳しく聞けなかったのでわからないが、仏壇に飾ったお供えのすべては捨てるそうだ。
捨てるのは辛いが現代はゴミ収集車。
先祖さん送りに作った弁当やオニギリも捨てていたというのはかつての在り方。
たぶんに岡崎川に捨てたと思われるのだが・・・。
そこで話を聞いていた川向うの岸に人が動いた。
なにやら手にしているのは・・と思って急いだが、人はいなくなった。
橋が架かっていた場のすぐ近くに痕跡があった。
何かを燃やしたような痕跡である。
線香の灰もあった。
今、まさに先祖さんを迎えられたのであるが、聞取りはできなかった。
先ほど話してくれた婦人が云うには橋の向こう側は出垣内。
岡崎は北、東、西、南垣内の四垣内。
出垣内を入れて五垣内になる。
(H28. 8.13 EOS40D撮影)
昼間に拝見したカンピョウ干しの景観があった北の地蔵尊である。
平成19年の8月13日のことである。
夕方の4時ころに遭遇した先祖盆宵迎えがある。
場は東安堵の東の辻。
道路際の歩道のところに線香を灯して先祖さんを迎えていた。
ここ岡崎も同じような時間帯に村の人が来るのでは、と思って散策していたら堤防沿いの道端に人がおられた。
祠の前に腰を屈めた婦人は北の地蔵さんの当番さん。
7月23日の地蔵盆は南の地蔵さんで行っている。
ここは北の地蔵さん。
地蔵盆は共同で5人が当番にあたっている。
婦人がいうには今夕は岡崎川堤の南北地蔵尊辺りで各戸が先祖さんを迎えるという。
火点けに清めの線香を1本持って岡崎川に出向く。
その場で別に持ってきた2本の線香に火を点けて自宅に戻るが、清めの線香は川堤に挿したままにしておくそうだ。
迎えは午後4時ころから始める家もあるが、たいがいは午後5時辺り。
家に招いた先祖さんは翌々日の15日に戻っていく。
夕方になれば仏壇のオヒカリから移した3本の線香を迎えた川堤に挿しに行くという。
この日の朝はお寺さんが各戸に参ってくださる。
そのお寺さんは妙楽寺だと思う。
平成24年の11月9日に電話が鳴った。
自然観察会でお世話になっているHさんが融通念仏宗派の妙楽寺で行われているブゼンサンがあると話していた。
ブゼンサンは豊前さんであろうか、岡崎川を改修した豊前守溝口信勝の報恩供養があるらしいと話していたので調べにきたが、寺本堂の改修工事で関係者が見つからず断念した。
そのときに集落を歩いて見て廻ったら南の地蔵尊があった。
平成25年の7月22日に訪れた際に見た地区の行事案内。
南の地蔵盆は7月23日に行われると掲示していた。
話題を先祖さん迎え・送りに戻そう。
婦人の話しによればお供えにナンキンやカンピョウ、オアゲサンなど3品、5品、7品。
詳しく聞けなかったのでわからないが、仏壇に飾ったお供えのすべては捨てるそうだ。
捨てるのは辛いが現代はゴミ収集車。
先祖さん送りに作った弁当やオニギリも捨てていたというのはかつての在り方。
たぶんに岡崎川に捨てたと思われるのだが・・・。
そこで話を聞いていた川向うの岸に人が動いた。
なにやら手にしているのは・・と思って急いだが、人はいなくなった。
橋が架かっていた場のすぐ近くに痕跡があった。
何かを燃やしたような痕跡である。
線香の灰もあった。
今、まさに先祖さんを迎えられたのであるが、聞取りはできなかった。
先ほど話してくれた婦人が云うには橋の向こう側は出垣内。
岡崎は北、東、西、南垣内の四垣内。
出垣内を入れて五垣内になる。
(H28. 8.13 EOS40D撮影)