わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代の陶芸205(山田絵夢=四代山田常山)

2012-09-29 22:18:53 | 現代陶芸と工芸家達

近年、ペットボトルの日本茶(緑茶)を飲む人が増え、従来からある急須を使う家庭も少なくなって

きています。 又、日本茶を全く飲まない若者も少なくありません。それ故急須が無い家庭もあると

思われます。尚、煎茶器は、抹茶以外のお茶を入れる際に使用する茶道具で急須も含まれます。

愛知県常滑市の山田常山は、代々常滑焼の急須(茶注)を作る家柄で、現在四代目となっています。

尚、四代目の息子さんに1979年生まれの、山田想(やまだ そう)氏が急須作りに励んでいます。

1) 山田絵夢(やまだ えむ) : 1954年(昭和29) ~

  ① 経歴

   1954年 愛知県常滑市に三代山田常山(人間国宝)の次男として生れます。

   1980年 美濃陶芸展で、長三賞を受賞します。(伊奈長三氏の名前を取っています。)

   1982年 日本伝統工芸展に初入選を果たします。

   1984年 名古屋名鉄百貨店で個展を開催します。以後毎年開催。

   1986年 「父子展」を東京銀座和光で開催します。

   1995年 ギャラリー酉福(東京青山)で個展を開催します。以後隔年開催します。

   2000年 NHKの趣味悠々の「窯巡りで焼き物に親しむ」に出演します。

   2001年 美の饗宴「陶の器展」に出品します。(日本橋三越本店)

   2002年 日本橋三越にて個展を開催。

   2006年 父常山の死亡(2005年)に伴い、四代目常山を襲名します。

    同年 「四代常山 襲名記念作陶展」を、日本橋三越本店の特選画廊にて開催します。

 ② 急須について

   常滑の急須は、中国から来日した金子恒が中国の技法を伝えた事に始まります。

   この技法を学んだのが、初代寿文(杉江保平:1828~1898)で、初めて朱泥土で焼いたと

   言われています。作り方は、「パンパン作り」で、板状の土を繋ぎ合わせ、板切れで叩いて胴を

    膨らませ、底を後で嵌め込む方法をとっています。

  ) 電動轆轤で最初に作る作品は、「湯呑み」である事が圧倒的に多いです。

     「湯呑み」は全ての作品の基本形になっています。それ故、轆轤を使う人は一度は湯呑みを

     作った事が有るはずですし、その湯呑みを使っている若しくは、使った経験があるはずせす。

  ) しかし急須となると、手間隙が掛かる事もあり、作られた事が有る人は、俄然少なくなります。

     但し、急須を作る事は、色々な技術が必要で、それまで培われた技術を総動員する事でも

     あり、一度は作っておくべき作品です。 

     尚、現在では量産された常滑の急須は、数百円から販売されている為、使用の目的には、

     作る必要も無いとも言えます。(ちなみに、山田氏の作品は、数万円します。)

  ) 急須の種類は、把手(とって)が横に付いた「横手」、後側に付いた「後手」と、把手の無い

     宝瓶(ほうびん)、把手が無く、小さな注ぎ口が特徴の「絞り出し」などがあります。

  ) 轆轤挽きで、胴体、把手、注ぎ口、蓋の四点を作り、乾燥後胴体の底と、把手の摘みなどを

     削りだしてから、組み立てます。

  ) 形の良い急須とは、注ぎ口と蓋、把手の高さが一直線になっている事と、把手を下にして

     急須がバランス良く立つ事と言われています。

 ③ 山田氏(四代目常山)の作品。

   ) 朱泥土の急須以外にも、灰がたっぷり振り掛かった、焼き締めの急須を作っています。

     従来の朱泥急須を脱却し、薪窯で焼いた自然釉の焼締めを追求して、常滑独特の土色と

     火色、灰被り(胡麻)で表現しています。黒々とした肌に緋色が浮き出た力強い作品で、

     登窯で1200℃、一週間焼成した真焼急須です。

       ・ 焼締急須: 高 6.3、径 7 cm。(小振りの作品です。)

   ) 急須の作品の形は丸く、口径が意外と小さいのが特徴です。

      電気窯でも、梨皮朱泥急須や、土瓶を作っています。

       ・ 梨皮朱泥急須 : 高 8.5、径 10.6 cm。

   ) 急須以外にも、花入や食器類や酒器なども制作しています。

       ・ 真焼長方皿 : 幅 21x10.5、高 4 cm。

 ④ 朱泥土について。

   ) 田土を丹念に水簸(すいひ)し、焼き上がりの肌を滑らかにする為と、粘りを出す為甕の中で

      寝かします。初期の頃は鉄分の多い山土を25%程度混入させていましたが、1950年頃

      からは、弁柄を入れて朱色に発色させています。

      更に、現在では、木節粘土に弁柄と細かくした長石を混ぜて使用しています。

   ) 市販の朱泥土は、1998年に常滑焼共同組合で生産される様になります。

      用途に応じて、手作用や轆轤用、鋳込用(泥状)として、窯元に卸しているそうです。

      又、1180℃で焼成する「とこなめ1・2号」と、一般的な1120℃で焼く「とこなめ赤土1号」

      更に、1230℃で焼く「とこなめ白土」があるそうです。 

次回(隠崎隆一氏)に続きます。  

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現代の陶芸204(林正太郎2)

2012-09-28 21:29:34 | 現代陶芸と工芸家達

林正太郎氏の作品は、実用性と言うより、鑑賞を第一に考えている様にもみえます。

「自分の心に感じるものを、斬新な志野の作品にし、バランスの良い作品を作る事」を、目指して

いる様です。  

尚、釉は福島長石や平津長石を使い、ガス窯で1250℃で六昼夜焼成しているとの事です。

 ② 林氏の陶芸。

   ) 面取りの作品。

      分厚く轆轤挽きした壷などを、鋸(のこぎり)で、豪快に削ぎ落とした作品です。

     尚、面取りの作品は、美濃の山々をイメージして作っているとの事です。

     a) 約12Kg の土を高さ30cm程度の作品に仕上げる事から、いかに分厚く轆轤挽きして

        いるかが解かります。

     b) 面取りは面の数が少ない程、大きく削り取る必要があります。

        林氏は6~8面が多い様に見受けられます。

     c) 轆轤挽き後一日乾燥してから、40cm程の鋸をやや弓なりにして、歯の方向や背(嶺)を

       使い、鋸の両端を持って、切り口が曲面に成る様に一度で、躊躇せずに削ぎ落とします。

       尚、鋸は錆びた方が、土離れが良いそうです。

       面は螺旋状に切り取りますが、螺旋方向は、作品の形状や、その時の気分で左右に

       変化させます。又、螺旋にも変化を持たせ、途中で段差を付けたり、途中で螺旋方向を

       変えたり、更には、面の幅などにも広い狭い面と変化を持たせています。

     d) 大きな作品に成ると、削ぎに3日間程掛かるそうです。

        又、口縁などから割れが出ない様に、角材を用いてしっかり土を締めます。

        当然、肉厚の部分(面と面との境=稜線)と、薄い部分(面の中央部)が出ますので、

        乾燥による、「割れ」や「裂け」を防ぐ為にも、時間を掛ける必要があります。

     e) 面取りの作品: 40歳から約10年間、面取りをテーマとした作品を作っています。

      ・ 志野壷 :  高 27、径 33.5 cm。

      ・ 志野桜紋壷 : 高 33.5、径 29 cm。

   ) その他、花入や、大皿、銘銘皿なども作っています。

      ・ 志野耳付花入 : 高 25、径 17 cm。

      ・ 茜志野桜文大皿 : 高 14、径 68 cm。

      ・ 志野銘々皿(五客) : 高 3.5、径 13 cm。

 ③ 万葉彩(まんようさい)に付いて。

    近年、志野と黄瀬戸を融合し、身近な紅葉や桜、雲、空などの自然を表現する「万葉彩」を

    発表しています。一つの作品に、 白、黄色、赤(茜)、薄い青、黒色を散りばめた、柔らかで、

    優しい感じの、口の狭い真丸い壷で表現されています。

    ・ 万葉彩壷 : 高 37、径 45 cm。

次回(山田絵夢氏)に続きます。

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現代の陶芸203(林正太郎1)

2012-09-27 21:41:53 | 現代陶芸と工芸家達

志野に魅せられ、志野を焼き続け、個展を中心に活躍し、現在の志野を代表する作家に林正太郎氏

がいます。

1) 林正太郎(はやし しょうたろう): 1947年(昭和22) ~  窯名:正神窯(しょうじんがま)

  ① 経歴

    1947年 岐阜県土岐市に窯元の子として生まれます。

     商業高校を卒業後、名古屋で就職しますが、八ヶ月で郷里に戻り、長兄の製陶業を手伝う

     様に成ります。

    1968年 「岐阜県美術展」で、最高賞を受賞します。

    1971年 「朝日陶芸展」で知事賞を受賞します。 以後、連続4回入賞を果たします。

    1975年 日本橋本店(東京)で、個展を開催します。

    1979年 日本工芸会正会員に認定されます。

    1993年 「美濃陶芸展」で、最高賞の「美濃陶芸大賞」を受賞します。

    1994年 「美濃陶芸展」で、「加藤幸兵衛賞」を受賞します。

    1997年 「美濃陶芸展」で、「庄六賞」を受賞します。

     注: 「美濃陶芸展」は、東濃と呼ばれる岐阜県多治見市、可児市、土岐市、瑞波市などで

         窯業を営む、実力のある陶芸家(美濃陶芸協会所属)が出品する陶芸展で、上記

        三賞は毎年一点づつ選ばれるもので、美濃の陶芸家にとっては、大変重要な賞となって

        います。この三賞を次々に受賞したのは、林正太郎氏が始めてとの事です。

     2002年 土岐市指定 重要無形文化財保持者に認定されます。

  ② 林氏の陶芸。

    土岐市の窯元の家に生まれながら、焼き物に全く興味を示さなかった林氏ですが、名古屋での

    サラリーマン生活に飽き足らず、帰郷して焼き物に向き合う事になります。

   ) 初期の頃は、ガス窯で、鉄釉などの天目や、黄瀬戸などの様々な作品を作っていましたが、

     個展の会場で、「美濃で作るのなら志野だ!」と来場者の一言で、志野に絞り込んだと、

     語っています。

   ) 一貫して志野の茶陶を焼いていますが、十年程は面取りの技法による壷を発表しています

     近年では、「万葉彩」と呼ぶ壷を制作しています。

   ) 茶陶では主に抹茶茶碗を作り、白い志野以外に、絵志野、赤志野を手掛けています。

    a) 志野茶碗: 茶碗に使う土は、市販の土を数種類ブレンドしたもので、壷や花器を作る

       土より粒子が細かく、水分をやや多く含む柔らかな土を使うとの事です。

       電動轆轤上に約8kg程の土を据え、7~8個の茶碗を挽くそうです。

     ・ 筒状に挽いた茶碗の形造りは、口造りと高台削りによって、良し悪しが決るそうです。

       即ち、口縁に山道(緩やかな起伏)を付ける為に、針で高低差を付けて切ります。

       正面に成る部分は、やや低くします。更に、切口を押さえながら、口を外に開き端反にして

       から、三角形に変形します。

     ・ 高台削りは、肌を荒らすし、志野独特の釉肌にする為に「木ベラ」で行います。

       削ると言うより、削ぎ落とす感じで、高台脇から削り出し、高台際、高台内の手順で作業を

       します。豪快な志野茶碗は、焼成後の出来上がりの重さは、530~550gで、手に取った

       際にバランスの取れた物が良いとされています。その為かなり削り込みが必要です。

     ・ 割高台の作品は林氏の一つの到達点でもあります。

      底は肉厚に轆轤引きし、高台脇を削り終えた後、高台際を細くしてから高台を高く削り出し、

      高台に十字の溝を「木ベラ」で彫り作ります。

     ・ この様に成形された作品は、化粧掛けや釉により、絵志野や赤志野茶碗になります。

   b)  絵志野: 素焼きした後、濃い目の「ベンガラ(弁柄)」 を使い筆で模様を描きます。

     絵の題材は、竹、竹の子、蕨(わらび)、木賊(とくさ)、芒(すすき)、山、月、鳥など自然界の

     物や、抽象的な丸や三角模様もあります。

    ・ 長石釉を掛ける: 柄杓(しゃくし)掛けで施釉します。

      茶碗の内側は均一に施釉し、外側は濃淡を付ける為に、部分的に二重掛けします。

      又、指でこすったり息を強く吹き掛ける事によって、その部分の釉を薄くする事もできます。

      薄くなった部分は、下地の弁柄の鉄分が化学変化を起こし、緋色になる場合が有るそうです

   c) 赤志野: 素地土に10%の弁柄を入れ、化粧土を作ります。

      完全に乾燥した素焼き前の作品に、柄杓を使って内外に化粧土を流し掛けします。

      茶碗の腰の部分に息を強く吹き掛けて、化粧土の一部を吹き飛ばします。

      その後に、素焼きを行います。尚、化粧土は半年ほど寝かせてから、使用するそうです。

     ・ 緋色を出す為に、濃度の異なる釉を二種類用意し、薄い方の釉を柄杓で内側に掛けてから

       腰の部分を鷲掴(わしずかみ)にして、漬け掛けします。更に濃い目の釉を「おたま」に取り

       腰の周りの要所要所に二重掛けします。こうする事により、緋色と白の対比が鮮明な

       赤志野茶碗が出来るとの事です。

      ・ 志野焼の釉の厚みは、焼成後で5mm程度有るそうです。

   d) 林氏に茶碗

      ・ 志野茶碗: 高 9.5、径 13.5 cm。

      ・ 絵志茶碗(蕨文): 高 9.8、径 13.5 cm。 絵志茶碗(とくさ文): 高 9.6、径 14.5 cm。

      ・ 赤志野割高台茶碗: 高 10.8、径 14x13 cm。

以下次回に続きます。

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現代の陶芸202(中村六郎2)

2012-09-25 21:45:46 | 現代陶芸と工芸家達
酒器に興味のある方は、「備前の徳利、唐津のぐい呑」と言われているのをご存知かも知れません。
 
無釉の備前焼の徳利は、使えば使うほど、わずかに酒が器に染込み、艶も出てきて表情も一段と
 
趣きある徳利になると言われています。
 
  ② 備前焼きについて
 
    ) 作品の良し悪しは、焼成よる偶然性による処が大きいです。
 
       特に薪などの燃料を使う登窯や、窖窯(あながま)などは顕著です。
 
       しかしながら、現在では、この偶然性も窯詰の仕方によって、ある程度焼上がりを、予想
 
       する事が出来る様に成りました。
 
     a) 当然ですが、窯の状態を熟知している事が大前提です。
 
        窯は窯毎に癖があり、どの場所に窯詰すれば、どの様に焼き上がるかは、ある程度
 
        予想が付きます。それ故、焼成以上に窯詰が重要に成ります。
 
     b) 又、無釉である為、施釉の作品に比べて、置く方法はかなり自由です。
 
        立てるだけでなく、倒して良く、重ね焼きも自由に出来、灰の中に埋まる様に窯詰する事
 
        も可能です。そしてその置く場所と置き方の違いによって、作品の表情は大きく変化します
 
        特に、薪割木を投げ入れる焚き口の近くに置いた作品は、温度変化が大きく豪快に
 
        変化し、「窯変」と呼ばれる作品が採れる場所です。
 
     c) 当然、希望通りに焼き上がる確立は高くなりますが、偶然性に左右され、絶対的なもの
 
        ではなく、一窯で数点採れれば良いと言われる程です。それ故、備前焼の作品は他の
 
        焼き物に対して、高価な値段が付いています。
 
  ③ 中村氏の陶芸 
 
     陶芸を始める切っ掛けは、中村氏の父親が金重陶陽氏らの作家達と親しく、その影響と、
 
     金重陶陽氏の入門許可があった為と言われています。
 
    ) 作品は、主に酒器を中心で、「酒器作りの名人」、「酒器の六郎」、「徳利の六郎」と
 
       呼ばれた名人です。 又、彼は無類の酒好きで、酒豪でもあった様です。
 
    ) 最良の土といわれ、備前の田井山区で取れる観音土を使っている様です。
 
       轆轤では徳利などの酒器を好んで製作し、手捻りではタタラを使い、宝瓶(取っての無い
 
       急須)、急須、茶碗なども手が掛けています。       
 
    ) 中村氏は師の金重陶陽の陶芸技術を、全て自分のものにしたと言われています。
 
    ) 中村氏の徳利の特徴。
 
      a)  やや小振りな作品が多く、持ち易い様に胴の部分がややくびれ物や、轆轤目が付け
 
         られた下膨れの作品で、扁壷形をした物もあります。
 
         勿論くびれの無い作品もありますが、いずれも据わりの良い形をしています。
 
       ・ 小振りの徳利の酒の量は、一合程度入る様に見えますが、下膨れですので、それ以上
 
         入るかも知れません。
 
      b)  注ぎ口は特に設けず、3~4箇所注げる様に変形し、口縁部はやや立ち上がった
 
          形状に成っています。 首の部分はやや長めに見えます。胴径の太い作品は、
 
          この首の部分を持つて、酒を注ぐのではないかと思われます。
 
      c) 黒い焦げ部分と赤(緋色)い窯変が片面又は両面に現れ、黄味掛かった胡麻(ごま)が
 
        器に降り掛かり、器肌を美しく飾っています。
 
   ) 中村氏の徳利 : 作品名は「徳利」、「備前徳利」、「扁壷徳利」などとしています。
 
       ・ 徳利: ① 高 10.0、径11.0 cm。 ② 高 9.7、 径12.0 cm。
 
       ・ 備前徳利: ① 高 9.5、径13.5 cm。 ② 高 9.7、 径11.7 cm。
 
       ・ 扁壷徳利: 高 10.8、径12.2 cm。
 
    ) ぐい呑、酒呑の作品 : 器の容量によって、「ぐい呑」と「酒呑」を区別している様に思われ
 
       ます。 それは、同じ様な形でも、名称を分けているからです。
 
      a) 「ぐい呑」の形状は、下膨れした台形の物が多く、徳利の同様に、焦げ、胡麻、緋色が 
 
        バランス良く色しています。
 
       ・ 備前ぐい呑: 高 5.2、径 8.0 cm。
 
      b) 「酒呑」の形状は「ぐい呑」と同形、又は皿の様に径が大きく、深さの浅い作品です。
 
       ・ 酒呑 : ① 高 5.5、径 7.0 cm。 ② 高 3.3、 径 9.2 cm。
 
 尚、中村氏の徳利は現在数十万円とされています。今後も値上がりが予想されるそうです。
 
 次回(林正太郎氏)に続きます。 
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現代の陶芸201(中村六郎1)

2012-09-24 20:07:18 | 現代陶芸と工芸家達
 陶芸作家の作品の価格は、作家の生前(現存作家)と死後(物故作家)では、大きく変化する事が
 
あります。生前高い価格が付けられていた作品も、物故作家になると、次第に(又は極端に)低下する
 
事も稀ではありません(半分以下になる事もあり)。その原因の一つとして、新作物の作品に価格を
 
付けるのは、主に作者本人である事です。(勿論、その他の要因もありますが・・)。
 
それに対して物故作者の場合には、その価格は、市場原理に任される事になり、一般の人気度に
 
左右され、その価格が正当な値と見なされる様になります。
 
物故者で近年富に人気が出て、価格が急上昇している作家に、備前焼の中村六郎氏がいます。
 
中村氏は「徳利の六郎」と呼ばれ、酒器に人気が集中し、余りの人気の為、最近では中村六郎氏の
 
贋作(がんさく)が増えている様です。
 
1) 中村六郎(なかむら ろくろう): 1914年(大正3) 〜 2004年(平成16)
 
  ① 経歴

   1914年 岡山県備前市 伊部に生まれます。
 
   1928年、旧制閑谷(しずたに)中学校を中退し、大本教出版部に勤務し、新聞編集の仕事を
 
     終戦まで従事します。
 
   1945年、備前焼の金重陶陽(1956年に人間国宝に認定。1896~1967年)に師事します。
 
   1956年 天満屋岡山店で、初の個展を開催します。
 
   1961年、伊部大南に「六郎窯」を築窯し独立します。 同年、日本現代陶芸展に入選します。
 
   1961〜63年、1965〜72年、日本伝統工芸中国支部展に連続入選を果たします。
 
   1972年、第三文明展(創価学会の言論部を母体とした文化活動の展示会)て、入選します。

   1986年、岡山日日新聞賞を受賞。伝統工芸士に認定されます。
 
  ② 備前焼きについて
 
    ) 無釉焼締の陶器。
 
       備前焼は登窯や窖窯(あながま)で、1週間~数週間程の長時間焼成した陶器です。
 
       1200℃程の高温と炎や土の成分(長石と鉄分)、薪の灰及び薪の中の水分の総合作用に
 
       よって、灰が作品に降り掛り自然釉となり、無釉でありながら千差万別の表情を表します。
 
       作品は無釉にかかわらず、水はほとんど通しません。
 
    ) 備前焼の焼成の特徴として、胡麻(ごま)、カセ胡麻、火襷(ひだすき)、牡丹餅
 
    (ぼたもち)、桟切(サンギリ)、青備前、榎肌(えのきはだ)などと呼ばれる器肌があります。
 
      a) 胡麻 : 松の灰が高温で熔け、自然釉として器に降り注いだ結果、黄色味帯びた
 
        黄胡麻、暗褐色の青胡麻などがあります。窯の構造や湿度によって時代ごとに変化し
 
           時代区分の基準となっています。
 
        ・ 青胡麻 : 平安~桃山時代に多いです。 ・ 黄胡麻 : 江戸期に多い。
 
        ・ 茶色の胡麻 : 江戸末期以降。 
 
          現在では、人工的に発色させる事が可能になっています。        
 
       b) カセ胡麻 : 不完全に熔けた胡麻で、小粒の灰が着いています。茶人好みです。
 
       c) 火襷 : 白色又は薄茶色の肌に、赤色い線が現れた作品で、藁を巻いて焼成すると
 
          巻いた部分が赤くなると言われています。
 
         緋色: 作品の片側の全部又は一部が、赤く緋色に発色したものです。
 
              作品を横倒しにした、下部に発色する様です。現在では、意図的に出せるとの
 
              事です。(代表的な中村氏の作品は、鮮やかな緋色が出ています。)
 
       d) 牡丹餅 : 大きな作品の内側に小さな作品を重ねて置くと、重ねた部分に灰が掛らず
 
          甘い焼き上がとなり、赤っぽく発色します。
 
       e) 桟切(サンギリ) : 薪の灰に埋もれ還元焼成となり、暗灰色に発色した物で、大正期
 
          以降人工的に作られています。
 
       f) 青備前 : 窯詰位置と炎の関係で、還元焼成となり、暗灰色に成った物です。
 
       g) 榎肌 : 灰が熔けきらず、榎(樹木)の肌の様に黒や灰色の粒子が盛り
 
           上がる様に焼き上がった状態で、「サンギリ」の強く出た物です。
 
    ) 陶芸の焼成は、偶然性による処が大きいです。特に薪などの燃料を使う登窯や窖窯
 
       などは顕著です。しかしながら、現在では、この偶然性も窯詰の仕方によって、ある程度
 
       焼上がりを、予想する事が出来る様に成りました。
 
以下次回に続きます。
 
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現代の陶芸200(田中左次郎)

2012-09-22 21:38:49 | 現代陶芸と工芸家達

現代唐津の代表的な作家であり、人気作家でもある田中左次郎氏は、古窯跡で見つけた絵唐津の

陶片の素晴らしさに心を奪われ、唐津焼を志したとの事です。

1) 田中佐次郎(たなか さじろう) : 1937年(昭和12) ~

 ① 経歴

   1937年 福岡県北九州市に生まれます。

   1965年 縄文、弥生式土器の研究を始めます。

   1971年 古唐津発掘調査を行い。唐津焼の作陶を始めます。

   1975年 唐津市半田に登り窯を築きます。

   1985年 渋谷黒田陶苑にて個展を開催します。(以降、毎年開催)

   1987年 佐賀県東松浦郡浜玉 山瀬に登窯を移築します。

   1996年 韓国慶尚南道の蔚山(うるさん)に窯を築き、本場の高麗茶碗を制作し始めます。

 ② 田中氏の陶芸と作品

    作品の種類は、主に茶道具(茶陶)や、懐石料理の酒器や向付などの食器類が多いです。

   ) 特別な師を持たず、ほぼ独学で陶芸技術を習得したそうです。

   ) 1971年 唐津古窯跡を尋ね歩いた際、山深い山瀬の物原(一種のゴミ捨て場)で一枚の

      小皿に出会います。「小皿の中に陶工の轆轤を回す後ろ姿が浮かび上がり、体がズーンと

      して言葉が出ず、その場でしゃがみ込んでしまった。そして、その日が分水嶺となり、人生の

      流れを変えました。」と田中氏は語っています。

   ) 幻の古唐津の窯のあった、佐賀県東松浦郡の山瀬に登窯を築き唐津焼に取り組みます。

      土は鉄分の多い山瀬の原土(赤土)を使い、素朴な絵唐津の作品を作り始めます。

   ) 田中氏の唐津焼の種類は以下の種類があります。

     a) 朝鮮唐津: 黒い鉛釉を下に掛け、その上に白い藁灰釉を掛け分けた作品です。

       ・ 朝鮮徳利: 高 21.2、径12.7 cm。

     b) 斑(まだら)唐津: 乳白の地に青い斑文が流れている作品です。

       ・ 斑唐津茶碗: 高 10.3、径15.3 cm。 斑唐津盃: 高 5.6、径7.2 cm。

     c) 唐津焼の源流である朝鮮の焼き物。

       伊羅保(イラボ)、柿の蔕(へた)、粉引(こひき)、井戸茶碗、堅手(かたて)茶碗などを

       制作しています。 注: 柿の蔕茶碗とは、高麗茶碗の一種で、釉が蔕の色に似ている

       事と、高台付近が、柿の蔕の様に見える事で、我が国の茶人が付けた名前です。

       高台は大きく、腰の段(くの字)
がはっきりした形が特徴です。

      ・ 高麗伊羅保茶碗: 高 7、径15.0 cm。 柿の蔕茶碗: 高 7、径14.6 cm。

        斑唐津茶碗: 高 10.3、径15.3 cm。いずれも50~80万円の値札が付いています。

     d) 青霄 (せいしょう)と名付けた唐津焼

        近年、鮮やかな青味を持つ唐津焼や、青味掛かった乳白釉を発表し、「青霄 」と名付ます

       ・ 青霄 盃: 高 4.2、径7 cm。

   ) 高麗茶碗の魅力に取り付かれ、本場の土で本場の窯で制作する為に、2004年に韓国の

      慶尚南道 蔚山 彦陽付近に亀山窯を築きます。

      現地の荒い質感のある原土で制作し、茶色味を帯びた釉を使っています。

     ・ 亀山窯伊羅保盃: 高 5.2、径6.4 cm。

次回(中村六郎氏)に続きます。

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現代の陶芸199(岡部嶺男)

2012-09-21 22:01:32 | 現代陶芸と工芸家達

「永仁の壺」事件(古陶器の贋作事件)が発覚したのは、1960年の事です。

作者は陶芸家の加藤唐九郎氏(1898~1965)とされますが、長男加藤(後の岡部)嶺男氏との

異説もあり、真実は不明です。この事件後に父加藤唐九郎と絶縁し、独立します。

「嶺男青瓷(せいじ)」と呼ばれる、独特の釉調の青瓷釉の作品を次々に生み出します。

1) 岡部嶺男(おかだ みねお): 1919年(大正8) ~ 1990年(平成2) 享年70歳

  ① 経歴

   1919年 愛知県瀬戸市窯神町の加納家に、加藤唐九郎の長男として生まれます。

      尚、弟に陶芸家の加藤重高と加藤武一氏がいます。

   1927年 加納から加藤に改姓します。

   1937年 瀬戸窯業学校(現、瀬戸窯業高校)を卒業します。

   1940年 東京物理学校(現、東京理科大学)を中退し、入営します。

   1947年 復員し作陶を再開します。

   1954年 「日展」で北斗賞を受賞します。 1957年 日本工芸会会員になります。

   1962年 青瓷の研究を本格化させます。

   1969年 皇居新宮殿梅の間に、「粉青瓷砧」一対を収めます。

   1971年 日本橋高島屋(東京)にて、回顧展を開催します。

   1978年 脳出血のため自宅で倒れ入院。 右半身不随となる。

     同年 加藤から岡部と改姓します。

   1981年 日本橋高島屋(東京)、松坂屋(名古屋)にて「岡部嶺男展」を開催。

   1989年 松坂屋(名古屋)にて再起新作展を開催。

   1990年 9月4日、呼吸不全のため死去。享年70歳。

   2008年 「青磁を極めるー岡部嶺男展」を、茨城県陶芸美術館で開催します。

② 岡部嶺男氏の陶芸と作品。

  ) 初期~1970年頃まで: 瀬戸や美濃、備前や唐津焼などの作品を作っています。

     織部、志野、黄瀬戸、灰釉、鉄釉、備前、唐津、粉引など、実に多彩な作域を見せています。

     器体の全面に縄文を施した織部や志野の作品は、極めて独自性が強く高い評価を得ます。

     紅志野縄文瓶(1956)。織部丸壺(1963)。織部縄文瓶(1964)。紅志野縄文瓶(1956年)。

     灰釉窯変鉢(1960年)(ポーラ美術館蔵)。灰釉黒瓶子(1962年)。

     織部平鉢: 高 6 、径 36.1 cm。 古瀬戸筒花生: 高 23、径 12 cm。

     古瀬戸ぐい吞、織部ぐい吞:jずれも 高 5.5 、径 7 cm。

   ) 1963年無所属になる頃からは一転して、中国陶磁を範とする青瓷(せいじ)作品の制作が

     始まります。注: 「青瓷」とは、作家によっては、素地が磁土の物を「青磁」、 陶土の物を

    「青瓷」と区別しています。岡部氏は作品名を「瓷」と記しています。

    a) 青瓷(青磁)は玉への憧れから中国で生まれた、美しい釉色を特徴とする焼き物です。

       日本では個人作家が大正時代末頃から強い関心を寄せ、多くの作家が素材や技法の

        研究を重ねています。岡部氏は南宋官窯の青磁を研究します。

    b) 初期の頃は、一重貫入の青瓷釉による作品ですが、やがて二重貫入の作品を発表

       して行きます。

      ・ 岡部氏の青瓷の特徴は、氷裂青磁と呼ばれる部類に属します。

        即ち、大きな貫入が出ている作品です。貫入は素地と釉との縮みの差によって発生し、

        釉を厚く掛ける事によって、より顕著に発生します。但し、濃い釉を一度に掛けると釉禿を

        起こし易いので、二度三度と重ねて施釉すると良い結果がでます。

      ・ 貫入部分に、墨や弁柄を入れる事で、貫入部分をより鮮明に浮き出す方法があります。

     イ) 粉青瓷(ふんせいじ) : 艶の有る不透明な釉調の青瓷です。

        粉青瓷大盌 : 高 8 、径 28.3 cm。   粉青瓷茶盌 : 高 8 、径 12.7cm。

        粉青瓷盌(1967)ポーラ美術館蔵。 粉青瓷大砧(1969)。

     ロ) 翠青瓷(すいせいじ) : 透明感のある青緑の釉調の作品です。

        翠青瓷縄文瓶: 高 25.5、径 28 cm。 翠青瓷鼎(1968)。

     ハ) 窯変米色瓷(ようへん べいしょくせいじ): 黄褐色の釉調で、岡部氏を代表する青瓷の

        作品となります。

        尚、青磁(青瓷)は、釉中の微量な鉄分が還元焼成によって青色に発色したものであり、

        還元焼成では、茶(黄)褐色になると言われています。

        窯変米色瓷博山炉(1971)。窯変米色瓷瓶(1973)。 窯変米色瓷双耳砧(1974)。

   ) 嶺燦(れいさん)の作品: 最晩年に、窯変による美しい天目を生み出します。

      岡部氏は終生、鉄釉による天目釉を追求しています。この作品も鉄釉の作品です。

         窯変嶺燦盌(1987)     

次回(田中左次郎氏)に続きます。

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現代の陶芸198(鈴木五郎2)

2012-09-20 21:49:38 | 現代陶芸と工芸家達

鈴木氏は、組織や団体に属さず無所属を通し、発表の場は個展のみに限定し、実力で陶芸界で

活躍し、更に見る人の度肝を抜く作品も発表しています。 

 ② 鈴木氏の陶芸

   ) もう一つの大きな作陶として、大壷作りがあります。

    b) 2m級の大壷の制作への挑戦。

      鈴木氏が挑戦する大壷は、形や装飾は1.4m級の大壷と同じにするそうです。

      但し、1.4級が同じ粘土を使用したのに対し、今回は各パーツ毎に種類を変えるそうです。

     イ) 高さ2mの作品にする為には、乾燥や焼成で土が収縮しますので、生の状態で、

        2.3~2.4mにする必要があります。

     ロ) 1.4m級と違い、作り方も替える必要がある様です。 

       前回は土の紐を積み上げる方法を取りましたが、今回は土の量も多く、重量も飛躍的に

       増える為に、発砲スチロールの型で作るとの事です。

       その詳細は不明ですが、以下のようにするのではないかと、想像されます。

      ○ 発砲スチロールで壷の型(内型)を作る。

       ・ 発砲スチロールの塊を所定の高さまで積み上げます。(専用の接着剤が有ります)

       ・ 電熱線を利用したスチロールカッター(色々な種類が市販されています)や、刃物の

         カッター(専用のカッター有)で、削り出し型を作ります。尚、電熱式カッターは、熱で

         スチロールを溶かしながら切断しますので切断面も綺麗です。

       ・ 型の高さは生の作品の高さにしますが、径は壷の肉厚分だけ細くします。

       ・ 型を分割する為に、切断箇所に印を付け、同時に番号を付けます。

         電熱式カッターで「バラバラ」に切離します。

         分割した型には、コーティングで強度を補強すると共に、離型剤を塗り土離れを良く

         します。

        ・ 厚みのあるタタラを作り、型に被せ合わせて切り取ります。

        ・ タタラの上に必要な装飾を施します。このパーツにも番号を振っておきます。

       ○ 土の種類が異なれば、縮み率も異なりますので、型通りに作っても繋ぎ合わせる時に

          会わなかったり、隙間が発生する事も起こります。 

          又、自然乾燥でも土は、スチロールの上を滑りながら縮みます。この際割れが発生

          し易いですので何らかの対策が必要です。

       ○ 「バラバラ」の状態で素焼きし、文様や色付けした後施釉し、本焼します。

       ○ 焼き上がったパーツは、金継(呼継)ぎの方法で、接着し組み立てます。

        ・ 種類の異なる土で焼成すると、合わせ目に隙間や出っ張りが生じます。

          少々の出っ張りは、「ダイヤモンドやすり」で削り調整し、大きな隙間はクサビの様に

          別の陶片を差し込むそうです。

       ハ) 最大の問題は、作った作品を何処に置くかと言う事らしいです。

          組み立てた場所から移動させる事が困難になるからです。

 ③ 鈴木氏の作品。

   ) 酒器:    

      「弥七田徳利」: 高 18、径15 cm。 「黄瀬戸徳利」:高 12.8、径 7.7 cm.。

      「染付片口酒器」: 高 10.8、径13 cm。「志野ぐい呑」: 高 5.4、径6.2 cm

      「弥七田ぐい吞」: 高 5.4、 径 7 cm。 「瀬戸黒ぐい吞」: 高 6.4、径6.4 cm。

       注: 弥七田織部とは、江戸時代に牟田洞、窯下、中窯(岐阜県可児市久々利大萓) の

         近くの窯で焼成された、鉄絵や緑釉で描かれた繊細な文様 の焼き物で、現在の

         織部焼のずっと以前に焼かれていました。

   ) 懐石料理用食器 :

      「織部割山椒」(五客): 高 10.2、径10 cm。「黒志野片口鉢」: 高 11.3、径34.2 cm。

      「五色飯碗」: 高 5.5、径11 cm。 「志野茶碗」: 高 9.3、径12.5 cm。

      「絵織部馬の目皿」: 高 4.5、径 30.2cm。

   ) 茶道具類 : 「ロス織部水指」、「呼継茶碗」、「黄瀬戸茶入」、「織部香合」、「織部蓋置」

      「志野茶碗」、「織部花入」などの作品があります。

   ) 予想外の作品    

      「弥七田大壷」 : 高 130、 径 130、奥行 130 cm。

      「絵織部椅子」 :  高 47、 幅 21、 奥行 18.5 cm。     

      「鳴海織部珈琲碗」 : 高  17.2、径14 cm。 3本脚が異常に長い器です。

      「ハワイ織部珈琲碗」 : 高 12.8、径13 cm。 脚元が異常にくびれています。

    ・ その他 30段も積み上げた織部の重筥(はこ)、 一人では持ち上がらない焼締や織部の

      土瓶など、常識外の形をしている作品を多く作っています。

次回(岡部嶺男氏)に続きます。

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現代の陶芸197(鈴木五郎1)

2012-09-19 21:34:31 | 現代陶芸と工芸家達

志野や黄瀬戸などの伝統的な陶芸技法を駆使すると共に、米国の大学に招聘され、「ハワイ織部」

「ロス織部」などの作品を作り、更には、驚異の大壷で世間の注目を集めている陶芸家が、

瀬戸の鈴木五郎氏です。

1) 鈴木五郎(すずき ごろう): 1941年(昭和16) ~

  ① 経歴

   1941年  愛知県豊田市に生まれます。

   1957年  瀬戸窯業訓練校に入学し、作陶活動を始めます。

   1962年  日展に初入選を果たします。

   1963年  「アジア陶芸展」に出品。  「朝日陶芸展」で静岡県知事賞を受賞します。

   1964年   第50回記念「光風会展」に入選。

   1966年  「朝日陶芸展」最高賞を受賞。

   1969~70年 アメリカの陶芸を視察。 ロサンゼルス「Q」にて個展を開催します。

   1971年  第3回「中日国際陶芸展」で奨励賞を受賞。

   1975年  「朝日陶芸展」で‘75賞受賞。  ロードアイランド美術大学(米国)へ招聘されます。

   1982年  クランブルック大学院(米国)へ招聘されます。

   2001年  「世界陶磁器EXP2001」 (韓国)に招待出品します。

   2002年 日本陶磁協会賞を受賞

   2003年 「現代の陶芸 受容と発信」(東京庭園美術館)に出品します。

  ・ 個展 : 西武(池袋)、丸栄(名古屋)、乾ギャラリー(東京)、第一画廊(名古屋)、

    あか松ギャラリー(東京)、高島屋(東京、京都、大阪。横浜)、伊勢丹(新宿)、藤野屋(佐野)、

    日経カルチャー(銀座)、 ギャラリー五郎(新宿区)などで開催しています。

 ② 鈴木氏の陶芸

  ) 轆轤の名人と言われ、17歳で製陶所に就職し、皿や徳利、湯呑みも、全て一日千個を目標に

    技を磨き、一日に1250個の湯呑みを作ったと言われています。

   ・ 桃山陶器への憧れが募り、土も釉の原料も、桃山陶と同じ天然の材料を探し集めます。

     その結果、黄瀬戸や織部も桃山陶に匹敵する程の質の高さで、茶碗、茶入、陶筥(はこ)、

     陶の椅子、土瓶、酒器、俎皿(まないたさら)など、彼独自の作品を生み出しています。

  ) もう一つの大きな作陶として、大壷作りがあります。

     高さ1.4mのどっしりと横に張り出した真丸の形状の壷で、大人3人抱えの胴径の作品を

     完成させています。新たに高さ2m級の壷の制作を検討中との事です。

    a) 1.4m級の壷の制作方法を公開していますので、紹介します。

     イ) 轆轤上に紐にした粘土を、輪積みの技法で積み上げて制作しています。

         直径1m程の手回し轆轤を使い制作しますが、作品が大きくなるに従い、若い助手に

       回させています。 注意点は、土の重みで外側に開いて行くのを防ぐ事と、下部が乾燥

       したら、上に紐を継ぎ足して背を高くします。時間を掛けて作ります。

     ロ) 壺の形が出来上たら、生の粘土のままでパーツ毎に切り離して行きます。

     ハ) 各パーツを焼成し、「ジグソーパズル」の様に繋ぎ合わせ組み立てます。

        驚くべき事は、各パーツによって釉を変えたり、焼成方法を変えている事です。

        黄瀬戸、引き出し黒、志野、織部、染付(絵付)、焼締など、異なった釉を掛けています。

     ニ) 各パーツの接着は、金継ぎの技法を取っています。それ故パーツの周囲は金ピカに

        輝いています。 注: 金継ぎとは、漆(うるし)で接着した後、金粉を漆の上に載せ、

        真綿(まわた)で押さえて、金粉を定着させる方法です。

        又、異なった技法の焼き物同士を金継ぎする事を、「呼継(よびつぎ)」と言います。

    b) 2m級の大壷の制作への挑戦。

以下次回に続きます。

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現代の陶芸196(岡田裕2)

2012-09-18 22:26:40 | 現代陶芸と工芸家達

200年の歴史を持つ窯元に生まれながら、陶芸とは無関係な学業を修め、26歳になって初めて

本格的に陶芸を始めた岡田氏は、茶陶を中心に作品を作っている萩焼を極める為に、茶道を学び

始めます。

③ 岡田裕氏の作品

  作品は4袋の登窯で約30時間かけて焼成しています。(傾斜がやや強い窯との事です。)

  岡田氏の作る作品の種類は、萩茶碗、水指、花入、壷などの茶道具や、懐石料理用の向付や

  酒器(徳利、ぐい呑など)、皿類と日常的に使う萩湯呑みや萩汲出茶碗などが多いです。

 )  1993年 作陶20年の個展「天地悠久」で発表したは、白釉炎彩の壷や花器です。

    岡田氏がシルクロードのイメージを形造った作品で、三角形や四角、五角形と口を変形し、

    胴も弓なりにしたり、土紐による筋貼の技法で角(稜線)を際立たせたり、面取りを施したり

    更には、轆轤挽きした作品の口に紐を載せ、口を狭くするなどの変形させた作品に成って

   います。作品の表面は凹凸も無く綺麗な面に成っています。

    ・ 白釉炎彩四方花入 : 高 23、13x13 cm。

      胴の上下に白釉が施され、中央部の全周は炎が当たった様に赤く染まっています。

    ・ 灰被叩紋四方花入 : 高 25.2、13x13 cm。

      窯詰の際、おき(薪の燃え残り)火に埋もれる部分に作品を置く事により、蒸し焼き状態に

      なり、白釉も「グレー」にくすみます。

  ) 作陶30年記念の個展「白のぬくもり」では、萩の伝統的な白釉(白萩釉)と、「炎彩」程には

     赤くなりませんが、「ピンク」色や赤紫色に窯変化した作品を出品しています。

     ・ 白釉窯変雲水指 : 高 19、20x18cm。

     ・ 白釉窯変面取水差し: 高 15.3、18x18 cm。

     二割ほどの赤土の見島土を加え、炎の当たる場所に窯詰すると、「ピンク色」が出る場合が

     有るそうです。

  )  抹茶々碗は、奇抜な形ではなく、穏やかで整然とした、堅実な姿をしています。

     ・ 萩井戸茶碗: 高 8.8、口径 14.8 cm。 萩枇杷茶碗: 高 8.4、口径 13.8 cm。

     ・ 鬼萩 割高台茶碗: 高 9.3、口径 13.5 cm。 萩灰被茶碗: 高 8.5、口径 13.5 cm。

       素地に小石を入れ、器肌が荒れた作品です。

     ・ 白釉窯変割高台茶碗: 高 9.2、口径 13.5 cm。

次回(鈴木五郎氏)に続きます。

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