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みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

5種類のUVレンズ付スポーツサングラスで快適、庭仕事/すくすく育つ畑のサラダ用野菜

2017-01-06 20:40:39 | 有機農業/野菜&ハーブ
ネットのタイムセールで注文した、
5種類のUVレンズ装備のスポーツサングラスが届きました。

いろんなシーンに合わせて、レンズが取り換えられるとろが気に入りました。
  
サングラス本体は耳にかけるだけてなく、バンドで頭に装着することもできます。

収納バックもついて、定価の60%引きが魅力でした(笑)。


さっそくクリアグラスとバンドでサングラスを付けて庭仕事。

前庭の雑草とリュウノヒゲをひいて、、クリスマスローズに陽が当たるようにしてやりましょう。

まずは、あちこちに置いてある椿の鉢をどけて、
きれいに整地してやりました。

埋もれていたクリスマスローズが顔を出しました。


    

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今年はじめて畑に行って、ハウスで野菜を収穫してきました。

サラダ用の野菜たちが温かい環境でスクスク育っています。

10種類ほどの野菜を少しずつとってきました。

とれたて野菜でグリーンサラダ。
  
イオンビックで半額で買ったローストビーフとブリと鯛のお刺身。


お昼ごはんは、残っていた更科の冷やしたぬきのたれを使うべく、
讃岐うどんをゆでで、ざぶとんのような特大お揚げとささみを具にして、

「自家製冷やしキツネうどん」をつくって食べましたよ。

わたしはお正月でもお餅は食べてないのですが、
つるつるしこしこの初うどん、おいしかったです。

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1月5日(木)のつぶやき

2017-01-06 01:04:10 | 花/美しいもの
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青い実。赤い実。/リュウノヒゲ。万両。南天。ピラカンサ/平和こそ「希望の光」 年のはじめに考える

2017-01-05 21:47:10 | ほん/新聞/ニュース
宝石のような深く透き通った藍色。
この丸い実はなんでしょう?
  
答えは、庭のあちこちに生えるリュウノヒゲの青い実。

半日陰でもよく育ち、長い草をこんもりと茂らすリュウノヒゲ(龍のひげ/ジャノヒゲ)。
  
根にできる紡錘形のふくらみを乾燥させたものは、
「麦門冬-ばくもんとう」と言って、漢方では咳止めなどの薬として用います。
わたしは気管支が弱くて咳が出やすいので、
「麦門冬湯」を長いこと飲んでいました。

こんなきれいな実をつけるリュウノヒゲですが、
どんどん増えるので込んでいるところを引き抜いて「麦門冬」を取るつもりです。

樹の下の半日陰のところには、万両も自生しています。

苗を買うとけっこう高いのですか、
条件があえば、こぼれ種で芽を出します。






おなじみの南天

オレンジのピラカンサ
  

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後半は中日新聞の社説、「年のはじめに考える」。
きょうは「平和こそ『希望の光』」です。

  社説:平和こそ「希望の光」 年のはじめに考える 
2017年1月5日 中日新聞

 安倍晋三首相は年頭に「新しい国づくり」を宣言しましたが戦争に翻弄(ほんろう)されない、平穏で豊かな暮らしを未来に引き継ぐことこそ、私たちの責任です。

 二〇一七年、日本政治の本格始動です。安倍晋三首相がきのう三重県の伊勢神宮を参拝した後、年頭の記者会見を行いました。

 首相発言で注目すべきは「安倍内閣は本年、国民の皆さまとともに、新しい国づくりを本格的に始動してまいります」と言及したことです。「新しい国づくり」が具体的に何を指すのか明らかではありませんが、憲法改正が念頭にあることは容易に想像がつきます。

「新しい国づくり」宣言
 今年は一九四七年五月三日の日本国憲法施行から七十年の節目に当たります。

 首相は会見でそのことに触れた上で、少子高齢化の進展や日本経済の停滞、厳しさを増す安全保障環境などを列挙して「七十年前の先人たちに倣い、今を生きる私たちもまた、こうした課題に真正面から立ち向かわなければなりません」と述べました。「戦後のその先の時代を切り開く」とも。

 慎重に言葉は選んでいますが、首相が今は封印している「戦後レジームからの脱却」を、いつかは成し遂げたいとの意欲をにじませたようにも聞こえます。

 首相は昨年十二月五日、第一次政権との通算在任日数が千八百七日となり、中曽根康弘首相を超えて戦後歴代四位になりました。

 首相の自民党総裁としての任期は一八年九月までですが、今年三月の党大会で任期が「連続三期九年」に延長される予定で、次の総裁選に勝てば、二一年九月まで続投が可能となります。

 一九年八月に戦後一位の佐藤栄作首相、同十一月には明治・大正期の桂太郎首相をも超えて歴代一位となる計算です。

長期政権へ課題を設定
 首相が「新しい国づくり」を掲げた背景には長期政権をにらんで政治課題を設定し、政権への求心力を高める狙いもありそうです。

 歴代内閣が禁じてきた集団的自衛権の行使を一部容認した安倍政権ですが、憲法改正による自衛隊の「国軍化」は悲願です。

 憲法改正を筆頭とする「新しい国づくり」こそが、安倍政権としての総仕上げなのでしょう。

 首相は一日付で発表した今年の年頭所感では新憲法制定に携わった後の首相、芦田均氏の「希望の光」という言葉を引用して「私たちも直面する諸課題に真正面から立ち向かい、子や孫、未来を生きる世代に『希望の光』を与えなければなりません」と訴えました。

 新憲法に高らかと掲げられた戦争放棄は、国民主権や基本的人権の尊重と並んで、戦争で肉親を失い、自らも傷ついた当時の人々にとって、光り輝く「希望の光」だったことでしょう。

 それは今も変わりません。

 米国との安全保障条約で独立回復後も米軍の日本駐留を認め、自衛のための必要最小限の実力組織として自衛隊を保有するに至りましたが、抑制的な防衛力整備と平和外交が戦後日本に経済的繁栄と平和をもたらしたからです。

 先人たちが戦後、見事に復興を遂げた努力は称賛されるべきですが、そもそも「見渡す限りの焼け野原」が生じたのは、無謀な戦争に突入したことが原因です。

 平和こそが国づくりの基礎であり、今を生きる私たちを照らし、将来世代に引き継ぐべき「希望の光」です。それをないがしろにした「新しい国づくり」など許されません。

 気掛かりなのは「安倍一強」とされる政治状況です。政権の言動はすべて正しいと受け取る易(やす)きに流れ、異を唱えづらくなってはいないか。

 それは自民党内に、安倍氏に交代を迫る総裁候補がなかなか現れない、野党第一党の民進党が、政権を再び託すに足る信頼をいまだに回復していないことと、無縁ではありません。

 自民党内や国会での議論が形骸化して、建設的な論戦が行われなければ、不利益をこうむるのは、主権者たる国民です。自民党内の次期総裁を目指す人たちや民進党には、奮起を促したい。

有権者も選択に備えを
 衆院議員の任期は昨年十二月、四年の折り返し点をすぎました。首相は会見で「解散は全く考えていない」と否定しましたが、首相がいつ衆院解散・総選挙に踏み切ってもおかしくない状況です。

 国会での憲法改正論議の進捗(しんちょく)状況次第ですが、仮に総選挙になれば憲法改正を含む「新しい国づくり」を進めるのか否かが争点になる可能性があります。

 私たち有権者にとっては重大な選択です。そのときに備えてしっかり考えておかねばなりません。私たちの心構えも問われる一年になるのです。


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1月4日(水)のつぶやき

2017-01-05 01:04:05 | 花/美しいもの
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「非戦」という国家戦略 年のはじめに考える/2017年の初仕事。玉ツゲの剪定。

2017-01-04 21:02:57 | ほん/新聞/ニュース
お正月に届いた中日新聞に見開きで、
論説委員の紹介と「社説をぜひ読んでほしい」という記事が出ていました。

わたしはまず中日新聞の生活面からよみはじめ、
社説葉かならず読みます。

いまは3紙の朝夕刊をとっているので、
中日、朝日、毎日の順で3紙の社説を読み比べ。
きょうの社説は、中日新聞がおもしろかったです。

  社説:「非戦」という国家戦略 年のはじめに考える
2017年1月4日 中日新聞 

 私たちにとって「平和主義」とは何でしょうか。単なる理想? いえ、終戦から七十一年が過ぎ、日本の国家運営を支える重要な「戦略」となっています。

 安倍内閣は二〇一三年十二月十七日、「国家安全保障戦略」を閣議決定しました。今後十年程度を念頭に置いて、外交・安全保障の基本方針を示したものです。

 それまでは一九五七年に閣議決定された「国防の基本方針」が、国の安全保障を考える指針になっていました。それに代わるものとして策定されたのです。

 米国など諸外国には、外交・安全保障の基本方針を体系的に示すこうした戦略文書はすでにありますが、日本では初めてでした。

 「戦略」は「国家安全保障の基本理念」の中で「我が国は、戦後一貫して平和国家としての道を歩んできた。専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持してきた」と、日本の安保政策を振り返ります。

 そして「こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない」と平和国家としての歩みに高い評価を与え、堅持する決意を表明しています。

 この戦略の策定を主導した安倍晋三首相は「ただ平和、平和と唱えるだけでは平和は守れない」と繰り返します。憲法改正で自衛隊の「国軍化」も目指しています。

 その安倍内閣ですら、平和国家としての歩みが日本に極めて重要で、今後も堅持すべき理念であることは認めざるを得ません。この戦略は「日本の平和主義」の普遍性を明確に示しているのです。

国際社会の評価と尊敬
 専守防衛に徹し、軍事大国とはならないことを誓った日本の平和主義は、無謀な戦争に突入して国内外に多大な損害を与え、日本人だけで三百十万人の犠牲者を出した、先の大戦に対する痛切な反省に基づいています。


 国権の発動たる戦争と武力による威嚇、武力の行使を国際紛争解決の手段としては永久に放棄することを宣言した憲法九条は、海外で武力を行使しないという「非戦の誓い」でもありました。

 その後、米国と安全保障条約を結び、自衛のための必要最小限度の実力組織として自衛隊を創設しましたが、この誓いに基づく抑制的な防衛力整備と平和外交が戦後日本に平和と経済的繁栄をもたらし、国際社会の高い評価と尊敬を勝ち得たことは周知の通りです。

 平和と唱えるだけでは平和は守れませんが、平和と唱えなければ平和が守れないことも事実です。

 戦後日本にとって平和主義は、地域の情勢を安定させ、国民には安全、安心と経済的繁栄をもたらし、国際社会から信頼と尊敬を勝ち得るための国家戦略なのです。

 米国にとっての「自由、民主主義、市場経済」や、フランスにとっての「自由、平等、博愛」と同様「国のかたち」を示す「アイデンティティー」であり、国家に力をもたらす「ソフトパワー」といってもいいでしょう。

 気掛かりなのは安倍首相が「平和主義」の前に「積極的」との言葉を冠していることです。

 安倍内閣は積極的平和主義を掲げて、歴代内閣が禁じていた「集団的自衛権の行使」を一転、容認し、一五年九月には安全保障関連法を成立させました。

 南スーダンに派遣している陸上自衛隊の国連平和維持活動(PKO)部隊には昨年、「駆け付け警護」任務が付与されました。戦闘に巻き込まれれば、海外での「武力の行使」につながりかねない危険な任務です。

 一九九〇年に起きた湾岸危機当時の外務次官で、その後、駐米大使を務めた栗山尚一(たかかず)さんは最後の著書「戦後日本外交」(岩波現代全書)で「われわれが将来にわたって堅持すべき九条の基本的趣旨とは何だろうか。筆者は、それは同条1項の『戦争放棄』であると考える」と記しています。

戦争への反省に立って
 栗山さんは、集団的自衛権の行使を認め、PKOにも積極的に参加すべしとの立場でしたが、自衛権の濫用(らんよう)は厳に戒めています。

 それは九条一項が、先の戦争への深い反省に立ち「自衛権の行使に当たっては、自らに厳しい制約を課する覚悟を象徴している」(同著)からです。

 平和主義が、日本の国家価値を高める戦略であっても「積極的」という言葉を冠することで暴走、変質することはないのか。専守防衛に徹し、二度と軍事大国にならないという九条の原点を、私たちは常に確認する必要があります。


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明日から寒くなるというので、そとで初仕事。
年末にやろうと思っていて時間切れになった、
玉ツゲの剪定です。

10年ほど前に切ってから、形を整えるくらいだったツゲは、
もさもさと背丈くらい伸びていて庭の陽当たりをさえぎっているので、
思い切って、上の玉の部分は取り払い、腰くらいの高さまでにしました。
  
ほんとは寒い冬は剪定の適期ではないので、
直径10センチほどの太い幹は切りつめずに、
春になってから、あらためて形を整えるつもりです。
  
地面近くから生えている込み合った枝を半分くらいに間引きました。
太い根と根の間には、モグラの穴がぽっかりとあいています。

忌避剤をモグラの穴に入れて、
株もとに土を盛り上げてきれいにしてやりました。

ついでに周りの草もひいて、風が出てきて冷えてきたのでおしまい。
すっきりと、陽当たりも風通しも、見通しもよくなりました。

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1月3日(火)のつぶやき

2017-01-04 01:06:02 | 花/美しいもの
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<いのちの響き>相模原事件の被害者家族(上)元気な姿だけで幸せ/「不要な存在」になる不安 熊谷晋一郎さんインタビュー

2017-01-03 20:55:56 | ほん/新聞/ニュース
お正月3日目の夕ご飯は、
昨日もらった北海道のズワイガニ。
まる一日、冷蔵庫にいれて自然解凍。

まだ中のエラとミソのところが少し凍っています。

足を半分に追って、甲羅にカニみそをとりだしましょう。

まだ冷たいので、電子レンジで人肌に温めます。

つれあいには、ブリ大根の身をとりだした出汁で、
  
真鯛を炊いてあげました。

すき焼きのような風味で、おいしいとの感想です。
 ローストビーフもつれあいです。

カニはさすが食べきれなかったので、足を半分を残しました。

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ところで、
12月24日の中日新聞に、
相模原事件に関して、熊谷晋一郎さんのインタビュー
が載っていたので、紹介したいと思って記事をとっておきました。

年を越してしまったのですが、ちょうど今日、生活面に
「<いのちの響き>相模原事件の被害者家族」の記事が出たので、
熊谷さんのインタビュー記事と合わせて紹介させていただきます。

  <いのちの響き>相模原事件の被害者家族(上) 元気な姿だけで幸せ
2017年1月3日 中日新聞

 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」が襲われた事件で、けがを負った障害者とその家族は少しずつ日常を取り戻し始めている。「確かに、障害のない子より手はかかるかもしれない。でも、だからこそ、元気に生きてくれているだけで幸せ」と思いながら。凶行のやいばでできた心と体の傷を、親子の愛情と絆で癒やそうとしている。

 冬の日差しが親子三人を温かく包み込む。昨年十二月半ば、尾野剛志(たかし)さん(73)とチキ子さん(75)夫婦は、長男の一矢さん(43)を連れて神奈川県厚木市内の公園に繰り出した。

 お昼の弁当は、チキ子さん手作りのおにぎりやコロッケ。一矢さんの好物ばかりだ。無心でほおばり、時折、「だめーっ」と大声を出すわが子を、チキ子さんは隣でにこにこしながら見つめ、剛志さんはカメラに収めた。

 やまゆり園で暮らしていた一矢さんは事件後、市内の施設に住まいを移した。首や腹を複数刺され、一時は命も危うかった。「絶望的な状況から、よくここまで元気になってくれた」。二人には、歩けるまで回復した姿がいとおしくてたまらない。

 生まれたころの一矢さんは「おとなしくて、手のかからない子」だった。でも、なかなか言葉をしゃべらず、三歳児健診で自閉症と診断され、重い知的障害も分かった。その直後、一矢さんの実の父親が水難事故死。チキ子さんは、同県座間市の自宅でクリーニング店を営みながら、一人で子育てをした。トラック運転手だった剛志さんと出会い、暮らし始めたのは一年後。「お人形のようだ」。剛志さんは一矢さんをかわいがった。

 一矢さんの成長はゆっくりだった。「食べる」などの単語を覚え、おなかがいっぱいになると「おなかが痛いよー」と言った。静かにしているのでチキ子さんが目を離すと、店の洗濯物を散らかしていたずらした。チキ子さんに仕事がある日中は保育園に通園。小学校では特別支援学級に在籍した。普通学級の同級生たちがよく面倒を見てくれ、修学旅行にも一緒に行けた。

 「ぎゃー」。水が大嫌いで、風呂に入る前はいつも泣きわめいて大騒ぎだ。「できることを一つでも増やしてあげたい」。二人は願い、辛抱強く一緒に風呂に入った。一矢さんは小学校に上がるころになると、泣かずに入れるようになった。

 朝は着替えの練習。チキ子さんは、洋服の裏表や前後ろをわざと逆にして置いた。服を手に取り悩む一矢さん。最初はうまく着られなかったが、正しく着たら「すごいねーっ」とめいっぱいほめた。達成できた時の喜びはひとしおだった。

 でも、近所の目は違った。小学校からの帰り道、一矢さんが路地で虫を捕まえて帰ると、「うちの敷地で物を盗んだ」と店に苦情が来た。「早く施設に入れろ」との匿名電話も度々。剛志さん自身、かんしゃくを起こして泣き叫ぶ一矢さんに、手を上げてしまったことも。「自分も世間の目を気にしているんじゃないか」と自問した。

 成長とともに障害は重くなった。気に入らないことがあると、顔や腕を血が出るまでかきむしる。やめさせようとしても、力が強くなって手に負えない。

 「このままでは一矢も私たちも身が持たない」。案じた二人は、一矢さんを厚木市の知的障害児施設に預けようかと考えた。中学一年の時だった。自ら子どもを手放すような寂しさを感じたが、施設の職員が掛けてくれた一言に救われた。

 「親御さんだけでよくここまで育てられましたね。でも、施設に任せるのは決して恥ずかしいことではないですよ」

 こうして一矢さんの親元を離れた生活が始まった。

◆自閉症や知的障害の特徴は?
 自閉症や知的障害のある人は、周囲の世界をどのように見て、どう感じているのか。愛知県心身障害者コロニー中央病院児童精神科医師の吉川徹さん(44)に聞いた。

 -自閉症と知的障害はどのような障害ですか。
 自閉症は、身ぶりや手ぶり、表情などによるコミュニケーションが苦手かどうかで判断されます。話し言葉も不得手な人がいます。人付き合いも苦手で、興味や関心の幅が広がりにくく、繰り返しの行動が多いのが特徴です。

 知的障害は、以前は知能指数が低いことを指していましたが、最近は知能の発達の遅れのため日常生活を送るのが難しい人を指す場合が増えています。

 例えば、計算が難しかったり、記憶して意味が分かる言葉が少なかったり、気温に応じて衣服を調節できなかったり、一週間の計画を立てるのが難しかったりします。

 -周囲の人からの言葉は理解していますか。
 理解できていたり、できていなかったりします。例えば、「お風呂だよ」と声を掛けて風呂に行けたとしても、「お風呂」という単語や意味を理解しているとは限りません。なぜなら、音の並びや、手に持っているタオルを手がかりに、同じように風呂に行ける場合もあるからです。

 ある行動を身に付ける際、手を取って教えるか、目の前で手本を示すか、あるいは絵や言葉で理解してもらうのか、どのやり方が一番効率よく伝わるかは人によって異なっています。

 障害によって言葉が出てこなくても、心の中に言葉が浮かんでいると主張する専門家もいますが、立場によって意見が違っていて、まだはっきりしていません。

 -障害のあるわが子のことを、「体は成長したが行動は幼い」と感じる親もいますね。なぜですか。
 知的障害の人は、新しい行動を覚えるのが得意ではありません。自閉症の人は変化が苦手なことが多いので、両方の障害があると、幼い時の行動パターンが大きくなっても続くことがあります。

 -心は成長しているのでしょうか。
 中高生になると、命令されるのが好きではなくなる人が多くなります。自分の好みがはっきり分かり、それを求める気持ちも強くなる。これは自立心の表れなので、その意味で心は成長しているといえます。ただ、物の見方や感じ方、考え方の道筋は多くの人とは違うので、それに合わせて接するのが重要です。

 -具体的にはどうすれば?
 達成できたかどうかより、挑戦したことを評価してあげて。例えば、パズルができたときだけ拍手するより、最初の一個をやり始めたときに「そうそう」と強く反応してあげると良い。

 できるかできないかだけに周囲が関心を示すと、障害のある人はできることしかやらなくなり、育ちにくい。障害によって限界はありますが、新しい行動や関心を身に付けられれば暮らしの幅が広がり、結果的に本人の自己決定支援につながります。
 (添田隆典) 


  「不要な存在」になる不安 熊谷晋一郎さんインタビュー
2016年12月24日 中日新聞

東大先端科学技術研究センター准教授 熊谷晋一郎さん 頼る仲間広げ連帯を

 くまがや・しんいちろう 1977年、山口県生まれ。小児科医。東京大卒。専門分野は、障害や病気のある本人が、仲間の力を借りて、自らの生きづらさを探究する「当事者研究」。著書に「リハビリの夜」(医学書院、新潮ドキュメント賞受賞)など。

 障害者46人が殺傷された相模原事件からおよそ5カ月。障害とは無縁の人々の間では、記憶の風化が加速しているようにも映ります。けれども、内心では、事件が突きつけた「優生思想」におびえているのではないでしょうか。脳性まひ当事者でもある熊谷晋一郎・東京大先端科学技術研究センター准教授と、現代社会の諸相を考えます。 (論説委員=大西隆)

 大西 事件は、優秀な人のみに生きる価値があるという優生思想のおぞましさを広めました。でも、精神障害者が知的障害者施設を襲ったという構図に閉じ込められて、健常者にとっては人ごとという空気を生んでいるような気がします。

 熊谷 ちょっと角度を変えて見ると、障害の有無にかかわらず、現代人は「自分は明日から不要とされないか、用無しとされないか」という不安を抱えている時代だと思うのです。それが右肩上がりに強まっている。

 例えば高度成長のころは、マニュアル通りに黙々と働く人が健常者のかがみでした。しかし、テクノロジーが進み、そういう労働は機械化された。黙々と働く人は頑固で融通が利かない、コミュニケーション能力がない、創造性がない障害者として扱われるようになってしまった。

 自閉症と診断される人が30年間で20倍ぐらいに増えています。ところが、30年前の診断基準で調べたら、全く増えていなかったという研究結果がある。つまり社会変動によって障害の定義が広がり、病理化された。昔は問題のなかった人が現代では問題視されるのです。

 大西 コミュニケーション障害は「コミュ障」と呼ばれ、子どものいじめさえ招いている。

 熊谷 そうですね。人工知能(AI)やロボットが人間に取って代わるという未来予測とか、社会の求める能力基準の移り変わりを背景にしながら、多くの人々が「自分は障害者になるかもしれない」と戦々恐々としている。優生思想的な考えは障害者のみならず、大多数の人々を苦しめているといえます。

 大西 排外主義的なドナルド・トランプさんが新大統領に選ばれた米国や、欧州連合から離脱する英国。大陸では極右勢力が台頭している。日本特有の傾向ではなさそうですね。

 熊谷 トランプさんの当選について、上院議員バーニー・サンダースさんは演説で、没落しつつある中産階級の不安をうまく利用したと表現していました。慶応大の財政学者、井手英策さんは、日本では年収800万円の層が最も保守的との知見を教えてくれました。まさに恵まれているはずの中間層が見えない不安にさいなまれている。

 今や人類は分岐点に立たされていると思うのです。より障害化させられた弱い立場の人々を排除して、自分の価値を高めようとする排他主義的な社会に向かうのか。それとも、不要とされる不安を共有する仲間と連帯して、能力の優劣とは無関係に生きていける社会に向かうのか。どっちにかじを切るか。

 願わくば、連帯の方に持っていきたい。それは分配の仕方と絡んでくるでしょう。生産能力に応じて資源を与えるという貢献原則ではなく、生きることそのものに対して無条件で資源を与えるという必要原則をもっと考えなくてはいけない。社会的に有用かどうかが問われない分配の仕組みです。反優生思想とか分配の問題は、中間層にとってこそ重要かもしれない。

 大西 成長なくして分配なしという掛け声の下、国家的には「1億総活躍」が提唱され、障害者をふくめて、稼ぐ力を称揚する風潮が強い。能力主義がさらに勢いを増しています。

 熊谷 障害者もこんな能力を発揮できるというレトリックがはびこるたびに怖くなる。パラリンピックに感動するのも同じ文脈でしょう。もちろん、私たちは近代的価値の中で生きているから、潜在能力を開発するための配慮や支援は欠かせません。でも、それは車の両輪の一つ。もう一つ大切なのは、社会の役立たずでも生きていて良いという思想と分配制度です。

「不要な存在」になる不安
 重要な問いの立て方としては、個人の尊厳をどう守るか。尊厳とは暴力を受けない権利、意思を踏みにじられない権利です。社会的有用性と、生きて良いという尊厳をつなげてはならない。そこをきちんと主張していかないと、事件の一番大事な問題には届かない。能力開発とか自己実現でなく、尊厳からスタートするべきだと思います。

 大西 優生思想的な発想を支持する言説も目立ち、暴力の多発が憂慮される時代です。

 熊谷 今度の事件で明らかになったのは、頼れる先、依存先が少ない人々は暴力に巻き込まれやすいということです。被害者にも、加害者にもなる。

 私もそうですが、お風呂に入ったり、服を着替えたりするときは、介助者に依存する必要があります。暴力を振るわれたら太刀打ちできない。そのときには、その人を切ることができるように、多くの介助者を確保しておかなければいけない。

 しかし、施設では介助者よりも障害者の方が多く、暴力が常態化するリスクが高い。障害者運動が施設や家族という限られた相手に頼るのではなく、地域での暮らしにこだわってきた理由の1つも、そこにある。

 大西 加害者にもなると。

 熊谷 人はどんな状況に陥ると、暴力的になるかという研究があります。暴力と犯罪との関連では3つのことがいわれている。1つ目は、反社会的な態度。人命や財産を軽んじる思考や行動のパターンを持つ人。2つ目は、労働や教育、余暇活動といった場から締め出されたような社会的に排除された人。3つ目は、薬物依存の影響です。

 依存症者の多くはむしろ暴力被害経験があり、他人を信用することが難しい。トラウマ(心的外傷)の中で、自分を裏切らない物質に頼ってしまう。薬物以外に依存できない病気です。社会的排除はずばり依存先を奪うことだし、反社会的態度もトラウマや排除との関連がいわれる。すべて依存先の少なさという点で共通しているのです。

 大西 事件の容疑者は施設の職員でした。大麻を使用していたと伝えられています。

 熊谷 隔離された施設の職員も、人手不足の中でぎりぎりの労働を強いられ、逃げ場はないでしょう。危険な人ほど関わりが必要なのに、容疑者は精神医療に囲い込まれてしまった。とすると、本当の加害者はだれだったのか。一部の人を排除して、依存先を奪った地域社会といえるのではないでしょうか。

 暴力に巻き込まれないためには、依存先を分散することが大事です。人類というのは相互依存ネットワークをつくり、個体の弱さを補ってきた。ただ、社会が健常者向けにデザインされて、障害があると依存先が1カ所に集中しがちなのです。

 大西 いつ「障害者」になるかもしれないと恐れている健常者も、不安を共有する依存先を増やしておくべきですね。

 熊谷 他人に頼らない自立とか自己決定といった近代的な価値には、能力主義が組み込まれています。だから障害が重いか軽いかによって、障害者さえも序列化されるという優生思想的な問題が出てきてしまう。

 私はかねて、自立とは依存先の分散であると考えてきました。分散すれば選択肢も広がります。人間は多くの人やものに薄く、広く依存しなければ生きていけない。障害の有無を超えて多くの人々が依存し、連帯できる社会づくりが望まれます。

 貢献原則と必要原則 公正な所得分配の在り方を考えるときの基本原理。貢献原則は個人の功績に応じて分配するという考え方。障害者や病者、失業者らは排除されやすい。対して、個人のニーズに応じて分配するという考え方が必要原則。社会保障制度の根拠となる。個人の能力や努力とは無関係なので、経済効率は損なわれがちになる。 


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1月2日(月)のつぶやき

2017-01-03 01:04:15 | 花/美しいもの
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憲法70年の年明けに 「立憲」の理念をより深く/不戦を誇る国であれ 年のはじめに考える/誕生日に願う平和

2017-01-02 19:44:43 | ほん/新聞/ニュース
元旦の翌日は、わたしの誕生日。
メールやフェイスブックでお祝いをいただいた皆さま、ありがとうございます。

ちなみに、
「1月2日生まれ」は一年365年のうち、3番目に少ないとのこと。

お正月とバースデイで二度めでたい、かどうかは不明ですが、
お正月で仕事はお休みなので、誕生日祝いをかねて、
子どもたちが遠くから集まってきてくれるのはうれしいです。

きょうはわたしたちは、10時に予約したケーキを取りにいってきて、
こどもたちはお昼前にあつまって、持参したものや買ってきたもので、
てきぱきと食事の準備。
わたしは昨日までに、なますや黒豆、たつくりなどを作っておいて、
きょうは誕生日なのでみてるだけ(笑)。

更科の冷やしたぬきそばもゆであがって、
みんなそろって「いただきます」。

3時には、バースディケーキをいただきました。

ともちゃんが予約したフランボワーズのホールケーキ「プリンセス」と、
健さんとみくさんからは、ヒコハヤシのショートケーキ。

ケーキは、イチゴをどけておいて、人数分に切り分けました。

つれあいの好物のバームクーヘンや、お菓子もいっぱい。
おなか一杯になったので、分けっこしておみやげにしてもらいました。

ケーキは食べきれなかったので冷蔵庫へ。

まどかさんとなほこさんからは、北海道のズワイガニをいただきました。

カニとショートケーキは、明日以降のたのしみにしましょう。

みんなが帰ったあとは、のんびりと二人。
これから夕ご飯です。

無心に遊ぶ小さなひとたちをみていると、
戦争や暴力のない平和な社会をのこしたい、と願わずにはいられません。

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  社説:憲法70年の年明けに 「立憲」の理念をより深く
2017年1月1日(日)付 朝日新聞
 
 世界は、日本は、どこへ向かうのか。トランプ氏の米国をはじめ、幾多の波乱が予感され、大いなる心もとなさとともに年が明けた。

 保守主義者として知られる20世紀英国の政治哲学者、マイケル・オークショットは、政治という営みを人々の航海に見立てている。

 海原は底知れず、果てしない。停泊できる港もなければ、出航地も目的地もない。その企ては、ただ船を水平に保って浮かび続けることである――。

 今年の世界情勢の寄る辺なさを、予見したかのような言葉として読むこともできるだろう。

 と同時にそれは本来、政治にできることはその程度なのだという、きわめて控えめな思想の表現でもある。

 昨今、各国を席巻するポピュリズムは、人々をあおり、社会に分断や亀裂をもたらしている。民主主義における獅子身中の虫というべきか。

 オークショットのように抑制的で人気取りとは縁遠い政治観は、熱狂や激情に傾きがちな風潮に対する防波堤の役割を果たす。

 ■人々の暮らしの中で
 不穏な世界にあって、日本は今年5月、憲法施行70年を迎える。

 憲法もまた、政治の失調に対する防波堤として、大切な役割を担ってきた。その貢献の重みを改めて銘記したい。

 「立憲主義」という言葉の数年来の広がりぶりはめざましい。政治の世界で憲法が論じられる際の最大のキーワードだ。

 中学の公民の教科書でも近年、この言葉を取り上げるのが普通のことになった。

 公の権力を制限し、その乱用を防ぎ、国民の自由や基本的人権を守るという考え方――。教科書は、おおむねこのように立憲主義を説明する。

 それは人々の暮らしの中で具体的にどう働くのか。

 例えば、政党機関紙を配った国家公務員が政治的な中立を損なったとして起訴されたが、裁判で無罪になった例がある。判断の背景には、表現の自由を保障した憲法の存在があった。

 ■民主主義をも疑う
 立憲主義は、時に民主主義ともぶつかる。

 民主主義は人類の生んだ知恵だが、危うさもある。独裁者が民主的に選ばれた例は、歴史上数多い。立憲主義は、その疑い深さによって民主主義の暴走への歯止めとなる。

 根っこにあるのは個人の尊重だ。公権力は、人々の「私」の領域、思想や良心に踏み込んではならないとする。それにより、多様な価値観、世界観を持つ人々の共存をはかる。

 ただ、こうした理念が、日本の政界にあまねく浸透しているとは到底いえない。

 自民党は立憲主義を否定しないとしつつ、その改憲草案で「天賦人権」の全面的な見直しを試みている。

 例えば、人権が永久不可侵であることを宣言し、憲法が最高法規であることの実質的な根拠を示すとされる現行の97条を、草案は丸ごと削った。

 立憲主義に対する真意を疑われても仕方あるまい。

 衆参両院の憲法審査会は昨年、立憲主義などをテーマに討議を再開したが、議論の土台の共有には遠い。

 どんな立場を取るにせよ、憲法を論じるのなら、立憲主義についての真っ当な理解をより一層深めることが前提でなければならない。

 ■主要国共通の課題
 立憲主義にかかわる議論は、欧米諸国でも続く。

 一昨年のパリ同時多発テロを経験したフランスでは、非常事態宣言の規定を憲法に書き込むことが論じられたが、結果的に頓挫した。治安当局の権限拡大に対する懸念が強かった。

 同じくフランスの自治体が、イスラム教徒の女性向けの水着「ブルキニ」を禁止したことに対し、行政裁判の最高裁に当たる国務院は「信教と個人の自由を明確に侵害する」という判断を示した。

 個人、とりわけ少数者の権利を守るために、立憲主義を使いこなす。それは今、主要国共通の課題といっていい。

 環境は厳しい。反移民感情や排外主義が各地で吹き荒れ、本音むき出しの言説がまかり通る。建前が冷笑されがちな空気の中で、人権や自由といった普遍的な理念が揺らぐことはないか、懸念が募る。

 目をさらに広げると、世界は立憲主義を奉じる国家ばかりではない。むしろ少ないだろう。

 憲法学者の長谷部恭男・早稲田大教授は「立憲主義の社会に生きる経験は、僥倖(ぎょうこう)である」と書いている。

 であればこそ、立憲主義の理念を、揺らぎのままに沈めてしまうようなことがあってはならない。

 世界という巨大な船が今後も、水平を保って浮かび続けられるように。


 社説:不戦を誇る国であれ 年のはじめに考える
2017年1月1日 中日新聞

 新年早々ですが、平和について一緒に考えてください。人類はなぜ暴力を好み、戦争がやめられないのか。どうしたらやめる方向へと向かうのか。

 日本の平和主義を二つの観点から見てみましょう。

 一つは、だれもが思う先の大戦に対する痛切な反省です。

 振り返れば、日本は開国をもって徳川の平和から明治の富国強兵へと突入します。

 平和論より戦争論の方が強かった。「和を以(もっ)て貴しと為(な)す」の聖徳太子以来の仏教の平和論をおさえて、ヨーロッパの戦争論がやってきます。

 例えば「戦争は政治の延長である」という有名な言葉を記すプロイセンの将軍クラウゼヴィッツの「戦争論」。その一、二編はドイツ帰りの陸軍軍医森鴎外によって急ぎ翻訳され、続きは陸軍士官学校が訳します。海洋進出を説く米国の軍人で戦史家マハンの「海上権力史論」も軍人必読でした。


 欧米の戦争を学ぶ。いい悪いはともかくも追いつかねば、の一意専心。帝国主義、植民地主義。日清、日露の戦争。

 そういう戦争精神史をへて突入したのが、満州事変に始まって太平洋戦争に至るいわゆる十五年戦争です。

 最大の反省は人間が人間扱いされなかったことです。人間が間化されたといってもいいでしょう。そういう異常の中で敵側は人間以下であろうし、味方にもむやみな死を求める。

 クラウゼヴィッツのいう政治目的の戦争ではもはやなく、ただ進むしかない、戦争を自己目的化した戦いになっていたといっていいでしょう。

ただの戦争嫌いでなく
 その絶望の果てに戦後日本は不戦を尊び固守してきたのです。

 守ってきたのは元兵士と戦争体験者たちです。

 文字通り、命がけの訴えといってもいいでしょう。ただの厭戦(えんせん)、戦争嫌いというのでなく、国は過ちを犯すことがあるという実際的な反省でもあります。国民には冷静な目と分析がつねに必要だという未来への戒めです。

 日本の平和主義についての二つめの観点とは、戦後憲法との関係です。

 戦争勝者の連合国は敗者の日本、イタリア、西ドイツに非軍事化条項を含む憲法を求めた。

 戦後冷戦の中で日本はアメリカの平和、いわゆるパックス・アメリカーナに組み込まれ、自衛隊をもちます。

 その一方で稀有(けう)な経済成長に恵まれ、その資力を主にアジアの発展途上国への援助に役立てます。

 ここで考えたいのは、平和主義とはただ戦争をしないだけでなく平和を築こうということです。前者を消極的平和、後者を積極的平和と呼んだりもします。

 例えば積極的平和を築こうと一九六〇年代、平和学という学問分野が生まれ、ノルウェーにはオスロ国際平和研究所ができた。政治や法律、経済、国際関係、歴史、哲学、教育など科学を総動員して平和を築こうというのです。

 実際にノルウェーは大国などではありませんが、イスラエルとパレスチナの間に和平をもたらそうというオスロ合意を成立させた。中東の国連平和維持活動に出ていて、両者の争いを終わらせるのは武力でなく対話しかないと考え至るのです。今は失敗かとまでいわれますがその熱意と意志を世界は忘れていません。

 日本国憲法の求める平和主義とは武力によらない平和の実現というものです。

 対象は戦争だけでなく、たとえば貧困や飢餓、自然災害の被害、インフラの未発達など多様なはずです。救援が暴力の原因を取り去るからです。

 NGО、非政府組織の活動が広がっている。ミリタリー、軍事から、シビリアン、民間への移行です。日常の支援が求められます。ミリタリーの非軍事支援も重要になっている。

 だが残念ながら世界は不安定へと向かっているようです。

武力によらない平和を
 格差とテロとナショナリズム。それらが絡み合って国や民族が相互不信の度を高めつつある。しかし不信がつくられたものなら、解消することもできるはずです。

 そういう時だからこそ、私たちは平和主義、世界に貢献する日本の平和主義をあらためて考えたいのです。

 ただの理想論を言っているのではありません。武力によらない平和を求めずして安定した平和秩序は築けない。武力でにらみあう平和は軍拡をもたらすのみです。

 理想を高く掲げずして人類の前進はありえないのです。


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1月1日(日)のつぶやき

2017-01-02 01:06:52 | 花/美しいもの
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