分別をこすり合わせて生きあう
前提を埋め込んでせめぎあう
そうではなく
分別と前提が引いたラインが教えない外がある
世界の口を塞いで黙らせる
そうしてはじめて開かれる位相へ
どんなに世界が確定された姿で訪れても
俺たちは未決の空域を携えて生きている
筆を入れて世界を描き換えるフリースペースがある
しばしば忘れられ放置されたフリーハンドがある
だれかに求められた主題、絵ではない
世界を黙らせたうえで始められる絵がある
分別が別の分別に入れ替わっても世界は変化しない
分別なんぞはじめから問題にならない展開領域がある
(そこで会おう──そういう提案だった)
*
「絵の仕上がり具合をみずからモニターして、
構図、タッチ、色、全体のバランス、モチーフのつかみ方そのものについて、
なんらかの調整をほどこすスペースがある。心の中にね。
おそらくここに絵を描くことのエロスの中心がある」
「生きることもって?」
「そう言いたいところかな」
「スペースね」
「空間的なスペースではなく、心的スペース、空域がある」
「でも実感と行動が直列したまま生きる、それが日常の定常状態かな」
「そんな余裕はないと言いたい?」
「絵を描くのとはちがうでしょ」
「直列を外してスペースを開くことはできる。小学生もそうして絵を描いている」
「絵描きのつもりになって?」
「うん。自分だけの絵、ことば、表現を探索するスペースがある」
「それを使えって?」
「このスペースは人間の心にセットされている。たっぷり使おう」
「よくわからん」
「目の前に完成途中の絵がある、それをどうもてなすか。
そこにどう筆を入れるか。この作業スペースはつねにスタンバイしてる。
そこに人間だけに可能な創発の位相があると思う」
「現実や状況がそれを許さない」
「現実や状況に規定されて生きることは避けられない。だから絵を描く」
「絵を描く、音楽を聴く、芸術を楽しむ、とか?」
「おそらく、この空域が自由と呼ばれるものの本質、展開域になる」
「そうかな」
「この空域が消えるとき、世界は荒涼の風景をさらすことになる」
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