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みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

花はただそこにあるだけで美しい/無声慟哭(宮沢賢治)

2006-01-10 22:34:35 | 花/美しいもの
宮沢賢治の詩は「雨ニモ負ケズ」が有名だけど、

わたしは「春と修羅」のなかにある、
「永訣の朝」と「無声慟哭」が好き。



  

 

こどものころから、

かなしいときや、さびしいとき、
わたしはひとり詩を口ずさむ。



 

無声慟哭
       宮沢賢治

こんなにみんなにみまもられながら
おまへはまだここでくるしまなければならないか
ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
また純粋やちいさな徳性のかずをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
  (おら、おかないふしてらべ)
何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
またわたくしのどんなちいさな表情も
けっして見遁さないやうにしながら
おまへはけなげに母に訊くのだ
  (うんにゃ ずゐぶん立派だぢゃい
   けふはほんとに立派だぢゃい)
ほんたうにさうだ
髪だっていっさうくろいし
まるでこどもの苹果の頬だ
どうかきれいな頬をして
あたらしく天にうまれてくれ
  (それでもからだがくさえがべ?)
  (うんにゃ いっかう)
ほんたうにそんなことはない
かへってここはなつののはらの
ちいさな白い花の匂でいっぱいだから
ただわたくしはそれをいま言へないのだ
   (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)
わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない




 


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (るな)
2006-01-11 00:44:06
賢治が妹のことを詠んだ詩だったでしょうか。



切々とブログをしたためる

みどりさんの気持ちが伝わってきてせつないです。



お花は、喜び哀しみのどちらにも似合う

存在なんだなと感じました。



返信する
Unknown (みどり)
2006-01-12 23:50:58
るなさん

生まれたものはかならず死ぬ、出会ったものはかならず別れる、と分かっていても・・・・・。
返信する

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