みどりの一期一会

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河北新報 【変えよう地方議会 あすの自治】届く/だれが議会を変えるのか? ひとりから始める(寺町みどり)

2010-06-18 14:25:36 | ほん/新聞/ニュース
「河北新報」の本紙が届きました。

一面には、河北新報社の【変えよう地方議会 あすの自治】「第9部 気づく、むすぶ」の
「(1)女性参加/歯がゆさ もうごめん」の記事。


【変えよう議会 あすの自治】
第9部 気づく、むすぶ(1)女性参加/歯がゆさ もうごめん (2010.6.14 河北新報社)


特集は14面と15面いっぱい。
カラー写真入りの、見開きのとても大きな記事です。


 【変えよう地方議会 あすの自治】
特集:描く 未来像 持論熱く(2010.6.14 河北新報)



東京に行っているうちに、連れ合いが記事を紹介してくれました。
めずらしいことです。けど、うれしい(笑)。

 ◆名古屋の河村市長と紙上対談・つれあいが/河北新報の特集

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本文中の写真をクリックすると拡大します。

つれあいの記事の中に、以前「公職研」の『地方自治職員研修』の
特集「自治体議会の処方せん」に依頼されて書いた原稿がリンクしてありました。

すっかり忘れていたのですが、いま読み直しても、よくかけていますね(笑)。

テーマが今回のインタビュー記事とおなじ「議会改革」ということで、
今回、スペースの都合で取り上げられなかったところにも言及しているので再掲します。

だれが議会を変えるのか? ひとりから始める
          寺町みどり  


 昨年11月、「公職研」から原稿依頼が届いた。企画案を見ると、執筆者は研究者と現職議員ばかり。「これだけ役者がそろっていれば充分でしょう」と思った。「どうしてわたしなの?」と尋ねたら、最近出した『市民派政治を実現するための本』と『市民派議員になるための本』が編集者の目にとまったらしい。わたしに期待されているのは、「ひとりでもできる」というメッセージを、「良識的で」「少数派の」自治体職員に伝える、という役割だった。「少数派の自治体職員」ということばに心が動いた。

 「政治を変えたい」
 わたしは1991年から4年間、人口2万人足らずのまちで、町議会議員として働いた。それまでは、有機農業をしながら、女性や障害者の運動、指紋押捺拒否者の支援、長良川河口堰問題や脱原発、メラミン給食食器導入反対、子どもの人権などの市民運動にかかわっていた。80年代後半からは、地域で、農薬空中散布やゴルフ場開発の反対運動など、国と自治体を相手に熾烈な住民運動を展開してきた。地域社会をほんろうし、市民のくらしを踏みにじる理不尽な政策に、「行政も議会も市民のことを考えていない」と憤りを感じていたわたしは、「政治を変えたい」と決意して議員になった。「政治がいのちと弱者の側に立つなら、ひとも自然も侵されることは少なくなるだろう」と。
 「議員として働く」ことは、わたしが望む地域社会を実現するための、力を持たない市民の「ひとつの手段」。政策を実現するためには、議会の風通しをよくすることが不可欠だと考え、まず議会改革に手をつけた。あれから15年、議会や行政は変わったのだろうか?

  「こんな議会にだれがした?」
 「議会はほんらいの機能を果たしていない」。議員になったとき、さいしょにそう感じた。
 市民派議員として先を歩くひともなく、わたしは、「教科書」として渡された『議員必携』と「自治法」を片手に、市民運動で身につけたノウハウを武器に議会の内外で闘った。『議員必携』には、「町村議会の機能を高めるための方策」(83年2月)が書かれていた。加えて99年からは「町村議会の活性化方策に関する報告書(抄)」(98年4月地方議会活性化研究会)の約40項目の改革案も具体的に掲載されている。
 その内容はわたしが言いたいことだけでも、◇議員定数の自主選択、◇定例会の回数制限廃止、◇議決に基本計画の追加、◇議決科目の拡大、◇公社等への関与権付与。◇予算・決算の審議方法・様式の改善、◇議案等の提出要件の緩和。
 発言については、☆一般質問のあり方の改善、☆意見表明権の制限の撤廃、☆自由な討議の保障。住民との関係についても、◇委員会の公開、◇傍聴規則の見直し、◇休日・夜間議会の開催、◇公聴会・参考人制度の積極的活用、◇住民懇談会等の実施、◇住民投票制度の位置付けなど、議員がその気になればできそうなことばかりだ。『議員必携』は、全国の町村議会議員に当選時に支給されると聞く。この半分でも実現したら、議会は生きかえると思うのだが、現実には、20年以上も前の「町村議会の機能を高めるための方策」すら実現されていない。
 つまり、既存の議員たちが議会改革を望まないから、言い換えれば、現状を変えたくない議員ばかりだからこそ、議会は変わらなかった。むしろ、自治体の「議会」を、治外法権と勘違いして、自分たちに都合のよい「変則ルール」をつくってきた。議会改革のいちばんの抵抗勢力は、既得権を守ろうとする議員自身である。
 では議会の現状は、議会ひとりが招いたものか? 行政もまた「機能不全」の議会を容認し、その片棒をかついできたのではないだろうか?行政側は、議会が目を覚まし、本来の機能を取り戻すことを本気で望んでいるのだろうか?
 「議員が無能だから仕事がしやすい」と職員から聞いたことがある。政策案は、議会で議論も精査もされずに議決されていくほうが、都合がよいのだろう。現状は、既得権を守ろうとする議会と行政の関係がつくりあげてきた、というのは言い過ぎだろうか。先進地はともかく、わたしが知る限り多くの自治体では、いまも議会と行政が大きな権力と権限を持ち、モノとカネを牛耳っている。弱い立場の市民は置き去りにされていくばかりだ。でも、議会がみずから変わることが困難だとしたら、市民も現状を嘆くばかりでなく、自治体の当事者として、「議会を変える」努力をする必要があると思う。

 議会を変えるために何ができるのか?
 議会は詳細に明文化された「法」のみを「公式ルール」として運営される。しかし、じっさいの議会は、「市民の常識は議員の非常識」の世界。数の論理による会派主義が横行し、慣例や前例、申し合わせや不文律が優先される。
 わたしが「議会改革」として考えることは、①まず慣例を見直し、「自治法」「会議規則」「委員会条例」を遵守して公平・公正な運営をする、②市民にすべて公開して、自由な議論ができる民主的な議会に変える、③議会への「市民参加」を積極的にすすめる、④「市民自治」を実現するために法改正を含めた根本的な議会制度改革をする。
 そのために、何ができるかを考えてみたい。
 議員にすぐできることは、納得できないことには「ノー」と言うこと。議会の構成員である議員は権力と権限を持ち、法的に対等・平等で、議会の中ではいかなる差別も受けない。議会の慣例を変えるには、まず「したがわないこと」。その上で「法律」や「条例」を示し、正攻法で論理的に変えていく。ほんらい議会は、法やたてまえで動くところ。議会で数の論理がものをいうのは、表決のときだけ。だから、法的根拠を熟知すれば、ひとりでも闘うことができる。さらに、民主的な議論と、議会への「市民参加」を確保するには、議会システム自体を見直すことも必要になる。そのためには、議会でロビー活動をすることもできるが、市民に情報を公開し、市民とともに活動することも大きな力になる。議会が違法支出をしているのが明らかなら、住民監査請求をすることもできる。どの議員にとっても、議会改革がすすみ、議会の風通しがよくなれば、水面下で根回ししなくても、政策実現がしやすくなる。
 職員にもできることはあるはずだ。議会で発言しない議員も「わしらも働いている」と言う。その内容は「口利き」。口利きとは、「市民や業者に頼まれた案件について、議員が行政に対して働きかけること」。口利きは議員だけでは成立しない。そこにはかならず、相手が介在する。だから「口利き」や「利益誘導」をなくすには、いっぽうの当事者である行政側(職員)が応じないということで変えられる。ひとりでは難しいかもしれないけれど、「すべての議員からの働きかけごとに文書をつくる」「その文書を市民に公開する」ということで、「口利き」の歯止めになるだろう。職員が、議会や議員のルール違反を見つけたときはどうしたらよいのだろう。「内部告発者制度」があるとよいのだが利用するには勇気がいるだろう。でも、せめて見て見ぬフリをしないで、「そんなことおかしいよ」とつぶやいてほしい。問題は意識化することによって、目に見える形になる。
 自治体は「住民の福祉の増進を図る」ことを基本とし、公務員は「全体の奉仕者」である。職員も「特別職」の議員も同じ公務員として、市民のためにともに働くことができるはずだ。

 市民にできること
 市民にだって、議会を変えることができる。 政治に関心を持ち、選挙で「市民のために働く」議員を選ぶことが第一歩。議会に傍聴に行くこともできる。高額な報酬を市民の税金で支払う議員こそ、第三者の査定評価が必要だと思う。わたしは「市民による市民のための議会ウォッチング」で、議会が法を遵守して民主的な運営しているか、議員が市民の視点で働いているかを、チェックする運動をしている。議会の情報公開をすすめ、市民と議会と行政の関係性を変えることが、「議会を開く」ことになる。
 議会が民主的に運営されていなければ、「請願・陳情」や「直接請求」でルールを変えるよう働きかけることもできる。わたしは「法令の遵守を求める請願」を議会に提出し、採択されたこともある。違法な支出が納得できなければ、住民監査請求・住民訴訟もできる。住民訴訟や情報公開訴訟などの行政訴訟は、自治体の政策を変え、条例や規則などの見直しをうながし、議会や行政を変えていく。問題を見える形で提起することにより、議会があとおいでその問題を取りあげることもある。訴訟は、勝つに越したことはないけれど、たとえ負けても大きな成果をあげる。本誌04年12月号(P38)の「最近の注目判例」に挙げられた最高裁判例のうち3例は、わたしも原告のひとり。そのほとんどは弁護士を立てない本人訴訟(つれあいが選定当事者)だ。なかでも「東海環状自動車道情報非公開取消訴訟」は、逆転勝訴の画期的な判決だった。市民ひとりからの運動が、司法を変え、判例までつくることができるという一例である。

 だれが議会を変えるのか? 
 ところで、「議会を変えなければならない」「議会はこうあるべきだ」という議論はたくさん見聞きするが、「わたしが議会を変える」という人に、いままであまり出会ったことがない。 名医の処方箋は出尽くしているのに、主治医になろうというひともいないし、患者も治りたがっていないようだ。つまり、議会が変わらないのは、当事者として、本気で議会を変えようとするひとが少ないからだと、わたしは思う。議会で違法を指摘しても変わらないと嘆く議員に、「住民監査請求という手がある」とアドバイスしたことがあるが、できない理由を反論された。本心はやりたくないとしか思えない。
 自分は安全な場所にいて、リスクをおかさず、何かを変えることは難しい。どれが当たるかは、やってみなければ分からない。ノーと言えば、波紋も起きるし、対立も生ずる。相手も危機感を感じているからこそ逆風が吹く。それをこわがっていては何も変わらない。
 わたしは議員も経験し、いまは市民だが、手の届く範囲でできることをやってみると、複合的に変わると実感している。そこから学ぶことや得るものは多かったが、失うものは何もない。 NPO委託や審議会委員など、政策の立案・執行、意思形成過程への市民参加はすすんでいるが、わたしは「意思決定」にこそ、市民が直接参加できるシステムが必要だと考えている。その実現のためにも、現行の唯一の意思決定機関としての「議会」に、ちゃんと目を覚まして働いてもらわないと困るのだ。これがいまのわたしのニーズ。わたしは市民として、議会を変えたい。
 「市民」とは、「わたしのことはわたしが決めたい」すべてのひと。「市民自治=市民派政治」とは、すべての市民が自分のニーズをみずから満たすこと。そう望むすべてのひとが「自治体の当事者」になる。自治体の基本は、「当事者の望む福祉を実現すること」だと思う。
 政治はいままで強者のものだと思われてきた。わたしが実現したいのは、「弱者の政治」だ。
自治体政治は、市民がよりよく生きるための手段である。わたしたちは、地域社会で人間らしくくらすために、みずからのニーズを、自治体の政策により満たすことができる。
 議会も、政治も、変えることができる。
 それをあなたが望むなら。 

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【参考】
『市民派政治を実現するための本』(上野千鶴子・寺町みどり・ ごとう尚子共編著/コモンズ/2004)
『市民派議員になるための本』(寺町みどり著・上野千鶴子プロデュース/学陽書房/2002)
『議員必携』(編集:全国町村議長会/発行:学陽書房)
『当事者主権』(中西正司・上野千鶴子著/岩波書店)
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