☆ 50代 Part 7 松本先生にお世話になる
夫がリタイアし10年ぶりに同居生活が始まりました。
その日を心待ちにしていた私は(夫をではなく、松本先生の所に行けるのを待っていたんです。 テヘヘヘ・・・相変わらず悪い奴っちゃ)すぐ先生に施術をお願いして日時の連絡をいただきました。
初診を受ける時というのは不安が伴うものですが、不思議なほどそれがなく、出発前に既に治ってしまったような癒された気分でルンルンと出かけました。
どこが痛いか・何が気になってるか・心配な点は などを尋ねて下さって、施術後それらの一つ一つに丁寧に納得できる答えを出してくださいました。
当日の日記に色々細かく記録してありますが、その中に「水泳をやってたのがいいんだろうねえ」と言って下さったと書いてます。
「優しさの漂う先生だった」とも・・・。
帰り道は 前につんのめるのではないかと思うくらい足が前に次々と出て、辺りは暗くなってたのに「世の中明るい!」と、行きのルンルンの何倍ものルンルンで颯爽と東京駅まで闊歩しました。
そして翌日、9年間私の3本目の足となってくれてた『杖』をしまいこみました。
でもちょっぴり心配で、いざという時の為に携帯用の杖(私には似合わない花柄)をコッソリ購入しておきましたが出番がないままです。
今までの杖は強い痛みが出た時、2回だけナイショで使用しましたが・・・。
(誰にナイショ? 勿論先生には報告済みですよ)
初めは何か忘れ物をしたような気分でしたが、今では杖がないのがごく当たり前になり、その「当たり前の感覚」を与えて下さった松本先生に感謝でいっぱいです。
人は「当たり前のこと」が当たり前でなくなった時に初めて 「当たり前であることが如何に幸せであるか」ということに気付くものです。
そして、せっかく気付いても「その当たり前」が当たり前になると(ややこしい・・・)又その幸せの感覚を忘れてしまいます。
この今の『当たり前の幸せと先生への感謝の気持ち』を一生忘れないようにしたいと思っています。
☆ 60代
えっ? まだ続くの? とお思いでしょうが・・・。
ワタクシは遂に「還暦」を迎えてしまったノダ。
そして巻頭に
この日記帳が全て終った時、つまり10年過ぎた時(60歳や)まだ
手術をしない状態でいられますよう!!!
と記した10年日記が1日も抜けることなく埋め尽くされました。
10年前の希望がクリアできたのです。
バンザ~イ!
2008年を迎え、ま新しい10年日記の巻頭には
70歳までではなく、一生手術をしないぞ!!
松本先生に 感謝!!
と書いてあります。
この手術の件、11年前に「いつ手術をしてもおかしくない」との診断が下ったのに
何故しなかったのか ということについて書いておきますね。
私の身体は丈夫で普通の方より元気で体力もあると思っていますが(松本先生といっしょで風邪をひきません)、その割には受けた手術が多いのです。
8歳 扁桃腺両方摘出手術
19歳 虫垂炎手術
30歳 3人目を妊娠5ヶ月目でお腹の中で亡くし手術
40歳 子宮筋腫と右卵巣のう腫摘出手術
46歳 右目翼状片手術
52歳 両眼白内障手術
確かに多いですよね。
子宮筋腫の時は「急がなくても半年以内でご家族の都合のいいときで大丈夫」と言われたにもかかわらず、わかった以上1日も早くスッキリしたいからと4日後には入院していたし、白内障も「初期だから手術はまだ早い」と言われたのに、夜の車の運転時に対向車のライトが眩し過ぎることに危険を感じたことと、楽譜が見にくいことが不便で、渋るお医者さんを説得して手術を受けました。
しかも、義母が一人になるから日帰り手術で 付き添いも無い状態で決行しました。
(片目を手術して2週間後にもう一方をしました)
それほど潔く、すぐにまな板の上のイルカ・・いえ鯉になる私なのに、股関節に関しては全くその気持ちになりませんでした。
怖いから・嫌だから というのではなく、子供の頃から「痛みに強い」体質だったこともあると思いますが、まだまだ自分の骨で大丈夫だという確信に近い妙な自信があったからなのです。
その自信と楽天的な性格のお陰で、そして何より松本先生のお陰でレントゲン画像も自分の感覚も11年前よりはるかに調子良くなっています。
10年ぶりに偶然出会った友人に「あれっ、足治ったの?」と言われたのが何よりの証拠です。
その中でも一番良くなったのが『心』です。
松本先生のお陰で痛みの仕組み・原因が理解でき、痛みが出ても『間違った考え方・心配』をしなくなったことによって気持ちが楽になり、それが更に相乗効果になり・・・という調子で今の自分があると思っています。
感謝・感謝の毎日です。
でも、万一手術の必要性を感じる時がきたら、その時は迷わず「まな板の上のイルカ」になる覚悟はしっかりと持っているつもりです。
いよいよ次回は感動のフィナーレへと・・・つづく
夫がリタイアし10年ぶりに同居生活が始まりました。
その日を心待ちにしていた私は(夫をではなく、松本先生の所に行けるのを待っていたんです。 テヘヘヘ・・・相変わらず悪い奴っちゃ)すぐ先生に施術をお願いして日時の連絡をいただきました。
初診を受ける時というのは不安が伴うものですが、不思議なほどそれがなく、出発前に既に治ってしまったような癒された気分でルンルンと出かけました。
どこが痛いか・何が気になってるか・心配な点は などを尋ねて下さって、施術後それらの一つ一つに丁寧に納得できる答えを出してくださいました。
当日の日記に色々細かく記録してありますが、その中に「水泳をやってたのがいいんだろうねえ」と言って下さったと書いてます。
「優しさの漂う先生だった」とも・・・。
帰り道は 前につんのめるのではないかと思うくらい足が前に次々と出て、辺りは暗くなってたのに「世の中明るい!」と、行きのルンルンの何倍ものルンルンで颯爽と東京駅まで闊歩しました。
そして翌日、9年間私の3本目の足となってくれてた『杖』をしまいこみました。
でもちょっぴり心配で、いざという時の為に携帯用の杖(私には似合わない花柄)をコッソリ購入しておきましたが出番がないままです。
今までの杖は強い痛みが出た時、2回だけナイショで使用しましたが・・・。
(誰にナイショ? 勿論先生には報告済みですよ)
初めは何か忘れ物をしたような気分でしたが、今では杖がないのがごく当たり前になり、その「当たり前の感覚」を与えて下さった松本先生に感謝でいっぱいです。
人は「当たり前のこと」が当たり前でなくなった時に初めて 「当たり前であることが如何に幸せであるか」ということに気付くものです。
そして、せっかく気付いても「その当たり前」が当たり前になると(ややこしい・・・)又その幸せの感覚を忘れてしまいます。
この今の『当たり前の幸せと先生への感謝の気持ち』を一生忘れないようにしたいと思っています。
☆ 60代
えっ? まだ続くの? とお思いでしょうが・・・。
ワタクシは遂に「還暦」を迎えてしまったノダ。
そして巻頭に
この日記帳が全て終った時、つまり10年過ぎた時(60歳や)まだ
手術をしない状態でいられますよう!!!
と記した10年日記が1日も抜けることなく埋め尽くされました。
10年前の希望がクリアできたのです。
バンザ~イ!
2008年を迎え、ま新しい10年日記の巻頭には
70歳までではなく、一生手術をしないぞ!!
松本先生に 感謝!!
と書いてあります。
この手術の件、11年前に「いつ手術をしてもおかしくない」との診断が下ったのに
何故しなかったのか ということについて書いておきますね。
私の身体は丈夫で普通の方より元気で体力もあると思っていますが(松本先生といっしょで風邪をひきません)、その割には受けた手術が多いのです。
8歳 扁桃腺両方摘出手術
19歳 虫垂炎手術
30歳 3人目を妊娠5ヶ月目でお腹の中で亡くし手術
40歳 子宮筋腫と右卵巣のう腫摘出手術
46歳 右目翼状片手術
52歳 両眼白内障手術
確かに多いですよね。
子宮筋腫の時は「急がなくても半年以内でご家族の都合のいいときで大丈夫」と言われたにもかかわらず、わかった以上1日も早くスッキリしたいからと4日後には入院していたし、白内障も「初期だから手術はまだ早い」と言われたのに、夜の車の運転時に対向車のライトが眩し過ぎることに危険を感じたことと、楽譜が見にくいことが不便で、渋るお医者さんを説得して手術を受けました。
しかも、義母が一人になるから日帰り手術で 付き添いも無い状態で決行しました。
(片目を手術して2週間後にもう一方をしました)
それほど潔く、すぐにまな板の上のイルカ・・いえ鯉になる私なのに、股関節に関しては全くその気持ちになりませんでした。
怖いから・嫌だから というのではなく、子供の頃から「痛みに強い」体質だったこともあると思いますが、まだまだ自分の骨で大丈夫だという確信に近い妙な自信があったからなのです。
その自信と楽天的な性格のお陰で、そして何より松本先生のお陰でレントゲン画像も自分の感覚も11年前よりはるかに調子良くなっています。
10年ぶりに偶然出会った友人に「あれっ、足治ったの?」と言われたのが何よりの証拠です。
その中でも一番良くなったのが『心』です。
松本先生のお陰で痛みの仕組み・原因が理解でき、痛みが出ても『間違った考え方・心配』をしなくなったことによって気持ちが楽になり、それが更に相乗効果になり・・・という調子で今の自分があると思っています。
感謝・感謝の毎日です。
でも、万一手術の必要性を感じる時がきたら、その時は迷わず「まな板の上のイルカ」になる覚悟はしっかりと持っているつもりです。
いよいよ次回は感動のフィナーレへと・・・つづく
私の場合、ときどきちょっと
弱くなりますけど・・・
た、たぶん今は・・・
気候のせいもあるかも
はーるよこい
はーやくこい
ドルフィンさんの覚悟は、いつもカッコイイ!
人の前を歩けない、家事がすぐ疲れる、電車にも乗りたくない、
残りの人生考えたら やっぱり悲しくなります。
でもここへきて励まされる。
私ももうじき孫ができます。どうか無事に生まれて
障害なく大きくなりますように 祈るだけです。