骨董好きで、器好きなら、まず最初に、欲しくなるのが、小皿や向付との事です。
懐石料理という、食事形態から、生まれた向付ですが、使い道も、多岐にわり、煮物や珍味を、
盛り付けたり、酒器としても使われます。筒形や縁が開いている物、染付や色絵の物、白磁に、
赤や金箔を貼り付けた物(五彩、金襴手)など、形も大きさも、色も様々です。
1) 江戸の元禄年間(1688~1703年)に成ると、裕福な商人が、成長してきます。
彼らは、茶の湯に親しむと共に、より絢爛豪華な、金襴手と呼ばれる、色絵磁器に、注目してきます。
(金襴手の名称は、我が国で、呼ばれている名で、中国では「そう金」と、言うそうです。)
当初は、中国の明王朝、嘉靖年間の、景徳鎮の民窯で作られた、古赤絵金襴手が、珍重されますが、
やがて我が国の、伊万里でも、製作される事になり、両方の器が、使用される様に、成ります。
特に、景徳鎮の金襴手を、所有する事は、大変名誉な事とされていました。
・ 現在でも、茶席開きの際には、金襴手の向付を、使う事が習慣(決まり事)に成っているのは、
その名残です。
尚、中国製の磁器は、製作された時期(1522~1566年)より、はるか後の、江戸時代に使用され、
侘寂の茶懐石に、豪華な彩を、もたらします。
桃山時代から、江戸時代初期に、到来し珍重されました。
2) 景徳鎮の金襴手の種類
金襴手とは、色絵付けされた上に、金箔や、金泥を貼り付け、金色に仕上げた、様式です。
金襴手には、赤絵金襴手、色絵金襴手、萌黄(もえぎ)地金襴手、瑠璃(るり)地金襴手等があり、
その他、赤地、白地、黄地、緑地などの、金襴手が有ります。品数の多いのは、白磁の上に、
濃い赤絵を、上絵付けし、金箔を貼った、色絵金襴手で、金箔色絵磁器も、造られています。
純金箔を、切り抜き、一枚一枚の文様を、張り付け、焼き上げます。
(伊万里焼きでも、金を使っていますが、金泥を使っている為、光沢が鈍くなります。)
3) 金襴手の向付
向付の内側は、白地を多く残し、見込みのみに、染付け模様を、付けます。
その為、料理の色と、喧嘩せず、料理が映えます。それ故、茶人達に、好まれた物と、思われます。
特に、赤地に、唐草紋様が付いた物が、多いです。地紋は、赤地の他に菱繋(ひしつなぎ)、
宝尽紋(たからつくしもん)、や梅に小禽図(しょうきんず)が見られます。
4) 金襴手の名品
① 緑地金襴手茶碗 5客(口径:11.9~12.2、高さ: 6.2~6.4) 明、景徳鎮窯 重要文化財
名前は茶碗ですが、向付として、使われたと、思われます。
この金襴手は、萌黄金襴手と呼ばれ、特に貴ばれている物で、口縁の内側には、染付けの、
欅文が廻らされ、見込みに丸紋があり、外側は、萌黄釉の地に、金箔押しで、牡丹唐草が、
表現されています。
② 色絵金襴手向付 5客(口径:13.8 高さ:7.0)景徳鎮窯
外側の赤絵の中に、丸い窓を抜き、その中に、色々な仙人を、表情豊かに、軽妙なタッチで
描がかれています。見込みの白磁は、透明で、染付けが華やかに、浮き出ています。
5) 金襴手の技法は、九谷焼でも、見られます。
慶応年間に、大聖寺藩が招いた、京の永楽和全によって、本格的な技法が、九谷焼に伝えられます。
以上にて、向付の話を、終わります。
懐石料理という、食事形態から、生まれた向付ですが、使い道も、多岐にわり、煮物や珍味を、
盛り付けたり、酒器としても使われます。筒形や縁が開いている物、染付や色絵の物、白磁に、
赤や金箔を貼り付けた物(五彩、金襴手)など、形も大きさも、色も様々です。
1) 江戸の元禄年間(1688~1703年)に成ると、裕福な商人が、成長してきます。
彼らは、茶の湯に親しむと共に、より絢爛豪華な、金襴手と呼ばれる、色絵磁器に、注目してきます。
(金襴手の名称は、我が国で、呼ばれている名で、中国では「そう金」と、言うそうです。)
当初は、中国の明王朝、嘉靖年間の、景徳鎮の民窯で作られた、古赤絵金襴手が、珍重されますが、
やがて我が国の、伊万里でも、製作される事になり、両方の器が、使用される様に、成ります。
特に、景徳鎮の金襴手を、所有する事は、大変名誉な事とされていました。
・ 現在でも、茶席開きの際には、金襴手の向付を、使う事が習慣(決まり事)に成っているのは、
その名残です。
尚、中国製の磁器は、製作された時期(1522~1566年)より、はるか後の、江戸時代に使用され、
侘寂の茶懐石に、豪華な彩を、もたらします。
桃山時代から、江戸時代初期に、到来し珍重されました。
2) 景徳鎮の金襴手の種類
金襴手とは、色絵付けされた上に、金箔や、金泥を貼り付け、金色に仕上げた、様式です。
金襴手には、赤絵金襴手、色絵金襴手、萌黄(もえぎ)地金襴手、瑠璃(るり)地金襴手等があり、
その他、赤地、白地、黄地、緑地などの、金襴手が有ります。品数の多いのは、白磁の上に、
濃い赤絵を、上絵付けし、金箔を貼った、色絵金襴手で、金箔色絵磁器も、造られています。
純金箔を、切り抜き、一枚一枚の文様を、張り付け、焼き上げます。
(伊万里焼きでも、金を使っていますが、金泥を使っている為、光沢が鈍くなります。)
3) 金襴手の向付
向付の内側は、白地を多く残し、見込みのみに、染付け模様を、付けます。
その為、料理の色と、喧嘩せず、料理が映えます。それ故、茶人達に、好まれた物と、思われます。
特に、赤地に、唐草紋様が付いた物が、多いです。地紋は、赤地の他に菱繋(ひしつなぎ)、
宝尽紋(たからつくしもん)、や梅に小禽図(しょうきんず)が見られます。
4) 金襴手の名品
① 緑地金襴手茶碗 5客(口径:11.9~12.2、高さ: 6.2~6.4) 明、景徳鎮窯 重要文化財
名前は茶碗ですが、向付として、使われたと、思われます。
この金襴手は、萌黄金襴手と呼ばれ、特に貴ばれている物で、口縁の内側には、染付けの、
欅文が廻らされ、見込みに丸紋があり、外側は、萌黄釉の地に、金箔押しで、牡丹唐草が、
表現されています。
② 色絵金襴手向付 5客(口径:13.8 高さ:7.0)景徳鎮窯
外側の赤絵の中に、丸い窓を抜き、その中に、色々な仙人を、表情豊かに、軽妙なタッチで
描がかれています。見込みの白磁は、透明で、染付けが華やかに、浮き出ています。
5) 金襴手の技法は、九谷焼でも、見られます。
慶応年間に、大聖寺藩が招いた、京の永楽和全によって、本格的な技法が、九谷焼に伝えられます。
以上にて、向付の話を、終わります。