マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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満願寺古田神社新穀感謝祭

2010年12月22日 07時46分20秒 | 大和郡山市へ
11月23日は祭日の勤労感謝の日。

この日は各地で新穀感謝祭が行われている。

稲は収穫を終えてお酒に替える。

それは白酒とも呼ばれているにごり酒だ。

奈良県では葛城の酒蔵で造られている。

豊作に感謝して新穀で造った白酒を神さんに供える。

宮廷で行われてきたいわゆる新嘗祭にあたる感謝祭だ。

満願寺町の古田神社でもこの祭礼が行われている。

聞くところに寄ればこの日の宮司は市内を駆けめぐるという。

時間差を設けてあっちへこっちへと向かっていく。



古田神社の宮司も午前中は新木に居た。

ここを終えたら次へ向かうそうだ。

氏神さんを一年間守っている村の神主さん夫妻は本殿周り、境内から階段まで落ち葉を集めて綺麗に掃除をしている。

掃いても、掃いても落葉が舞い落ちる風の強い日だった。

本殿の祭壇に供えた白酒などにたくさんの神饌が並ぶ。



そこにはいくつもの祭礼に供えられるシトギもある。

素焼きのカワラケにひたひたしたシトギは一晩で乾いて固まっている。

市内で行われている祭りのなかでも珍しい御供である。

そして始まった神事。修祓、祝詞奏上、玉串奉奠など賑々しく・・・。

それが終われば神主は白酒とシトギを下げた。



湯飲みに注いだ白酒とシトギを持って拝殿に登った。

その席は自治会長や長老、それに参拝者たちだ。

中央には宮司が座る。

一人ずつそれを持っていく神主。

シトギの皿を差し出すと箸で摘む。

ところが表面は固いものだから箸で突っつく。

割れたシトギをほんの少しを摘んで手で受ける。

全員が揃うまでそうしている。

一年間神主を支えて勤めてきた3人のトーヤも同じように受けるが座の席にはつかない。

揃ったらころを見計らい宮司が自治会長に声を掛ける。

「結構です」の言葉が返ってきたら宮司の合図で一斉に口へ運ぶ。

これが古田神社の儀式だ。



味はまったくないが何かが口に残るような感覚になる。

これが本来のコメの味なのかもしれない。

お下がりの白酒を飲んで座が和む。

はじめて口にするトーヤも居た。

まったりとした味に感激される。

白酒では足らんだろうとお神酒も共によばれた。

この日は次の年の村の神主も参拝していた。

翌年に担うための事前学習なのだ。

神主は正月の日の0時から神社の行事を一年間勤める。

実際は大晦日のとんどの準備からだ。

参拝者を暖めるとんどの木材は境内から探し出しておく。

それを燃やして参拝者を待つ神主。

朝3時ころまでだそうだ。

年齢順と決まっている神主。一生に一度だが、トーヤは廻り当番。

12年にいっぺんは廻ってくるそうだ。

新穀のお米から作られるシトギは新穀感謝祭から一年間に亘って、その都度作って供えられる大切な神饌である。

宮司が神事をされる1月の神歳越祭、3月の祈年祭、7月の祇園祭、8月の住吉祭、10月の秋祭り(宵宮)、そして11月の新穀感謝祭の七回となる。

それは拝殿で座につくときだけの行事に限られており、村の神主が勤める正月の元旦祭は除かれる。

シトギを作るのは神主だ。

すり鉢に一握りのお米を入れて水を足す。

それをスリコギで丹念に磨りつぶす。

ドロドロになるまで磨りつぶす。

力は要るしけっこうな時間がかかると自治会長が話した。

ドロドロになったシトギは素焼きのカワラケに盛る。

盛るというよりも平らに浸すというような感じだ。

一晩おくと水分がカワラケに吸い込まれてカラカラになる。

真っ白になったシトギは型くずれもしない固さになるそうだ。

神事を終えた残りもののシトギは神主が持ち帰る。

大切なものだから神棚に供える人もいるらしい。

自治会長はお粥さんに入れて食事したという。

稲作をしている神主は自前のお米で作る。

なければ隣近所から譲ってもらう。

それもなければ新米を買ってくるそうだ。

(H22.11.23 EOS40D撮影)