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みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

病院長の死が問うもの 原発被災地の医療/被災地医療の拠点危機 支援相次ぐが…/「高野病院」医師支援へ資金援助を...広野町がネットで呼び掛け/

2017-01-11 20:31:18 | ほん/新聞/ニュース
昨日、名古屋でウメの開花が発表されました。
平年より23日も早くて、観測史上2番目に早い開花とのこと。
そういえば、福岡や高松では年末に開花していました。

明日から厳しい寒さになるそうですが、
今年は梅の開花が早いようで、うれしいです。
ネコヤナギも少しふくらんできましたね。


きょうは、骨休めの一日。
10時前に家を出て、可児市の花木センターを見て回り、
「湯の華温泉」で岩盤浴とお風呂にはいって、
帰りに、湯の華市場で新鮮なお魚を購入。
お昼ごはんは、マエジマ製パンのおいしいサンドイッチを食べたので、
パンもおみやげにを買ってきました。

出かける前に読んだ中日新聞。
一面下のコラム「中日春秋」も、社説も、
原発被災地の高野病院院長の高野さんが、火事で亡くなったことに関してでした。

被災地の現地で重要な役割を果たしていた病院はどうなるのだろう
と思って調べてみたら、広野町がネットのクラウドファンディングで寄付を呼び掛け
「ふるさと納税」があつまりはじめているとのこと。
全国の医師からもボランティアの申し出が相ついでいる。
とはいえ、
高野病院は「存続の危機」にあるという。
なんとか継続できないものかと、願わずにはいられない。

  社説:病院長の死が問うもの 原発被災地の医療
2017年1月11日 中日新聞

 福島県広野町の高野英男・高野病院長(81)が昨年末、亡くなった。老医師の死は、避難指示解除や地域医療など、被災地が抱える問題を明るみに出した。

 高野院長は昨年十二月三十日、火事で亡くなった。病院は福島第一原発から南に約二十二キロ。二〇一一年三月の原発事故後、院長は患者は避難に耐えられないと判断し、患者やスタッフと共に病院にとどまった。おかげで震災関連死を出すことはなかった。三十キロ圏内で唯一、診療活動を継続している病院となった。

 院長の死は、八十一歳の老医師の活躍で隠されていた不都合な真実を明らかにした。そのうちの三点について書いていきたい。

常勤医ゼロの非常事態
 政府は今春、富岡町、飯舘村の大部分で避難指示を解除する方針だ。浪江町も一部が近く解除される見通しである。政府は解除の要件として(1)年間の放射線量が二〇ミリシーベルト以下(2)インフラの整備、医療・介護などがおおむね復旧(3)県、市町村、住民との十分な協議-を挙げている。住民の間では特に医療環境と商業施設の充実を望む声が強い。

 だが、医療の実情は、おおむね復旧とは言い難い。

 福島県が昨年九月に公表した医療復興計画によると、双葉郡内の八町村では原発事故前の一一年三月一日現在で、六つの病院が診療活動をし、常勤医は三十九人いた。それが一昨年十二月には、病院は高野病院だけ、常勤医は高野院長一人だけになった。

 精神科が専門の院長は、救急患者の診察や検視までやっていた。院長の死で、双葉郡は常勤医がいなくなった。

 国や県は「一民間病院の支援は公平性を欠く」という理由で、これまで積極的な援助をしなかったと病院関係者は話す。県内の他の病院と差をつけられないという発想だが、民間企業の東京電力には巨額の税金が投入されている。民間だから、というのは役所が得意の「できない理由」でしかない。

 院長の死後、病院の存続が危うくなり、国も県も町もやっと支援を表明した。

高齢者を支える
 二つ目は少子高齢化、人口減の地域での医療についてだ。

 原発から三十キロ圏内を中心に、原発事故後、国や自治体が住民に避難指示を出した。双葉郡の場合、ほぼ全員が避難した。患者がいなくなれば、病院の経営も成り立たず、医療も崩壊する。

 すでに避難指示が解除された地域で、帰還しているのは比較的高齢の人だ。しかも「自分で軽トラックを運転できる」など自立して生活できる人が多いという。

 三世代、四世代が同居していた避難前であれば、お年寄りの体の異変に家族が気づき、適切な医療ができた。今は一人暮らしか、老夫婦だけとなり、病気の発見が遅れているという話もある。

 この問題は被災地に限らない。過疎地でも高齢者を支えないと、医療機関の整っている都市部へ移動する。政府は医療や社会福祉の支出削減を目指しているが、地方の医療が壊れれば、過疎を加速させる可能性がある。

 三つ目は、原発事故に病院は耐えられないということだ。

 院長は町が出した全町避難の指示に従わなかった。その方が寝たきりの患者らにはよかった。政府は再稼働に際し、原発から五キロ以遠は屋内退避とした。教訓を生かしたように見える。

 しかし本当の教訓は「とどまることは無理」である。スタッフの中には、子どもを連れて避難しなければならない人もいた。医薬品だけでなく、入院患者の食事、シーツの交換なども必要だが、継続できたのは善意や幸運が重なったことも大きかった。事故が起きれば、医療は継続できない。医療がなければ、人は住めないということである。

明日の日本の姿
 原発事故からもうすぐ六年。関心が薄れ、遠い出来事のように感じている人が少なくない。

 院長の死は「原発事故は終わっていない」と訴えているようだ。「被災地の現状は、明日の日本の姿」と警告している。

 政府や自治体は一病院の存続問題と事態を矮小(わいしょう)化してはならない。被災地に真摯(しんし)に向き合えば、将来、日本が必要とする知恵を得ることができるはずだ。 


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中日春秋(朝刊コラム)
2017年1月11日 中日新聞

 ジョン・ササル氏は戦後長らく、英国南西部の貧しい村で地域医療に打ち込んだ医師だ。村に住み、患者一人一人の暮らしぶりまで知った上で、病と向き合った

▼先日、九十歳で逝った英国の作家ジョン・バージャーさんは、ササル医師の姿を活写した名著『果報者ササル』(みすず書房)で、その医療の本質を描いている。<彼がいい医者だと見なされるのは、患者の心の底に秘められた、口に出されることのない、友愛を感じとりたいという期待に応えているからである>

▼しかし、そんな期待に応え、全人格的に患者と向き合い続ければ、医師はとてつもない喪失感とも向き合わねばならない。だからササル医師は、こんな覚悟で日々を送っていたという

▼「死のことを考えさせられるとき-それは毎日のことだが-わたしはいつも自分の死のことを考える。そうすると、もっと懸命に働こうという気になるんだ」

▼この方も、そういう覚悟で患者さんと向き合っていたのだろう。福島県広野町で地域医療の柱であり続けた高野病院の院長・高野英男さんが昨年末、八十一歳で亡くなった。原発事故後も患者一人一人に寄り添い、被災地に踏み留(とど)まって医療を支え続けた大黒柱の死である

▼院長の逝去で、高野病院は存続の危機にあるという。これは、一病院の問題ではない。被災地を国全体で支え続ける覚悟の問題だろう。


  高野院長の遺志継いで 福島・広野 ふるさと納税 寄付続々
2017年1月11日 中日新聞

 東京電力福島第一原発事故後も福島県双葉郡広野町で、患者の診療を続けた高野英男院長(81)が亡くなり、常勤医不在となった高野病院の存続に向け、全国から町に寄付金が寄せられている。町はボランティア医師の交通費や宿泊費を支給するため、ふるさと納税を利用した寄付を9日から募集したところ、10日夕には300万円を超える寄付が集まった。
 
 病院には内科の寝たきりの高齢者や精神科の患者ら102人が入院している。高野院長が昨年末の火災で亡くなった後、町と南相馬市立総合病院の医師らが「高野病院を支援する会」をつくりボランティア医師を募ると、全国から応募が相次いだ。

 町は9日午前11時、ボランティア医師の約3カ月分の宿泊費や交通費として250万円を目標にインターネット上で寄付金を募集。ふるさと納税制度の対象になり、寄付額に応じて所得税や住民税が一部控除されるが、返礼品はなく礼状のみ。それでも全国各地から集まり、10日昼には目標額に達した。同町の担当者は「こんなに早く集まるとは」と驚く。

 寄付者からは「頑張ってください!」「尽力されてきた高野医師の意志を引き継ぐ形ができることを祈っております」などの応援メッセージが届いた。

 寄付の募集は2月末までで、目標額を上回る分は、町の地域医療のための事業などに充てる。支援する会の会長も務める遠藤智町長は「高野病院が存続し、被災地の医療体制を崩壊させないよう、全力で取り組みたい」と話している。

 寄付はガバメントクラウドファンディング「Ready forふるさと納税」(https://readyfor.jp/projects/hirono−med)のホームページからできる。問い合わせは広野町=電0240(27)2111=へ。


福島・病院長死亡  被災地医療の拠点危機 支援相次ぐが… 2
017年1月6日 毎日新聞

 福島県広野町の「高野病院」でただ一人の常勤医だった高野英男院長(81)が火災で亡くなったことを受け、全国の医師からボランティアの申し出が相次いでいる。支援グループに関東や九州など少なくとも31人が協力を申し出ており、月内の人繰りにはめどがついた。だが、医療法などの規定で常勤医が必要で、福島第1原発事故被災地の医療を守ってきた病院は危機にひんしている。

 火災は昨年12月30日夜、病院敷地内で高野さんが1人暮らしをする宿舎で発生。木造平屋建て住宅の一部を焼き、室内から高野さんの遺体が見つかった。

 院長以外の医師9人は非常勤で、勤務ローテーションが組めなくなった。入院患者は約100人。県内の若手医師が「支援する会」を発足させ、フェイスブックなどでボランティア医師を募っている。このほか、町や病院に複数の医師が支援を申し出ているという。

 厚生労働省によると、医療法などで病院管理者の要件は常勤医師と定められている。病院が県や国に支援を求めているが、確保の見通しは立っていない。

 二人三脚で病院を支えてきた理事長で次女の己保(みお)さん(49)によると、高野さんは県内外で勤務医を経験し、古里・南相馬市に近い広野町で1980年に高野病院を開いた。院長室に布団を持ち込み、ほぼ24時間体制で地域医療に打ち込んだ。2003年、敷地内に宿舎を建てた。己保さんは「父はこの病院が好きで患者を一番に考えていた」と振り返る。

 11年3月の原発事故で町民の大半が一時避難。高野さんは一部の入院患者と一緒に病院に残った。その後も双葉郡8町村で唯一の病院として帰還した住民や廃炉作業員の外来診療を担った。

 週2、3日は当直に入り、救急患者にも対応してきた。足元がふらつくこともあり、己保さんが体調を気遣うと「患者がいる。臨床医とはそういうものだ」と気丈に語ったという。己保さんは「患者さんたちを放り出すわけにいかず、存続できるのなら病院を町に寄付してもいい」と訴えている。【曽根田和久、高井瞳】


 「高野病院」医師支援へ資金援助を...広野町がネットで呼び掛け
2017年01月10日 福島民友新聞

 原発事故後も双葉郡内で唯一、入院患者を受け入れている高野病院(広野町)の院長高野英男さん(81)が火災で亡くなり常勤医が不在になっている問題で、町は9日、インターネット上で資金援助を募るクラウドファンディングの取り組みを始めた。町や支援する会などに対し、窮状を知った全国の人から「せめて寄付という形で力になりたい」と申し出が相次いでいる。

 高野病院では昨年12月30日以来、院長と常勤医が共に不在の非常事態が続いている。高野さんに代わって診療に当たっているボランティアの医師は「無償で協力する」と申し合わせているため、寄せられた資金は医師の宿泊費や交通費に役立てる。これらの費用については、町が負担する方針を示しており、資金は支援制度の財源として活用される。

 目標額は250万円。寄付は1口3000円からで、2月28日まで受け付ける。ふるさと納税制度を適用し、寄付した人は税控除を受けられる。9日午後8時30分時点で、90人から計126万8000円が寄せられ、目標額の半分を突破した。

 「地域医療」守るため
 支援する会の呼び掛けで全国から延べ30人以上の医師が協力に名乗りを上げ、1月中は診療を続けられる見通しだが、中長期的な医療体制の構築は予断を許さない。会長の遠藤智町長は「全国からの支援に感謝の念に堪えない。皆さんの厚情に応えるべく、被災地の地域医療を守るため全力で取り組む」と力を込めた。

 同会の中心メンバーの一人で南相馬市立総合病院の尾崎章彦医師(31)は「高野さんの功績やスタッフの頑張りが評価され、高い関心が寄せられていることに感謝している」と語った。また、高野病院は地域医療を担う社会インフラとして重要な役割を果たしてきたとし、寄付をきっかけに「原発事故の被災地にとどまらず、過疎地域ではどこでも起こり得る問題であり、全国の人に自分のこととして考えてほしい」と訴えた。 


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1月10日(火)のつぶやき

2017-01-11 01:03:53 | 花/美しいもの
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原発自主避難 なお自己判断を強いるのか/あすへの指針 「違い」認め合う寛容さを

2017-01-10 19:02:49 | ほん/新聞/ニュース
きょうは朝、ウォーキングから帰ってから、
市民派議員塾のお仕事。

お天気が回復したら、外仕事をしようと思っていたのですが、
寒そうだったのでパス、しました(笑)。

本などを読んでいるうちに気が付くと夕方になっていて・・・。
今年になってから一日がはやいです。

昨日、生協のお豆腐を買ってきたので、タマゴをゆでて、
残っていたスープと冷蔵庫のありあわせで、おでんをつくりました。

薄味の出汁で煮て、生協の「かんたんお料理みそ」をかけて食べます。

このかける赤味噌は、この地方でしか売っていないらしくて、
おいしいし便利なので、関東や関西の人が欲しがります(笑)。

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後半は、原発避難と差別の問題。
弱者に向かう「敵意」、この間のできごとを考えると、
社会や、他者への寛容さが失われていくようです。

  社説:原発自主避難/なお自己判断を強いるのか
2017年01月10日 河北新報
 
 福島県内の常磐自動車道を走ると、路肩に空間放射線量をリアルタイムで表示する電光掲示板が何カ所も現れる。東京電力福島第1原発事故から間もなく6年。公園などでは線量の計測結果を張り出す光景も珍しくなくなった。
 むろん、これら掲示板の数値は安全を保障するものなどではなく「汚染の程度」を示しているにすぎない。しかも安全か否かは一人一人の判断に任されている。そんな時代に私たちは生きているのだ。
 思い出してほしい。政府は事故後、線量の年間許容基準値をそれまでの20倍、20ミリシーベルトに突如引き上げた。事故に伴う避難住民の帰還事業も、後づけで引き上げた基準値を物差しに進められている。
 京大原子炉実験所助教だった小出裕章氏は「安全な被ばくなどない」と論じ、基準値は「我慢させられる量」でしかないと断じた。

 米国の「社会的責任のための医師の会」も、米科学アカデミーの研究報告書を引用し「年間20ミリシーベルトは子どもの発がんリスクを高める。このレベルの被ばくを安全と見なすことは不当」と指摘している。
 子を持つ親には看過できない警告だった。自主避難者の相当割合が地元に父親を残して母子のみとなったのは、むしろ当然だ。信じるに足る情報がないまま子の命や健康に関わる判断を強いられ、それが今なお続いている。
 こうした経緯を忘れたわけではないだろうが、福島県は県内外で行ってきた自主避難者向け住宅の無償提供支援を、3月末で打ち切るという。
 原発被災地では同時期、帰還困難区域を除く全域で避難指示が解除される。タイミングの一致は決して偶然ではなかろう。性急に帰還を促して事故の収束を取り繕いたい国の思惑が透けて見える。
 打ち切りの対象世帯は約1万2500。これより後の「自主」避難は「強いられた自己判断」から「単なる自己都合」に立場を変える。
 「原発事故被害者団体連絡会」などが昨年末、福島県知事への直訴状を手に打ち切り方針の撤回を求めたが、対応は実に冷淡だった。

 一方、自主避難者を最も多く受け入れている山形県では、山形市や米沢市の議会が方針撤回を求める請願を採択。県も職員公舎50戸を無償提供する方針を表明した。
 故郷より避難先の方が自主避難者に寄り添う姿勢を最大限示しているという皮肉が意味するものは何なのか。
 「福島県は住民を見失っている」と福島大の今井照(あきら)教授(自治体政策)は喝破する。「どうやって避難を打ち切るか」は、自主避難者を「どうやって住民でない存在にしてしまうか」と同義なのだ。
 「では、自分たちは何者なのか」。6年近く子どもを抱えて逃げ、惑い続ける自主避難者に、その答えまで自分で探せと強いるような政治や行政であってはならない。


  “原発いじめ問題” 生徒側 150万円の支払いも認定求める  
1月10日 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、横浜市に自主避難してきた生徒がいじめを受けていた問題で、生徒側は同級生に遊ぶ金としておよそ150万円を払わされていた行為が、いじめと認定されなかったことについて、改めるよう求める文書を横浜市に提出しました。

この問題は、原発事故で横浜市に自主避難してきた、現在、中学1年の男子生徒が、転校してきた小学校でいじめを受けていたものです。

横浜市教育委員会の第三者委員会は、同級生から名前にばい菌の「菌」をつけて呼ばれたり蹴られたりした行為はいじめと認定しましたが、同級生に遊ぶ金としておよそ150万円を払わされていたことについては、「お金をおごった行為だ」などとして、いじめとは認定していません。

調査に不服がある場合は市長宛てに意見を述べることができ、生徒側の弁護士は10日、横浜市役所を訪れ、150万円の支払いについても、男子生徒は心身に苦痛を訴えており、いじめと認定するよう求める文書を提出しました。文書では、「暴行などを加えていた子どもからの要求でお金を渡さざるをえなかった」としています。

横浜市教育委員会の伊東裕子担当部長は「内容を確認したうえで市長に報告するとともに、対応を考えたい」と話しています。

市長宛て文書(抜粋)普通の生活取り戻したい
文書の提出に合わせて、男子生徒が横浜市の林文子市長に宛てに書いた文書の抜粋も公開されました。

この中で、男子生徒は小学5年生のときに、およそ150万円を同級生たちに払わされていた行為について、「またいじめが始まると思って、何もできずにただ怖くてしかたなくて、いじめが起こらないようにお金をだした」。
「お金を取られたことをいじめとして認めて欲しい」。「好きでお金をだしているわけじゃないのに先生は俺のせいにするの?」と訴えています。

そして、「前みたいに普通に外を一人で歩いたり勉強がしたい」。
「早く引っ越しをして自由に歩きたいし、引っ越し先の友達と遊びたい」などと、早く普通の生活を取り戻したいという気持ちもつづられています。

保護者「子どもや親の立場で改革を」
男子生徒の保護者は弁護士を通じてコメントを公表し「学校、教育委員会は金品が絡んでいることだけでもいじめと認識し対応すべきで、初期対応をきちんとしていただけたら被害は最小限で抑えられていたはずです。いじめから逃れるために息子はお金を渡したんです。加害生徒がお金を要求してきたことをきちんといじめと認めてください」としています。

また、改めて当時の対応を検証するために設置された検討委員会について「当時の先生方、教育委員会の方が、なぜ、いじめとして扱わなかったのか聞き取りを含めた報告がまだ何もされていないことにがっかりしています。今度こそ真摯(しんし)に受け止めて学校や教育委員会の在り方を見直してください。子どもや親の立場にたった対応がされるように改革してください」と検証の徹底を強く求めています。


  社説:あすへの指針 「違い」認め合う寛容さを  
2017.1.10 北海道新聞

 世界人権宣言が国連総会で採択されたのは、およそ70年前だ。

 原文は硬いが、詩人の谷川俊太郎さんが「あたりまえにいきるための世界人権宣言」(金の星社)で分かりやすく和訳している。

 「わたしたちはみな、生まれながらにして自由です。ひとりひとりがかけがえのない人間であり、その値打ちも同じです。だからたがいによく考え、助けあわねばなりません」(第1条)

 宣言が今なお新鮮に映るのは、わが国が目指す社会を実現できていない裏返しではないか。

 昨年も暗い事件がさまざま伝えられた。中でも目を向けるべきは、障害者や被災者ら社会的な弱者が、被害やいじめに遭っている理不尽さである。

 互いに「違い」を認め、多様性を包み込んで共に生きる。そのためにはどうすべきかを考えたい。

■弱者に向かう「敵意」
 「障害者なんていなくなればいい」と、男が相模原市の知的障害者施設を襲い、入所者19人を殺害した事件。
福島原発事故で自主避難した少年に対し、名前に「菌」を付けて呼ぶなどしたいじめ―。

 周囲とうまく意思疎通ができなかったり、つらい境遇の人に、優しいまなざしではなく「敵意」の目を向ける。「違い」の排除は、なぜ起こるのだろう。

 自分が生きるだけで精いっぱいの閉塞(へいそく)感。生身の人間と触れ合う機会が減りつつあるように見えるネット社会。他者への関心の薄れ、そして無理解。こんな内向きさが独り善がりを助長するのか。

 複雑に絡み合った糸をほどき、「解」を求めるのは容易なことではなかろう。だが、立ち止まっていては先は見えてこない。

 気がかりなのは、弱者への事件に潜む得体(えたい)の知れぬ、短絡的ないら立ちである。

 川崎市の介護付き有料老人ホームで2014年、入所者3人が相次いで転落死した事件が1例だ。

 殺人罪で起訴された元職員の男は、「仕事のストレスがあった」「イライラしていた」と供述したとされる。

 神奈川県の河川敷で15年に起きた中1男子殺害事件でも、検察側が初公判で、リーダー格の少年について「(被害者が)年下なのになれなれしい態度を取るので、イライラしていた」と説明した。

 転落死事件は、介護現場の過酷な労働が背景にあると指摘されるのも確かだ。だからと言って、高齢者をベランダから放り投げる犯罪が起こるのはなぜなのか。

 事件は社会を映す鏡だ。福祉行政や制度の足りないところは改善すべきだが、イライラが暴発してしまうメカニズムを検証しなければ、再発防止はおぼつかない。

■認知望む性的少数者
 LGBT(性的少数者)と呼ばれる人たちも、「違い」を広く受け入れられているとは言い難い。

 東京都世田谷区が昨年、全国のLGBT約千人に行った調査では、「同性同士のパートナーやその家族も、法律上のパートナー、家族であると認めてほしい」と望む声が約70%にも上った。

 注目したいのは、それに応えようとする自治体の動きである。

 東京都渋谷区は15年、同性カップルを結婚に相当する関係と認め、証明書を出すパートナーシップ制度を全国で初めてつくった。

 世田谷区や兵庫県宝塚市、那覇市などが続き、札幌市も新年度に導入する方針を固めたという。

 証明書に法律上の効力はないが、公的に承認することで、死亡保険金の受取人にパートナーを指定できるサービスなどが出てきた。配偶者同様の福利厚生を受けられるようにした企業もある。

 同性カップルの権利を保障したり、登録制度を持つ国・地域は欧州などに少なくない。

 自治体などのこうした対応は、世界規模の視点で考え、それを具体的に地域政策に落とし込む「グローカル」(グローバルとローカルを掛け合わせた造語)の好例と言える。

障壁を取り払わねば
 障害や性差、境遇の違いを包み込む社会とは、どういうものか。

 ひとつの指針が、障害者権利条約の中にある。

 障害者が暮らしにくく、不利益を受けているのは、障害者のニーズに応えていない社会の未成熟に原因があるとの考えだ。

 たとえば、脚に障害のある人が建物を利用しにくい場合―。それは障害が原因ではなく、段差がある、エレベーターがないなどの建物の構造に問題(社会的障壁)があるという捉え方である。

 視点を変えれば、社会のさまざまな欠陥が見えてくる。障害者にとどめず、あらゆる人々に広げて、障壁を取り払う具体的な取り組みを加速させたい。

 それが、包摂社会への足がかりになろう。


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1月9日(月)のつぶやき

2017-01-10 01:04:56 | 花/美しいもの
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そろそろ庭木に寒肥をやる時期です/【福島原発事故】原発事故で汚染? 中古車の輸出停止 5年で1万3000台

2017-01-09 23:56:53 | ほん/新聞/ニュース
1月5日は二十四節気の「小寒」で「寒の入り」。
小寒から節分の前日までの30日間を「寒の内」といいます。
その中でも、いちばん寒い時期を「大寒(だいかん)」といって、
ちなみに、今年の大寒は、1月20日です。

大寒にはお酒を仕込んだりするのですが、
庭仕事では、寒の内に庭木の根回りに「寒肥(かんごえ)」を施します。
冬の間、木々の根は休んでいるのですが、
この時期の肥料は土の中で植物が吸収されやすい形にかわり、
春に根っこが動きはじめると効き目を表し始めるのです。

花木は、寒肥と花後のお礼肥を施してやれば
毎年、きれいな花を咲かせてくれます。

きょうはその準備。
移植ごてなどのグッズは、使いやすいものに新調。

固形の種かすもなければ買っておこうと思ったのですが、
今年分くらいはあります。

庭木は大木から灌木まであわせると、かるく百本くらいはありますので、
大寒になる前に寒肥を終えたいと思っています。
  
満月ロウバイも咲きはじめ。
  
クレスマスローズとツバキも、淡いピンクの花を見つけました。
球根もそろそろ芽を出しています。

午後は、2月の市民派議員塾の課題の準備。
そろそろ、2017年のわたしの仕事もスタートです。

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後半は、【福島原発事故】関連のニュース。
昨年12月の「原発事故で汚染? 中古車の輸出停止」のニュースが、
フェイスブックでシェアされてきました。

やっぱり!

「福島第一原発事故の検証などがなされない現状では再稼働は認められない。
検証は数年かかるだろうと考えている」という新潟県の米山知事の言葉とあわせて紹介します。

<
   【福島原発事故】原発事故で汚染? 中古車の輸出停止 5年で1万3000台  
2016年12月19日 東京新聞

 東京電力福島第一原発事故が起きた二〇一一年から一六年十月末までの約五年間に、全国の十四港湾施設で輸出しようとしていた中古の自動車と建設重機の一部から国の基準を超える放射性物質が検出され、計約一万三千台が輸出差し止めになっていたことが、業界団体の集計で分かった。汚染源は特定されていないが、原発事故前は検出事例がなく、事故後に汚染された車両が各地に流通していた可能性が高い。

 輸出を差し止められた車や重機の大半は、事業者が洗浄後に売却したとみられる。ピークは一二年の六千五百四十四台で、一五年は二百三十九台と減少傾向だが、原発事故の影響が改めて浮き彫りになり、国や事業者による対策が引き続き求められている。

 輸出向けの中古車や重機の売買はオークションが主流で、国内の取引は線量を測定する規定もないため、荷主が汚染を知らないまま購入するケースが少なくない。業界団体の日本港運協会(東京)の集計には、車や重機を分解して輸出するケースは含まれておらず、汚染された台数はさらに多い可能性もある。

 環境省は「除染して基準値以下まで放射線量を下げれば、再利用や輸出は問題ない」としているが、第一原発周辺の避難区域での国の除染は一六年度で終わる予定で、輸出しようとして差し止めになる車や重機は今後増える可能性もある。

 同協会によると、国土交通省のガイドラインに基づき表面線量が毎時〇・三マイクロシーベルト以上なら輸出を差し止めて荷主に返却する。同五マイクロシーベルト以上なら隔離して、国の関係機関へ通報している。

 一一年八月~一六年十月の間、同〇・三マイクロシーベルト以上は約一万三千台。一六年は十月末までに百四十六台だった。福島県の業者は「除染で使った車や重機の再利用は、国内では風評被害が心配されるので、需要のある東南アジアなどへ輸出するしかないのが実情だ」と話している。


  新潟県知事「原発事故の検証は数年かかる」
1月5日  NHK

東京電力が目指す柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な姿勢を示している新潟県の米山知事が、5日、新潟県庁で東京電力の経営トップと初めて会談しました。米山知事は「福島第一原発事故の検証などがなされない現状では再稼働は認められない。検証は数年かかるだろうと考えている」と述べ、再稼働に慎重な立場を伝えました。

去年10月に就任した新潟県の米山知事は一貫して、福島第一原発事故の原因や健康に与える影響、それに避難計画の実効性の3つの点について検証がなされない限り、再稼働は認められないと慎重な姿勢を示しています。

米山知事と東京電力側の会談は、福島県沖での地震の対応などで2度延期されていて、5日は東京電力の數土文夫会長と、廣瀬直己社長、それに新潟本社の木村公一代表が県庁を訪れ、米山知事と初めて面会しました。

この中で、數土会長は「米山知事が示している3つの検証に対し誠心誠意対応していきたい。地元の方の意向が最も重要なのでわれわれにとって厳しければ厳しいほど有効で、これまでの経営の体制を見直していきたい」と述べました。

これに対し、米山知事は「3つの検証がなされないかぎり、現状では再稼働は認められないと考えている。検証がどれくらいかかるかは現時点ではわからないが、数年はかかるだろうと考えている。全力を尽くして検証をしたい」と述べました。

知事「再稼働の議論閉ざさない」
初会談のあと、新潟県の米山知事は記者団に対し、「東京電力にとって地元が第一だと言ってもらい、大変ありがたく、県民の安心安全に配慮いただけると考えている。議論がどこに行き着くかはわからないが、再稼働についての議論を閉ざすつもりはなく、あらゆる可能性について議論したい」と述べ、再稼働の議論を否定しない考えを示しました。

一方で、会談の中で米山知事が東京電力側に検証が終わるには数年かかると伝えたことについては、「相当な量を検証していくと早く終わるとは考えづらい。それに、新たに原発事故が健康に与える影響や、避難計画の実行性の検証を始めるが、避難計画を作らないと検証のしようがなく、東京電力や国を含めて検証をしなければならないのでふつうの推論として、数年かかるのではないか」と述べました。

東電会長「地元第一の理解得た」
会談のあと東京電力の數土文夫会長は記者団に対し、「知事に会ってわれわれが地元を第一に経営することを申し上げ、理解していただけた」と述べました。また、米山知事の意向に沿って数年間は柏崎刈羽原発を再稼働しないのかと問われたのに対し、「原発のある自治体の意向がどんなに厳しいものであっても、われわれはそれを覚悟し、最優先しないといけない」と述べました。

また、廣瀬直己社長は「福島の責任を果たすために確保すべき巨額な資金を稼がなければならないという文脈では柏崎刈羽原発の再稼働は大きなポイントだが、安全の検証を万全にし県民の理解を得るプロセスをしっかりやっていく」と述べました。

審査書案 来年度以降に
東京電力が再稼働を目指す柏崎刈羽原子力発電所の審査は、6年前に事故を起こした福島第一原発と同じタイプの中で最も進んでいますが、緊急時の対応をめぐる方針の変更などがあり、審査に事実上合格したことを示す審査書案の取りまとめは来年度以降になる見通しです。

東京電力は新潟県にある柏崎刈羽原発の6号機と7号機について、新しい規制基準が施行された4年前に、再稼働の前提となる審査を原子力規制委員会に申請しました。

審査はこれまでに施設の耐震設計の基準となる最大規模の地震の想定が認められるなど、福島第一原発と同じ沸騰水型と呼ばれるタイプの原発のなかで最も進んでいます。

ただ、東京電力は去年10月、柏崎刈羽原発の6号機と7号機から南に1キロほど離れた3号機に設置する方針だった緊急時の対応拠点「緊急時対策所」について、防潮堤の地盤の一部が最大規模の地震の際、液状化するおそれがあり、対策に1年以上かかる可能性があるとして設置場所を変更する方針を示し、追加の説明が必要となっています。

方針の変更に伴う説明資料の提出も遅れていて、審査に事実上合格したことを示す審査書案の取りまとめは来年度以降になる見通しです。

福島廃炉費用への影響
東京電力は当初、平成26年に柏崎刈羽原子力発電所の6号機と7号機を再稼働させるという計画を立てていました。目標の時期からは大きな遅れが出ていますが、稼働すれば2基で1000億円の営業利益を見込むことができるとしていて、東京電力は早期の再稼働を目指しています。

この背景には、福島第一原発の廃炉や事故の賠償などの費用が21兆円余りと当初の見込みの倍に膨らんだこともあります。とりわけ、8兆円に上るとされた廃炉費用は、東京電力が今後、収益をもとに自力で確保することになっています。

廃炉や賠償に最優先で取り組むことが求められる中、東京電力としては、柏崎刈羽原発の再稼働でこれらの資金を確保し、電気料金の値上げはなんとしても避けたいとしています。 


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1月8日(日)のつぶやき

2017-01-09 01:04:09 | 花/美しいもの
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<いのちの響き>相模原事件の被害者家族(中)この子の親でよかった/(下)苦労した分、かわいいの

2017-01-08 20:29:45 | ほん/新聞/ニュース
天気予報は昼過ぎから雨。
朝のうちは曇りだったのでいつものようにウォーキングに出発。
10時ころ小さな子たちが遊びにやって来ました。

午前中、でリュウノヒゲ、ナンテン、ピラカンサの青い実、
赤い実をとってきて遊んだりして、お昼ご飯をたべて帰っていきました。

雨が降ってきて暗いので、家のなかのカトレアは胡蝶蘭を、
植物育成LEDライトで照らしてやりました。

これも、ネットで見つけて購入したもの。
家のなかに取り込んでいる植物に、順番にあててやるつもりです。

昨日は、寒かったのですが陽がでていたので、午前中庭仕事。

いまを盛りと咲いているマホニアと山茶花ノ花がきれいでした。










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後半は、
中日新聞の生活面でお正月から連載の
<いのちの響き>相模原事件の被害者家族、
「(中)この子の親でよかった」と「(下)苦労した分、かわいいの」を紹介します。

   <いのちの響き>相模原事件の被害者家族(中)この子の親でよかった 
2017年1月4日 中日新聞

 相模原市の障害者施設殺傷事件で、重傷を負った尾野一矢さん(43)が初めて親元を離れたのは十二歳のとき。新しい住居となった神奈川県厚木市の施設には、一矢さんと同じように知的障害のある子ども三十人余りが暮らしていた。

 平日の昼間は地元の特別支援学校に通学。施設にいる間は、静かにテレビを見ていたり、職員と一緒に散歩して体を動かしたりした。この施設では、刺しゅうを覚えたり、畑仕事をする時間がある。一矢さんは障害のためできなかったが、「優しく見守ってくれる職員のおかげで、落ち着いて過ごしていた」と父の剛志(たかし)さん(73)。

 むしろ寂しがったのは、同県座間市の自宅から送り出した両親の方だった。剛志さんは保護者会を立ち上げ、用事を作っては施設に様子を見に行った。母のチキ子さん(75)も、一矢さんが一時帰宅した際は好物のステーキを振る舞い、口癖の「美味(びみ)」と言わせるのが楽しみだった。

 一九九六年、二十三歳になった一矢さんのため、成人向けの施設を探したところ、改修を終えて空きがある施設が相模原市にあった。それが「津久井やまゆり園」だった。剛志さんはやまゆり園でも家族会の会長を務め、二人そろって月一回は会いに行った。

 一方で、一矢さんの帰宅頻度は減っていった。全身をかきむしるなどの自傷行為が続いていることに加え、体が震えるなどの発作もひどくなり、かかりつけの医師がそばにいないと心配だった。一矢さん自身、園の生活になじんでいた。「やまゆりでがんばる」。そう両親に意思を伝え、三年ほど前から帰宅をあまり望まなくなった。

 「親離れしたんだね」。剛志さんが立て続けに病気になり、家族会の会長職を辞めて、自宅のクリーニング店を閉めた時期とも重なっていた。一息つこうと話していた直後の昨年七月二十六日、事件は起きた。

 一矢さんは首や腹を刺され、病院に救急搬送された。手術後も容体は安定せず、意識が戻って面会できたのは二日後。集中治療室のベッドで横になっていた一矢さんは、両親に気付くと、目を離さず何度も叫んだ。

 「お父さん、お父さん」。普段は言葉をあまりしゃべらないわが子が、懸命に自分を呼んでいる。初めての出来事に剛志さんは「一矢のお父さんでよかった」と胸がいっぱいになり、頭を抱きしめてほおずりした。

 一矢さんは退院後、建て替えが決まった園を一時離れ、厚木市の障害者施設に身を寄せている。黒かった髪は事件を境に白くなり、急に「怖い」と叫ぶこともある。心の傷を慰めようと、両親は週一回、欠かさず施設を訪ね、一緒の時間を過ごしている。

 両親の心にも深い傷痕が残った。

 「障害があるというだけで命が軽んじられるなら、自分たちが一矢からもらった幸せも否定されるというのか」

 事件後、被害者の親として実名公表に踏み切ったのは、「障害があってもちゃんと生きていけるということを社会が理解しなければ、第二、第三の事件が繰り返される」との切実な思いがあったからだ。
 (添田隆典) 


 <いのちの響き>相模原事件の被害者家族(下) 苦労した分、かわいいの 
2017年1月5日  中日新聞

 手にはケーキを入れた手提げ袋。街がクリスマスの華やかな雰囲気に包まれた昨年十二月二十五日、神奈川県藤沢市の野口宣之さん(77)と輝子さん(76)夫婦は、同県厚木市にある施設に入った。「喜ぶかな」。そう思うと、輝子さんの足取りは軽かった。

 施設には長女の貴子さん(45)が暮らす。三人は食堂でテーブルを囲み、ケーキを口に運んだ。親子のささやかなクリスマス。娘へのプレゼントはそれだけではなかった。

 「正月は家に帰るんだよ。一緒にお雑煮を食べるからね」。輝子さんは娘にゆっくり語りかけた。

 相模原市の「津久井やまゆり園」で暮らしていた貴子さんは、昨年七月の事件で首を刺されて重傷を負い、五カ月以上帰宅できなかった。自宅にこれほど長期間帰らないのは初めてだが、けがの回復や生活が落ち着くのを待つしかなかった。「お雑煮やおせち料理をしっかり準備しなきゃ」。家族一緒に正月が迎えられる喜びを、おとなしく聞いている娘の隣でかみしめた。

 貴子さんは二歳ごろになっても、言葉が全く出てこなかった。「耳が聞こえないのでは」。心配した輝子さんは、耳鼻科に貴子さんを連れて行き診察してもらったが異常なし。児童相談所や脳外科で初めて、自閉症で知的障害を伴っていると分かった。

 貴子さんは水遊びが大好きで、休日には家族でよく海水浴に行った。輝子さんがピアノを弾くと、うれしそうに鼻歌でメロディーをまねするので、家では輝子さんが得意のピアノをよく聴かせた。

 環境の変化にとても敏感で、一度泣きだすとなかなか止まらなかった。二歳のころ、銀行員だった宣之さんの転勤で、一家は藤沢市の自宅から名古屋市に転居。夜泣きが一層ひどくなり、輝子さんは夜通しあやして、眠れない日が続いた。

 やがて、輝子さん自身も体調に異変を感じるように。子育てや家事の心労が積もった結果、一年ほど入院しなければならなくなり、中学一年だった貴子さんは神奈川県小田原市の障害児施設で暮らすことになった。退院したら引き取るつもりでいたが、医師から「自宅でこれ以上育てるのは難しい」と許可が下りなかった。

 それからは、週末の帰宅を楽しみに待ち、娘が帰ってくると好物のウインナーやウナギの料理を振る舞った。日曜夜に輝子さんが「明日、施設に戻るんだよ」と言うと、貴子さんは自分で着替えをして支度した。

 「言葉が話せなくても、貴子はちゃんと理解できているし、私も顔を見れば貴子の気持ちが分かる。離れて暮らすのは大人になるまで」。そう思っていたが、体調はなかなか戻らず、医師から再びストップがかかった。結局、二十年ほど前に津久井やまゆり園に移った。

 貴子さんは五年ほど前から白内障を患い、今はほとんど目が見えない。「自分で症状をうまく伝えられないため、悪化を止められなかったのでは」と、輝子さんは気の毒がる。

 貴子さんは、けがの治療を終えた八月末から今の施設で過ごし、やっと落ち着きを取り戻しつつある。帰宅できない間、両親は十日に一回のペースで娘に会いに行った。自宅から車で片道約一時間以上。近くの施設の方が負担は軽いが、慣れない環境に置かれる娘のつらさを思えば、輝子さんは苦にならない。

 「そばにいたい気持ちがあれば、距離の近い遠いは関係ないの。それに苦労した分、余計にかわいいから」
 (添田隆典) 


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1月7日(土)のつぶやき

2017-01-08 01:04:21 | 花/美しいもの
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政治主導で「女性も仕事」 【第16部】誰もが輝く国へ ノルウェー・リポート<2>/芳香ただようロウバイ、真紅のクリスマスローズ・レッド

2017-01-07 22:31:31 | ほん/新聞/ニュース
お正月に咲いたロウバイの花数が増えてきて、
庭に出ると芳香がただよってきます。

庭には蝋梅の木が3本あって、2本がソシンロウバイ、
一本が花の中心が赤い満月ロウバイです。

しだれ梅の下にあるこの木はソシンロウバイ。
  
蝋細工のような透き通る花びらで、とても良い香りがします。  




しだれ梅の下には、クリスマスローズが何株かあります。
梅の木の後ろでひっそりと咲き始めたのは、クリスマスローズ・レッド。
  

  
真紅の花があざやかです。



いちばん先に咲いたクリスマスローズは、一重のローズ色の花。

ロウバイとクリスマスローズ、どちらも好きな花です。

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ところで、
P-WANサイトを運営しているので、全国各地の新聞のサイトを読むことが多いのですが、
西日本新聞のこの連載おもしろいいです。

 政治主導で「女性も仕事」 【第16部】誰もが輝く国へ ノルウェー・リポート<2>
2017年01月06日  西日本新聞

 テレビが衆議院の質疑を中継している。カメラがスッと引いて映し出した議場は灰色一色。議員の90・7%を占める男性のスーツの色だ。私たち日本国民の代表は似たようなスーツを着た、似たような属性の男性ばかり。これってどうなんだろう。

 「権力の半分を女性が獲得しなければ、真に平等な社会にはなりません。だって世の中は、男女半々なんですから」。ノルウェー国会副議長のニーバックさん(69)はこう力を込める。現在の内閣は、女性首相を筆頭に女性9人、男性10人で構成する。「男性の大臣が『子どもを保育所に送らないといけないから朝9時前の会議には出ない』と言うこともあります。女性だけが仕事も子育てもと2倍背負うのではなく、分担するのがこの国では普通のことだからです」

 スイスのシンクタンク、世界経済フォーラムが昨年、女性の地位について144カ国を分析した「男女格差報告」でも差は歴然としている。

 ノルウェー 3位
 日本    111位

 分野別に見ても日本は「経済活動への参加と機会」が118位、「政治への参加」が103位で、安倍政権が目指す「女性の活躍」には程遠い。ノルウェーのような“先進国”とはそもそも文化が違うのだろうか。

    □    □
 「そんなことはありません。私の母もその友人も職業を持たないのが当たり前で、話すことといったら、子どもとカーテンのことばかりでした」

 元保健・ケアサービス副大臣で精神科医のハイバルグさん(80)は当時を振り返る。医学生のころ女性は100人中14人だけだった。母親が外で働くと子どもに悪影響を及ぼす。そうした考え方がまだ社会を覆っていた時代。強い意志で社会に出たものの「娘2人を産んでからは『私も主婦になるべき?』と、夫に何度尋ねたことか」。

 「男は仕事、女は家庭」だったこの国が、国連の女性差別撤廃条約を批准し、誰もが活躍できる社会へ踏み出したのは1981年。日本は85年で大差ない。

 しかしノルウェーでは、既に70年代から各政党が「クオータ制」を導入し始めていた。党のルールで選挙候補者などの一定割合を女性にし、政治参加を後押しする仕組みだ。

 選挙は比例代表制で、有権者は候補者個人ではなく、支持する政党を選ぶ。票数に応じてその政党の当選者数が決まり、当選者は党の候補者名簿の上位から順に選ばれる。名簿の順位を男女交互にするなど女性議員を増やす工夫も重ねた=図。

 初の女性首相が86年に組閣した2次内閣では19のポストのうち9人を女性が占め、この頃から日本との差が拡大。2年後には法律で、公的審議会などは男女どちらも全体数の40%を下回ってはならないと定めた。育児休業を取る男性議員も現れ、80年代に取得したストルテンベルグ議員は、後に首相も務めている。女性活躍の場は、政治から社会へ広がっていった。

    □    □
 日本で女性が初めて参政権を行使し、39人の衆院議員が誕生したのは71年前。そして現在、44人。政府は2020年に衆参両院選の女性候補の割合を30%とする努力目標を掲げるが、日本ではまだ議員の育休すら想定されてはいない。議員が育児や病気などで休む場合、代理議員が業務を引き継ぐノルウェーとは比べようもない。

 女性差別撤廃へ同じ頃に乗り出した二つの国は、政治のリーダーシップにより、30年余りで大きな差がついてしまった。

 「政治が態度を決め、法律や制度を変えれば、国民も変わっていくのです」。ニーバックさんの言葉は重い。
=2017/01/06付 西日本新聞朝刊= 


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1月6日(金)のつぶやき

2017-01-07 01:04:05 | 花/美しいもの
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