みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

【社説】民の声を恐れよ 脱原発デモと国会/世田谷区で高い放射線量/放射性廃棄物の最終処分場問題

2011-10-12 20:54:34 | 地震・原発・災害
11月の「議員と市民の勉強会」に向けて、
「一般質問の事後評価」「一般質問の組み立て」のレジメが、参加者から届いていて、
毎日9時からから夜6時まで、ファイルを読んでコメントを書くというお仕事に追われている。

自分で出した課題とはいえ、一日中、参加者の議員の皆さんの書いたレジメを読み込むのは疲れます。

わたしの座っているパソコンデスクからは、外の景色がよく見えて、
いまは、満開になった萩の花がきれい。
   
目を休めるために、時どき外を眺めています。

頭がぼーっとしたら、時どき休憩して、コーヒータイム。

もう少し熟したほうがおいしいとは思いながら、
誘惑に負けて「新高梨」を半分食べました。
  
半分でも、ゆうに普通の梨の二個分くらいあります。

長十郎梨が好きなので、幸水や新水よりまだ少し硬いのですが、気になりません。
甘みは濃厚、水分がたっぷりでジューシーです。
ちょっと休んで、また仕事に戻ります。

コーヒーを飲みながら読んだ、今朝の中日新聞。

社説は、9月19日の脱原発集からはじまる「民の声を恐れよ 脱原発デモと国会」。
一面下のコラム「中日春秋」もテーマは脱原発。
脱原発の輪が、かくじつに広がっている。

   【社説】民の声を恐れよ 脱原発デモと国会 
2011年10月12日 中日新聞

 原発の是非をめぐり大規模な集会やデモ、住民投票実施に向けた動きが広がっている。国会にこう訴えかけているのではないか。「民(たみ)の声を恐れよ」と。
 九月十九日、東京・国立競技場に隣接する明治公園で開かれた「さようなら原発五万人集会」。呼び掛け人の一人、作家の大江健三郎さんはこう訴えた。
 「私らは抵抗する意志を持っていることを、想像力を持たない政党幹部とか経団連の実力者たちに思い知らせる必要がある。そのために何ができるか。私らには民主主義の集会、市民のデモしかない。しっかりやりましょう」

◆「お母さん革命」だ
 この集会には主催者発表で約六万人、警視庁の見積もりでも三万人弱が集まったという。
 東京電力福島第一原子力発電所の事故を機に、脱原発を目指す運動は燎原(りょうげん)の火のごとく、全国各地に広がっている。
 子どもたちが学校で受ける放射線量の限度をめぐり、文部科学省が当初設定した年間二〇ミリシーベルトから、一ミリシーベルト以下に引き下げさせたのは、「二〇ミリシーベルトの設定は子どもには高すぎる」と行政に働き掛けた保護者たちだった。
 満身の怒りで国会、政府の無策を訴えた東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授は、原発事故後、子どもの命と健康を守るために立ち上がった市民の動きを「お母さん革命」と表現する。
 原発反対、推進のどちらにも与(くみ)せず、極めて重要な案件は国民一人一人が責任を持って決めるべきだとの立場から、東京や大阪、静岡では原発の是非を問う住民投票実施に向けた動きも始まった。
 自分たちの命や生活にかかわることは自分たちで選択したい。この思いは、国会開設を求めた明治期の自由民権運動にも通底する政治的衝動ではないだろうか。

◆政治過信の果てに
 背景にあるのは「国民の厳粛な信託」(日本国憲法前文)を受けた国民の代表者であるはずの国会が、「国民よりも官僚機構の顔色をうかがって仕事をしているのではないか」という不満だろう。
 代議制民主主義が、選挙で託された国民の思いを正確に読み取り、国民の利害が対立する問題では議会が持つ経験に基づいて調整機能を働かせれば、国民が直接行動しなければという衝動に駆られることもなかった。
 例えば原発建設。地震頻発国のわが国に、なぜここまで多くの原発が造られたのか。安全性をめぐる議論は尽くされたのか。
 国民は素朴な疑問を抱いていたにもかかわらず、国会はそれを軽んじ、官僚と電力会社主導で原発建設が進んだのではないか。深刻な事故後も脱原発に踏み込めないのは、政官財の利権構造を守るためだと疑われても仕方がない。
 増税もそうだ。少子高齢化社会の到来に伴い増大する社会保障費を賄うためには、いずれ消費税を含む増税が不可欠だとしても、その前にやるべき行政の無駄や天下りの根絶は不十分だ。
 難しい課題にこそ与野党が一致して取り組んでほしいと国民が望んでいるのに、霞が関への遠慮からか、遅々として進まない。
 二〇〇九年の衆院選で民主党への政権交代が実現したのは、官僚主導から政治主導への転換に対する期待感からではなかったか。
 その民主党政権が二年間の試行錯誤の末、行き着いたのが結局、官僚との共存路線だった。野田佳彦首相に問いたい。菅前内閣のように官僚を排除する必要はないが、それは国民が民主党に望んだことだったのか、と。
 政治不信といわれて久しいが、むしろ私たちは政治を「過信」していたのではあるまいか。
 選挙は主権者たる国民が主権を行使する唯一の機会だが、選挙後は「どうせ政治は変わらない」と諦めて、声を発しようとしない。そもそも投票する人が減り、あらゆる選挙の投票率は低下傾向にある。そんな「お任せ民主主義」で政治がよくなるわけがない。
 仏革命に影響を与えた十八世紀の哲学者ルソーは社会契約論で「彼ら(イギリスの人民)が自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう」(岩波文庫版)と英議会制度の欠点を指摘し、直接民主制を主張した。

◆代議制を鍛え直す
 ルソーは代議制の陥穽(かんせい)=落とし穴を言い当てているが、二十一世紀の私たちは選挙後に待ち受ける代議制の落とし穴にはまらず、奴隷となることを拒否したい。
 政策決定を政治家や官僚任せにしないためにも、私たちには「民の声」を発し続ける義務があり、負託を受けた議員は最大限くみ取る。そうした当たり前の作業が代議制を鍛え直す第一歩になる。

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【コラム】中日春秋
 風を切る、その風が、心地よい。今は一年で一番、自転車でどこかへ出掛けてみたいと思う時候である
▼だが、歩行者の立場になってみると、いささか怖い存在だ。朝夕など特に、歩道を相当なスピードで走り抜けていく人が少なくない。さらに、このごろは、おっかないものが流行(はや)っている。ピストと呼ばれる競技用自転車だ。それにはブレーキがない
▼後輪と連動したペダルの回転を遅くすることで減速するが、急には止まれない仕組みらしい。販売店が、道交法に則してブレーキを付けて売っても「不格好だ」と外してしまう人が多いとか。警察も最近、摘発に注力している
▼使う人が、止めようと思えば止められる。人の動かすもの、なべてそうでなくては剣呑(けんのん)だが、やはり連想は原発へと飛ぶ。洗濯機や扇風機なら、例えば異音でもして危ないと思えば、スイッチか電源を切れば止まる。だが、あれは違う
▼福島の事故では、止めようと思っても止められず制御不能に。「暴走」が続き、延々と放射能がまき散らかされた。いわば、いざという時、動きを止めるブレーキやスイッチがないのだから、怖い
▼脱原発に傾く世論に対し、何とかして原発を止めさせまいとするパワーも強力だ。だが、原発推進政策自体だって同じ。国民が止めようと思っても止められないとすれば、それも、負けずに怖いことではないか。
(2011年10月12日 中日新聞)


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ブログを書きながら聞いている9時からのNHKニュース。
福島から200キロ離れた、東京都世田谷区で高い放射線が現出されたとのこと。
世田谷区長は保坂さんだ、と思って見たら、保坂さんが出ていました。

高い放射線量のホットスポットは、きっと世田谷だけではないでしょう。
他の区長なら高い放射線量を隠したかもしれませんね。

世田谷区の道路で高い放射線量 
2011.10.12 NHK

今月初め、東京・世田谷区の区道で1時間当たり最大で2.7マイクロシーベルトという高い放射線量が検出され、世田谷区は、この場所に立ち入らないよう呼びかけるとともに今後の除染を検討しています。

高い放射線量が検出されたのは、世田谷区弦巻の区道の歩道部分です。世田谷区によりますと、今月3日、区民から「放射線量が高い場所がある」という情報が寄せられたため、区が測定したところ、1時間当たり最大でおよそ2.8マイクロシーベルトと周辺に比べて高い放射線が検出されたということです。このため高圧の洗浄器を使って歩道部分の洗浄を行いましたが、放射線量はあまり下がらず、1時間当たり最大で2.707マイクロシーベルトが検出されたということです。原因について世田谷区が専門家に聞いたところ、問題の場所は雨水が集まって放射線量が高くなったことが考えられるということです。この区道は小学校の通学路にもなっていることから、区は、12日朝からこの場所をコーンで囲って立ち入らないよう呼びかけるとともに今後の除染を検討しています。世田谷区は、ことし7月から8月にかけて区内の小中学校や保育園、それに幼稚園で放射線量を測定しており、その際、高い放射線量は検出されていませんでした。世田谷区は、子どもへの影響を重視し、今月下旬から来月下旬にかけて区内の砂場がある258か所の公園について調査することにしています。

東京・世田谷区で検出された1時間当たり2.7マイクロシーベルトという放射線量は、文部科学省が積算の放射線量を計算する際に用いている、1日のうち、屋外で8時間、屋内で16時間過ごすという条件で計算すると、1日の被ばく量が38.88マイクロシーベルト、1年間にすると14.2ミリシーベルトになります。これは国が避難の目安としている年間の放射線量の20ミリシーベルトを下回っています。計画的避難区域に指定されている福島県の飯舘村役場では、12日、移動式のモニタリングポストを使って計測された放射線量が1時間当たり2.1マイクロシーベルトで、世田谷区の値はこれよりもやや高くなっています。首都圏では、比較的高い茨城県の北茨城市で、12日、0.14マイクロシーベルトが計測されています。放射線影響研究所の長瀧重信元理事長は「文部科学省などによる上空からの測定では、世田谷区では放射線量の高い場所は確認されなかったので、このような値が出たことに驚いている。ただ、地形や天候の関係で局地的に高い線量になることはあり得ると思う。周辺の土壌や草木などから放射性物質の種類を調べたり、どこから放射線が出ているのか調べて原因を突きとめるとともに、ほかにもこうした場所がないか調査する必要がある」と話しています。

世田谷区環境総合対策室の斉藤洋子室長は「現場は小学校の通学路で、近くには幼稚園や保育園もある。心配する保護者の方がいると思うので、専門家とも相談してできるだけ速やかに除染などの対応をとりたい」と話していました。 


記者の目:放射性廃棄物の最終処分場問題=袴田貴行(東京社会部) 

◇福島の思い胸に皆で考えよう
 「原発周辺は国が買い上げ、高レベル放射性廃棄物の最終処分場にするくらいのことを考えてもいい」。連載企画「この国と原発 第1部 翻弄(ほんろう)される自治体」(8月19~25日朝刊)で、福島第1原発事故に伴う警戒区域の元町議からこんな声が出ていることを紹介した。事故後、脱原発世論が一気に高まったが、最終処分場の問題の論議は深まっていないように感じる。この問題は避けては通れない、国全体の課題だ。避難生活が長期化している福島の人たちだけに可否判断を強い、苦悩させるのは酷だ。

 ◇避難住民が語る福島第1周辺案
 震災後、取材班の一員として何度も福島県を訪れ、福島第1から半径20キロ以内の警戒区域への一時帰宅にも同行した。半径20~30キロ圏の緊急時避難準備区域は9月30日に解除されたが、警戒区域を解除する見通しは立たない。
 過酷な現実を前に、ふるさとを追われた人から、悲壮な決意も聞こえてくる。双葉町から郡山市に避難している天野正篤さん(73)は、帰郷の望みは捨て、原発周辺の汚染地帯を高レベル放射性廃棄物の最終処分場にすべきだという考えに行き着いた。国に新たな土地で復興できるよう補償を求めていきたいという。天野さんは「晩節に入ってこれ以上の苦しみはないが、国家のために何ができるかを考えた時、それしか浮かばない。その代わり、要求すべきものは要求していく」と話す。
 福島第2原発が立地する富岡町の元町職員も「本当は自分たちの土地にそういう物は置きたくないが、ここより危険な地域はどこにもない以上、狭い国土全体にリスクを分散させるわけにはいかない」と苦渋の判断を口にした。
 原発から出る「核のごみ」の最終処分は法律で、ガラスと一緒に固めてステンレス製の容器に密封し、地下300メートル以上の地中に埋めることになっている。それでも、放射能が危険レベル以下に下がるには10万年かかるとされる。
 経済産業省の認可法人「原子力発電環境整備機構」によると、最終処分場建設が決まっているのは、世界でもフィンランドとスウェーデンだけだ。日本では、同機構が02年に立地自治体の公募を開始。地震・噴火の記録や岩盤の強度などを調べる3段階の調査があり、初期段階の調査に応募しただけで、関連自治体に最大20億円の交付金が出る。07年に高知県東洋町が応募したが、議会や住民の反発を招き、出直し選挙を経て新町長が撤回。その後、選定作業は暗礁に乗り上げたままだ。

 ◇なし崩し的に六ケ所村へ?
 現在、国内に貯蔵されているガラス固化体は約1700本で、国は21年ごろには約4万本に達すると試算する。最終処分場建設のめどが立たない中、青森県六ケ所村の一時貯蔵施設が多くを引き受けているが、村民の間には「なし崩し的に最終処分場にされる」との疑念がくすぶる。「この国と原発」の連載で取材した、同村の元幹部は「最終処分場などできっこない。100~200年置かれるなら、有事にも対応できる地下300メートルの施設を造るべきだ。国を守るためなら、そのまま最終処分場になってもやむを得ない」と苦悩を語った。
 よくよく踏まえないといけないのは、福島や六ケ所の人たちの「故郷への思い」だ。「福島の原発跡地を最終処分場にしてもやむをえない」という主張には、当然反発が強い。全域が警戒区域の渡辺利綱大熊町長は「原則反対。町民にも核のごみ捨て場にしてはならないという思いがある。国の責任で除染に取り組むのが先で、それもやらないうちから『帰れない』と言うのはあまりに理不尽」と話す。
 岡山県の親戚宅に避難している同町の木村紀夫さん(46)は、自宅を津波で流された。父(当時77歳)と妻(同37歳)が亡くなり、次女(8)は行方不明。帰宅の見通しは立たず、父と妻の遺骨も代々の墓に納骨できない。「10年や20年かかっても、3人の思い出が詰まった故郷に帰りたい。そこを核の墓場にするというのは、あまりに残酷すぎる」
 通常、「記者の目」欄は筆者の意見や主張を書いて締めくくる。だが、私にはそれができない。あまりにテーマが重く、明快な結論は浮かばないからだ。「国策に翻弄された福島の被災者に、最終処分場まで押しつけるなどとんでもない」という思いは強い。だが、原子力という「パンドラの箱」を開けた以上、その後始末をしなければならないという現実も、直視する必要がある。今、国民に求められているのは、この深刻な課題に皆で向き合い、真剣に考えることだ。私も国民の一人として、そうしていきたいと思っている。
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 ご意見をお寄せください。〒100-8051毎日新聞「記者の目」係/kishanome@mainichi.co.jp
毎日新聞 2011年10月7日 東京朝刊



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