太郎くんは、花子さんの前に出ると胸がドキドキする。
鼓動が高鳴り、呼吸が早くなり、血圧が上昇し、顔が真っ赤になる。
見るだけでいつも恥ずかしそうにモジモジしはじめる。
からだのなかで、体細胞的な変化が起きている。
引き金を引いたのは、花子さんの存在、それを捉えた太郎くんの視覚と心。
心の問題なのに、生理化学的変化のスイッチが自動的に入る。
次郎くんにとって、花子さんはそうした対象ではない。
ごくあたりまえに会話が出来る。ドキドキすることもなく、冗談も普通に言える。
だから太郎くんの反応は「わけがわからない」。
でも、次郎くんにも似たような経験がないわけではない。
夜道を歩いていて、いきなり警察官に職務質問された時はドキドキした。
校舎の裏でタバコを吸っていて先生に見つかった時も心臓がパクパクした。
二人の経験はおなじドキドキ、パクパクでも大きなちがいがある。
なにか。
ヒトとヒトが関係し合う、結び合うパターンはさまざまだ。
ざっくり、けれど本質的には、絶対的に異なるふたつがある。
太郎くんにとって花子さんは絶対に取りかえが利かない存在である。
花子さんを見たときのドキドキはなにものにも媒介されず、
太郎くんのからだの内側からまっすぐに湧き上がってくる。
この内なる作動は、頭では勝手に操作できないものとして起こる。
お巡りさんや先生の場合はそうではなく、ほかのヒトでもいい。
この時のドキドキは、からだの内側からまっすぐにというより、
社会とか学校とか、決めごとの世界との関係に媒介され、
次郎君のアタマの判断を経由して湧いて出たドキドキだ。
からだのまっすぐな反応は考えてもどうにもならないけれど、
頭を経由する場合は、判断次第で、反応に変更を加えることはできる。
関係パターンの変更、修正、組み替えが起きたとき、
たとえば次郎君が一人前のヤンキーに進化したとしたら、
おまわりや先公と出会ってもドキドキすることはないだろう、おそらく。
けれども次郎君も特定の誰か、B子さんの前では否応なくドキドキする。
どんなヤンキーになったとしても、そういうことはずっと起こるにちがいない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます