みどりの一期一会

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政治を鍛える〈序論〉―民主主義の技量を磨く改革を/デモでノーと言おう~柄谷行人さん

2011-11-07 20:53:37 | 地震・原発・災害
毎日新聞夕刊の特集ワイド<この国はどこへ行こうとしているのか>がおもしろいてす。

勉強会の前日の、4日の金曜日は柄谷行人さんでした。
柄谷行人さんの記事、いいですね。

福島原発の事故では、「デモと広場の自由」のための共同声明をだし、
反原発デモのすすめをご自身のホームページに書いていらっしゃいます。

反原発デモが日本を変える(柄谷行人公式ウエブサイト)

 「デモと広場の自由」のための共同声明 

   
2011年11月4日 毎日新聞(夕刊)    
特集ワイド:日本よ!悲しみを越えて 評論家・柄谷行人さん 

<この国はどこへ行こうとしているのか>
◇デモでノーと言おう--柄谷行人さん(70)

 「--そうですね、死と同じかもね」。今にも雨が落ちてきそうな薄暗い午後、東京郊外の自宅で、柄谷行人さん(70)は静かに語り始める。福島第1原発事故をどう受け止めたか、との質問への答えだった。「原発で事故が起こるとどうなるか、ということは昔から本で読んではいたんです。だから予想できたことなのに、分かっていたはずなのに、実際に起こってみるとそれに対して何も考えてこなかったな、と感じる。自分の死もそういうものでしょう」
 思想、経済、文学、政治、科学--さまざまなジャンルをアクロバット的に行き交い、硬質な文体で論じてきた知性は「フクシマ」からしばらくの間、原発についての本以外、何も読めなくなってしまったと言う。原発建設に対して何もしてこなかったことに忸怩(じくじ)たる思いがある、とも。
 その柄谷さんが今、ことあるごとに強調しているのが「デモの重要性」だ。単に参加を呼びかけているのではない。自ら一人の市民として、反原発デモに繰り返し足を運ぶ。国内でデモ隊の列に連なったのは60年安保以来、約50年ぶりのことという。
 震災後、日本人の我慢強さや規律正しさを称賛する海外の声があった、と国内メディアは得々と報じた。柄谷さんはこの見方に異を唱える。「震災と津波についてはそうかもしれませんが、原発事故は違う。米国でも韓国でも知人は、普通なら怒り狂うはずなのに、なぜあんなに日本人はおとなしいのかと言っていた。国策によって進められた原発でこれほどの被害が起き、放射性物質を垂れ流しているのに、抗議もせずに耐えている日本人を外国人は理解できなかったんです」。だから、自身も参加し、1万人が集ったという9・11脱原発デモを報じる海外メディアの論調には、安心した感じがあった、と言う。「僕が見たのは米国と英、独、仏ぐらいだけど。やっと自分たちが理解できる行動を取るようになった、とね。扱いもでかかった。ひょっとしたら日本のメディアよりも」
 脱原発を求める声の高まりがデモの拡大につながった。しかし、デモだけで世の中が変わるのだろうか。それが選挙での投票結果につながらなければ、具体的な政策には影響を与えられないのでは?
 「逆です。議会制民主主義、つまり代議制のもとで有権者として投票しているだけではだめなんです」。脱原発デモの中に身を置き、思い起こしていたのは哲学者、故・久野収さんの「デモのような直接行動がなければ、民主主義は死んでしまう」という言葉だった。
 「代議制は放っておくと寡頭制になる。今の自民党だって民主党だって世襲じゃないですか。世論調査もテレビの視聴率と変わらない。みんなが気に入るようなことをちょっと言えば上がる。マーケットリサーチみたいなもので、これを民主主義と呼ぶのは間違いだ。要するに消費者がやっていることであって、お客さん民主主義。投票だけするのも同じことです」
 柄谷さんが福島第1原発事故に重ねて見ているのが、足尾銅山(栃木県)の鉱毒事件だ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 険しいその口調が、デモで顔をあわせる若い参加者たちに話が及ぶと、とたんに柔らかくなった。「彼らには成長幻想もないし、ぜいたくなんてうらやましくない、という人が多いね。僕の影響じゃなく、分かっているんだと思う。原発で電力を確保して経済大国日本を、とは考えない。経済成長とは関係ない豊かさというものがあるんだ、と。だから僕は素直に称賛しているんです。彼らはいい」
 とはいえ、ネット全盛の時代に、デモはこの国を変えるほどの力になり得るのか。
 「デモに参加するのに要るエネルギーは大変なもの。とすれば、参加者1人の背後には、同じ思いの人が100人はいると考えるべきです。10万人のデモの後ろには1000万人がいるんです」
 そして、いたずらっぽく笑ってこう結んだ。
 「歩くっていうのはサルからヒトへの進化の第一歩、人間になったということそのものなんです。そんなものをハイテクにしたって、しょうがないじゃないですか」【井田純】

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 ◇「特集ワイド」へご意見、ご感想を
t.yukan@mainichi.co.jp
ファクス03・3212・0279
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 ■人物略歴
 ◇からたに・こうじん
 1941年、兵庫県生まれ。東京大大学院修士課程修了。法政大、近畿大教授などを歴任。「内省と遡行」「トランスクリティーク」「倫理21」「世界共和国へ」「世界史の構造」など著書多数。
毎日新聞 2011年11月4日 



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今日から朝日新聞で始まった「提言 政治を鍛える」も、おもしろいです。

「〈序論〉―民主主義の技量を磨く改革を」は、社説に載りました。
来週からは、毎週日曜日に掲載されるとのこと。

土曜日はbe、日曜日は読書欄とこの「提言 政治を鍛える」、楽しみが増えました。

  政治を鍛える〈序論〉―民主主義の技量を磨く改革を

政治を変える願いを込めて、有権者がみずからの一票で選んだ政権交代だった。
 なのに2年を過ぎても、政治はふがいないままだ。
 民主党のマニフェストは、多くが空手形だった。沖縄の普天間問題のように、言葉は踊るが成果を出せない政権の無力さも目を覆うばかりだ。
 大震災への対応そっちのけで展開された内閣不信任決議案をめぐる抗争は、政治への失望感を深く刻みこんだ。
 なぜ、政治はこれほどの機能不全に陥っているのか。問題の根源を見さだめ、処方箋(せん)を探らねばならない。

■だれの代表なのか
 経済産業省前に10月末、「原発いらない福島の女たち」が座り込んだ。福島県川俣町の佐藤幸子さん(53)は「子どもたちを炎の海に放置したままなのは、命を未来につなぐ母性が許しません」と訴えた。むろん「炎」とは放射能のことだ。
 なぜ、政府は脱原発依存といいながら再稼働を急ぎ、輸出も進めるのか。なぜ、民主党や自民党の原発政策は煮え切らないのか――。こうした思いを抱く人々が、3日間で延べ2371人、詰めかけた。
 米国では、ウォール街を占拠した人々が、グローバル社会の「格差」を問う。
 世界規模の競争を勝ち抜いた一握りの成功者が、富を独占する。雇用は人件費の安い国外に流出し、街には失業者があふれる。なぜ、政治は「99%」の庶民の側に立たないのか。だれの代表なのか――。
 世界中で「反格差」が叫ばれた10月、東京・新宿のデモでフリーター園良太さん(30)は各地との連帯を唱えた。「権力は生活や命より経済体制を守ることばかり考える。日本は民主主義にみえるが、まったく違う」
 原発でも格差でも「生きる権利を脅かされているのに、政治に声が届かない」と憤る人々が増えている。まさに「民主主義の欠乏」への異議申し立てだ。その思いは「アラブの春」の民主化要求とも通じる。

■選挙めあての甘言
 一方で、いまの政治のていたらくは「民主主義の結果」であることも間違いない。
 日本はすでに少子高齢社会に突入し、グローバル化の荒波にもまれている。そのうえ原発事故が未知の領域に入ってしまった。右肩上がりで経済が成長した時代の余裕はもうない。
 もし、子ども向けの支出を増やすなら、高齢者向けなど別の支出を削るか、増税か、いずれにしても痛みを伴う厳しい選択が避けられない。しかし、選挙で有権者にそっぽを向かれるのを恐れる議員が多く、負担を求める決断ができない。
 どの予算にも担当省庁があり受益者がいる。こんな既得権の構造を見直すことこそ政治の力仕事だが、それができない。
 とりわけ民主党が罪深いのは何を削るのかを示さずに、「むだを削れば財源はできる」と言い張ったことだ。難しい現実を解決するために汗をかくよりも、選挙めあてに甘言を弄(ろう)する。そんな浅薄な民主主義観の表れに見えてならない。
 民主主義国で、有権者に痛みを求めることがいかに難しいかは、ギリシャを見ればわかる。国境を超えて即決を迫る経済のスピードに、民意を束ねる政治がついていけない。
 危機の足音は、主要7カ国の一角、イタリアにまで迫る。日本も、政治の鍛え直しを急がねばならない。

■聞く、選ぶ、説く
 金権腐敗批判と冷戦の終結を機に本格化した90年代の政治改革は、2大政党を生み、政権交代をもたらした。ただ、その中身は選挙制度の手直しや政党への税金投入にとどまった。
 いま必要なのは、政治の機能不全をただす「次なる政治改革」だ。このままでは、政治不信の嵐が政治への冷笑や、強力な指導者の待望論に変質する危険すらある。
 痛みを分かち合わなければならない厳しい時代には、すべての政治家にこれまでより高度な民主主義の技量が求められる。
 まず、聞く力だ。票や金を出す支援組織だけでなく、政治に届きにくい声にこそ耳を傾けねばならない。もちろん、多数意見に流されてもいけない。
 つぎに選ぶ力だ。真に必要な政策に優先順位をつけるのは難しい。だが、ひとつの判断基準として「生きる権利」を守り、将来を担う子どもたちへの投資を手厚くするのは当然だろう。
 そして説く力だ。政策決定の透明性を高め、甘い幻想の代わりに苦い現実を正直に語る。それなしに痛みを引き受けてもらえるはずがない。
 時代にふさわしい民主主義を築くために、何をすべきか。次回から具体策を提言していく。
      ◇
 「提言 政治を鍛える」は来週から日曜日に掲載します。  


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