みどりの一期一会

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この人・この3冊 姜尚中(カンサンジュン)上野千鶴子・選/高齢者が街へ出るには~上野千鶴子

2010-01-19 09:25:48 | ジェンダー/上野千鶴子
日曜日の朝は、朝刊5紙の読書欄にまず目を通しますす。

おもしろそうな本の書評は切り抜いて、岐阜に行った時に買うことにしてるのですが、
岐阜の本屋においてないこともよくあります。

地方都市近郊は、自然豊かで住むにはよいのだけど、
探しても本がないときは、都会に住んでいる人がうらやましい(笑)。

今週の毎日新聞の「この人・この3冊」は、
上野千鶴子さん推薦の、姜尚中さんの本3冊。
この3冊は、比較的手に入りやすい本で、わたしも持っています。
「代表作」と書かれている『オリエンタリズムの彼方へ』は読んだのだけど、
ずいぶん前のことなので、何が書いてあったのか忘れてしまいました。

甘いマスクと低音の声が魅力?の、姜さんの本はいまや大人気。
『悩む力』は、岐阜の書店でも長いこと平積みになっていました。

 この人・この3冊
 姜尚中(カンサンジュン) 上野千鶴子選


①オリエンタリズムの彼方へ--近代文化批判(姜尚中著/岩波現代文庫/1155円)
②ナショナリズムの克服(姜尚中・森巣博著/集英社新書/735円)
③悩む力(姜尚中著/集英社新書/714円)

 いまもっとも有名な東大教授、「東大のヨンさま」こと、姜尚中さん。生え抜きでもなく、国籍もないマイノリティの学者を「売り」にする天下の東大のマーケティング戦略に、他大学も見習った方がよい。コロンビア大学の英文学部が、バレスチナの学者、サイードによって活性化したのと似ている。
 『オリエンタリズムの彼方へ』ははずせない。ウエーバー研究から出発した彼が、サイードの「オリエンタリズム」という武器を得て、西洋オリエンタリズムの模倣者であった日本オリエンタリズムを、その被害者としてのアジアの視点から批判した、代表作というべき作品だ。在日の姜さんが朝鮮半島の不幸は、日本という「二流の帝国主義」国に支配されたことにあるという指摘は、日本人の胸を刺し貫く。
 『ナショナリズムの克服』は、学者に「チュウサン階級」(中学3年生)にわかることばで説明を迫った森巣博さんとの対談。わたしは帯に「治ってしまえばあれはビョーキだったとわかる、爽快なナショナリズム論」という推薦文を書いたが、姜さんに「でもね、いちどはかかわってみたいビョーキなんですよ」と言われて納得した。聞き手を得るとこんなにわかりやすくなるのか、というコラボのお手本。
 もう一冊は、姜さんの著書の中で85万部という最大の部数を記録したベストセラー、『悩む力』。啓蒙的な読書案内のかたちをとりながら、読者が自然と近代以降の知識人の悩みを追体験するという教養書になっている。ときどき漏れ聞こえる姜さん自身の生い立ちや経験、人生観などがかくし味になっていて、姜さまファンにはこたえられないだろう。
 とはいえ、政治学者としての「姜理論」というものを、まだ見せてもらっていない、とおもうのはわたしだけだろうか。名画の解説や紅白に出てる場合じゃないですって。
(2010.1.17 毎日新聞)


上野千鶴子さんが選んだのは、文庫と新書の3冊。

新書版の新刊は、『リーダーは半歩前を歩け──金大中というヒント』(集英社新書/2009)

姜さんのハードカバーでは『在日』が読み応えがあり、
わたしの好きな本。

『在日』(講談社/2004,集英社文庫/2008)

やさしい本では、岩波ブックレットの、
『暮らしから考える政治―女性・戦争・食』(岩波書店/2002年)があります。

 姜流ホームページ

姜尚中さんと上野さんの「関係」については、わたしも前にブログで紹介しました。

『悩む力』/姜尚中氏が語る「悩む喜び」の極意/「その人、独身? 60本の赤い薔薇」

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後半は、上野千鶴子さんの記事の紹介です。

信濃毎日新聞の「月曜評論」の記事が、
WANに掲載されたので、上野さんの許可を得て転載させていただきます。

WANトップページには、13日のトーク『男(の子)に生きる道はあるか』の録画版も配信中。

トップページでは、録画のすぐ下の「視点・論点」が上野さんの記事です。

高齢者が街へ出るには  上野千鶴子

 いま日本でいちばん注目を集めている大規模デイサービスセンター、山口県の「夢のみずうみ村」をたずねた。カジノがあることで有名な施設で、NHKで紹介されたこともあるから、ご存じの方も多いだろう。山口市と防府市の2カ所にあって、第1号の山口市内の施設は登録利用者数350名、定員100名とたしかに大きい。「夢」と車体に大書された10台近いマイクロバスが、片道1時間の距離を走り回って広域の利用者の送迎にあたっている。
 カジノがあるという理由で、税務署の立ち入り検査が入った、と担当者が笑い話をしてくれた。ばくちと言っても掛け金は、「ユーメ」という単位の、施設内だけで通用するローカルマネーである。使い果たせば稼ぐこともできる。たとえばリハビリで廊下を歩けば何ユーメ、というように。わたしが訪問したときには、利用者の男女が花札やトランプに興じて、笑い声が絶えなかった。
 利用者は朝、自分の名札のあるところに、リハビリ、プール、パソコン、パン教室、陶芸などの選択肢のなかから好きなオプションを選んで自分のメニューを決める。杖(つえ)をついてやってきた麻痺(まひ)の人も、杖を玄関で置くことを求められる。手すりの代わりにつかまり立ちのできる雑多な家具類が置いてある広大な建物を、移動するだけでもじゅうぶんなリハビリになる。この施設では利用者の自立心、自由と自主性、ゲーム性のあるあそび心などを刺激するしかけがいっばいだ。実際利用者の声を聞くと、「ここは自由でいい」という答えが返ってくる。
 利用者の多くは、前期高齢者、それも脳血管障害などで後遺障害の残った要介護度の低い人たちで、要介護2までで90%を占めている。おもしろいのはこの施設の利用者の男性比率が約6割に近いこと。要介護高齢者の男女比が3対7と女性が圧倒的であることを考えれば、この施設の「男性度」はきわだって高い。ここはたしかに「男性向け」にできている。「自由」というのは集団で何かをすることを強いられず、放っておいてもらえるからだ。他人と交わることが苦手でも、見守りはある。
 この施設を見るにつけ、次のような疑問が頭をもたげる。「夢のみずうみ村」は、一見したところヘルスセンターとカルチャーセンターとを合体したような施設だ。違うのは高齢者専用であることと、ケアスタッフがいること。それなら….。なぜ既存の施設、すでに公共施設や商業施設として整備されたヘルスセンターやカルチャーセンター、それに碁会所や雀荘、巷(ちまた)の料理教室や趣味のサークルへ、この人たちは出かけることができないのだろうか。そうすればそこには高齢者だけでなく、多様な年齢や属性の人たちとの出会いがあるだろう。どんな施設にでも、バリアフリー対応と見守りのケアスタッフ、それに送迎サービスがつきさえすれば、この人たちはもっと街中へ出て行くことができるはずだ。
 「要介護認定」を受けたからこそ、介護保険を利用してこういうサービスを利用することができるにはちがいないが、「夢のみずうみ村」で生き生きと過ごす高齢者を見るにつけ、この施設が「要介護高齢者専用」であることのふしぎさを逆に強く感じる。介護保険が高齢者の「社会参加」を理念にすれば、至るところが「夢のみずうみ村」になるはずなのだ。
初出:「月曜評論」信濃毎日新聞、2010年1月4日付け


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