マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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三社権現綱懸け祭

2007年03月21日 14時05分37秒 | 桜井市へ
こもりくの泊瀬山と詠われた長谷寺は真言宗豊山派の総本山。

本堂右手に鎮座する瀧蔵三社権現は長谷寺創建より古く、天平五年(733年)に聖武天皇の勅命で創建したと伝えられ、東に石蔵権現(地蔵菩薩)、中央に瀧蔵権現(虚空蔵菩薩)、西は新宮権現(薬師如来)を祀っている。

旧暦1月11日の今日、上の郷(中谷、柏森)、中の郷(各枝、柳)、下の郷(柳原、出雲)の六ケ大字の藤原氏直系男子とされる講衆が集まり神殿に注連縄を飾って綱懸け祭が営まれる。

東と中央の注連縄は左側に先を。

西の新宮権現だけが先を右側に奉る。

お神酒とおひかりの灯心に用いられる油を入れた竹筒を供えます。

綱懸け祭事は残された記録から300年以上の歴史をもつもので、長谷寺の僧侶の祈祷から始まります。

講の当屋を始めて担うトーニンは烏帽子を被り素襖を着衣し参列します。

僧侶はトーニン、当家の安全を敬って申し般若心経を唱えたあと「えんぶだごん」の牛玉宝印を額に押していきます。

各大字の代表者や当家にも次々と押して安全を祈願します。

そのあとトーニンや三講の当屋は僧侶から「右任例処定如件」と記された長谷寺補任状を授かります。

この補任状は長谷寺の名前を告げればどこの関所も通過できるという通行手形を意味するもので重要な文書。

柳原の当屋では享保15年(1730年)をはじめに、代々受け継がれている補任状を大切に保管しているという。

綱懸け祭事を終えたあと、下の郷の新宮頭講(しんぐうどうこう)は座に残って新旧の当屋引渡し式が行われます。

カワラケ皿にゴボウとトウフを盛りクリの木の箸を並べ、銅製の酒柄杓で神酒を注ぎ飲み干します。

昔は当屋を責任もって一年間の任にあたることから後戻りしない意味で、酒を交わしたあとカワラケ皿を裏返して割ったという。

(H19. 2.28 Kiss Digtal N撮影)