股関節痛は怖くない!~変形性股関節症の新しい考え方

変形性股関節症の常識には間違いが多く、怖さを抱えている人が多い。
常識の間違いを理解して人生を楽しみましょう!

常識の非常識シリーズ 2

2008-02-29 19:46:02 | 股関節の基礎
●本日から、松本、宮川、佐藤の予約が取れるように設定いたしました。
予約はこちらから


『変形性股関節症は進行性です』

うそです。

『進行』や『変形』という言葉を『修復』にかえると理解しやすいです。

子供のころに、すべての修復が終了してしまっている方もいますね。
40歳くらいから急に修復が始まり、5年くらいで修復が終了する人もいますね。
40歳くらいから急に修復が始まり、10年くらいで修復が終了する人もいますね。

修復が落ち着くと、意外と痛みはなくなるんですね。

『この病気は進行です。』というより、今、目の前にいる患者さんの進行を、今、止めたい。




常識に惑わされてはダメダメダメ!


変形性股関節症を怖がらないでね


常識の非常識シリーズ 1

2008-02-27 00:51:46 | 股関節の基礎
『変形性股関節症は進行性です』

うそです。

進行を止めようとしないで、軽々しく『進行性です』と言わないでほしいなぁ。

骨に負担がかかり過ぎる状態で放っておかれるから進行する様に見えるのです。

骨への負担を吸収するのは筋肉です。
つまり、筋肉が病気のままでは骨への負担がかかり過ぎる。
筋肉が正常になると骨への負担がなくなり骨は長持ちする。

骨が長持ちできる環境を整えてあげれば進行を止められるでしょう。


常識に惑わされてはダメダメダメ!


変形性股関節症を怖がらないでね





お知らせ

2008-02-23 01:55:05 | Weblog
●4月6日の講演会、4月10日の歩行教室(他の実践法含む)ともに、私とスタッフ勢ぞろいで行います。
まだ空きがありますので、皆さんふるってご参加ください。
お申し込みはここから
よろしくお願いいたします。

●出張のお知らせです。

1、札幌→4月18日から
2、大阪→5月23日から
3、まだ決定していませんが、6月はじめに別用で沖縄に行く予定があります。
  6月3日と4日は施術時間が取れますので、ご希望の方はここからお問い合わせください。

あやしい関係?

2008-02-22 08:50:11 | 股関節の基礎
決してあやしい関係ではないのですが、皆さんが歩くときの足首(足関節)と膝(膝関節)の動きには一定の関係があります。

これをKnee-Ankle Combination(ニー・アンクル コンビネーション) と言います。
Kneeは膝関節、Ankleは足関節です。

足首が上に動く(背屈)とき膝は伸びる。
足首が下に動く(底屈)とき膝は曲がる。
こういう決まりがあるのです。

皆さんが歩くときに、踵を床につけると足首は背屈するので膝が伸びるんです。
逆に、つま先から床につけると足首は底屈するので膝は曲がります。

私が「踵から着いて」と指導するのは、踵から着いて膝を伸ばして体重をかけると、しっかり股関節まで体重がかかるようになるからです。
そうすれば、“筋力が低下する”ことを防げるのです。

つま先から着いた方が楽なので、そのように歩いている方は意外と多いです。
つま先から歩くと、膝が曲がるためももの表側やお尻の筋肉が使えないので、ももやお尻の筋力が低下します。
また、つま先で歩くとすねや膝の痛みなどが出やすくなります。

意識をすることによって踵から床に着くことができる方は、ヒールコンタクトを意識してみてください。
すねや膝の痛みがなくなり、ももやお尻周りの筋力がついてくる可能性が高くなるのではないでしょうか?



変形性股関節症を怖がらないでね





体験談  DOLPHINさん ⑧

2008-02-20 22:37:03 | 体験談
☆ これでおしまいで~す

 還暦直前に、一人暮らしも板に付いた次男が出張ついでに1泊し、
「これ、兄貴とボクからの還暦祝い。お父(とう)も帰ってきたことだし これからはコレを持ってどんどん外へ出かけて人生を楽しんで」と私好みのスポーティなバッグをプレゼントしてくれました。
 
 40年以上股関節の痛みに耐えてきたけど、足のことで涙を流したことは一度もないのに、こういう嬉しいことにはメチャメチャ弱い私、ウルウルしながら
「自分ではとても買えない高価なブランド品をありがとう!」 と言ってるつもりが、
「うわぁ~、メーカー品をサンキュー!」と言ってしまい 「おっかあ、電気製品じゃないんだよ」と失笑されました。

 そのバッグの街頭デビューは松本先生の施術を受ける日でした。
人中ではいつも左足に人・物などがあたらないよう気を付けて歩いているのに、この日はそのメーカー品をかばって歩き、足のことは忘れてました。
それだけ、私の足も一流品に近づいてきた証拠です。

 かばっていたにもかかわらず、大事なバッグには傷が数本・・・。
息子達に「気をつけてたのに もう傷が付いちゃったよォ」とメールしたら
「皮は使い込めば又違った味が出ますからね、どんどん使ってください」と返事がきました。
「よぉ~し、どんどん傷つけて私のような味のあるバッグにするぞォ」と又返信。

 でも、私が持っている一番大切なメーカー品は この二人の息子ですよ。

 今月満93歳になる義母は、足は本当に弱くなり一人で立ってることはできなくなりましたが、食欲もあり身体は非常に元気ですし、頭も皆がびっくりするほどしっかりしていて毎日新聞を隅々まで読んでいます。有難いことです。

 そして今まで一人で苦闘していた義母の通院など力仕事は夫がしてくれるようになり、随分楽になりました。これも感謝です。

第二の人生を自分の足で羽ばたきますよぉ!

~~~~~~~~・~~~~~~~~

 長くなるとは思いましたが、まさかここまで長いとは・・・。
60年も人間をやってたら長くなるもんですねぇ・・・。
もし、最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら ありがとうございました。
お疲れ様でした。

 本当は松本先生にお世話になってからの色々な嬉しい変化をいっぱいお知らせしたいのですが、これ以上長くなるとお叱りを受けそうなので、それらは私の宝物にしておきます。

 松本先生! 私を含めて全ての患者さんのことを これからも末永くよろしくお願い致します。
でも、決して無理はされませんように・・・。
           
                          お わ り



DOLPHINさんありがとうございました。
私はあとしばらく無理します。
DOLPHINさんに負けないよ~。


最後に皆さんで・・・

変形性股関節症を怖がらないでね・・・エヘッ。




体験談  DOLPHINさん ⑦

2008-02-18 15:28:00 | 体験談
☆ 50代 Part 7 松本先生にお世話になる

 夫がリタイアし10年ぶりに同居生活が始まりました。
その日を心待ちにしていた私は(夫をではなく、松本先生の所に行けるのを待っていたんです。 テヘヘヘ・・・相変わらず悪い奴っちゃ)すぐ先生に施術をお願いして日時の連絡をいただきました。

 初診を受ける時というのは不安が伴うものですが、不思議なほどそれがなく、出発前に既に治ってしまったような癒された気分でルンルンと出かけました。

 どこが痛いか・何が気になってるか・心配な点は などを尋ねて下さって、施術後それらの一つ一つに丁寧に納得できる答えを出してくださいました。
当日の日記に色々細かく記録してありますが、その中に「水泳をやってたのがいいんだろうねえ」と言って下さったと書いてます。
「優しさの漂う先生だった」とも・・・。

 帰り道は 前につんのめるのではないかと思うくらい足が前に次々と出て、辺りは暗くなってたのに「世の中明るい!」と、行きのルンルンの何倍ものルンルンで颯爽と東京駅まで闊歩しました。

 そして翌日、9年間私の3本目の足となってくれてた『杖』をしまいこみました。
でもちょっぴり心配で、いざという時の為に携帯用の杖(私には似合わない花柄)をコッソリ購入しておきましたが出番がないままです。
今までの杖は強い痛みが出た時、2回だけナイショで使用しましたが・・・。
(誰にナイショ? 勿論先生には報告済みですよ)

 初めは何か忘れ物をしたような気分でしたが、今では杖がないのがごく当たり前になり、その「当たり前の感覚」を与えて下さった松本先生に感謝でいっぱいです。

人は「当たり前のこと」が当たり前でなくなった時に初めて 「当たり前であることが如何に幸せであるか」ということに気付くものです。
そして、せっかく気付いても「その当たり前」が当たり前になると(ややこしい・・・)又その幸せの感覚を忘れてしまいます。

この今の『当たり前の幸せと先生への感謝の気持ち』を一生忘れないようにしたいと思っています。

    ☆ 60代

 えっ?  まだ続くの?  とお思いでしょうが・・・。
ワタクシは遂に「還暦」を迎えてしまったノダ。
そして巻頭に
この日記帳が全て終った時、つまり10年過ぎた時(60歳や)まだ
   手術をしない状態でいられますよう!!!
 
と記した10年日記が1日も抜けることなく埋め尽くされました。
10年前の希望がクリアできたのです。
バンザ~イ!
 
2008年を迎え、ま新しい10年日記の巻頭には
     70歳までではなく、一生手術をしないぞ!!
         松本先生に 感謝!!

と書いてあります。

 この手術の件、11年前に「いつ手術をしてもおかしくない」との診断が下ったのに
何故しなかったのか ということについて書いておきますね。

 私の身体は丈夫で普通の方より元気で体力もあると思っていますが(松本先生といっしょで風邪をひきません)、その割には受けた手術が多いのです。

 8歳   扁桃腺両方摘出手術
 19歳   虫垂炎手術
 30歳   3人目を妊娠5ヶ月目でお腹の中で亡くし手術
 40歳   子宮筋腫と右卵巣のう腫摘出手術
 46歳   右目翼状片手術
 52歳   両眼白内障手術

確かに多いですよね。
子宮筋腫の時は「急がなくても半年以内でご家族の都合のいいときで大丈夫」と言われたにもかかわらず、わかった以上1日も早くスッキリしたいからと4日後には入院していたし、白内障も「初期だから手術はまだ早い」と言われたのに、夜の車の運転時に対向車のライトが眩し過ぎることに危険を感じたことと、楽譜が見にくいことが不便で、渋るお医者さんを説得して手術を受けました。
しかも、義母が一人になるから日帰り手術で 付き添いも無い状態で決行しました。
(片目を手術して2週間後にもう一方をしました)

 それほど潔く、すぐにまな板の上のイルカ・・いえ鯉になる私なのに、股関節に関しては全くその気持ちになりませんでした。
怖いから・嫌だから というのではなく、子供の頃から「痛みに強い」体質だったこともあると思いますが、まだまだ自分の骨で大丈夫だという確信に近い妙な自信があったからなのです。
 
 その自信と楽天的な性格のお陰で、そして何より松本先生のお陰でレントゲン画像も自分の感覚も11年前よりはるかに調子良くなっています。
10年ぶりに偶然出会った友人に「あれっ、足治ったの?」と言われたのが何よりの証拠です。

その中でも一番良くなったのが『心』です。
松本先生のお陰で痛みの仕組み・原因が理解でき、痛みが出ても『間違った考え方・心配』をしなくなったことによって気持ちが楽になり、それが更に相乗効果になり・・・という調子で今の自分があると思っています。
 感謝・感謝の毎日です。

 でも、万一手術の必要性を感じる時がきたら、その時は迷わず「まな板の上のイルカ」になる覚悟はしっかりと持っているつもりです。



いよいよ次回は感動のフィナーレへと・・・つづく

     

体験談  DOLPHINさん ⑥

2008-02-15 09:34:15 | 体験談
●一昨日のコマーシャル見てくれましたか?・・・しつこい?
川崎市での講演会と実践なんですが、場所は渋谷から田園都市線急行で19分の溝ノ口です。
東京メトロ半蔵門線等を利用しても便利そうです。
現在も股関節長持ち術の教室を行なっているのですが、皆さんの情報交換やストレス発散の場となりつつあるようです。
ぜひ、皆さん4月6日と10日は、お友達をお誘いのうえ、ご参加願います。
駅から階段ないし、帰りには丸井で買い物もして帰れますよ~。
詳細及びお申し込みはこちらです。

●佐藤先生の予約が16日の0時(今夜)から開始になります。
こちらもよろしくお願いいたします。



☆ 50代 Part 4 ストレス解消法

 確かに自宅と義母宅の往復と、日々の買い物(とこれから説明すること)以外は家にいましたが、私は自分でモノ(あらゆるモノです)を作ることが好きなのでミシンで洋服を作ったり・編み物・織物・手芸・廃物利用で何かを創る・ケーキを焼く・色々の楽器を弾くなど 熱中できることはいっぱいあり、一人でも結構楽しんでいました。

 (でも本音を言うと、足の痛みの時はそれらに熱中できるけど、精神的にどん底の時は無理でゴザイマシタ・・・アハハハハ)

 そこで登場です。
どんな時でもできるワタクシの最大のストレス解消法。

 それは『水泳』です。
「なぁ~んだ」なんて言わないでください。
初めは気にしつつ出かけていましたが これは私にとって「リハビリ」という立派な名目になるので、だんだん堂々と出かけられるようになったのです。
「何があってもプールだけは行かせていただきます!」と宣言しました。
(10:00~23:00までの可能な時間に出かけています)
 
身体を動かすことが大好きでも陸上でのスポーツは次々断念し 水の中しか残ってなかったということもありますが、泳いでいる時は無心になれました。
「その日のストレスはその日の内に追い出す」ということを心がけていたので、プールの底のタイルが次々と足の方に流れていくのを見ながら
「さあ、嫌なことは忘れるゾォ~! 流すゾォ~!」
と思いながら泳ぐ・・・。

 But そう思っているということは忘れられていない・・・という訳でして・・・。
でも ある瞬間に「あっ、今忘れてたな」と思えるようになると、もうシメタもの。
やがてスッキリして元気になり帰宅できるのです。
時には昨日何とか水中に吐き出せたストレスを、翌日ブレス時に又水と一緒に呑み込んでしまい、「シマッタ・・・」なんてこともゴザイマシタが・・・。

こんなことを書くと悶々としながら泳いでるようですが、誰にもそういう日があるものですよね。 
そういう時の解消法をご紹介したまでで、普段は楽天家の私、嬉々としてルンルンで水と戯れておりますのでご心配なく。

 プールに行くことで
   全身のストレッチ
   泳ぎ(つまり全身運動と上達の楽しみ・レッスン受講)
   ウォーキング(様々な種類で)
   筋トレ(自己流)
   ストレス解消
   知り合いとのおしゃべり
   股関節周囲のコリの解し(これは松本先生のブログに出会ってからですが)
   全身の温め(ジャグジー・サウナで)
   シャンプー・身体の洗濯(ついでに心の洗濯も)

 これだけのことができてしまうのです。
ルンルンになることがご理解いただけましたでしょうか。

 以前所属のスポーツ施設で川柳の募集があり応募したことがあります。

     バタフライ
       本人イルカ
         傍目(はため)トド

 私のdolphin名はこの「イルカ」です。
トドとはほど遠い、限りなくイルカに近いバタフライを泳いでるつもり・・デス。
掃除は平気でサボるけど、プールはサボれない中年(老年じゃないヨ)不良デス。

   
 ☆ 50代  Part 5 松本先生のブログに出会う

 プールにどっぷり浸かった日々を過ごしている内に 痛みの間隔が少しずつ長くなり
痛みも弱くなってきていました。
6ヵ月毎の定期健診だったのが1年毎でいいということになり、 そして素人目にもはっきりとくっついて見えていた骨に隙間ができているようになったのです。
少ないけど同じ幅で軟骨があるのです。
歩く度にコキコキと響いてた音もいつの間にか消えています。
奇跡が起きたのかも・・・。

 それでも、「骨を守るために」と必要以上に(今思うと ですが)杖をついていました。
左足には絶対体重をかけてはいけない!と信じこんでいました。

その一方で、杖の使用開始直後に臀部・太股の筋肉が見事に落ちたことが頭にひっかかっており杖使用への疑問も感じていました。
「矛盾してる」と思いながらも、どうすることもできない状態でした。

「杖をはなすと体重がかかる・・・かかると痛みが出る・・・出ると軟骨がどんどん減っていく」 これが私の中の方程式でした。
そして、「この病気は進行性だからお医者様でも止められない」
「自分で何とか現状維持を少しでも長く持続させるより方法がない」
「間違っても良くなることは絶対にない」
と思っていました。

 だけど、確かに以前より良くなってる・・・。
やっぱり奇跡?
気のせい?

 そんなある日 偶然に松本先生のブログに出会ったのです。(やっと先生登場!)
病気のことを探してた訳ではなく 本当に何かの拍子です。

 その衝撃・喜び・感激は 今これを読んで下さってる皆さんが共通して分かり合えるものですよね。
2晩かけて先生のブログ・皆さんからのコメントを最初から読み、「世の中にこんなに患者のことを考えて下さってる先生がいるんだ・・・」
「本物の先生だ!」と改めて感激し、何とか診察を受けたいと思いましたが、義母をおいて長時間出かけることはできず、とにかくブログに書かれてる『筋肉解し』を始めることにしました。

    ☆ 50代 Part 6  『筋肉解し』

徐々に気付かないような鈍さで改善するのだろう と思いながら始めた『筋肉解し』だったのですが、始めてわずか1ヶ月で効果がでてきてビックリ!
 
  ○気持ちがいい
     痛みのある部分を押すなんて、骨がつぶれて余計にひどく悪化するのではと馬鹿な考えを持っていた私だったのですが・・・。      
     この「気持ちよさ」は快感(?)でした。
     癖になりそうな「痛気持ちいい」の感覚、大発見でした。

 ○足の開きが良くなった
    徐々にではなく1ヵ月後のある日突然足がいつも以上に開いたのです。
    もう、20年以上開かなかったのに・・・。
    「えっ?  うそォ~・・・」と初めは目を疑いました。
    「これは私の足じゃない・・」そんな感覚でした。

 ○「あぐら」をかけるようになった
    開きが良くなったその日にすんなりと胡坐がかけたのです。
    今までは胡坐をかくと身体が大きく右に傾いたし、何より痛みが伴いました。 
「ヤッホーッ」の気分でしたが、まだ疑っていました。
    「今日はたまたま調子がいいだけで、明日になったら又元に戻ってる筈だ・・」

    でも、その日から今日までずっとその状態が続いています。
    (日記にしっかり記録が残っています) 

因みに、この解しは家でもやりますが、水の中(プール)ですると水着しかつけてないこともあり、コリの場所が非常にわかりやすくお勧めです。
プールの隅でお尻や中殿筋などを揉んだりたたいたり・・・。
私は全く平気ですが上品な方には無理かもなァ・・。

 俯き、ひたすら揉んでたら新米のバイトのスタッフがとんで来て
「どうしました! 大丈夫ですか!」と声をかけられ
「ハッ????何が???」 なんてことも。

「腰が痛いの? 手伝ってあげようか? いくらでも揉んであげるよ」と言うやさしいオジサマも現れたり・・・。




そろそろかなぁ・・・いっちょうらのオベベ着てます・・・つづく

体験談  DOLPHINさん ⑤

2008-02-14 00:22:45 | 体験談
●昨日のコマーシャル読んでくれた?
お願いしますよ~。
●昨日は北海道からの患者さんと九州からの患者さんが同じ時間帯となりました。
お二人が色々と話をしているのを見ていて、なぜかうれしかったなぁ。


50歳代、私はどうも 一度やり始めたことは正当な理由が無い限りやめられない性格のようなのですが、これは小学3年生の時の父との会話の結果身についたもののようです。
「dolphinは三日坊主だなあ」
「三日坊主って何?」
「何かを続けようと始めてもすぐやめてしまう人のことを言うんだよ」
「ふーん」

 それ以上は何も言われなかったのですが、その時「三日坊主ってのは良くないんだな。  ヨシッ、これからは三日坊主と言われないようにしよう」と子供心に思ったことを覚えています。

 で、4年生の時から日記を付け始めました。
そのままずっと書き続け、出産後はそれが育児日記に変わり、子供の成長記録になり、あまりにノートが増えるので40代からは1冊の10年日記に替えました。

 そして50歳になった時からは、もう1冊10年日記を購入しそれには「股関節関係」のことを記入することにしたのです。勿論それまでも記録していましたが、1日に書けるスペースが少ないので別にした訳で 今でも毎晩2冊の重い分厚い日記帳を開いています。

  その冒頭に書いてあることをご紹介します。(チョット恥ずかしいけど・・・)

  ~~~~~~~~・~~~~~~~~・~~~~~~~~・~~~~~~~~

    この日記帳は股関節(健康面)に関すること中心の記録帳也。
   50歳を迎え、更年期とも重なり変形性股関節症が急に進行したのを感じ、毎日の筋トレ・リハビリの重要性を実感。
   病気の進行状況を記録することにする。

    すでに骨の一部が完全にくっつき軟骨もない状態ではあるけれど、最低60歳まで
   あと10年は現状維持を・・・というわずかな希望を持って、1日、1日を過ごすことを決意!

    リハビリ頑張るゾ!
    奇跡をおこすゾ!

    この日記帳が全て終った時、つまり10年過ぎた時(60歳や)まだ
   手術をしない状態でいられますよう!!!

  ~~~~~~~~・~~~~~~~~・~~~~~~~~~・~~~~~~~~

 と、こんなことを書いておりまする。

 で、2冊の日記を書き始めて半年後に、多分私の人生での最大の転機がおこったのです。

 ☆ 50代 Part 2

夫の母は義父を見送った後一人で住んでいましたが、(近所に夫の姉夫婦・妹夫婦・弟夫婦が、隣の県に兄夫婦がいるので安心でした)83歳の高齢になるし誰かが一緒に住まないとということになり、何と一番遠くに住んでいた次男である夫が後を継ぐことになったのです。

 夫は単身赴任中だし、長男は会社の寮にいるし、社会人になって3ヶ月の次男が一人で家に残り私だけが単身赴任のような形で引越すことになりました。

 突然のことに私が何を心配したかというと・・・。
その頃友人達が、更年期の症状で悩んでたり、子供が巣立ち寂しくて気力を無くしたり、
夫の単身赴任でうつ病になったり、仕事をやめて脱力状態に陥ったりしている・・・という状態になっているのを見ていたので、それら全てを同時に無くすことになる私は大丈夫だろうか・・ということです。
いいえ、それらにプラス沢山の友人達・沢山の趣味のサークルをも同時に無くすことになる現実・・・さらに新しい土地で高齢の義母との二人暮らしをしなければいけない・・・。
突然残された次男はちゃんとやっていけるのだろうか・・・。

 と、不安が山のようにありました。
そうです。 足のこともありますよねぇ。

ところが、友人達は私のことではなく8歳年上の私の大親友のことを心配したのです。
「あなたがいなくなったら○○さん(親友のこと)がどうなるんだろうと心配」と。
「そんなぁ。彼女には私一人がいなくなるだけだよ。私は友達皆だよ。レッスンの子供達も
息子も合唱団も・・・私の心配をしてよォ」
「dolphinは大丈夫だよ」
「どうして?」
「強いし何事も前向きだから。誰も心配なんかしてないよ。お姑さんとも上手くやっていけるよ」

 と何人もの友人に言われたのです。
これには本当に驚きました。
私ってそんな風に見られてたのか・・・。
そのことを喜ぶべきなのか、反論すべきなのか・・・。
私は強い?
こんなに悩んでるのに・・・。

でも・・今さらしょうがないな。
ケセラセラや。なるようになるサ。
 
こうして私は義母のもとへ単身赴任をしたのです。

      ☆ 50代 Part 3

 新しい生活は覚悟はしていたものの やっぱり想像以上に精神・足共に大変でした。
その頃の義母は杖をついてはいましたが、歩く時は私の腕にしがみつき体重をかけてくるので、私は本来と逆の手に杖は持っているものの上手く使えず、患足に二人分の体重がかかる歩き方になってしまうのです。
「お母さん、二人で歩いてるのに足が6本もありますねえ」と顔では笑いつつも必死に痛みと戦っていました。

同居と言っても敷地内に別々の一戸建てに住む形だったので、常は全くの一人っきりの生活で恵まれていました。
が、朝から(6時過ぎのことも)晩まで電話がかかり、その度に出て行くことは、玄関~玄関までわずか30歩くらいのことなのに激痛の時はかなりきついものでした。 
特に食事は岡持に入れて運んでいたのですが、雨の日は傘をさすと杖が持てず、岡持が斜めになると汁物がこぼれたりするし、器の重さだけでも結構重いしこれも予想外の苦戦でした。

 さらに義母は骨粗しょう症で骨がもろくなっていることもあり、私が同居してから現在までに脊椎圧迫骨折1回・腰椎圧迫骨折4回・鎖骨骨折1回・肩脱臼2回・肋骨にひび2回・それに大腸がん手術・・・その他があり、義母自身も痛みと戦っていました。
義母の痛みがひどい間はベッドから起こしトイレに連れて行くだけでも大変で、私一人では抱えられず限界を感じて、1回だけ私からお願いして入院してもらったことがありますが、大腸がん以外は自宅療養で治しました。(足が弱って歩けなくなることを恐れ、義母が入院を嫌がった為です)

 今振り返ってみると 私ってスゲェ!
よく頑張った!(過去形ではなく現在進行形ですが) 

心身ともに辛かったことは山ほどありますが、義母も私に対する不満は沢山ある筈なので お互い様だと思うことにしています・・・が、辛さというのは精神的なものより痛みの方がはるかに楽でした。
痛みは何日か我慢すれば必ず楽になることがわかっていたから・・・。
 
私は足を含めて自分の病気のことで精神的に落ち込んだり泣いたりしたことは一度もありません。
心配・不安はあっても何故かプラス思考になってしまうのです。
その他のことでも楽天的だと自他共に認めていますが、私だって人間ですよ・・・。
時にはがんじがらめになり息苦しい日もありました。(誰にも言わず一人で処理していた為でもあると思いますが)

 今まで続けていた趣味のうち何か一つをして息抜きをしないと・・・と思い、混声合唱団に入り少しずつ知り合いが増えましたが、それも義母のことがあって出辛くなり退団せざるをえなくなってしましました。

 かわいそうに・・・。
1日中家にいて たった一人でいったい何をしていたの ってか?
ご心配なく。

「一人っきり」には違いないけど、その一人っきりを楽しめる性格・何事も楽しめる特技があるし、私には最大のストレス解消法と小さい解消法がいっぱいあるのです。

     

散髪に行って・・・出番をお待ちしていますが・・・・つづく

体験談  DOLPHINさん ④

2008-02-13 08:54:04 | 体験談
●コマーシャルです
神奈川県川崎市に、運動指導士の彦坂さんを中心とした“きらら”というグループができました。
スタッフは皆さん私の患者さんです。
股関節を長持ちさせる体操教室を中心に様々な取り組みをしています。
私も協力していまして4月6日に股関節を長持ちさせる講演会を行ない、講演会で話した理論に基づき4月10日には股関節を長持ちさせる実践を行います。
詳細およびお申し込みはこちらまで
川崎でお会いましょう!


 40歳代、少しずつ痛みの回数と強さが増してきましたが、徐々になので痛みにも慣れてきており、「大変ね」と言ってくれる友人には
「痛みは私の仲良しのお友達」と答えていました。

仕事は自宅で楽器のレッスンをしていましたが、幼稚園~大学生(おばさまも)を相手に15時~21時までを費やしていたので、毎日が時計と睨めっこのフル回転状態でした。
この頃になると時々知り合いから「足どうかしたんですか?」と声をかけられることが増えてきました。
本人は普通に歩いてるつもりでも、痛みのある時はどうしても傾いていたようです。

 43歳で激痛がおこり病院へ。(総合病院の整形外科)
「まだ、隙間があるから大丈夫だろう」との診断でしたが、自分の感覚で卓球は良くないだろうと判断し断念しました。 だん念・・・いや残念でしたが「足の方が大切」と私の中では一大決心でした。(とにかくスポーツ大好きオバサンなので)

45歳でも激痛で病院へ。

48歳の時夫が単身赴任となり、大きな声じゃ言えないけど楽になりました。
「淋しいでしょう?」
「全然~。食事が手抜きできてラッキー! です」
「色々と不便でしょう?」
「全ぜぇ~ん。ルンルンや」と・・・。(悪い奴っちゃ)
 
 この年も激痛がおこり病院へ。
「骨と骨の隙間がなくなったら手術になりますね」とのこと。

 49歳で又激痛。(激痛の間隔がさらに短くなってきました)
「のう胞が大きくなってるけど・・、ウ~ンまだ骨はつぶれてませんねえ」
えっ!先生骨がつぶれるのを待ってるの? (そんな印象を受けました。)

 半年後、今度は自分でも「これは重症かも・・・」と覚悟しながら診察を受けたところ
「ヨシッ、くっついたなあ。もういつ手術してもおかしくないですよ!」
「はぁ・・・」と答えながら内心は
「そんなぁ、『待ってました』とばかりの言い方しないで下さいよぉ」と思っていました。

「骨の状態の割には足はよく動くので、あとはあなたがどれだけ痛みに耐えられるか・・・だけです。耐えられなくなったら即手術ですね」との診断でした。 

 

その頃は歩く度にコキコキと骨と骨がこすれる音が絶えず鳴っていて、じっとしていても痛みがあるのが普通になり、痛みの無い日はありませんでした。

 で、私がとった行動はお医者さんには何も言われなかったけど「骨を守るために杖をつこう」ということでした。(当時は若くて杖を使用してる人はあまり見かけませんでした)

抵抗は無かったと言えばウソですが、「何でも見てやろうの精神」旺盛なワタクシは 
「元気印の私が杖をついてる姿を見て周りの人がどのように反応するのかを見てみたい」という衝動にかられたのです。(変な奴)
同じことなら人目を気にするより楽しんでやろうじゃないの・・・と発想を転換したのです。

 その結果、こんなデーターが出ました。

① 見つけるなり「えっ!どうしたの?」と駆け寄ってくるタイプ
② 暫く様子を見てから徐に「どうなさったんですか?」のタイプ
③ 親しいのに、目が合ったのに気付かぬふりして通り過ぎるタイプ
④ 「あらっ、何処の山に登ってきたの?」と登山だと信じこんでいるタイプ(バッグを
 ショルダーからリュックに替えたこともありますが)
⑤ 瞬間、「見てはいけないものを見てしまった」という表情をして会釈のみするタイプ
⑥ 何でそうなったのかを次々しつこく尋ねてくるタイプ
⑦ 「かわいそうに・・・」を繰り返し言うタイプ

親しいのに距離をおく人・顔見知り程度だったのに急に親しそうに寄ってくる人
いつもと全く変わらない人・興味津々の人。
人間の性格っておもしろいなあと思うと同時に、受け取る側の性格によっても見方が違ってくるだろうと感じました。
     
  私の杖スタイルが定着してからの反応

① 「私が荷物を持ってあげます!」といそいそと寄ってくるタイプ
② さりげなくいつの間にか荷物を持ってくれているタイプ 
③ 「大丈夫ですか?歩けますか?」とうるさいタイプ
④ 「杖をつくの上手になったねぇ」とちゃかしてくれるタイプ
⑤ 「そこに段がありますよ」とお節介なタイプ 
   
   ②と④が嬉しかったです。
④については「うん、もう完璧や。結構難しいんだよ。ついてみてごらんよ」
    ということで5・6人が試してみて皆で大笑いをしたこともありました。
    皆はやっぱり下手でした。 アハハハハ。

私自身の変化

① 今までは気付かなかったのに杖をついているお年寄りに目が止まるようになり、つい仲間意識が働き「コンニチハ」と言ってしまったりすること
② 道路・店のフロアなど車椅子の通行に邪魔になるものが目につくようになったこと
③ 障害者マークの駐車場に該当者以外の人が止めてるのが気になり始めたこと
④ 若くて杖を使用している方に声をかけるようになったこと(時と場合による)
⑤ 障害のある方の姿を見ると『がんばって!』と今まで以上に心の中でエールを送るようになったこと

ただ杖を使用するだけで、今まで見えてなかったものが見えるようになったし、人の優しさを今まで以上に感じられるようになったし、素直に感謝できるようになったし・・・。
得たものは大きいな、と思っています。

 「以上でおしまい」と言いたいのですが、本番はこれからですよ。
ええーッ、この人いったい何歳なんや? と思ってるんでしょ?
だってまだ松本先生が登場してないもん。




私の出番はあるのだろうか・・・つづく。

体験談  DOLPHINさん ③

2008-02-12 08:24:27 | 体験談
DOLPHINさん③の前にお知らせを少し。
●2月から女性の宮川先生〔アロマセラピスト、深圧歴4年〕が加わりました。
女性が加わると、女性のお客様が来やすいと考えていましたので、やっと準備ができたと言う感じです。〔昨年9月にも女性の先生を入れようとしたのですが・・・ふられました・・・〕
今まで3人の方に『女性の先生がいると安全・安心な感じですね』との意見をいただきました。感謝です。
もちろん施術の質を高める努力は怠りませんよ!

●2月16日~2月29日まで佐藤先生の予約受付を開始します。(予約対象日は4月1日~5月31日までの期間内の予約となります。※3月23日にも3人分の追加枠を設定しています。)
この予約枠では松本が診察を行い佐藤が施術を行なう形で50人の枠を設定しました。
佐藤先生は現在某大学病院に勤務する男性の理学療法士です。
新患のみの受付となります。(初回は90分15000円です。)
予約はここから、予約方法がわかりにくい方はここを見て下さい。

●3月1日からは常時3人の予約が取れるようにいたします。
〔宮川、佐藤の予約に関しては、松本はほとんど診療にあたれません。〕

予約に関してはいろいろとご迷惑をおかけしてきました。
今後ともよろしくお願いいたします。
       ル・サロン・ギンザ(銀サロ) 松本・宮川・佐藤    






20歳代、考えてみると20代の10年間の変化というのは凄いですね。(足のことではなく、おかれた立場のことデス)
学生(娘)~社会人~妻~嫁~母となるんですから。(23歳で結婚・25歳で長男出産・28歳で次男出産)

 この間も時々痛みが出ていましたが、2・3日控えめに行動していると治まっている状態で、
何が原因だろうと色々考えてみると「そう言えば1週間前に子供を抱っこして歩き過ぎたかな」と思い出したり・・・。
(次男は生後6ヶ月で体重10kgもありました)
 
その頃は無理をした翌日ではなく、5日~1週間遅れて痛みが出る状態で、その後その間隔は少しずつ短くなっていきました。

29歳の時4歳と1歳の息子を連れてスキーに行きましたが、スキーを着けた長男を私のスキー板の間に入れて緩い斜面をボーゲンでゆっくりすべるだけで もう無理はしませんでした。
そしてこれを最後のスキーにしようと決心し、以後夫と子供は出かけても私は留守番に徹しました。 


30歳代、32歳の時次男が入園し、自分の自由になる時間が出来たので(この時が来るのをひたすら待っていました)、一般の合唱団に入団 & 水泳を始めました。

 翌年33歳の時PTAの卓球部に入部、その秋次男の幼稚園遠足は徒歩での「芋ほり」でした。
掘り起こした2人分のサツマイモを持っての帰り道、下の子供をベビーカーで押しているお母さんが2人いて大変そうだったので、腕力には自信のあるワタクシ、彼女達つまり6人分のイモを引き受けて元気よく歩いたのです。

 その日の夜中激痛で目が覚めました。
じっとしていても息を止めずにはいられない初めての激痛でした。
翌日タクシーを呼んだのはいいけど、玄関からタクシーまでの数歩がつかまるものがなく歩けない状態で、運転手さんに助けていただきながら整形外科へ。

 そこで初めて「変形性股関節症」という病名を告げられ、「軟骨が徐々になくなり50歳位になったら人工股関節をいれないといけない」と言われたのです。
「えっ!・・・」と少し驚きましたが、即切り替えモードが働き 「まだ17年も先のことや。今から考えてもしょうがない。何とかなるやろ」と楽天家のdolphinさんでした。
夜帰宅した夫にも他人事のように伝え、彼も「フーン・・・」で一件落着しました。

 ある日卓球練習中にコーチから「ひょっとして左足悪いんですか?」と言われました。
「はい。どうしてわかるんですか?」
「体重のかけ方がちょっと違うから、ひょっとしたらと思って」
やっぱりコーチはすごいなぁ・・・と妙に嬉しかった。(変か?)

痛みのひどい時はさすがにやり辛かったけど、コーチの指導のお陰で毎年市の大会に出場するまでになり、合唱団も女声と混声の2つに増やし、38歳からは足のことを考えて(今のように情報がある訳ではなく、何となく筋力をつけた方がいいのではないかと勝手に考えただけです)、プールだけでなくジムでのマシーンを使った筋トレを始めました。 
(その頃から現在まで毎日の水泳・トレーニング記録は全て手元に残してあります)
 
痛みを除けば、趣味(他にも色々あり)も仕事も子育ても楽しみながら充実した30代でした。



DOLPHINさんは何歳なのか?
つづく

体験談  DOLPHINさん ②

2008-02-11 10:25:19 | 体験談
中学生になったら部活はブラスバンド部と決めていたのですがなかった為、テニス(軟式)部に入部し走り回ってたある日の日没のこと、ネットを片付けた後 友人がミスして転がったボールを全力疾走で追いかけていて、突然体に痛みが走り後方に倒されました。 
瞬間何が起こったのか、何故飛ばされるように倒れたのかがわからず、暫くコートに寝転び暗くなった空を眺めていました・・・。

「かわいそうに、ついに股関節の痛みが出たんだね」
今これを読んで下さっている方は そう思って下さいましたよね!

ブー。外れぇ~!

辺りはもう真っ暗に近い状態で、ボールばかり見て走っていた私にはコートに張られていたネットを通すワイヤーが全く目に入らず、それに思いっきり突進して引っ掛かり反動で後方へ跳ね飛ばされた・・・・だけなのデス・・・。 
どうぞお笑いください。
 帰宅して確かめたら、みぞおちに真一文字の赤・青の傷と血の跡がロープを張ったように美しく残ってました。 おそまつ・・・。

 それほど元気に走り回っていた中学時代でした。


 さて高校生になり、今度こそブラスバンドに・・・と思っていたのがコーラス部のハーモニーを聴き、ゾクゾクッときてコーラス部に変更。
 体育の授業では特に気になることも無く、長距離も得意でしたが 走り高跳びだけは相変わらず苦手でした。

 お年頃となると太い足が気になるものです。
1ミリでも細くならないものかとメジャーで足首・ふくらはぎ・太股を測ってみてはため息。その時左右の太さが違うことを認識。
足のサイズ(靴のサイズ)は左の方が小さいことに5年生の頃から気付いていましたが、太さはどこを測っても 0.5~1cm位の差がありました。

「太さも違うんだ・・・。太さだけは左足になりたい!・・・」  乙女心は複雑也。


大学は教育学科で、小学校の九教科は必須単位の為 当然体育もある訳ですが、この頃には何となく「左足に強い衝撃を与えない方がいいのでは・・・」という気持ちが自然に働き、跳び箱の着地などは意識して左足をかばうようにしていました。

4年間アルバイトで週1日体操教室の助手をしていました。
 私の担当クラスは幼稚園児~小学1・2年生までだったので、手本として見せるのはマット(前転・後転)・鉄棒(逆上がり・足掛けまわり)程度で特に困ることはなかったのですが、トランポリンだけは「足に良くないだろうなぁ」と思い、支障の無い範囲でやっぱり左足に負担をかけないように気を付けていました。

19歳の時、夜自宅前を走っていて突然身体に電気が走ったような鋭い痛みを感じ、気が付いたら転んでました。
 瞬間「???」 何が起こったのか・・・ 何もつまずいてないのに・・・???

ピーンときましたよね。
「ああ又暗くて見えなかったんでしょ? ワイヤーにひっかかったんでしょ?」
そう思われたでしょ?

 ブー!  外れぇ~!

この時が股関節の痛みを初めて経験した記念の(?)日なのです(幼少時は別にして)。
即近所に開院したばかりの整形外科に行き、ギプスをしていたことも報告し、レントゲン診断の結果、「お母さんに来てもらってください。説明しますから」と家に電話をして下さいました。

 「こんな不安そうな顔を見たのは初めて」という青い顔であわてて現れた母にびっくりして 診断結果を聞くより母の様子の方がずっと心配でした。

 結果は「脱臼はちゃんと治まってるから心配いらない。将来お産も大丈夫です。昨日足を使いすぎたんでしょう。(仲間とハイキングに行き1日歩き回っていた) 痛み止めを飲んでください」ということでした。
その時の母のホッとした赤みが戻った表情と、開院したての新しい建物独特の塗料などの臭いがセットになって 思い出になっています。 嫌な思い出ではなく、母の愛情をひしひしと感じたとても懐かしい思い出として。 

 (後にこの診断は間違ってたんだ と気が付くことになった訳ですが・・・)

 その年からスキーを始め冬休み・春休みは4泊位で出かけるようになりました。
ところが、股関節の痛みがでることがわかり、2回目からは行く前に痛み止めをもらってからというのが 習慣になりました。
休みに入り、私が現れるとそのヤブ・・いや・・アノお医者様は「またスキーですか?
ハイ痛み止めですね」というのが決まり文句でした。

 必ず痛みが出るけど、「大丈夫」と言われていたので 何の心配もしていませんでした。
「他の人よりチョット左足が弱いだけ」と単純に考えていました。
でも、痛かった・・・。
5月のゴールデンウィークに行ったときは(栂池に) 雪は山頂にしかなくゲレンデは草のみで当然リフトも止まっており スキーをかついで足首の曲がらないスキー靴で上まで山登りとなり、同行者に迷惑がかかるから「痛い」とは言えないし・・・きつかったぁ・・・。

 今思うと とんでもないことを平気でやってたんですねぇ。
逆に言うと「知らないということは強い」ですねぇ。
やっぱり「若さ」ですかねぇ。



さらに物語はつづくのだ!

体験談  DOLPHINさん ①

2008-02-08 12:15:38 | 体験談
 はじめまして、dolphinと申します
私の歴史もひょっとすると「ああ、私と同じような人がいるんだ」と誰かの参考になるかも、そして自分を見直すことにより私自身にとっても今後の指針になるかもしれないと思い、私の足の人生(?)を振り返ってみることにしました。
多分、長くなりそうなので 覚悟のある方だけ読んでみてくださいね。

 私の父は27年前、母は18年前に他界しているので 幼少時のことは私が見聞きした記憶だけが頼りなのですが、左足が先天性股関節脱臼とのことで生後6ヶ月から半年間ギプス治療をし、その後母が毎日マッサージに通ってくれたと聞いています。

 私の微かな記憶の中に 跛行状態で畳の上をヨチヨチ歩き両親に「上手に歩けたねぇ」と手をたたいてもらっているシーンがあります。(2歳くらい?) 

何故跛行だとわかるのかというと・・・。 私が歩くたびに 手を前に出して私を受け止めようと待ってくれている笑顔の両親が 左右に大きく揺れて見えていた画面がはっきりと残っていることから 後にそう解釈したのです。

そして、悪い左足は足の裏ではなく、指を折り曲げて(爪先立ちの逆)指の背側だけで着地していたような気がするのです。
これが私の最も幼い頃の映像として残っている足の記憶です。

それからどれくらい経過したのかは不明ですが、母に手を引かれて外を歩いてる時、近所の方から「あらぁ、dolphinちゃん歩けるようになったんだねぇ。良かったねえ」と言われたことも覚えています。
 
この二つの記憶は子供の頃は忘れていて 後にこの病気に苦しみだしてから そう言えば・・・と思い出したものです。

小学校1年生の運動会は、走りながら「走るってどうするんだろう・・・???」
「どうして足が速く動かないんだろう?」と思ってたことを覚えています。
ゴールがすごく遠く、走っても走っても到着せず、一緒にスタートした筈の友の姿も見当たりませんでした。

それがどうしたことか、2年生になったある日突然、遊んでいて「何だ。腕を速く振ればいいんだ」と開眼したのです。
その時の「何だぁ。こんなに簡単に走れるんだ」と思った快感も覚えています。

2年生の運動会ではリレーの選手になっていました。
走ってる時に「dolphin、ガンバレー!」と父の声が聞こえたこと、そしてその夜の、「速く走れるようになったなあ。良かったなあ・・・」と、日頃見聞きしたことが無いような嬉しそうな父の表情と声も覚えています。 
その時、子供心に「ただ走っただけなのに どうしてそんなに大喜びをするんだろう・・・」と不思議に思ったこと、さらに布団に入り眠る直前に隣の部屋から「あの時思い切って手術して良かったなあ・・・」と話す両親の声を聞いたことも はっきりと覚えています。

 今こうして書いてみると、何だかドラマの一シーンみたいだなあ・・・と人事のような気分ですが、本当に残っているのです。
子供時代には完全に忘れ去っていることでも、何かの機会にフッと蘇るものなのですね。

 そのまま6年生までずっとリレーの選手を続け、運動が得意であらゆるスポーツが大好きになっていましたが、お転婆ではなく恥ずかしがりの大人しい子でした。(勿論今でもそうです。松本先生、そうですよね。ネ!)
 
 その頃には、「赤ちゃんの頃足が悪かったんだ」ということは忘れていましたが、「何でだろう・・・」と納得できないことがありました。
『片足けんけん』が右足はいくらでも出来るのに、左足は3・4回しかできないことに気が付いたのです。 「どうして???」・・・。
でも即自分勝手に解決しました。
「そうかぁ、私は右利きだから左足は苦手なんだな」と。 
「他の皆もどちらかの足はできないんだろう・・」と。
そう信じていました。

 もう一つありました。
走る・跳躍・立ち幅跳び・走り幅跳び・跳び箱などは得意なのに、走り高跳びだけが上手く跳び上がれないのです。 
もっと跳べる気がするのに・・・。
走り幅跳びは気持ちよく跳べるのに・・・???。 
これは自分の中で解決できないままでしたが、後に「そうか、右利きの場合走り幅跳びは右足で踏み切るけど、走り高跳びは左足で踏み切るんだ。  
『けんけん』ができない方の足で踏み切るんだ。しょうがないか・・・」と自分なりに納得したのです。


つづく




・・・なわけ。

2008-02-06 06:42:05 | トレーニングのこと
私は理学療法士として運動療法を学んできました。
にもかかわらず・・・あまり運動を指導しない・・・なわけ~。

筋肉の重要性も良く知っていますが、それ以上に筋肉の怖さも知っているから・・・なわけです。

股関節の外側が痛い時に、股関節を外側に開くトレーニングをしても良いのでしょうか?

患者さんの筋肉の状態が改善すればもちろんトレーニングは良いのですが・・・。
患者さん一人ひとりの筋肉の状態を見て、一人ひとりに合った、安全なトレーニング法を指導しないといけないと考えています。

代表的な方法が『患側荷重法(患側体重負荷法)』です。
安全であって実用的であって基本です。
痛みが無ければ普段脚に体重をかけることは重要ですね。
意外や意外、皆さんの脚は体重をかけられないからではなく、体重をかけないからやせている場合が多いんですよ~。

こんなの訓練じゃな~い!・・・と思われる方もいるでしょう。
トレーニング方法を教えてくれな~い!・・・と不満の方もいるでしょう。

実はほとんどの方にトレーニング法を教えているのですが、一般的な方法と異なるのでなかなか理解していただけないかもしれませんね。

皆さんは生活の中で、何時間(脚の筋肉を使って)立っていますか?
家事のとき、買い物のとき、歯を磨くとき、トイレのとき、風呂に入るとき・・・。
皆さんは生活の中で何回立ったり座ったりするでしょうか?
トイレで、食卓で、仕事中・・・。
皆さんは生活の中で何階階段を上り下りしているでしょうか?
地下鉄で、イトーヨーカ堂で、自宅で、道路の段差で、仕事中・・・。
皆さんは何歩歩いているでしょうか?
買い物で、イトーヨーカ堂で、お出かけで、家事で、仕事中・・・。

生活の中でも意外とトレーニングはできています。
特に仕事をしている方は、結構なトレーニングをしていますね。
しかし、『ぜんぜん動いてないの。』という方が多いですね。

股関節に異常があると、筋肉自体は無理がきかない場合が多いです。
仕事や生活で結構疲れているのに、その疲れた筋肉をわざわざさらに疲れさせるためにトレーニングをしている方がいます。
痛みを参考として、トレーニングを考えるようにしたほうがいいでしょうね。

筋肉が正常な状態ではトレーニング中やトレーニング直後に痛みは感じません。
そのようなトレーニングは有効でしょうね。

逆に、トレーニング中やトレーニング直後に筋肉が痛いようではトレーニングは逆効果ですね。
筋肉はちゃんと教えてくれます。

筋肉には疲労があるということ、筋肉には病気があるということを忘れないでいただきたいと思います。

毎日筋肉の状態は異なります。
トレーニングを行う際には、毎日、自分の筋肉と話をしながら行い、休ませることも必要だということも頭において下さいね。

トレーニングをしないと筋肉がやせて変形が進行するというような根拠の無い考えは持たないほうが良いと思いますが、いかがでしょうか。



次回からは久しぶりに体験談です。



変形性股関節症を怖がらないでね





Type Ⅱ

2008-02-03 00:04:27 | 股関節の基礎
筋肉には2種類の筋線維があります。
●Type Ⅰ(タイプ ワン)線維=遅筋=赤筋→太くなりにくく持久力のある線維。
●Type Ⅱ(タイプ ツー)線維=速筋=白筋→太くなりやすく瞬発力のある線維。
TypeⅠ線維とTypeⅡ線維の割合が一人ひとり違うことが個人差の原因のひとつでもあるんでしたよね。 
・・・こんな説明をしておきながら、今回の題目“Type Ⅱ”は、筋線維のことではありません。

子供の頃は股関節に問題は無く、40歳前後になって初めて症状が出る臼蓋形成不全症を原因とする変形性股関節症の方は多いですが、このタイプをTypeⅠとしましょう。
一方、同じ変形性股関節症ではあるが、明らかにTypeⅠの方々とは異なる経過をたどる方々がいます。

私はこのタイプの方々をTypeⅡと考えています。
2つのタイプは現状は似ているけど、過去の経過と今後の予測が全然違うんです。

【TypeⅡの方々の特徴】
1、先天性股関節脱臼の治療歴がある。
2、子供の頃から脚の長さが違った。
3、関節の動きは非常に良い。
4、レントゲン写真は正常の形と異なる(いわゆる変形がある)
5、運動能力が高い。(速く歩けるまたは走れるほど)
6、軟骨が比較的温存されている。
7、痛みが出て病院を受診すると手術を勧められる。

子供の頃から異常があった場合、経過が長いから状態が非常に悪くなっているだろうと考えるのは大間違い。
子供の頃に変形は既に落ち着いており、そのまま成長して子供の頃からレントゲン写真にも変化は無く、今後もそのままの形で経過していくであろうと予測できるのです。

最近、このようなタイプの方々が実に多いと感じています。
今現在のレントゲンだけを見ると変形はあるし、そのうえ痛みを訴えているのであるから・・・手術しかない・・・と判断されても仕方ないかもしれない。

しかし、子供の頃から骨と軟骨の形は変わっていない・・・しかし痛いという場合、その痛みの原因は骨や軟骨の変形以外にあると考えるのが常識でしょう。

私達は、患者さんの過去の歴史をしっかりと確認して経過を知らないと、患者さんの今後の予測が出来ない。

TypeⅡの方々は、筋肉を正常に戻してあげるだけで、能力の高い生活が出来る方が多いのです。
このようなグループの方々が多いということをしっかりと頭に置きたい。

さらに研究続くのであった・・・ヒトコブラクダダダダダダ・・・・。


変形性股関節症を怖がらないでね