ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

〝普遍性〟とは。

2017-07-08 | Weblog


「私たちが芸術をもっているのは、 私たちが真理で台無しにならないためである」(ニーチェ)


世界に透明な切れ込みを入れて、
「正義/不正義」「善/悪」「真理/虚偽」という二項に分割し、
「正義」「善」「真実」という〝普遍的価値〟の側にみずからポジショニングする。

そこで言明される「正義」「善」「真理」はそのまま普遍性をもつことを意味するわけではない。
なぜなら、「正義」「善」「真理」はさまざまな内実を伴って並立あるいは乱立するから。

しかし、「世界に透明な切れ込みを入れる」というふるまい自体には普遍性(原理性)がある。
みずからが、なかまたちが「普遍的価値」の側にいるという確信の意識が、
みずからとなかまたちの生に正当性(意味)を与え、それが生をよく支えるから。

このことは、共同体をまとめ上げるために要請される正当性の原理とも言える。
この〝普遍性〟は依然として現実を駆動するものとして生きている。

ここから、並立あるいは乱立する〝普遍的価値〟同士(各種共同体間)の対立が極まるとき、
その決着を求めて暴力原理(パワーゲーム)が顕在化する。このことにも普遍性(原理性)がある。

暴力原理の帰結は、無数の歴史上の惨劇であり、これからも帰結することになる。
正義、善、真理、愛という〝普遍的価値〟が一つであるなら、惨劇は収束する。

しかし〝普遍的価値〟の多様性と多数性が生み出す矛盾を解消するために、
「神」の系列に属する絶対項を仮構することは歴史を反復することにしかならない。

 

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