特定の理想や真理を先行的に立ててそこへ一斉に向かう
そうではなく、理想や真理は各自が生きる関係世界(共同性)に媒介されて
かならず複数現われ、それぞれに生きられているということ
そのことの共通の了解において、各自の理想や真理をひるむことなく開示しあい、
混ぜ合わせながら、合意可能な新たな理想や真理の範型を創り出すゲーム
つまり、価値(理想・真理)の多様性多数性を前提に、その優位性を競うのではなく
共通の了解と相互の承認において創発的ゲームを人間は生きることができる
そのことを、人生のはじまりにおいて、ともに試し、鍛え、胸に刻みあうレッスン
その展開としての教育ゲームがあり、学校がある
その手段として、たとえば、ともに同じテキストを読み合という経験がある
一つの解(真理)をめがけて読みあうのではない
それぞれの読み(印象・感銘・理解)の固有性をひとりひとりがことばにして
フェアに、オープンに、恥ずかしがらず、披歴しあい、交換しあい
自分とはちがう価値観、感受性、理想、夢を生きる存在に出会い、つぶさに知る
この〝異者、ちがう心〟との交流をおおいなる触発として、悦び楽しさの享受として
ともにそれぞれの価値観や感受性、つながりを拡張していく
教育ゲームの展開の場としての学校
ゲーマー(プレーヤー)としてのこども
ゲームのホスト、運用者としての教師
こうしたレッスンの場として機能する社会的装置の一つとしての学校
このことはそのまま社会そのもののが異質なものへ開かれ、
その包摂力を拡張していくプレーヤーを育む極めて重要な意味をもつ
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