みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

菅首相誕生/市民運動が原点/「市民」の力量が試される

2010-06-05 09:06:20 | 市民運動/市民自治/政治
石垣島の完熟パイナップルがクール宅急便で届きました。
食べごろを送ってもらった、とのことなので、さっそくカットして食べました。

  
みずみずしくて、甘くておいしーい。

テルテルさん、ありがとう!

菅直人新首相が誕生して、一夜明けての新聞各紙の報道。

「市民運動出身」「市民派」の新首相が誕生した、という視点での記事も多い。
「世襲でない」「脱(田中型)利権政治」という言葉もみかける。

地道な「市民運動」が、こういう形で光を当てられ注目されるのも、
「市民運動」をしている市民としては、うれしい気もするけれど、
ちょっと待てよ、という気もする。

まあ「市民派」は自称だからよいけれど「民主党」のトップで総理大臣、
ってことは、「無党派」ではないことはたしか。

そもそも、組織の論理を優先するのが「政党」ってもんだから、
「政党内市民派」ってことが論理的に成り立つのかどうかも疑問だけれど、
政党をわたり歩いて権力闘争のトップに上り詰めた菅さんが、
生涯一政治家としてどの組織にも属さなかった市川房枝さんの教えを、
初心として貫いているのだろうか・・・。

とはいえ、
国政は「政党政治」を基本としていることを思えば、
いままでの政治家のなかでは、いちばんまっとうな総理大臣が誕生したと思う。
菅さんが「リアリスト」っていうのも、けっこう好きだし。

だれがやっても難問山積の現状を、市民運動と市民派政治家の経験を基にして、
「現場の」「当事者の」「市民の」声に耳を傾けて、変えていくことを期待したい。


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菅首相:誕生 市民運動が原点 さきがけ入党転機、信念は「政治主導」
毎日新聞 2010年6月5日

 4日、民主党の菅直人代表が衆参両院での首相指名選挙で第94代首相に選出された。菅氏は、女性運動の草分けである市川房枝氏の選挙スタッフから身を起こした。鳩山由紀夫前首相や小沢一郎前幹事長ら自民党田中・竹下派出身者とは異質の、市民運動家出身であることが、菅氏の最大の特徴だ。菅首相の横顔や生い立ちを紹介する。【編集委員・中川佳昭】

 衆院初当選(80年)から約13年鳴かず飛ばずだった菅氏の政治的な転機は、94年1月、社会党(当時)亜流の社民連から離れ、武村正義元官房長官率いるさきがけに入党した時と言えるだろう。革新陣営から自民党出身者が大半を占める保守政党に身を投じたことが、今日の「菅首相」を生み出す原点になった。しかも、鳩山前首相がさきがけにいたことが、鳩山氏との共同歩調による旧民主党結成(96年)にもつながる。
 ただ、そうはいっても保守政界の中では異端児だった。市民運動家出身者であるがゆえに、与(よ)党と野(や)党の中間に位置する「ゆ党」的なイメージで、常に受け止められてきた。
 菅氏が96年に厚相(橋本龍太郎内閣=自社さ連立)として初入閣した際の薬害エイズを巡る官僚との対決は、「菅政治」をアピールする上で重要な局面だった。この時の経験に裏打ちされた菅氏の政治信念は、国会内閣制の確立だ。菅氏は、霞が関の中央官僚が「三権分立」を盾に、「行政権は内閣にある。国会(立法府)は行政に介入すべきでない」と主張してきたことを痛烈に批判。「憲法の規定には三権分立はない。国会で多数を得た政権党が行政権を握る」という論を展開した。09年衆院選で民主党が打ち出した「政治主導」は、菅氏が主張する「国会内閣制」と同義語と言える。
 その一方で、民主党の閣僚経験者は「菅さんは見極めが早い。与党になるとただちに与党的な発想に切り替わる。野党時代の概念論はすぐ捨て去る」と語り、菅氏の理想主義と現実主義の二極構造を明らかにしている。
 関係者によると、民主党の政権獲得が目前に迫っていた09年6月、渡辺喜美氏(現みんなの党代表)と会談した菅氏は、同席した鳩山氏とともに「1年未満で政権が崩壊しては大変だ。(官僚中の官僚である)財務省とは最初から争わない」と語ったという。菅氏のリアリストぶりがうかがえる話だが、それでも鳩山政権は、稚拙な政治主導のため8カ月で崩壊した。菅氏が果たして「国会内閣制」を打ち立てられるかどうか、見ものである。

 ◇数々の挫折乗り越え--16年ぶり非世襲
 菅直人首相は、世襲議員ではない。父が政治家(町長などを含む)でない完全な「非世襲」の首相誕生は、村山富市首相(94年)以来16年ぶり。市民運動家出身の首相も戦後初だ。「社会党では政権交代できない」と訴えて76年の衆院選に初挑戦して以来、筋金入りの「政権交代論者」として活動してきた。四半世紀をかけて首相の座に上り詰めた菅氏の人物像をたどった。

 ▽政界入り
 菅氏は1946年山口県宇部市生まれ。会社員だった父の転勤に伴い東京都三鷹市に転居した縁で、武蔵野市を中心とする衆院東京18区を地盤としている。東京工業大卒業後、弁理士として生計を立てながら市民運動に奔走。故・市川房枝氏を74年の参院選に担ぎ出したのが政界入りのきっかけだ。
 安倍晋三元首相以降4代の首相全員が、1年前後で政権を投げ出している。その遠因として永田町でささやかれるのが「元首相の息子や孫という恵まれた環境によるひ弱さ」。これに対し菅氏の挫折経験は豊富だ。まず、初当選までに3回落選。初当選後は10回連続当選を重ねるが、社会民主連合という少数会派で、質問もなかなかできなかった。その中で編み出したのが「質問主意書」の活用。政府見解の閣議決定を迫る手法は「野党の武器」として定着した。代表選には7回立候補したが、当選は3回。怒りっぽいためにつけられた「イラ菅」というあだ名は、挫折を乗り越える闘志の裏返しだ。

 ▽年金騒動で代表辞任
 最大の挫折経験は04年4月に発覚した年金未加入騒動だろう。後日に役所側のミスだったと判明したが、菅氏自身、自民党の3閣僚を「未納3兄弟」と批判したこともあり、5月には代表辞任に追い込まれた。同年の参院選後の7月には頭を丸め、白装束の「お遍路さん」に。四国八十八カ所巡りはその後も断続的に続けている。
 3日の記者会見で菅氏が小沢氏に「しばらくは静かにしていただいた方がいい」と通告したのは、この時の自らの経験に照らした「忠告」だった可能性もある。
 菅氏の知名度と人気を一気に高めたのが薬害エイズ問題だ。96年1月発足の橋本内閣に厚相として初入閣するや、すぐに官僚に徹底調査を命じ、隠されていた重要資料の「郡司ファイル」を見つけ出させた。菅氏は厚生省の責任を認め、民事訴訟を起こしていた被害者に謝罪し、国との和解に導いた。
 鳩山政権では、副総理兼国家戦略担当相に就任。96年の旧民主党結党以来の盟友・鳩山由紀夫前首相を支えた。「明治維新に匹敵する政治変化だ」と強調し、「政治主導」体制を先導した。今年1月には体調不良で辞任した藤井裕久元財務相の後任に横滑りした。
 国家戦略担当相時代は経済財政、科学技術も担当したうえに、10年度予算編成ではマニフェスト関連予算の削減の調整にもあたった。一方で、鳩山政権崩壊の要因となった米軍普天間飛行場の移設問題にはタッチしなかった。鳩山前首相から「普天間まで菅さんにお願いするわけにはいかない」と配慮されたためだったという。
 政権交代後は「官僚との対決姿勢が弱まった」とも指摘され、財務相として消費税論議の前倒しに言及した際は「財務省に取り込まれた」とやゆする声も上がった。今後の姿勢が注目される。【田中成之、野原大輔】
毎日新聞 2010年6月5日


社説:菅新首相誕生―「市民」の力量が試される
2010年6月5日(土)付 朝日新聞

 歴史的な政権交代を選んだ民意に、今度こそ応えることができるのか、極めて重い責任を引き継いだ。
 民主党の新しい代表に菅直人・副総理兼財務相が選ばれ、衆参両院の本会議で新首相に指名された。
 菅新首相の登場には、昨年の政権交代にひけを取らないくらいの歴史的な意味合いを読み取ることができる。
 新首相を表現するキーワードは、「市民」である。
 団塊の世代に属する菅氏は学園闘争や「市民運動」を経て政界入り。婦人運動で知られる故市川房枝氏を参院議員に担ぎ出したことで知られる。

 ■「田中派」の系譜絶え
 1996年、鳩山由紀夫氏とともに旧民主党を結成したときのキャッチフレーズも、「市民が主役」だった。
 地縁血縁、企業や団体を集票基盤としてきた自民党は「抽象的な幽霊」(中曽根康弘元首相)などと「市民」を目の敵にしたが、十数年を経て、そのトップランナーが首相に上り詰めた。日本政治の新たなページである。
 菅氏は普通のサラリーマン家庭に育った。過去4代、そろって1年前後で政権を放り出してしまった安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山の各氏は、いずれも首相経験者の子や孫だ。
 戦後の歴代首相は政治家一家の出身者か官僚出身者が大多数であり、この点でも極めて異色の出自といえる。
 鳩山氏、小沢一郎前幹事長の「ダブル辞任」と菅氏の登場は、「政治は数、数は力、力は金」という自民党旧田中派、旧竹下派の系譜が完全に断ち切られたことも意味する。
 鳩山氏は早くから「クリーンな政治」を掲げた政治家だが、もともとの出発点は旧田中派である。その嫡流だった小沢氏とともに、政権交代後も「政治とカネ」の問題にまみれたのは歴史の皮肉な巡り合わせだった。
 菅氏の現実主義者の側面も見逃せない。民主党を政権を狙いうる政党にするため自由党との合併を実現した。

 ■のしかかる日米合意
 今回の代表選は本来、鳩山政権の失政を総括し、民主党が出直しの足場を固める機会だった。ところが、鳩山首相の退陣表明のわずか2日後に実施するという拙速ぶり。そんな選挙戦を通じ「世代交代」を訴えた中堅の樽床伸二衆院議員より、厚相として薬害エイズ問題に取り組んだ実績や党代表を2回つとめた経験のある菅氏が選ばれたのは、当然の結果ともいえるだろう。
 菅政権に立ち止まっている余裕はない。沖縄県の米海兵隊普天間飛行場の移設をめぐる迷走で揺らいだ日米関係の再構築は差し迫った課題である。
 副総理として内閣の要にいた菅氏はこの問題にだんまりを通していたが、これからはそうはいかない。名護市辺野古への移設を決めた日米合意と、これに猛反発する沖縄の民意がさっそく重くのしかかる。事態打開への戦略と陣立てを早急に固めないと、再び政権を揺るがす事態にも発展しかねない。
 月末にはカナダで、G8、G20サミットという首脳外交の舞台も控える。
 今後の経済財政運営の基本となる成長戦略と中期財政フレーム、財政運営戦略は月内の策定に向け、大詰めの時期を迎えている。参院選に向けたマニフェストの練り直しも急務だ。
 次々と直面する政策課題を、いかに的確に着実に処理していくか。かぎを握るのは、菅新首相を支える官邸中枢の顔ぶれや、各閣僚以下政務三役らの総合的な「チーム力」だ。
 それをうまく築き上げることができるかどうか。菅政権が久々の本格政権として安定した政策遂行に取り組めるかどうかは、まずここで試される。
 菅氏は内閣の要となる官房長官に仙谷由人国家戦略相の起用を決め、党務を担う幹事長には枝野幸男行政刷新相をあてる方針だ。「脱小沢」の決意の表れだろう。と同時に人事には政策への精通や実行力、官僚の掌握力など多様な力量が考慮されなければならない。週明けの組閣が菅政権の将来を左右するといって過言ではない。

 ■「政策一元化」の実を
 鳩山政権で失われた政策実行力や統治能力を取り戻すには、「政策決定の一元化」の立て直しも急務だ。
 菅氏は小沢氏が廃止した政策調査会を復活させる意向を明らかにした。
 政策をめぐり、政府だけでなく与党内でも闊達(かったつ)な議論が行われ、政策に反映されるのは当然だ。そもそも政権奪取前の構想では、党政調会長が国家戦略相を兼務し、党幹事長も入閣することにより、一元化の実をあげることになっていた。組閣と党役員人事という構想実現の好機を逃してはならない。
 社民党の離脱で揺らいだ連立の枠組みをどうするかも考えどころだ。
 菅氏は国民新党代表の亀井静香郵政改革相と会談して連立継続を決め、郵政改革法案の速やかな成立で合意した。民営化の方向を根本的に見直す法案を乱暴に扱ってはいけない。廃案にし仕切り直すべきだ。
 重要な政策課題をめぐって、連立相手の主張をどこまで受け入れるのか。連立解消の分岐点はどこか。政党間協力や国会での合意形成の新たな手法を工夫しつつ、再考すべきだろう。
 参院選は民主党政権9カ月の中間評価とともに菅政権に対する事実上の信任投票になる。失敗を反省し、生まれ変わった姿を国民に見せられないと、厳しい審判は避けられまい。



【社説】出直しの道筋を示せ 菅新首相が誕生 
2010年6月5日 中日新聞

 菅直人氏が第九十四代首相に指名された。鳩山由紀夫首相の下で傷ついた民主党政権への信頼を回復し、「出直しの道筋」を有権者に示すことが急務だ。
 自民党所属歴がなく、二世議員でない首相就任は、一九九四年の村山富市氏以来、十六年ぶりだ。
 首相指名に先立つ民主党代表選では二百九十一票を獲得し、樽床伸二衆院環境委員長に百六十票以上の差をつけて当選した。
 参院選を控え、鳩山首相と小沢一郎氏の「政治とカネ」の問題や普天間飛行場の移設をめぐる迷走で失墜した政権への信頼回復を、菅氏に託したのだろう。

政権の前途は多難 とはいえ、菅氏が首相指名後の記者会見で「大変、身の引き締まる思いで大きな責任を果たさなければならない重責を感じている」と語ったように、前途は多難だ。
 まずは鳩山首相の退陣理由となった「政治とカネ」の問題にどう取り組むのかが、政権への信頼回復のカギとなる。
 市民運動出身の菅氏にはクリーンなイメージがあるとされ、代表選の政見演説では「できるだけ個人の皆さんからの浄財で政治活動を続ける気持ちで全力を挙げてやってきた」と語った。
 民主党は昨年の衆院選で三年後の企業・団体献金全廃を公約しながら手つかずだった。菅氏は企業・団体献金禁止へ指導力を発揮すべきだ。
 鳩山、小沢両氏にもそれぞれの政治資金規正法違反事件について説明を促す必要がある。役職を退いても説明責任は免責されない。
 米軍普天間飛行場の移設問題については、会見で「日米合意を踏まえるのが私たちの責任。日米合意、閣議決定文書でも沖縄の負担軽減は重要視している」と述べるにとどめている。名護市辺野古への移設を強行するのか見直すのか、明確にすべきだ。

政策決定、再構築を
 経済政策も喫緊のテーマだ。
 本年度のように国債発行額が税収を上回るような予算を来年度も組むのか、社会保障の将来像や成長戦略をどう描くのか。
 菅氏は立候補会見で、財政再建、社会保障、経済成長を一体として進める考えを強調したが、その具体策は明らかではない。
 菅氏は財務相就任後、消費税率引き上げを容認する姿勢に転じており、首相就任後もその姿勢を堅持するのか、語る必要があろう。
 政策推進には「政策決定の一元化」の在り方を見直し、再構築することが不可避だ。
 菅氏は政見演説で、政権交代で廃止した、政策を議論する「党政策調査会」の復活を表明した。
 鳩山政権では政府と党が意思疎通を怠って混乱したケースがあった。高速道路新料金がその例だ。
 政策決定への不干渉を決め込みながら、政府が決めた政策を小沢氏の強い影響力でひっくり返すような政策決定の在り方は、一元化の姿には程遠い。
 政府と党が一体として政策決定できる体制を整えるべきだ。その際、無責任体制に陥らないよう留意する必要がある。
 そのためにも官邸機能の強化は避けられない。国家戦略局の創設を柱とする政治主導確立法案の早期成立を求めたい。
 小沢氏との距離をどう保つかも課題となる。
 菅氏は小沢氏について「(幹事長辞任後)しばらくは静かにしていただいた方が本人、民主党、日本政治にとっていい」と語った。要職には就けない決意だろう。
 内閣や党の要職に仙谷由人、枝野幸男両氏ら「反小沢派」を起用する意向からも、小沢氏と距離を置こうとする姿勢が見て取れる。
 ここ二十年ほど、政界に君臨してきた小沢氏に対する好悪が対立軸だったことは否めない。
 鳩山政権で再び顕在化した、「小沢支配」と揶揄(やゆ)される二重権力構造からの脱却は急務であり、新しい民主党の姿を示すためにも、「脱小沢」の姿勢を示す必要があることは理解する。
 ただ、小沢氏とその支持グループを排除すれば、すべてうまくいくという単純な話ではなかろう。菅氏には小沢氏の政治力をうまく使いこなす力量も問われている。

参院選で審判下す
 首相が代われば衆院を解散し、総選挙で政権選択を有権者に問い直すのが筋だが、それが無理なら七月予定の参院選を民主党政権への評価を下す機会としたい。
 菅氏は参院選までに、副総理としてかかわった政権交代後八カ月余りを総括し、新政権が目指す「国造り」の全貌(ぜんぼう)と、実現に向けた具体的な道筋を示す必要がある。
 選挙の審判を経なければ本格政権にはなり得ない。菅政権が暫定政権に終わるのか、本格政権となれるのか。それを決めるのは有権者自身だ。


社説:菅直人新首相 政治立て直す指導力を(毎日新聞 2010年6月5日)

社説:菅内閣発足へ/市民派宰相が直面する難題(2010年06月05日 河北新報)

市民運動家から宰相に=苦節の30年-菅氏(2010/06/04 時事通信) 


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6月4日(金)のつぶやき

2010-06-05 00:37:43 | 花/美しいもの
16:16 from web
●【速報!】衆参両院、菅直人氏を首相に選出/7月の参議院議員選挙のゆくえは・・・ http://blog.goo.ne.jp/midorinet002/e/096c0b49a07ff3bd60fb70baaba4ae27
by midorinet002 on Twitter
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