股関節痛は怖くない!~変形性股関節症の新しい考え方

変形性股関節症の常識には間違いが多く、怖さを抱えている人が多い。
常識の間違いを理解して人生を楽しみましょう!

闘病記 3

2015-12-11 00:22:23 | 体験談
まだまだ札幌です。
寒いっぽろ。




そんな生活を続けていた頃、忘れもしない2013年11月11日。




仕事が押して最終飛行機に間に合いそうにないが、何があっても乗らなければいけないという事態がおきた。
思わず職場から駆け出し電車に飛び乗る。

あれ?走れる?加速してみた。乗り換えで猛ダッシュ。

ギリギリで間に合った。
飛行機の座席に深く座りながら静かに喜びを噛み締めた。走れた。走れた。走れた。
一生走れないって嘘じゃん。


あの時すべてを諦めないでよかった、なんともいえない安堵感が広がった。
 

この2年間、いつも順調だったわけではないが、結果的に右肩上がりでよくなっている。

整形外科の常識では進行性の病気なのに、だ。
最近会った方に股関節が悪いと言うとまず驚かれる。
日常生活は問題なく、スキーもどんどん負荷をかけている。
2日連続でコブを滑っても大丈夫だった。
しかも以前より可動域が広がり股関節が動くせいか、スキーが上達した(感じがする)。そうか、神様はスキーをうまくするために私をこの病気にしたんだなとさえ思う今日この頃である(笑)
 今回松本先生に勧めていただき闘病記録を書いてみた。振り返ると、今更ながら松本深圧院さんがなかったら、今の私はなかったと恐ろしく感じる。
整形外科で私と同じ診断をされた人たちは全国にたくさんいるはずで、みなさんどうされているのだろうと時々考える。

私はラッキーなことに、最初の頃は田山先生もまだ余裕があり2週に1回くらいのペースで通うことができた。
今は予約もなかなか取れず先日ついに3カ月待ちになっていた。
現在の私には、この待ちもこの間ちゃんとセルフケアができたか試験をされる感じで闘志が燃えるのだが、最初の頃だったら不安でつらかったに違いない。

だから新しい店舗がオープンするとなんだかほっとする。もっと多くの方々が救われますように。
松本深圧院さんのご発展を心からお祈りしてやみません。
いつも本当にありがとうございます。


おわり



新しい店の開院、もっと予約が取りやすい店作りのために努力していきます。
ありがとうございました。












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変形性股関節症を怖がらないでね





  ■宝塚市周辺の方は綾部先生にご相談ください!

     ■渋谷区周辺の方は芦沢先生にご相談ください!






6都市構想 松本深圧院グループ


■福岡 新しいスタッフが決まりました。
         博多店店舗準備できました!
         九州の皆様、サポーターとしてご協力お願いいたします!


■大阪 松本深圧院大阪 院長山中崇泰 TEL/FAX06-6319-9686
松本深圧院大阪のホームページです!
        2013年4月大阪店を開院しました。
        山中院長の人気急上昇です。
        新しいスタッフを募集中です。


■名古屋 松本深圧院名古屋 院長早川大介 TEL/FAX052-908-2690 
名古屋・早川先生のホームページ


■東京  松本深圧院ルサロン銀座 院長田山陽平 TEL/FAX03-3562-2777
ル・サロン銀座のホームページです!
        新しいスタッフを育成中です。
        次の段階に備えて、もう一部屋借り増ししました。1302号室です。


■仙台 
        理学療法士の先生を育成中です。
        素晴らしい先生なのでそろそろ最終的な指導を始めます。
        その先生の動向に合わせて仙台店の店舗を準備します。


■札幌 随分患者さんが増えています。
        柔道整復師、理学療法士募集中です!
        福岡、仙台の見通しがつけば、本格的にスタッフを探し始めます。
        


※深圧に興味のあるプロの方(医師も含みます)は、まずは遊びに来てください。
また、どんどん見学に来てください。
スタッフ一同、お待ちしています





闘病記 2

2015-12-09 00:21:19 | 体験談
今夜札幌に来ました。
よく滑る靴を履いてきたので道路を歩くのが楽しみです。
この靴しかないんだよね。
ほとんど地下で行動します!





どん底にいた私を救ったのは一冊の本だ。「股関節痛は怖くない」には、医師が言ったこととは、正反対のことが書かれていた。
一筋のうすい光がさした。
これを信じてみよう。





そして田山先生に出会った。
先生は「スキー?できますよ。」と、いとも簡単に言い当然といった感じで微笑んだ。

その優しそうな雰囲気からは想像がつかないほど施術は恐ろしく痛かったが、終わると股関節の痛みはウソのようになくなっていた。
「これが痛くない体か」久々に味わう感覚。
知らない間に痛みに慣れ右足をかばうように生活し体はさらに歪んでいったと思われる。


この日は緩みすぎて足に力が入らずヨタヨタとしか歩けない自分がおかしくて笑いながら帰った。心の底から笑ったのも久しぶりだったかもしれない。


希望がみえると目標が生まれる。
スキーができる体にする。
心が決まってからは、朝晩の筋肉を緩めるためのアロマも「おいしいお肉になあれ~」と呪文を唱えながらぬる、私は女優という設定でショーウィンドウを見ながら姿勢をチェックするなど、悲壮感いっぱいでやっていたケアやリハビリも楽しくなった。
仕事や生活も見直し睡眠をしっかりとるようにした。
一枚一枚紙をはがしていくような感じで、少しずつよくなっていき、痛みのでない時間が長くなっていった。


しかし、やっぱり健康な足ではないと思い知らされることもしばしばで、1日が終わると鈍痛やズキンとする痛みが出てくる。
そんな時は家でストレッチや様々なケアをし、祈りながら布団に入る。
朝、痛みがないとほっとして自分の体に感謝する。夜中、股関節痛で起き、恐怖や不安で泣いていたことを思うと格段の進歩である。
 


そんな生活を続けていた頃、忘れもしない2013年11月11日。








2年前に何があったの?


つづく









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闘病記 1

2015-12-07 19:41:42 | 体験談
先日機会があり初めて担当させていただいた方の体験談です。
カルテを診るとビックリするくらいの改善がみられていたので、体験談を依頼し快く引き受けてくださいました。
3回シリーズです。






2013年2月1日勤務中、私は突然歩けなくなった。
詳細には右足を曲げると股関節に激痛が走るので、右足を棒のようにして左足だけで歩くという状態だ。


職場の人たちは心配したが私は楽観的だった。
なぜなら股関節が痛くなることはこれまでもあり、魔法のように治った整体をいくつか知っていたから。
その日は早めに仕事を切り上げ整体へ。しかし治らず整体を梯子する。それでも治らない...どうしたんだろう?


 次の日、念のため整形外科に行くと、医師から「変形性股関節症です。これは進行性の病気で、あなたはこれから一生走ることはできないでしょう」と告げられた。


私はすぐに事態が飲み込めず「来週大会なんですけど?」と答えた。
私は趣味でスキーをやっており大会に向け練習を重ねていた。
「大会とか言ってる場合じゃない!スキーはもうできません!」と即座に一喝され、看護師さんが悲しそうな目で私を見たので、これは現実なのだと実感した。頭は真っ白、ふわふわした感じで、なんとか家にたどり着き、号泣したことを覚えている。


 それから私の生活は一変した。朝は緊急出動の消防士のように支度をし、ダッシュで出勤という生活から、着替えも家族に手伝ってもらい、歩くのも異常に遅く、とにかく日常生活何をするにも時間がかかるようになった。

いつも人を追い越し歩いてた私が、どんどん人に追い越された。毎日現実を突きつけられれば嫌でもボディーイメージは変わる。いつしか普通に歩く人をみて、すごいと思う自分がいた。


もちろん、僅かな望みや治療方法を求め、股関節専門のスポーツドクターなどいろいろ回った。
しかし診断は変わらず、治療方法もなく、進行したら手術ということがわかっただけだ。


 一体私がどんな悪いことをしたというのだ?怒りが込み上げてきた。
打ち込んでいたのはスキーだけではない。
仕事も大変な時期で、介護も始まった。
睡眠時間が1時間の時もあった。
正直しんどかったが自分を励まし乗りきった。
今思えば全くの無茶なのだが、その時はどれも必然で手を抜くことができなかった。限界までいって体は壊れた。悲しみ、後悔、焦り、こんな人生が待ってたなんて。

 どん底にいた私を救ったのは一冊の本だ。「股関節痛は怖くない」には、医師が言ったこととは、正反対のことが書かれていた。
一筋のうすい光がさした。
これを信じてみよう。






…それからどうなったのでしょうか?

つづく



 






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        山中院長の人気急上昇です。
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Iさんの経過  2

2012-05-02 02:35:20 | 体験談
以前から新幹線で新大阪に向かう時、京都駅を過ぎるとすぐ左に見える五重塔が気になっていました。
先日、新大阪の帰りにどうしてもある事を確認したくて京都の東寺に寄ってきました。
以前から気になっていた五重塔は東寺にありました。



東寺と私の関係・・・知っている人は知っている!



●7月の金沢出張は希望者・お問い合わせが福井県の方だけですので、場所を敦賀市に変更いたしました。
 7月28日(土曜)のみです。
 詳細お問い合わせ先→ ル・サロン銀座ホームページ
もしくは、思い切ってこちらまで↓↓







2008年当時、Iさんは非正規職員として仕事をしていました。

歩けなくなって、いつか仕事ができなくなるという不安を抱えながら仕事をしていました。


2011年6月、Iさんはその仕事を辞めました。


そして、1時間の通勤時間をかけて通う別の仕事場の正規職員になれました。

今は、ほとんど痛みが無いので、自信をもって仕事に集中しています。

先日の話では、もっと身体的にはきついけど、やりがいのある部所に移りたい話をしていました。


2ヶ月ぶりの施術でしたが、その間に1度嫌な感じがあったけど、らっこちゃんですぐに解決しました。


今はもう病院にはかかっていません。



Iさんの施術で、まず効果が出たのが、内転筋の施術でした。
しかし、まだ時々痛みが出るので、次のポイントを探りました。

結果、ハムストリングスをほぐすとさらに効果が長く続くことがわかりました。

そして、さらに効果を持続できるポイントにたどりつきました。
それは、中殿筋と小殿筋でした。


深圧をはじめた最初の頃にも、中殿筋と小殿筋はほぐしていたのに、その時は効果の持続は1ヶ月も続かなかった・・・不思議です。


内転筋とハムストリングスがほぐれた上での、中殿筋と小殿筋の施術だったので持続的効果が出たのだと考えます。


2008年8月29日~月に1回の施術を続けてきました。

筋トレは指導していません。

初期の頃だけ“患側荷重”を指導しましたが、今では筋力も左右差が無くなりましたので、何も指導していませんし、本人も筋トレはいっさい行っていません。

痛み止めも今は必要なくなりました。

ついでに「痩せなさい。」と言ったことはありません。



今後は手術しなくて済むでしょう。
長い間骨に変化が無いし骨が悪化するタイプでは無いからです。





青い矢印の場所が股関節です。
すき間(軟骨)はしっかりしています。

確かに、赤い矢印のように大腿骨頭の形が小さく球状でなかったり、穴があいていたり、大転子の位置が上にあったりしますが、これは子供の頃からそうなんですね。





子供の頃から症状が出ていた方々の多くは、“歴史が長い”から骨の修復が落ちついて、もう骨が悪化しない方が多いです。

ただ、“歴史が長い”為に、筋肉はかなり酷い状態(筋肉の病気=酷い筋肉疲労=硬く縮んで痛みを出している)の方が多いです。



Iさんは昔からレントゲンにはまったく変化は無いのに、痛みにはかなりの変動がありました。

ねっ、骨や軟骨の状態と痛みは関係ないでしょ。

骨と骨が当たっていても痛くない方はいっぱいいます。



“画像”に脳を支配されないことが大切です。



できたら、できたらでいいですので、連休中だけでも骨のこと・・・少し忘れてみませんか?



連休ですね。


Renkyu very much! 








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Iさんの経過…深圧歴4年

2012-04-28 14:30:50 | 体験談
●私の本「股関節痛は怖くない!」の重版が決まりました!
うれしいです!
今はアマゾンでも売り切れになっていますが、5月中には再販されると思います。
皆さんのおかげで、このブログから本が生まれ、育っています。
100%皆さんのおかげです。
強烈感謝です。
熱烈感謝です。
ありがとうございます。




Iさんは40歳代の女性です。

子供の頃から跳び箱や開脚が苦手でした。

小学校5年生の時に急に歩けなくなりなりました。

しかし、その後徐々に回復しました。

それから30歳代まで、悪化と回復を繰り返してきましたが、徐々に回復に時間がかかるようになってきました。


そして、とうとう30歳の初めにどうしようもなく痛くなり、1年間杖を使って歩いていました。


この30年間、痛みには変動をがあったのに、レントゲンは正常ではないけどまったく変化はありませんでした。



Iさんは40年前から4ヶ所の病院にかかっています。


病院での診療結果は全て同じでした。

●痛いのは骨が悪いからです。

●まだ若いし、軟骨はあるので、まだ手術は急がなくていいのではないか。

●痩せなさい

●筋トレの指導

●痛み止薬の処方

「40年前も現在も同じ説明、指導だったんです。」とIさん。




そんなIさんが私のサロンを知って、2008年8月29日に初めてお会いしました。


その時に、最近の状態を書いてきてくれました。

今もカルテに貼ってあるその紙には次のことが書かれています。

『2008年1月から痛みが強くなり、筋力がおちてぐらぐらしている感じがあります。
夜間痛もあり、寝返りが痛く目が覚めることも度々です。
膝を立てると、沈み込むような感じで痛いです。
脚長差も大きくなっているような気がします。』

この頃は、ちょっと脚をぶつけたら激痛、くしゃみをしたら激痛だったそうです。

この頃のIさんは、“軟骨が無く骨が駄目になって人工関節しか無いのかな”と考えていました。

この頃のIさんの口癖は「死にたい。」だったと後日聞きました。



そして、レントゲン写真を見せてくれました。

悪いのは左足です。(向かって右側)


私は、詳しい経過も知らないくせに、「この骨のタイプの方は良くなりますよ。」と言ったのを鮮明に覚えています。


この日から、Iさんの施術が始まりました。

今から4年前のことでした。





…つづく








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「股関節痛は怖くない!」

2010-07-27 14:06:00 | 体験談
皆様、こんにちは! Mr.Tです。

早いもので、松本先生の出版記念パーティーから1週間が経ちました。

勿論、私も何度も本を繰り返し読んで過ごした1週間でした。

股関節痛をお持ちの方だけでなく、私達医療従事者にとっても、股関節のバイブルとなる本だと思います。


パーティーは、みなさん笑顔の耐えない、とても素晴らしい会だったと思います。

私は開始までの間、地下鉄の改札で案内ボードを持って会場へ誘導していましたが、みなさんの足取りが軽いこと、軽いこと!!
そして、股関節痛を持っていることを感じさせない、あの笑顔!!
こちらまで自然と笑顔になってしまいます!

1ヶ月前に松本先生にパーティーに参加する人数を伺ったときに「40人位かな?」とおっしゃっていたので、会場の様子を頭に想像しながら参加したのですが、実際の参加人数は約倍の人数で、驚かされました。

何より嬉しかったのは、ほとんどの方が1人で参加されていたのに、席に着席すると周りの方々と笑顔で、以前から友達だったかのように話をしている姿でした!

これは、とても重要な事だと思います。

今、私は病院で勤めていますが、病室は個室・2人部屋・4人部屋に分かれています。
4人部屋が多くを占めるのですが
「ここは病院じゃないのではないか!?」
と疑ってしまうほど病室からは話し声や笑い声が聞こえてきます。

入院の時は今回のパーティーと同じように、見ず知らずの人達と相部屋で不安もあるでしょう。

しかし、同じ変形性股関節症で長年痛みと付き合ってきたと言う共通点。
お互いこれから人工関節の手術をしよう。
あるいは手術が終わり退院に向けてリハビリに励もうと言う同じ境遇にある同士という共通点から、仲間意識や良い意味でのライバル意識が芽生え、とても仲良くなっています。

そして退院をする時は携帯電話で、連絡先の交換をし、退院後も
「まだ、あの人とも連絡取ってるのよ」
「この前、部屋の人達と集まってファミリーレストランで、コーヒーだけで4時間も話してたわよ」
「あの方は、今こんな状況らしいわよ」
と、色々な話を聞かせてもらいます。

病院は都内にありますが、埼玉からの患者様もいらっしゃいます。
どうやら私の病院で人工関節の手術を受けて退院された患者様で構成された「埼玉県民会」のようなものも存在しているようです。

このような状況が場所は違えどパーティー会場でも起きていたように感じます。

この光景って、とても素晴らしくないですか?

私は、とっても好きなんです!!

やはり1人で変形性股関節症と向き合っていくことは、様々な悩みと向き合い大変なことだと思います。

でも、同じ立場にある人と知り合い、現状を伝えあい、情報を仕入れたりすることは、とても有益で、不安を軽減させ、自信を持たせてくれます。

そんな場所を提供できたという意味でも今回のパーティーは役立てたのではないでしょうか。

ここで1つ付け加えておきます。
上記で「ライバル意識」と書きましたが、これは決して何かを競うという意味ではありません。
変形性股関節症は、個人個人の色々な長い歴史があります。
1つの病名ではありますが、症状や状態は人それぞれで、同じ病気の人は居ないのです。
つまり
「あの人の方が、治りが早い」
「あの人の方が、いっぱい歩けている」
とかは、全く意味がない事なのです。
ですから、ライバルというのは人と人ではなく、共に変形性股関節症と戦っていく仲間という意味でのライバルです。


この素晴らしき仲間達に加えて、松本先生・宮川先生・早川先生・大原先生という強力な助っ人とともに変形性股関節症に立ち向かっていきましょう!

必ず勝利は我らの手に!!


今回、私はまだ就職もしていないのにパーティーで雛壇に座らせていただき恐縮でした。
しかし、一番全体を見渡せる良い席から、皆様の笑顔を拝見させて頂き「私も頑張っていかなくては!」と、決心を新たにした次第です。

会場で「Mr.Tですか?」と、声を掛けて下さった方の一声、感激しました!

ブログにコメントを書いて頂き、とても嬉しかったです!

銀座・名古屋・吉祥寺で、「Mr.Tのブログ読みました。Mr.Tって・・・」と話題に出ていると聞き、驚きました!

でも、どれもが私のモチベーションを高めてくれる事です。

皆様の期待に答えられるよう精進していきます!



最後に、皆様から「Mr.Tは何歳ですか?」と質問が多いようなので答えます!

                 ≪≪32≫≫








変形性股関節症を怖がらないでね





吉祥寺に便利な方、お待ちしてます!
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体験談  DOLPHINさん ⑧

2008-02-20 22:37:03 | 体験談
☆ これでおしまいで~す

 還暦直前に、一人暮らしも板に付いた次男が出張ついでに1泊し、
「これ、兄貴とボクからの還暦祝い。お父(とう)も帰ってきたことだし これからはコレを持ってどんどん外へ出かけて人生を楽しんで」と私好みのスポーティなバッグをプレゼントしてくれました。
 
 40年以上股関節の痛みに耐えてきたけど、足のことで涙を流したことは一度もないのに、こういう嬉しいことにはメチャメチャ弱い私、ウルウルしながら
「自分ではとても買えない高価なブランド品をありがとう!」 と言ってるつもりが、
「うわぁ~、メーカー品をサンキュー!」と言ってしまい 「おっかあ、電気製品じゃないんだよ」と失笑されました。

 そのバッグの街頭デビューは松本先生の施術を受ける日でした。
人中ではいつも左足に人・物などがあたらないよう気を付けて歩いているのに、この日はそのメーカー品をかばって歩き、足のことは忘れてました。
それだけ、私の足も一流品に近づいてきた証拠です。

 かばっていたにもかかわらず、大事なバッグには傷が数本・・・。
息子達に「気をつけてたのに もう傷が付いちゃったよォ」とメールしたら
「皮は使い込めば又違った味が出ますからね、どんどん使ってください」と返事がきました。
「よぉ~し、どんどん傷つけて私のような味のあるバッグにするぞォ」と又返信。

 でも、私が持っている一番大切なメーカー品は この二人の息子ですよ。

 今月満93歳になる義母は、足は本当に弱くなり一人で立ってることはできなくなりましたが、食欲もあり身体は非常に元気ですし、頭も皆がびっくりするほどしっかりしていて毎日新聞を隅々まで読んでいます。有難いことです。

 そして今まで一人で苦闘していた義母の通院など力仕事は夫がしてくれるようになり、随分楽になりました。これも感謝です。

第二の人生を自分の足で羽ばたきますよぉ!

~~~~~~~~・~~~~~~~~

 長くなるとは思いましたが、まさかここまで長いとは・・・。
60年も人間をやってたら長くなるもんですねぇ・・・。
もし、最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら ありがとうございました。
お疲れ様でした。

 本当は松本先生にお世話になってからの色々な嬉しい変化をいっぱいお知らせしたいのですが、これ以上長くなるとお叱りを受けそうなので、それらは私の宝物にしておきます。

 松本先生! 私を含めて全ての患者さんのことを これからも末永くよろしくお願い致します。
でも、決して無理はされませんように・・・。
           
                          お わ り



DOLPHINさんありがとうございました。
私はあとしばらく無理します。
DOLPHINさんに負けないよ~。


最後に皆さんで・・・

変形性股関節症を怖がらないでね・・・エヘッ。




体験談  DOLPHINさん ⑦

2008-02-18 15:28:00 | 体験談
☆ 50代 Part 7 松本先生にお世話になる

 夫がリタイアし10年ぶりに同居生活が始まりました。
その日を心待ちにしていた私は(夫をではなく、松本先生の所に行けるのを待っていたんです。 テヘヘヘ・・・相変わらず悪い奴っちゃ)すぐ先生に施術をお願いして日時の連絡をいただきました。

 初診を受ける時というのは不安が伴うものですが、不思議なほどそれがなく、出発前に既に治ってしまったような癒された気分でルンルンと出かけました。

 どこが痛いか・何が気になってるか・心配な点は などを尋ねて下さって、施術後それらの一つ一つに丁寧に納得できる答えを出してくださいました。
当日の日記に色々細かく記録してありますが、その中に「水泳をやってたのがいいんだろうねえ」と言って下さったと書いてます。
「優しさの漂う先生だった」とも・・・。

 帰り道は 前につんのめるのではないかと思うくらい足が前に次々と出て、辺りは暗くなってたのに「世の中明るい!」と、行きのルンルンの何倍ものルンルンで颯爽と東京駅まで闊歩しました。

 そして翌日、9年間私の3本目の足となってくれてた『杖』をしまいこみました。
でもちょっぴり心配で、いざという時の為に携帯用の杖(私には似合わない花柄)をコッソリ購入しておきましたが出番がないままです。
今までの杖は強い痛みが出た時、2回だけナイショで使用しましたが・・・。
(誰にナイショ? 勿論先生には報告済みですよ)

 初めは何か忘れ物をしたような気分でしたが、今では杖がないのがごく当たり前になり、その「当たり前の感覚」を与えて下さった松本先生に感謝でいっぱいです。

人は「当たり前のこと」が当たり前でなくなった時に初めて 「当たり前であることが如何に幸せであるか」ということに気付くものです。
そして、せっかく気付いても「その当たり前」が当たり前になると(ややこしい・・・)又その幸せの感覚を忘れてしまいます。

この今の『当たり前の幸せと先生への感謝の気持ち』を一生忘れないようにしたいと思っています。

    ☆ 60代

 えっ?  まだ続くの?  とお思いでしょうが・・・。
ワタクシは遂に「還暦」を迎えてしまったノダ。
そして巻頭に
この日記帳が全て終った時、つまり10年過ぎた時(60歳や)まだ
   手術をしない状態でいられますよう!!!
 
と記した10年日記が1日も抜けることなく埋め尽くされました。
10年前の希望がクリアできたのです。
バンザ~イ!
 
2008年を迎え、ま新しい10年日記の巻頭には
     70歳までではなく、一生手術をしないぞ!!
         松本先生に 感謝!!

と書いてあります。

 この手術の件、11年前に「いつ手術をしてもおかしくない」との診断が下ったのに
何故しなかったのか ということについて書いておきますね。

 私の身体は丈夫で普通の方より元気で体力もあると思っていますが(松本先生といっしょで風邪をひきません)、その割には受けた手術が多いのです。

 8歳   扁桃腺両方摘出手術
 19歳   虫垂炎手術
 30歳   3人目を妊娠5ヶ月目でお腹の中で亡くし手術
 40歳   子宮筋腫と右卵巣のう腫摘出手術
 46歳   右目翼状片手術
 52歳   両眼白内障手術

確かに多いですよね。
子宮筋腫の時は「急がなくても半年以内でご家族の都合のいいときで大丈夫」と言われたにもかかわらず、わかった以上1日も早くスッキリしたいからと4日後には入院していたし、白内障も「初期だから手術はまだ早い」と言われたのに、夜の車の運転時に対向車のライトが眩し過ぎることに危険を感じたことと、楽譜が見にくいことが不便で、渋るお医者さんを説得して手術を受けました。
しかも、義母が一人になるから日帰り手術で 付き添いも無い状態で決行しました。
(片目を手術して2週間後にもう一方をしました)

 それほど潔く、すぐにまな板の上のイルカ・・いえ鯉になる私なのに、股関節に関しては全くその気持ちになりませんでした。
怖いから・嫌だから というのではなく、子供の頃から「痛みに強い」体質だったこともあると思いますが、まだまだ自分の骨で大丈夫だという確信に近い妙な自信があったからなのです。
 
 その自信と楽天的な性格のお陰で、そして何より松本先生のお陰でレントゲン画像も自分の感覚も11年前よりはるかに調子良くなっています。
10年ぶりに偶然出会った友人に「あれっ、足治ったの?」と言われたのが何よりの証拠です。

その中でも一番良くなったのが『心』です。
松本先生のお陰で痛みの仕組み・原因が理解でき、痛みが出ても『間違った考え方・心配』をしなくなったことによって気持ちが楽になり、それが更に相乗効果になり・・・という調子で今の自分があると思っています。
 感謝・感謝の毎日です。

 でも、万一手術の必要性を感じる時がきたら、その時は迷わず「まな板の上のイルカ」になる覚悟はしっかりと持っているつもりです。



いよいよ次回は感動のフィナーレへと・・・つづく

     

体験談  DOLPHINさん ⑥

2008-02-15 09:34:15 | 体験談
●一昨日のコマーシャル見てくれましたか?・・・しつこい?
川崎市での講演会と実践なんですが、場所は渋谷から田園都市線急行で19分の溝ノ口です。
東京メトロ半蔵門線等を利用しても便利そうです。
現在も股関節長持ち術の教室を行なっているのですが、皆さんの情報交換やストレス発散の場となりつつあるようです。
ぜひ、皆さん4月6日と10日は、お友達をお誘いのうえ、ご参加願います。
駅から階段ないし、帰りには丸井で買い物もして帰れますよ~。
詳細及びお申し込みはこちらです。

●佐藤先生の予約が16日の0時(今夜)から開始になります。
こちらもよろしくお願いいたします。



☆ 50代 Part 4 ストレス解消法

 確かに自宅と義母宅の往復と、日々の買い物(とこれから説明すること)以外は家にいましたが、私は自分でモノ(あらゆるモノです)を作ることが好きなのでミシンで洋服を作ったり・編み物・織物・手芸・廃物利用で何かを創る・ケーキを焼く・色々の楽器を弾くなど 熱中できることはいっぱいあり、一人でも結構楽しんでいました。

 (でも本音を言うと、足の痛みの時はそれらに熱中できるけど、精神的にどん底の時は無理でゴザイマシタ・・・アハハハハ)

 そこで登場です。
どんな時でもできるワタクシの最大のストレス解消法。

 それは『水泳』です。
「なぁ~んだ」なんて言わないでください。
初めは気にしつつ出かけていましたが これは私にとって「リハビリ」という立派な名目になるので、だんだん堂々と出かけられるようになったのです。
「何があってもプールだけは行かせていただきます!」と宣言しました。
(10:00~23:00までの可能な時間に出かけています)
 
身体を動かすことが大好きでも陸上でのスポーツは次々断念し 水の中しか残ってなかったということもありますが、泳いでいる時は無心になれました。
「その日のストレスはその日の内に追い出す」ということを心がけていたので、プールの底のタイルが次々と足の方に流れていくのを見ながら
「さあ、嫌なことは忘れるゾォ~! 流すゾォ~!」
と思いながら泳ぐ・・・。

 But そう思っているということは忘れられていない・・・という訳でして・・・。
でも ある瞬間に「あっ、今忘れてたな」と思えるようになると、もうシメタもの。
やがてスッキリして元気になり帰宅できるのです。
時には昨日何とか水中に吐き出せたストレスを、翌日ブレス時に又水と一緒に呑み込んでしまい、「シマッタ・・・」なんてこともゴザイマシタが・・・。

こんなことを書くと悶々としながら泳いでるようですが、誰にもそういう日があるものですよね。 
そういう時の解消法をご紹介したまでで、普段は楽天家の私、嬉々としてルンルンで水と戯れておりますのでご心配なく。

 プールに行くことで
   全身のストレッチ
   泳ぎ(つまり全身運動と上達の楽しみ・レッスン受講)
   ウォーキング(様々な種類で)
   筋トレ(自己流)
   ストレス解消
   知り合いとのおしゃべり
   股関節周囲のコリの解し(これは松本先生のブログに出会ってからですが)
   全身の温め(ジャグジー・サウナで)
   シャンプー・身体の洗濯(ついでに心の洗濯も)

 これだけのことができてしまうのです。
ルンルンになることがご理解いただけましたでしょうか。

 以前所属のスポーツ施設で川柳の募集があり応募したことがあります。

     バタフライ
       本人イルカ
         傍目(はため)トド

 私のdolphin名はこの「イルカ」です。
トドとはほど遠い、限りなくイルカに近いバタフライを泳いでるつもり・・デス。
掃除は平気でサボるけど、プールはサボれない中年(老年じゃないヨ)不良デス。

   
 ☆ 50代  Part 5 松本先生のブログに出会う

 プールにどっぷり浸かった日々を過ごしている内に 痛みの間隔が少しずつ長くなり
痛みも弱くなってきていました。
6ヵ月毎の定期健診だったのが1年毎でいいということになり、 そして素人目にもはっきりとくっついて見えていた骨に隙間ができているようになったのです。
少ないけど同じ幅で軟骨があるのです。
歩く度にコキコキと響いてた音もいつの間にか消えています。
奇跡が起きたのかも・・・。

 それでも、「骨を守るために」と必要以上に(今思うと ですが)杖をついていました。
左足には絶対体重をかけてはいけない!と信じこんでいました。

その一方で、杖の使用開始直後に臀部・太股の筋肉が見事に落ちたことが頭にひっかかっており杖使用への疑問も感じていました。
「矛盾してる」と思いながらも、どうすることもできない状態でした。

「杖をはなすと体重がかかる・・・かかると痛みが出る・・・出ると軟骨がどんどん減っていく」 これが私の中の方程式でした。
そして、「この病気は進行性だからお医者様でも止められない」
「自分で何とか現状維持を少しでも長く持続させるより方法がない」
「間違っても良くなることは絶対にない」
と思っていました。

 だけど、確かに以前より良くなってる・・・。
やっぱり奇跡?
気のせい?

 そんなある日 偶然に松本先生のブログに出会ったのです。(やっと先生登場!)
病気のことを探してた訳ではなく 本当に何かの拍子です。

 その衝撃・喜び・感激は 今これを読んで下さってる皆さんが共通して分かり合えるものですよね。
2晩かけて先生のブログ・皆さんからのコメントを最初から読み、「世の中にこんなに患者のことを考えて下さってる先生がいるんだ・・・」
「本物の先生だ!」と改めて感激し、何とか診察を受けたいと思いましたが、義母をおいて長時間出かけることはできず、とにかくブログに書かれてる『筋肉解し』を始めることにしました。

    ☆ 50代 Part 6  『筋肉解し』

徐々に気付かないような鈍さで改善するのだろう と思いながら始めた『筋肉解し』だったのですが、始めてわずか1ヶ月で効果がでてきてビックリ!
 
  ○気持ちがいい
     痛みのある部分を押すなんて、骨がつぶれて余計にひどく悪化するのではと馬鹿な考えを持っていた私だったのですが・・・。      
     この「気持ちよさ」は快感(?)でした。
     癖になりそうな「痛気持ちいい」の感覚、大発見でした。

 ○足の開きが良くなった
    徐々にではなく1ヵ月後のある日突然足がいつも以上に開いたのです。
    もう、20年以上開かなかったのに・・・。
    「えっ?  うそォ~・・・」と初めは目を疑いました。
    「これは私の足じゃない・・」そんな感覚でした。

 ○「あぐら」をかけるようになった
    開きが良くなったその日にすんなりと胡坐がかけたのです。
    今までは胡坐をかくと身体が大きく右に傾いたし、何より痛みが伴いました。 
「ヤッホーッ」の気分でしたが、まだ疑っていました。
    「今日はたまたま調子がいいだけで、明日になったら又元に戻ってる筈だ・・」

    でも、その日から今日までずっとその状態が続いています。
    (日記にしっかり記録が残っています) 

因みに、この解しは家でもやりますが、水の中(プール)ですると水着しかつけてないこともあり、コリの場所が非常にわかりやすくお勧めです。
プールの隅でお尻や中殿筋などを揉んだりたたいたり・・・。
私は全く平気ですが上品な方には無理かもなァ・・。

 俯き、ひたすら揉んでたら新米のバイトのスタッフがとんで来て
「どうしました! 大丈夫ですか!」と声をかけられ
「ハッ????何が???」 なんてことも。

「腰が痛いの? 手伝ってあげようか? いくらでも揉んであげるよ」と言うやさしいオジサマも現れたり・・・。




そろそろかなぁ・・・いっちょうらのオベベ着てます・・・つづく

体験談  DOLPHINさん ⑤

2008-02-14 00:22:45 | 体験談
●昨日のコマーシャル読んでくれた?
お願いしますよ~。
●昨日は北海道からの患者さんと九州からの患者さんが同じ時間帯となりました。
お二人が色々と話をしているのを見ていて、なぜかうれしかったなぁ。


50歳代、私はどうも 一度やり始めたことは正当な理由が無い限りやめられない性格のようなのですが、これは小学3年生の時の父との会話の結果身についたもののようです。
「dolphinは三日坊主だなあ」
「三日坊主って何?」
「何かを続けようと始めてもすぐやめてしまう人のことを言うんだよ」
「ふーん」

 それ以上は何も言われなかったのですが、その時「三日坊主ってのは良くないんだな。  ヨシッ、これからは三日坊主と言われないようにしよう」と子供心に思ったことを覚えています。

 で、4年生の時から日記を付け始めました。
そのままずっと書き続け、出産後はそれが育児日記に変わり、子供の成長記録になり、あまりにノートが増えるので40代からは1冊の10年日記に替えました。

 そして50歳になった時からは、もう1冊10年日記を購入しそれには「股関節関係」のことを記入することにしたのです。勿論それまでも記録していましたが、1日に書けるスペースが少ないので別にした訳で 今でも毎晩2冊の重い分厚い日記帳を開いています。

  その冒頭に書いてあることをご紹介します。(チョット恥ずかしいけど・・・)

  ~~~~~~~~・~~~~~~~~・~~~~~~~~・~~~~~~~~

    この日記帳は股関節(健康面)に関すること中心の記録帳也。
   50歳を迎え、更年期とも重なり変形性股関節症が急に進行したのを感じ、毎日の筋トレ・リハビリの重要性を実感。
   病気の進行状況を記録することにする。

    すでに骨の一部が完全にくっつき軟骨もない状態ではあるけれど、最低60歳まで
   あと10年は現状維持を・・・というわずかな希望を持って、1日、1日を過ごすことを決意!

    リハビリ頑張るゾ!
    奇跡をおこすゾ!

    この日記帳が全て終った時、つまり10年過ぎた時(60歳や)まだ
   手術をしない状態でいられますよう!!!

  ~~~~~~~~・~~~~~~~~・~~~~~~~~~・~~~~~~~~

 と、こんなことを書いておりまする。

 で、2冊の日記を書き始めて半年後に、多分私の人生での最大の転機がおこったのです。

 ☆ 50代 Part 2

夫の母は義父を見送った後一人で住んでいましたが、(近所に夫の姉夫婦・妹夫婦・弟夫婦が、隣の県に兄夫婦がいるので安心でした)83歳の高齢になるし誰かが一緒に住まないとということになり、何と一番遠くに住んでいた次男である夫が後を継ぐことになったのです。

 夫は単身赴任中だし、長男は会社の寮にいるし、社会人になって3ヶ月の次男が一人で家に残り私だけが単身赴任のような形で引越すことになりました。

 突然のことに私が何を心配したかというと・・・。
その頃友人達が、更年期の症状で悩んでたり、子供が巣立ち寂しくて気力を無くしたり、
夫の単身赴任でうつ病になったり、仕事をやめて脱力状態に陥ったりしている・・・という状態になっているのを見ていたので、それら全てを同時に無くすことになる私は大丈夫だろうか・・ということです。
いいえ、それらにプラス沢山の友人達・沢山の趣味のサークルをも同時に無くすことになる現実・・・さらに新しい土地で高齢の義母との二人暮らしをしなければいけない・・・。
突然残された次男はちゃんとやっていけるのだろうか・・・。

 と、不安が山のようにありました。
そうです。 足のこともありますよねぇ。

ところが、友人達は私のことではなく8歳年上の私の大親友のことを心配したのです。
「あなたがいなくなったら○○さん(親友のこと)がどうなるんだろうと心配」と。
「そんなぁ。彼女には私一人がいなくなるだけだよ。私は友達皆だよ。レッスンの子供達も
息子も合唱団も・・・私の心配をしてよォ」
「dolphinは大丈夫だよ」
「どうして?」
「強いし何事も前向きだから。誰も心配なんかしてないよ。お姑さんとも上手くやっていけるよ」

 と何人もの友人に言われたのです。
これには本当に驚きました。
私ってそんな風に見られてたのか・・・。
そのことを喜ぶべきなのか、反論すべきなのか・・・。
私は強い?
こんなに悩んでるのに・・・。

でも・・今さらしょうがないな。
ケセラセラや。なるようになるサ。
 
こうして私は義母のもとへ単身赴任をしたのです。

      ☆ 50代 Part 3

 新しい生活は覚悟はしていたものの やっぱり想像以上に精神・足共に大変でした。
その頃の義母は杖をついてはいましたが、歩く時は私の腕にしがみつき体重をかけてくるので、私は本来と逆の手に杖は持っているものの上手く使えず、患足に二人分の体重がかかる歩き方になってしまうのです。
「お母さん、二人で歩いてるのに足が6本もありますねえ」と顔では笑いつつも必死に痛みと戦っていました。

同居と言っても敷地内に別々の一戸建てに住む形だったので、常は全くの一人っきりの生活で恵まれていました。
が、朝から(6時過ぎのことも)晩まで電話がかかり、その度に出て行くことは、玄関~玄関までわずか30歩くらいのことなのに激痛の時はかなりきついものでした。 
特に食事は岡持に入れて運んでいたのですが、雨の日は傘をさすと杖が持てず、岡持が斜めになると汁物がこぼれたりするし、器の重さだけでも結構重いしこれも予想外の苦戦でした。

 さらに義母は骨粗しょう症で骨がもろくなっていることもあり、私が同居してから現在までに脊椎圧迫骨折1回・腰椎圧迫骨折4回・鎖骨骨折1回・肩脱臼2回・肋骨にひび2回・それに大腸がん手術・・・その他があり、義母自身も痛みと戦っていました。
義母の痛みがひどい間はベッドから起こしトイレに連れて行くだけでも大変で、私一人では抱えられず限界を感じて、1回だけ私からお願いして入院してもらったことがありますが、大腸がん以外は自宅療養で治しました。(足が弱って歩けなくなることを恐れ、義母が入院を嫌がった為です)

 今振り返ってみると 私ってスゲェ!
よく頑張った!(過去形ではなく現在進行形ですが) 

心身ともに辛かったことは山ほどありますが、義母も私に対する不満は沢山ある筈なので お互い様だと思うことにしています・・・が、辛さというのは精神的なものより痛みの方がはるかに楽でした。
痛みは何日か我慢すれば必ず楽になることがわかっていたから・・・。
 
私は足を含めて自分の病気のことで精神的に落ち込んだり泣いたりしたことは一度もありません。
心配・不安はあっても何故かプラス思考になってしまうのです。
その他のことでも楽天的だと自他共に認めていますが、私だって人間ですよ・・・。
時にはがんじがらめになり息苦しい日もありました。(誰にも言わず一人で処理していた為でもあると思いますが)

 今まで続けていた趣味のうち何か一つをして息抜きをしないと・・・と思い、混声合唱団に入り少しずつ知り合いが増えましたが、それも義母のことがあって出辛くなり退団せざるをえなくなってしましました。

 かわいそうに・・・。
1日中家にいて たった一人でいったい何をしていたの ってか?
ご心配なく。

「一人っきり」には違いないけど、その一人っきりを楽しめる性格・何事も楽しめる特技があるし、私には最大のストレス解消法と小さい解消法がいっぱいあるのです。

     

散髪に行って・・・出番をお待ちしていますが・・・・つづく

体験談  DOLPHINさん ④

2008-02-13 08:54:04 | 体験談
●コマーシャルです
神奈川県川崎市に、運動指導士の彦坂さんを中心とした“きらら”というグループができました。
スタッフは皆さん私の患者さんです。
股関節を長持ちさせる体操教室を中心に様々な取り組みをしています。
私も協力していまして4月6日に股関節を長持ちさせる講演会を行ない、講演会で話した理論に基づき4月10日には股関節を長持ちさせる実践を行います。
詳細およびお申し込みはこちらまで
川崎でお会いましょう!


 40歳代、少しずつ痛みの回数と強さが増してきましたが、徐々になので痛みにも慣れてきており、「大変ね」と言ってくれる友人には
「痛みは私の仲良しのお友達」と答えていました。

仕事は自宅で楽器のレッスンをしていましたが、幼稚園~大学生(おばさまも)を相手に15時~21時までを費やしていたので、毎日が時計と睨めっこのフル回転状態でした。
この頃になると時々知り合いから「足どうかしたんですか?」と声をかけられることが増えてきました。
本人は普通に歩いてるつもりでも、痛みのある時はどうしても傾いていたようです。

 43歳で激痛がおこり病院へ。(総合病院の整形外科)
「まだ、隙間があるから大丈夫だろう」との診断でしたが、自分の感覚で卓球は良くないだろうと判断し断念しました。 だん念・・・いや残念でしたが「足の方が大切」と私の中では一大決心でした。(とにかくスポーツ大好きオバサンなので)

45歳でも激痛で病院へ。

48歳の時夫が単身赴任となり、大きな声じゃ言えないけど楽になりました。
「淋しいでしょう?」
「全然~。食事が手抜きできてラッキー! です」
「色々と不便でしょう?」
「全ぜぇ~ん。ルンルンや」と・・・。(悪い奴っちゃ)
 
 この年も激痛がおこり病院へ。
「骨と骨の隙間がなくなったら手術になりますね」とのこと。

 49歳で又激痛。(激痛の間隔がさらに短くなってきました)
「のう胞が大きくなってるけど・・、ウ~ンまだ骨はつぶれてませんねえ」
えっ!先生骨がつぶれるのを待ってるの? (そんな印象を受けました。)

 半年後、今度は自分でも「これは重症かも・・・」と覚悟しながら診察を受けたところ
「ヨシッ、くっついたなあ。もういつ手術してもおかしくないですよ!」
「はぁ・・・」と答えながら内心は
「そんなぁ、『待ってました』とばかりの言い方しないで下さいよぉ」と思っていました。

「骨の状態の割には足はよく動くので、あとはあなたがどれだけ痛みに耐えられるか・・・だけです。耐えられなくなったら即手術ですね」との診断でした。 

 

その頃は歩く度にコキコキと骨と骨がこすれる音が絶えず鳴っていて、じっとしていても痛みがあるのが普通になり、痛みの無い日はありませんでした。

 で、私がとった行動はお医者さんには何も言われなかったけど「骨を守るために杖をつこう」ということでした。(当時は若くて杖を使用してる人はあまり見かけませんでした)

抵抗は無かったと言えばウソですが、「何でも見てやろうの精神」旺盛なワタクシは 
「元気印の私が杖をついてる姿を見て周りの人がどのように反応するのかを見てみたい」という衝動にかられたのです。(変な奴)
同じことなら人目を気にするより楽しんでやろうじゃないの・・・と発想を転換したのです。

 その結果、こんなデーターが出ました。

① 見つけるなり「えっ!どうしたの?」と駆け寄ってくるタイプ
② 暫く様子を見てから徐に「どうなさったんですか?」のタイプ
③ 親しいのに、目が合ったのに気付かぬふりして通り過ぎるタイプ
④ 「あらっ、何処の山に登ってきたの?」と登山だと信じこんでいるタイプ(バッグを
 ショルダーからリュックに替えたこともありますが)
⑤ 瞬間、「見てはいけないものを見てしまった」という表情をして会釈のみするタイプ
⑥ 何でそうなったのかを次々しつこく尋ねてくるタイプ
⑦ 「かわいそうに・・・」を繰り返し言うタイプ

親しいのに距離をおく人・顔見知り程度だったのに急に親しそうに寄ってくる人
いつもと全く変わらない人・興味津々の人。
人間の性格っておもしろいなあと思うと同時に、受け取る側の性格によっても見方が違ってくるだろうと感じました。
     
  私の杖スタイルが定着してからの反応

① 「私が荷物を持ってあげます!」といそいそと寄ってくるタイプ
② さりげなくいつの間にか荷物を持ってくれているタイプ 
③ 「大丈夫ですか?歩けますか?」とうるさいタイプ
④ 「杖をつくの上手になったねぇ」とちゃかしてくれるタイプ
⑤ 「そこに段がありますよ」とお節介なタイプ 
   
   ②と④が嬉しかったです。
④については「うん、もう完璧や。結構難しいんだよ。ついてみてごらんよ」
    ということで5・6人が試してみて皆で大笑いをしたこともありました。
    皆はやっぱり下手でした。 アハハハハ。

私自身の変化

① 今までは気付かなかったのに杖をついているお年寄りに目が止まるようになり、つい仲間意識が働き「コンニチハ」と言ってしまったりすること
② 道路・店のフロアなど車椅子の通行に邪魔になるものが目につくようになったこと
③ 障害者マークの駐車場に該当者以外の人が止めてるのが気になり始めたこと
④ 若くて杖を使用している方に声をかけるようになったこと(時と場合による)
⑤ 障害のある方の姿を見ると『がんばって!』と今まで以上に心の中でエールを送るようになったこと

ただ杖を使用するだけで、今まで見えてなかったものが見えるようになったし、人の優しさを今まで以上に感じられるようになったし、素直に感謝できるようになったし・・・。
得たものは大きいな、と思っています。

 「以上でおしまい」と言いたいのですが、本番はこれからですよ。
ええーッ、この人いったい何歳なんや? と思ってるんでしょ?
だってまだ松本先生が登場してないもん。




私の出番はあるのだろうか・・・つづく。

体験談  DOLPHINさん ③

2008-02-12 08:24:27 | 体験談
DOLPHINさん③の前にお知らせを少し。
●2月から女性の宮川先生〔アロマセラピスト、深圧歴4年〕が加わりました。
女性が加わると、女性のお客様が来やすいと考えていましたので、やっと準備ができたと言う感じです。〔昨年9月にも女性の先生を入れようとしたのですが・・・ふられました・・・〕
今まで3人の方に『女性の先生がいると安全・安心な感じですね』との意見をいただきました。感謝です。
もちろん施術の質を高める努力は怠りませんよ!

●2月16日~2月29日まで佐藤先生の予約受付を開始します。(予約対象日は4月1日~5月31日までの期間内の予約となります。※3月23日にも3人分の追加枠を設定しています。)
この予約枠では松本が診察を行い佐藤が施術を行なう形で50人の枠を設定しました。
佐藤先生は現在某大学病院に勤務する男性の理学療法士です。
新患のみの受付となります。(初回は90分15000円です。)
予約はここから、予約方法がわかりにくい方はここを見て下さい。

●3月1日からは常時3人の予約が取れるようにいたします。
〔宮川、佐藤の予約に関しては、松本はほとんど診療にあたれません。〕

予約に関してはいろいろとご迷惑をおかけしてきました。
今後ともよろしくお願いいたします。
       ル・サロン・ギンザ(銀サロ) 松本・宮川・佐藤    






20歳代、考えてみると20代の10年間の変化というのは凄いですね。(足のことではなく、おかれた立場のことデス)
学生(娘)~社会人~妻~嫁~母となるんですから。(23歳で結婚・25歳で長男出産・28歳で次男出産)

 この間も時々痛みが出ていましたが、2・3日控えめに行動していると治まっている状態で、
何が原因だろうと色々考えてみると「そう言えば1週間前に子供を抱っこして歩き過ぎたかな」と思い出したり・・・。
(次男は生後6ヶ月で体重10kgもありました)
 
その頃は無理をした翌日ではなく、5日~1週間遅れて痛みが出る状態で、その後その間隔は少しずつ短くなっていきました。

29歳の時4歳と1歳の息子を連れてスキーに行きましたが、スキーを着けた長男を私のスキー板の間に入れて緩い斜面をボーゲンでゆっくりすべるだけで もう無理はしませんでした。
そしてこれを最後のスキーにしようと決心し、以後夫と子供は出かけても私は留守番に徹しました。 


30歳代、32歳の時次男が入園し、自分の自由になる時間が出来たので(この時が来るのをひたすら待っていました)、一般の合唱団に入団 & 水泳を始めました。

 翌年33歳の時PTAの卓球部に入部、その秋次男の幼稚園遠足は徒歩での「芋ほり」でした。
掘り起こした2人分のサツマイモを持っての帰り道、下の子供をベビーカーで押しているお母さんが2人いて大変そうだったので、腕力には自信のあるワタクシ、彼女達つまり6人分のイモを引き受けて元気よく歩いたのです。

 その日の夜中激痛で目が覚めました。
じっとしていても息を止めずにはいられない初めての激痛でした。
翌日タクシーを呼んだのはいいけど、玄関からタクシーまでの数歩がつかまるものがなく歩けない状態で、運転手さんに助けていただきながら整形外科へ。

 そこで初めて「変形性股関節症」という病名を告げられ、「軟骨が徐々になくなり50歳位になったら人工股関節をいれないといけない」と言われたのです。
「えっ!・・・」と少し驚きましたが、即切り替えモードが働き 「まだ17年も先のことや。今から考えてもしょうがない。何とかなるやろ」と楽天家のdolphinさんでした。
夜帰宅した夫にも他人事のように伝え、彼も「フーン・・・」で一件落着しました。

 ある日卓球練習中にコーチから「ひょっとして左足悪いんですか?」と言われました。
「はい。どうしてわかるんですか?」
「体重のかけ方がちょっと違うから、ひょっとしたらと思って」
やっぱりコーチはすごいなぁ・・・と妙に嬉しかった。(変か?)

痛みのひどい時はさすがにやり辛かったけど、コーチの指導のお陰で毎年市の大会に出場するまでになり、合唱団も女声と混声の2つに増やし、38歳からは足のことを考えて(今のように情報がある訳ではなく、何となく筋力をつけた方がいいのではないかと勝手に考えただけです)、プールだけでなくジムでのマシーンを使った筋トレを始めました。 
(その頃から現在まで毎日の水泳・トレーニング記録は全て手元に残してあります)
 
痛みを除けば、趣味(他にも色々あり)も仕事も子育ても楽しみながら充実した30代でした。



DOLPHINさんは何歳なのか?
つづく

体験談  DOLPHINさん ②

2008-02-11 10:25:19 | 体験談
中学生になったら部活はブラスバンド部と決めていたのですがなかった為、テニス(軟式)部に入部し走り回ってたある日の日没のこと、ネットを片付けた後 友人がミスして転がったボールを全力疾走で追いかけていて、突然体に痛みが走り後方に倒されました。 
瞬間何が起こったのか、何故飛ばされるように倒れたのかがわからず、暫くコートに寝転び暗くなった空を眺めていました・・・。

「かわいそうに、ついに股関節の痛みが出たんだね」
今これを読んで下さっている方は そう思って下さいましたよね!

ブー。外れぇ~!

辺りはもう真っ暗に近い状態で、ボールばかり見て走っていた私にはコートに張られていたネットを通すワイヤーが全く目に入らず、それに思いっきり突進して引っ掛かり反動で後方へ跳ね飛ばされた・・・・だけなのデス・・・。 
どうぞお笑いください。
 帰宅して確かめたら、みぞおちに真一文字の赤・青の傷と血の跡がロープを張ったように美しく残ってました。 おそまつ・・・。

 それほど元気に走り回っていた中学時代でした。


 さて高校生になり、今度こそブラスバンドに・・・と思っていたのがコーラス部のハーモニーを聴き、ゾクゾクッときてコーラス部に変更。
 体育の授業では特に気になることも無く、長距離も得意でしたが 走り高跳びだけは相変わらず苦手でした。

 お年頃となると太い足が気になるものです。
1ミリでも細くならないものかとメジャーで足首・ふくらはぎ・太股を測ってみてはため息。その時左右の太さが違うことを認識。
足のサイズ(靴のサイズ)は左の方が小さいことに5年生の頃から気付いていましたが、太さはどこを測っても 0.5~1cm位の差がありました。

「太さも違うんだ・・・。太さだけは左足になりたい!・・・」  乙女心は複雑也。


大学は教育学科で、小学校の九教科は必須単位の為 当然体育もある訳ですが、この頃には何となく「左足に強い衝撃を与えない方がいいのでは・・・」という気持ちが自然に働き、跳び箱の着地などは意識して左足をかばうようにしていました。

4年間アルバイトで週1日体操教室の助手をしていました。
 私の担当クラスは幼稚園児~小学1・2年生までだったので、手本として見せるのはマット(前転・後転)・鉄棒(逆上がり・足掛けまわり)程度で特に困ることはなかったのですが、トランポリンだけは「足に良くないだろうなぁ」と思い、支障の無い範囲でやっぱり左足に負担をかけないように気を付けていました。

19歳の時、夜自宅前を走っていて突然身体に電気が走ったような鋭い痛みを感じ、気が付いたら転んでました。
 瞬間「???」 何が起こったのか・・・ 何もつまずいてないのに・・・???

ピーンときましたよね。
「ああ又暗くて見えなかったんでしょ? ワイヤーにひっかかったんでしょ?」
そう思われたでしょ?

 ブー!  外れぇ~!

この時が股関節の痛みを初めて経験した記念の(?)日なのです(幼少時は別にして)。
即近所に開院したばかりの整形外科に行き、ギプスをしていたことも報告し、レントゲン診断の結果、「お母さんに来てもらってください。説明しますから」と家に電話をして下さいました。

 「こんな不安そうな顔を見たのは初めて」という青い顔であわてて現れた母にびっくりして 診断結果を聞くより母の様子の方がずっと心配でした。

 結果は「脱臼はちゃんと治まってるから心配いらない。将来お産も大丈夫です。昨日足を使いすぎたんでしょう。(仲間とハイキングに行き1日歩き回っていた) 痛み止めを飲んでください」ということでした。
その時の母のホッとした赤みが戻った表情と、開院したての新しい建物独特の塗料などの臭いがセットになって 思い出になっています。 嫌な思い出ではなく、母の愛情をひしひしと感じたとても懐かしい思い出として。 

 (後にこの診断は間違ってたんだ と気が付くことになった訳ですが・・・)

 その年からスキーを始め冬休み・春休みは4泊位で出かけるようになりました。
ところが、股関節の痛みがでることがわかり、2回目からは行く前に痛み止めをもらってからというのが 習慣になりました。
休みに入り、私が現れるとそのヤブ・・いや・・アノお医者様は「またスキーですか?
ハイ痛み止めですね」というのが決まり文句でした。

 必ず痛みが出るけど、「大丈夫」と言われていたので 何の心配もしていませんでした。
「他の人よりチョット左足が弱いだけ」と単純に考えていました。
でも、痛かった・・・。
5月のゴールデンウィークに行ったときは(栂池に) 雪は山頂にしかなくゲレンデは草のみで当然リフトも止まっており スキーをかついで足首の曲がらないスキー靴で上まで山登りとなり、同行者に迷惑がかかるから「痛い」とは言えないし・・・きつかったぁ・・・。

 今思うと とんでもないことを平気でやってたんですねぇ。
逆に言うと「知らないということは強い」ですねぇ。
やっぱり「若さ」ですかねぇ。



さらに物語はつづくのだ!

体験談  DOLPHINさん ①

2008-02-08 12:15:38 | 体験談
 はじめまして、dolphinと申します
私の歴史もひょっとすると「ああ、私と同じような人がいるんだ」と誰かの参考になるかも、そして自分を見直すことにより私自身にとっても今後の指針になるかもしれないと思い、私の足の人生(?)を振り返ってみることにしました。
多分、長くなりそうなので 覚悟のある方だけ読んでみてくださいね。

 私の父は27年前、母は18年前に他界しているので 幼少時のことは私が見聞きした記憶だけが頼りなのですが、左足が先天性股関節脱臼とのことで生後6ヶ月から半年間ギプス治療をし、その後母が毎日マッサージに通ってくれたと聞いています。

 私の微かな記憶の中に 跛行状態で畳の上をヨチヨチ歩き両親に「上手に歩けたねぇ」と手をたたいてもらっているシーンがあります。(2歳くらい?) 

何故跛行だとわかるのかというと・・・。 私が歩くたびに 手を前に出して私を受け止めようと待ってくれている笑顔の両親が 左右に大きく揺れて見えていた画面がはっきりと残っていることから 後にそう解釈したのです。

そして、悪い左足は足の裏ではなく、指を折り曲げて(爪先立ちの逆)指の背側だけで着地していたような気がするのです。
これが私の最も幼い頃の映像として残っている足の記憶です。

それからどれくらい経過したのかは不明ですが、母に手を引かれて外を歩いてる時、近所の方から「あらぁ、dolphinちゃん歩けるようになったんだねぇ。良かったねえ」と言われたことも覚えています。
 
この二つの記憶は子供の頃は忘れていて 後にこの病気に苦しみだしてから そう言えば・・・と思い出したものです。

小学校1年生の運動会は、走りながら「走るってどうするんだろう・・・???」
「どうして足が速く動かないんだろう?」と思ってたことを覚えています。
ゴールがすごく遠く、走っても走っても到着せず、一緒にスタートした筈の友の姿も見当たりませんでした。

それがどうしたことか、2年生になったある日突然、遊んでいて「何だ。腕を速く振ればいいんだ」と開眼したのです。
その時の「何だぁ。こんなに簡単に走れるんだ」と思った快感も覚えています。

2年生の運動会ではリレーの選手になっていました。
走ってる時に「dolphin、ガンバレー!」と父の声が聞こえたこと、そしてその夜の、「速く走れるようになったなあ。良かったなあ・・・」と、日頃見聞きしたことが無いような嬉しそうな父の表情と声も覚えています。 
その時、子供心に「ただ走っただけなのに どうしてそんなに大喜びをするんだろう・・・」と不思議に思ったこと、さらに布団に入り眠る直前に隣の部屋から「あの時思い切って手術して良かったなあ・・・」と話す両親の声を聞いたことも はっきりと覚えています。

 今こうして書いてみると、何だかドラマの一シーンみたいだなあ・・・と人事のような気分ですが、本当に残っているのです。
子供時代には完全に忘れ去っていることでも、何かの機会にフッと蘇るものなのですね。

 そのまま6年生までずっとリレーの選手を続け、運動が得意であらゆるスポーツが大好きになっていましたが、お転婆ではなく恥ずかしがりの大人しい子でした。(勿論今でもそうです。松本先生、そうですよね。ネ!)
 
 その頃には、「赤ちゃんの頃足が悪かったんだ」ということは忘れていましたが、「何でだろう・・・」と納得できないことがありました。
『片足けんけん』が右足はいくらでも出来るのに、左足は3・4回しかできないことに気が付いたのです。 「どうして???」・・・。
でも即自分勝手に解決しました。
「そうかぁ、私は右利きだから左足は苦手なんだな」と。 
「他の皆もどちらかの足はできないんだろう・・」と。
そう信じていました。

 もう一つありました。
走る・跳躍・立ち幅跳び・走り幅跳び・跳び箱などは得意なのに、走り高跳びだけが上手く跳び上がれないのです。 
もっと跳べる気がするのに・・・。
走り幅跳びは気持ちよく跳べるのに・・・???。 
これは自分の中で解決できないままでしたが、後に「そうか、右利きの場合走り幅跳びは右足で踏み切るけど、走り高跳びは左足で踏み切るんだ。  
『けんけん』ができない方の足で踏み切るんだ。しょうがないか・・・」と自分なりに納得したのです。


つづく




名医です!

2007-12-22 20:44:43 | 体験談
世間では~三連休~でもそんなの関係ね~ことないなぁ・・・うらやましい!

今日の患者さんのお言葉。


『私はスージーさんに助けられました。りんごさんやおまちゃさん、オパールさんにも助けられました。私にとって皆さんは名医です。』

困ったときににいろいろ助けてもらったようです。

新患さんから『アップルサイダーさんに・・・』『ラベンダーさんに・・・』『わんちゃんさんに・・・』という言葉をよく耳にします。

名医がいっぱいいるなぁ。

うれしかった。

感動した!



変形性股関節症を怖がらないでね