この日の昼のことだ。セミ(ジー、ジーと聞こえたのでアブラゼミかも)の鳴き声が聞こえてきた。
おそらく梅雨が明けたのだろうと思っていたら夕刻には気象庁がそれを発表した。
小南町を抜ければ東池に沈む人影が目に入った。
お話を伺えば目印の棒が沈んだのでそれを起こしているという。
オーバーオール型のウエーダー靴を見に付けた男性は胸辺りまで池に入っている。
足でまさぐって倒れた棒を探していた。
そのさまはまるで潜水夫のようだ。
その池は先代から継いだ金魚の養殖池だった。
6年前のことだった。
先代の親父さんが養殖業を継いでくれといわれた。
今なら仕事を教えることができると云われた。
そのころは運送仕事が本業だった。
60歳定年を待ってからと思っていたが、そろそろ引き際と決断して代を継ぐことにした。
それから2年後過ぎに親父さんは亡くなった。
今ではそれが本業になったという。
毎朝、定刻の時間になれば金魚に餌をやる。
それを知っているのか姿を見せるだけで寄ってくるそうだ。
生産した金魚は近くの店に卸している。
そこは釣り池もしている。
けっこう繁盛しているそうで待ち行列ができるぐらい。
その時間を待ち切れずに帰ってしまうお客もいる。
雨降りのときは特に繁盛するらしい。
手頃な遊びが受けているようだ。
その店を東西に走る道はわりあい混む車道だ。
西端には食べ物屋がある。
そこは池ノ内八幡神社の北側にあたる。
渋滞を緩和する目的でそこを潰して大和中央道に繋げる構想がある。
その話は池ノ内の住民にも聞いたことがある。
それは神社を迂回するような道を広げる話だった。
いつしかそれは大きな展開をみせた。
それはともかく氏子でもあるUさん。
小南神社で検索したらブログがヒットした。
それを見たことがあると話す。
提灯とぼしなど、長老らが語った私でも知らない話をうまくまとめてくれたと喜んでおられた。
その提灯とぼしはかつて青年団がしていた。
そういう青年団があったという話は県内各地で聞かれるが現在の存在といえば僅かであろう。
ところでその金属棒の立て直しをされていた個所は実は深みとの境目を標す棒である。
その段に上がれば50cm以上も上昇する。
その付近が養殖の作業場にあたるそうだ。
春には産卵をする場にはヒカゲノカズラと呼ばれるツル性のシダ植物がある。
それは近辺の盆地部には自生していない。
山間部で見られる植物だ。
それを手に入れるにはそこへ行かないと採れない。
それゆえそれを売買する生業があった。
先代が居たころのことだ。
高野山からやってきた業者がいた。
養殖生業をするためには必須のヒカゲノカズラ。
採りにいくことが難しいから購入した。
その後の年にも売りにきた。
その値段は上がっていた。
仕方なく購入したがうわべだけで中身は違う葉っぱだった。
そういう輩がおったということだ。
だから高野山や曽爾村まで出かけて採ってきた。
冬場でも青々しいので見つけやすいヒカゲノカズラ。
翌年に行けばそれは少なくなっていた。
成長が遅いのか、それとも根こそぎ採っていた人がいたのか・・・。
知人から聞いて奥琵琶湖まで採りに行ったことがある。
そこもそうだった。
それゆえ年々山奥に入っていかねばならないが場所は絶対に教えられないと話す。
絶滅危惧種になりつつあるヒカゲンカズラはその存在を公開するわけにはいかない。
(H23. 7. 8 記)
(H23. 7.11 SB932SH撮影)
おそらく梅雨が明けたのだろうと思っていたら夕刻には気象庁がそれを発表した。
小南町を抜ければ東池に沈む人影が目に入った。
お話を伺えば目印の棒が沈んだのでそれを起こしているという。
オーバーオール型のウエーダー靴を見に付けた男性は胸辺りまで池に入っている。
足でまさぐって倒れた棒を探していた。
そのさまはまるで潜水夫のようだ。
その池は先代から継いだ金魚の養殖池だった。
6年前のことだった。
先代の親父さんが養殖業を継いでくれといわれた。
今なら仕事を教えることができると云われた。
そのころは運送仕事が本業だった。
60歳定年を待ってからと思っていたが、そろそろ引き際と決断して代を継ぐことにした。
それから2年後過ぎに親父さんは亡くなった。
今ではそれが本業になったという。
毎朝、定刻の時間になれば金魚に餌をやる。
それを知っているのか姿を見せるだけで寄ってくるそうだ。
生産した金魚は近くの店に卸している。
そこは釣り池もしている。
けっこう繁盛しているそうで待ち行列ができるぐらい。
その時間を待ち切れずに帰ってしまうお客もいる。
雨降りのときは特に繁盛するらしい。
手頃な遊びが受けているようだ。
その店を東西に走る道はわりあい混む車道だ。
西端には食べ物屋がある。
そこは池ノ内八幡神社の北側にあたる。
渋滞を緩和する目的でそこを潰して大和中央道に繋げる構想がある。
その話は池ノ内の住民にも聞いたことがある。
それは神社を迂回するような道を広げる話だった。
いつしかそれは大きな展開をみせた。
それはともかく氏子でもあるUさん。
小南神社で検索したらブログがヒットした。
それを見たことがあると話す。
提灯とぼしなど、長老らが語った私でも知らない話をうまくまとめてくれたと喜んでおられた。
その提灯とぼしはかつて青年団がしていた。
そういう青年団があったという話は県内各地で聞かれるが現在の存在といえば僅かであろう。
ところでその金属棒の立て直しをされていた個所は実は深みとの境目を標す棒である。
その段に上がれば50cm以上も上昇する。
その付近が養殖の作業場にあたるそうだ。
春には産卵をする場にはヒカゲノカズラと呼ばれるツル性のシダ植物がある。
それは近辺の盆地部には自生していない。
山間部で見られる植物だ。
それを手に入れるにはそこへ行かないと採れない。
それゆえそれを売買する生業があった。
先代が居たころのことだ。
高野山からやってきた業者がいた。
養殖生業をするためには必須のヒカゲノカズラ。
採りにいくことが難しいから購入した。
その後の年にも売りにきた。
その値段は上がっていた。
仕方なく購入したがうわべだけで中身は違う葉っぱだった。
そういう輩がおったということだ。
だから高野山や曽爾村まで出かけて採ってきた。
冬場でも青々しいので見つけやすいヒカゲノカズラ。
翌年に行けばそれは少なくなっていた。
成長が遅いのか、それとも根こそぎ採っていた人がいたのか・・・。
知人から聞いて奥琵琶湖まで採りに行ったことがある。
そこもそうだった。
それゆえ年々山奥に入っていかねばならないが場所は絶対に教えられないと話す。
絶滅危惧種になりつつあるヒカゲンカズラはその存在を公開するわけにはいかない。
(H23. 7. 8 記)
(H23. 7.11 SB932SH撮影)